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40、策略に嵌る

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 指定された場所は、料亭だった。
 
 大通りから一本中に入った通り沿いにある、お屋敷のようなお店。入り口から厳かな雰囲気を醸し出しているこの建物に、敦美は入るのが躊躇われた。

「どうしたの?」
「い、いえ。何でもありません」

 こんなところ打ち合わせで使ったことないよ。緊張する……。

 中庭を眺められる通路を通り、座敷へ通される。

 さあ、気を引き締めるのよ、と心積もりしたが、仲居さんが襖を開けた途端。そのことが頭からすっぽりと抜けてしまった。

 敦美の意識を奪ったのは、目に飛び込んできた日本庭園。門から入ったときはあまり意識が向かなかったのに、座敷から見ると心奪われるほど美しいのだ。

 手入れの行き届いた木々が整然と並び、池の表面に映り込む。手前には白い砂地が広がり、岩が絶妙なバランスで置かれていた。風情あふれるこの庭は、おそらく座敷から見ることを前提として作られているのだろう。ほう、と感嘆のため息がついつい出てしまう。

「どうぞ」

 声を掛けられてはっとする。敦美はいそいそと席に着いて、「すいません」と謝る。それから落ち着かせるように深呼吸した。

「ご依頼ありがとうございます。グラフィックデザイナーの須藤敦美です。今回は新築マンションの広告ということでよろしいですね?」
「うん。そう」

 すこし緩んでいた裕紀の表情が、急に締まった。仕事モードに切り替えたのか、少しだけ冷たいような雰囲気に変わる。敦美も気を引き締めて臨んだ。

 すると裕紀はすっと何かを取り出し、机の上に広げる。ファイルに丁寧に入れられていたそれは、地図とマンションの完成予想図だった。

「新築予定はリゾートマンション。郊外にあるマンションなんだけど、ここは市のリゾート計画で開発される予定地なんだ」
「リゾート計画……」

「そう。観光地がないからこそ、自分たちの手で作ろうっていう事らしい。かなり大掛かりみたいだけど。で、その計画に便乗する形で我が社が新たにマンションを建てるというわけ」

 確かに海に隣接しているし、都心から離れた広大な自然の中にある土地だから場所的にはいいのかもしれない。

「どんなリゾート地になる予定か、わかりますか?」
「これが参考資料なんだけど、どうやらこの海岸線が階段状の崖になってて、それを利用するみたいなんだ」

 見た写真に驚く。崖を掘るのかどうするのかわからないが、崖の外側や上側にも洋風な建物が並んでおり、見た目はモン・サン・ミッシェルのようだ。

「中を通路にして移動できるようにするみたいだね。建物は宿泊施設とか、レストランとか観光客向けになるだろう。で、マンションはこっち」

 見た目は他の建物とあまり変わらない。景観を崩さないように似せているのかもしれない。マンションというか洋館のようだ。それがいくつも並んでいる。

「これは全て住む用ですか?」
「住む場所は本館だけで、別館は住んでいる人が使える娯楽施設にするつもりだよ。で、今回新規に立てるマンションの広告を我社のサイトに掲載したいんだ。オープン間近になったらもっと大々的に宣伝していくつもりだけど、とりあえず今はサイトに掲載するぐらいでいいかな、と考えているんだ」
「分かりました」

 それから詳細を淡々と説明する裕紀をチラッと見る。

 にしてもこの人スーツすごい似合うな……。うちの会社基本的に服装自由だから、実は智紀さんがスーツを着ている姿をほとんど見たこと無いんだよね。

 それに裕紀さんって見た目もそうだけど、選ぶ店や彼の行動を考えると上品なのよね。で、かつ大胆な行動を取ってくるから、ときめいちゃいそうで恐ろしいわ。

「……以上かな」
「分かりました。では今日の話を参考に、後日デザイン案を送らせていただきますね」

 ふう、と一息つく。打ち合わせも終わったし、そろそろ帰ろうかなと席を立とうとすると。

「帰っちゃだめだよ。もう少しで食事がくるから」
「はい。て、え?」

 食事!?

 パッと時計で時間を確認すると、夕方の六時を回っている。

 もうこんな時間か。四時ぐらいからここにいたとはいえ、二時間近くもいたとは。なんか中途半端な時間設定してくると思ったのよ。目的はこっちか……!

 食事の予約もしてくれていたのだろう、だから敦美に拒否権はない。裕紀の周到さに敦美は呆気に取られてしまった。

「仕事の話はここで終わり。これからはプライベートだから」

 ニコッと笑うその笑みが、極上すぎてずるい。

 物腰柔らかい雰囲気の智紀とは違って、裕紀は隙が無くて完ぺき主義者のような雰囲気がある。少しとっつきにくい感じがあるのに、笑ったらその雰囲気が崩れてとても親しみやすくなるから不思議だ。

 敦美は浮いたお尻を再び座椅子に戻す。

「わかりました……」
「ねえ、敦美ちゃん。今度さ、どこに行きたい?」

「今度、とは」
「次のデートの話」

 どうやら次もあるらしい。

「そ、そうですね……ちょっと、パッと思いつく場所がないですね……」
「うーん、そうか……。じゃあ、どうしようかな」

 裕紀でも悩むことがあるのか。何でもパッと思いついて、行動に移す感じなのかと思いきやそうではないらしい。そんな事を考えながら、今度は敦美が問う。

「裕紀さんはどこか行きたいところとかあるんですか?」
「俺? うーん……非日常が味わえる……そうだな、行ったことのない場所に行ってみたいかな」

「行ったことのない場所……例えば?」
「例えば……。そうだね、遊園地、とか」
「え? 遊園地?」

 驚いたような顔をした敦美に、裕紀は小さく笑う。

「うん。実は行ったことないんだ。両親は忙しかったし、さすがに智紀となんて一緒には行かないしさ……。だから遊園地に行くことがなかったんだ」

 裕紀の表情に影が落ちる。

 敦美にとってはホテルの最上階のレストランでディナーも、ヘリに乗ったことも、今回の料亭に来た事でさえも非日常だが、彼にとってはそれが日常なのだ。本当に住んでいる世界が違う人なのだ。

 落ち込ませてしまった敦美は申し訳なくなって、必死で言葉を見繕う。

「あ、あの、じゃあ、遊園地に行きましょう。とても楽しい所ですし、しばらく行ってなかったので、私も行きたいです」

 すると裕紀はにっこりと笑った。先程のかげりはどこへいったのか、裕紀の笑みは輝く程の満面の笑みだ。

 あ、騙された、と思ったが、もう遅い。

「ありがとう。じゃあ、今度の土曜日に遊園地行こうか」

 次の約束まで取り付けられてしまった。困った。この人、かなりの策士かもしれない。
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