騎士ですが正直任務は放棄したいです

ななこ

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北都市編 前編

4(リリナ視点)

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「……ナ、……」

 誰かが名前を呼んでいる。

「リリナ!」

 リリナははっとして自分を呼ぶ声の方へ視線を向けた。

「リリナ、先ほどからぼうっとしているみたいだけど、大丈夫なの?」

 こちらを心配そうにのぞき込んでくる二人の姉。

「勉強のしすぎでは?」

「そうよ、あなた頑張り過ぎよ?」

「え……? いや……。私は大丈夫よ」

 温かな日差しが降り注ぐ昼下がり。

 手入れの行き届いた花園の真ん中に立てられたお洒落な四阿で、三人は優雅におやつを食していた。

「そういえば、お兄様二人は? 今日は夜にパーティーがあるっていうのに」

「さあ……? 知らないわ」

「まあ、時間になったら帰ってくるわよね。だってこの家の自慢ですものねえ」

「そうねえ」

 リリナはぼんやりとしながら姉たちの会話を聞いていた。だからだろうか、全く会話が頭に入ってこない。

 眠いわけじゃないのに……。

 どうしてかしら?

 今日の家庭教師の先生の授業で疲れちゃったのかしら。

「ねえ、リリナ、本当に大丈夫なの?」

「リリナも有名学校の首席でうちの自慢の子ですものね。首席維持はお勉強がとても大変なのよ」

「そうね。私たちよりもよくできた子。本当に素晴らしいわ。でも……体調管理も大切よ?」

「部屋に帰って寝た方がよいのではなくて?」

 心配する姉たちの言葉に嫌味はない。

 そして心配そうにリリナを覗き込んでいる。本当にリリナの体調を気にかけているようだ。

 それが少しだけ嬉しく、リリナはふるふると頭を振った。

「いいえ。大丈夫よ、お姉様。私はここにいたいの」

「あらそう? まあ、気分が優れなくなったら早く自分の部屋へお行きなさいよ?」

「ええ。そうするわ。ありがとう、お姉様」

「うふふ。まあ、お茶のお時間は唯一の休憩時間ですものね」

「……そうね、リリナはお勉強に乗馬にピアノにヴァイオリンにお花に……習い事もたくさんしているものね。この時間をリリナから奪ってしまったら癒しの時間がなくなってしまうものね」

「なんでもできるってうらやましいけれど、大変ね。お勉強を重点的にするのに、一つでも習い事はやめられないのかしら?」

「あのお母様のことよ。文武両道になんでもこなせる人間を育てたいのよ。私たちではなく、リリナみたいな子を、ね」

 姉がリリナを羨ましそうに見つめる。ねたみの感情は一切なく、羨望のまなざしは受けていて気持ちのいいものだった。

 本当に自慢の妹だわ、と紅茶をすすりながら姉がつぶやくのを聞き逃さなかったリリナは、嬉しさと優越感とで小さく笑った。

 私は何でもできる、自慢の妹。だから、誰かに見下されることなどなく、惨めな気持ちになることもない。

 リリナはうふふ、と姉のように上品に微笑んでいる。

 なんだかとても幸せだった。

 これが私の人生の中で正しい道で、そして歩みたい道を自ら選んで歩けている。

 そうできるように努力をしてきたし、それができる才能もあった。だから私は自慢の妹ですばらしい人間なのだ。

 心地よい時間がゆっくりと進んでゆく。

 ずっとここにいたい。私の気持ちを満たしてくれる場所は、ここしかない。

 リリナはそう思って紅茶に口をつけた。

 甘くて上品な香りと味が口いっぱいに広がる。嗅いだその香りが頭の置くまで行き届いているような感覚があり、余分な体の力が抜けてリラックスできている気がした。

 リリナは姉たちのたわいもない会話をあまり聞いていなかったが、しばらくその余韻に浸っていた。

 すると一匹の猫が、「にゃー」と鳴いてリリナの足に擦り寄ってきた。その猫は茶トラの毛色をしており、少し薄汚かった。

 けれど目がパッチリとして愛らしい顔をしており、愛嬌よくごろごろ喉を鳴らしている。

 リリナの家では動物を飼っていない。どこからか迷い込んできた野良猫だろう。 

「……どうしたの? 迷子なの?」

 よしよしと撫でる毛並みは柔らかい。リリナはこの猫をどこかで見たことある気がしていた。でも、どこで見たかは覚えていない。

 猫を撫でていたら姉の顔が強張った。

「ちょっとリリナ、その汚い猫を触らないの!」

「え? でも、かわいいわよ?」

「ちょっと誰か! この野良猫をつまみ出して!」

 姉の悲鳴を聞いたメイドが駆けつけ、野良猫を文字通りつまんでどこかへ持っていこうとする。

 リリナはなぜか焦燥感に駆られて立ち上がる。

「ちょっと待って! その猫、私が飼うわ。だから、洗ってくれないかしら?」

「リリナ、何を言っているの? あんな汚い野良猫を飼う必要なんてないわ。絶対にお母様がお許しにならないわよ! 欲しいならお母様に言って綺麗な猫を買ってもらいなさいな!」

「それは私も賛成だわ。その猫、そのまま捨ててきて頂戴!」

 姉の強い口調にびくついたメイドはそそくさと猫を連れて立ち去った。

 メイドの後ろ姿を見送ったリリナはなぜかすごく虚しい気分になった。

 たとえあの猫が餌をもらうために自分に媚を売っていたとしても自分に懐いてくれた気がしたのに、餌もやらずにどこかへ捨ててしまった。

 そのことで非常に胸が痛かった。

 気分が優れなくなたリリナは、席を立とうとする。

「では、私はそろそろピアノの先生が来るから、失礼するわ……」

「これからお稽古をするの? 大変ね。でも、がんばってね」

「……ええ。ありがとう」

 立ち上がった途端、一瞬眩暈がした。

「大丈夫? 立ち眩み? もう今日はお稽古をお休みしたらどうなの?」

「だ、大丈夫よ……」

 この場から一刻も早くどこかへ行きたくなるという心理が働いたリリナは、ゆっくりと深呼吸する。

 視界が少しぼんやりとしており自身の体調が悪い気がしたが、そんなことはお構いなしだ。

 早くお稽古に行かなければ。勉強をしなければ。少しでも成績が落ちたら自慢の妹ではなくなる。

 完璧にならなければ、家族から賞賛を得られない。

 そんな強迫観念が押し寄せてきてお稽古の部屋へ移動しようとしたが、なぜか自分がこれから何をすべきなのか、そしてどこへ行くべきなのかわからなくなってしまった。

 一日の行動スケジュールはしっかり頭の中に入っているのに、もやがかかったように思い出せないのだ。

「どうしたの?」

「え? ああ……」

 立ちっぱなしでぼんやりしているリリナに、姉が深刻そうな表情を浮かべる。

「本当に大丈夫?」

「ええ……。私、何をしようとしていたのかしら?」

「え? ピアノでしょう?」

 そう答える姉の言葉にやや棘が含まれていた。

 その言われ方に体の芯が冷えてゆくような気がした。

 そしてなぜかその言われ方は今回の一度だけではななく、今までにも何度か言われたような気もしたのだ。

 今まで自慢の妹で、期待と羨望を受けていた。だからそのような言われ方はされる筋合いはないのに。

 違和感を持ち始めた途端、頭痛がリリナを襲う。

「どうしたの、リリナ。早くピアノに行きなさい」

 強めに言われたリリナはビクリと体が震え、なぜかその場から動けなくなってしまった。

 それでも、ピアノではなく、『何か』をしなければいけない気がして。『どこか』へ行かなければならない気がするのに。それが何か思いだせなくて、ただただ立っていた。

 リリナは俯くようにして、紅茶に視線を落とした。

 するとティーカップに映る自分がふと目に留まる。

 表情が強張っていた。この表情は見たことある。鏡に映る自分の顔がいつもしていた気がする。

 リリナはその表情を見たくなくて視線をずらした。

 でも、私はみんなの自慢の妹――。

 ずっとそうだったし、これからもそう。怒られることも、蔑まれることなんてない。

 はず。

 なのに、どうして私はそんな表情をしているのだろう。

『本当にそう?』

 どこからか声がして、紅茶をもう一度眺めた。

 そこに映っているのは悲しそうにこちらを見つめるもう一人の自分だった。
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