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序章
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しおりを挟むぼたぼたぼた、と血がこぼれ落ちた。
「や……やめろ……!」
どうしてその姿なんだ。
なんで……。
叫びたい衝動をなんとか堪え、歯を食いしばった。
「君に特別にいいことを教えてあげる。私はねえ、人間の奥底のもっとも恐れているもの、羨望しているもの、それらを感じることができ、自分の姿を変えることができるんだ」
柔らかな髪の毛に、サラとよく似た涼やかな目元。
「こういう風にね」と笑う顔はまさにルナ。
ぎり、と歯ぎしりする。
「ほら、姉さんだよ。……くふふ」
「貴様は姉さんではない! ただ鏡のように姿を映しているだけだ!」
サラの瞳の奥は怒りの炎が燃え上る。
「でも、幸せでしょう? だってさ、君が一番会いたかった人だもんねぇ。攻撃できないよねえ? しかもその人に刺されているなんて、なんて甘美なんだろうねえ?」
グラヴァンは勢いよく剣を抜き取り、その傷口に蹴りを入れた。
「ぐっ……」
数歩よろけたが、なんとか踏ん張る。
終始にやにやと笑っているグラヴァンに、サラは胸の底がどす黒く焼けるような気がした。
こいつだけは許さない。
人間の命も、想いも弄んでいるような奴に、負けるわけにはいかない……!
「いいねぇ。その眼。なんだか快感が止まらないよ。君は私を悦ばせる天才だなあ」
「黙れ!」
サラは怒りに身を任せ地を蹴ると、グラヴァンに一気に接近し、猛撃を打ち込んだ。
連続で叩きつける攻撃を、グラヴァンは涼し気な表情でいなす。まるで踊っているかのようで、軽やかだ。
サラの攻撃は衝撃波が地面をただ抉っていくだけ。
非情を表しているかのような耳に突き刺さる鋼の音は、どんどんサラの心を混沌の闇へと突き落としてゆく。
「知ってた? 君の憤怒、心の深い闇、嫉妬、全て私を快感に溺れさせるだけじゃなくて、力も強くするんだよ」
にやりと口角を上げたグラヴァンは、サラに向かって軽く剣を振るった。
漆黒に艶めく刃が黒い光を放てば、サラの体を横断するように一筋の赤い線を生む。
そこから鮮血がはじけ飛ぶように噴いた。
「かはっ……」
サラはどさりと背後へ倒れた。
「うふふ……楽しかったよ」
グラヴァンがサラに剣先を向ける。首筋に当たってつう、と血がこぼれる。
サラはハッハッ、と息を荒げながら睨み上げた。
まだ、まだだ……。まだ、私は死んでいない。
「ふふふ……もう終わりかな?」
私は……私は……!
立ち上がって剣を握り、目の前にいる憎い男の喉を切り裂こうにも体が動かない。ぐっと拳を握った。
そう、私は――弱い。
あの時も、今も。
何もできない自分が心底嫌だった。
誰かに守ってもらわないといけない自分が、情けなかった。
もっと自分に力があれば、と何もできなかった自分に絶望した。
力があれば、姉は連れ去られることはなく、父や母を守ることができたのに。
多くの者が命を落とさずに済んだのに。
ずっと、ずっと、今も力を求めてもがいている。
どうして? 私は以前と変わらず何もできない?
どうして、どうして、どうして。
いつまで経っても、弱いままなのか?
力を得た、と一人勘違いしていただけなのか?
「じゃあね。血はいただいていくよ」
ふと思う。
ーー私は、何のために戦っているのか?
その言葉が胸を突き、サラの脳裏には、ルナがサラの身を隠しスカルに立ち向かっていく姿が、そしてテリーたちが自分たちを守るために手に武器を持ち戦う姿が浮かんだ。
私は……私は……。
まるでこぼした涙のように、脇腹を押さえたサラの手を伝って、ぽたりと落ちた血が地面を濡らす。
体に刻まれた傷には痛みを感じる。
けれどそれ以上に胸が痛かった。
まるでずきずきと全身が泣いているよう。
サラは唇を噛んだ。
そうだ……。
沸騰していた頭が一気に冷めていくのがわかる。
何のために戦うのか。
その理由は人それぞれだろう。
でも、サラにとっての戦う理由は、怒りではないし、誇りでもない。
あの日の光景がフラッシュバックする。
「そうだ……。わたしは――もう、あの時の悲しみを……誰かを失う悲しみを味わいたくない……。だから……わたしは戦う!」
突如剣が光り、サラもその光に包まれる。
グラヴァンは眩しさに一瞬気を取られた。
「何っ……!?」
サラは起き上がりざまに向けられた剣を弾き、強烈な一撃をお見舞いした。
「うぐっ!」
『サラ。聞こえるか?』
サラに優しく、アルグランドの声が耳に届いた。
「ああ、聞こえる。……ごめん、アル」
怒りで自分を見失っていたから、精霊の声まで聞こえなくなっていたのだ。
そんな自分が情けない。それでも、アルグランドはサラの心に寄り添う。
『いいんだ。あつくなるところは、サラのいいところだからな。少々、あつすぎただけだ。……でも、もう、いいだろう?』
「ああ。大丈夫だ」
「ふうん、まだやれるんだ。……いいね」
グラヴァンは笑みを深め、剣を軽やかに振るってきた。それをサラは全て弾きかえしていく。
体の状態はかなり最悪だ。
けれど、気分はいい。今なら、いける。
もう大丈夫だ。
私は自分が何をすべきが、どこへ向かって行くべきかを再確認した。
そして守るべきものを明確にし、弱さを認めた自分は、一歩強くなれる。
ぐっと力を込めて弾き返す。
お互いに距離を保って睨み合った。
「姉さんはどこだ」
諦めないサラの姿勢に、グラヴァンは根負けしたとでもいうように肩を竦めた。
「仕方ないね、私を楽しませてくれたお礼に場所は教えてあげよう。でも君たち人間はそこへ辿り付けはしないだろうけどね」
「さっさと答えろ」
「せっかちだなあ」
くふふ、と笑うグラヴァンはゆっくりと答えた。
「異界の深淵」
「異界の……深淵……?」
「そう。深い深い闇の底。そこに君の姉さんはいる。でも、もし辿り付けたとしても、もう君の知る姉さんではないだろうけどね」
ふふ、と笑うグラヴァンは剣を構える。
異界の深淵。
そこに、姉さんがいる。それがわかっただけでもいい。
サラは、すう、と息を吸った。
剣とサラを包む光が一層増す。
もう、私は何もできなかった頃の私じゃない……! 絶対に助け出す……!
「月光の刃!!」
振るった剣から一筋の光が放たれ、その光はグラヴァンを呑み込んだ。
「な、何―――っ!」
その瞬間、近くの森と町、全体が朝日を浴びたように眩い光に満たされた。
真っ白な世界に一瞬だけ、ルナの背中が視えた気がした。
「姉さん! 絶対に助けに行くから!」
そう言って手を伸ばしても、眩しい世界は消えてゆく。
姉さん……待っていて。絶対にそこに辿りついてみせるから……!
現実に引き戻されたサラ。目の前からグラヴァンは消えていた。
「やったのか……」
サラは大きく息を吐くと、安心したのか急に力が抜けた。その場にどさりと倒れ込む。
なんだか本当に疲れた。
でも、出血は多いはずなのに、眩暈はしない。
両手で抱えていた重たい想いに羽をつけ、大空へ飛ばしたような気分で目を閉じる。
少しだけ休もう。そしたら、ちゃんと動き出せる。姉さんを助けに行けれる。
ただ少しだけ、休むだけだ。
元の姿に戻り、心配そうにサラの横に腰を下ろしたアルグランドの気配を感じた。
いつもそばにいてくれた、自身の精霊。感謝してもしきれない。でも、それを伝えたい。
アル……ありがとう。
アルグランドはサラに小さくため息をつくと、自身の体をそっと身を寄せた。
「サラ、お疲れ様。――よく、眠れよ」
「ねえ、ちょっと待ってよ! サラちゃん! サラちゃあああああんっ! 大丈夫!?」
大慌てでやってきたウィルソンが、サラの状態を見て叫びだす。
「ちょっと、アル! サラちゃんは大丈夫なの!? ねえ……!」
サラとアルグランドをゆすって、一人で慌てる。
「ねえ、サラちゃああああああん!!」
耳元でがんがん叫ばれて、サラはキレた。
「うるさい! あんたは静かにできないのか! うっ!」
大声を出したら傷から血が染み出て来たじゃないか。私を殺す気かっ!
いや、もう声を出す元気もない。
サラはもう、目を閉じる。
お願いだから、寝させてくれ……。
「うわあああああ! サラちゃん! サラちゃああああああん!」
ウィルソンの叫び声がだけが夜空に吸収されていった。
✯✯✯
一人、傷口を抑えてゆっくりと歩く。
そこは真っ暗な世界に浮かび上がる巨大な城。
漆黒の支柱に手を添えて、ふう、と一息ついた。
「派手にやられたね」
「……ふふふ。ご名答。でもとてもいい気分だよ。血はちゃんと取ってきたし、文句はないでしょ?」
痛みに顔を歪めるグラヴァンに、小柄の男――ヴォルクセンは深いため息をついた。
「君が傷を負うのは別に構わないよ。血さえちゃんと取ってきてくれたならね。ほら、血を出して」
「ふふふ……。君は私に興味がないね」
どうぞ、とグラヴァンは剣を渡す。
サラの脇腹に刺した際に、剣に血を吸わせていてよかったと、今更ながらに安堵する。
自分の快楽のためだけにサラと剣を交えたとなれば、ヴォルクセンは決して許してはくれないだろう。
きっと罵倒されるに違いない。
まあ、それもそれでいいかもしれないが。
「気持ち悪いし、興味なんてない。むしろ死ね」
ばっさりと切り捨てたヴォルクセンに、グラヴァンは思わず噴き出した。
「あはは。ひどいなあ……!」
「はいはい。そろそろ始めるから黙ってよ」
そう言ってヴォルクセンとグラヴァンはルナの眠る部屋へ移動する。
ヴォルクセンは剣を手に持ちルナの方へ進む。
やっと。
やっと目が覚めるのですね、とグラヴァンは小さくため息をついた。
そしてヴォルクセンは胸の上に照準を合わせ、一気に振り下ろす――。
突き刺したところから血が体内へ送り込まれるの同時に、ドクン、ドクン、とルナの体が大きく脈打つ。
「お目覚め下さい、我らの主――ノヴァ様」
声に反応するように、黒いもやがルナを包む。
緊張感が一気に高まる中。
しばらくして。
「…………」
「…………」
二人は首を傾げた。
「目覚めない」
「うーん、目覚めないねえ……」
「これはまだ中でこの女が抵抗しているな」
「……じゃあどうすれば?」
困り果てたグラヴァンに、ヴォルクセンは「もう手段はあれしかないよね」と飄々と答える。
「あれ?」
「……そう、この――」とヴォルクセンが何かを言おうとした直後、部屋の扉がいきなり開かれる。
「ノヴァ様はお目覚めになられて?」
化粧は濃いが、誰もが見惚れてしまうほどの妖艶な美女が姿を現した。
けれどその本人を目の前に男たちはさも嫌そうな表情を浮かべた。
「まだだし、香水臭いし、死ね」
「その露出度の高い服はどうにかならないのかなあ? 見苦しいよ、全く」
会って早々いちゃもんを付けられた美女は、二人を睨み返した。
その顔、まるで般若。
「は? あたくしの魅力が分からないの? あなたたちカスねえ! ほんとカス!」
「……はいはい。で、ヴォルクセン、ノヴァ様を目覚めさせるにはどうしたらいいんだっけ?」
グラヴァンは強制的に話を引き戻し、けばけばしい美女に背を向ける。「ちょっと、無視しないでくれるかしら」とさらに不機嫌になるが、構っている暇などない。
「……ああ、そうだった。深淵と同じくらい闇深い場所を作ったんだ。ここで目覚めないのならば、少し環境を変えたら目覚めるかもしれないと思って。もう完成してるはずだから、そこに連れて行けば、この女の中身が死ぬと思う」
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「もし、邪魔する者が現れても、全員殺せばいいから。……ノヴァ様を頼んだよ」
ヴォルクセンのその一言で、キャンヴェルの表情が変わる。
「うっふ。わかったわ」
一層笑みは深く。
艶やかな唇をぺろりと舐めた。
「あたくしがノヴァ様を目覚めさせてあげるわ」
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