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第3部1章 探索稼業
117 下層の怪
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「ここは一本道だ。足元だけ気をつけろよ」
タダミに先導されて俺たちは下層へ抜ける洞窟を進む。
巨大な洞窟はゆるやかな傾斜が続いている。
一匹逃れたコザルがいるので警戒は怠らない。
「おわっ! おっ! あっ!」
先頭を進むタダミが妙な声を上げる。
どうしたと聞く前に俺たちは原因を理解する。
ネズミの群れが足元をくぐり抜けていったのだ。
ネズミといっても上層で取れるオオネズミではなく、日本の街なかにいるドブネズミみたいな大きさのものだ。
ミカが怖がって俺に飛びついてくる。
俺は良いとこを見せようと彼女を抱き上げる。
「お、おもいっ……」
いくら華奢な女の子とはいえ鎖帷子と鎧に身を包み、背負い袋に色々と積み込んでたら軽いわけがない。
俺はネズミが通り抜ける間だけなんとか頑張ったが、足元を通っていくネズミの鳴き声が消えた途端にギブアップする。
「……」
ミカは不機嫌そうだ。
「ミカさん、君が重いんじゃなくて、鎧が重かっただけだから……」
「知らないっ! デリカシーの欠片もないんだからっ!」
ごめん、重いとか口に出したのがいけなかった。
俺は平身低頭で謝り続ける。
「街に戻ったら、市場のプリンケーキとお茶。それで許してあげる」
お許しが出る。
プリンケーキはタルト生地に甘みをつけた卵と乳を混ぜた中身が詰まったものである。名前を聞いたら、平たい焼き菓子とかいう覚えにくい名前だったので、俺たちは勝手にプリンケーキと呼んでいる。
別のところで焼いたものを売りにくるおばちゃんが市場にいて、ミカはそれにハマっていた。
正確にはハマっていたのはミカだけじゃない。
生クリームの乗ったケーキなどというものを見ることすらできない世界でこれは元の世界に持ち帰っても良いなと思えるぐらいに美味くて、皆の舌を虜にしていた。
物知りチュウジによると、「フランスに行けばパン屋でも売ってる代物と同レベル」だそうだ。知らねぇよ、行ったことないんだから。まぁ、そんなこと言っているやつも見かける度に貪り食っていたから、ハマっていたんだろう。
だいたい、どこで売っていようと美味いものは美味い。学食の焼きそばパンだって激旨だろ。
「よっしゃ、5つ買うから!」
「そんなに食べられないよ」
「俺が3つ食うし」
「これから下層へ向かうというのに、この子たちは本当にところかまわずいちゃつきますね」
サゴさんが苦笑する。
「しかし、なんだよ、あれは?」
タケイ隊のスキンヘッド、ジロさんの疑問にタダミ隊のハナコという女の子が「ただのネズミよ」と答える。
彼女は長弓をたくみにあやつる女の子だ。普段から冷静だし、今も冷静そうに話しているが、さっきは手近にいたジロさんに思いっきり飛びついていたから、やはり怖かったのだろう。
ネズミは下層にたくさんいて、コザルの貴重なタンパク源となっているらしい。
もちろん人間がネズミをタンパク源とすることも可能だ。
「かなり可食部が少ないし、すばしっこいから休憩時にキャンプの近くに罠張って取れたらおやつ感覚で焼くだけだけどな」とはタダミの言だ。
「味はどうなんだ?」と聞いたら、珍しく黙る。実は今の話は下層帰りの先輩探索家から地図を買ったときの受け売りらしい。かっこうつけやがって。
ただ、そうなるとタダミたちを含めて、この先は詳しい者がいないと思って気をつける必要があるかもしれない。
「ネズミは中層で見かけなかったはずだが、何か起こってるのかもな」
帰る前にやっぱり確かめないといけないな。タダミはそんなことをつぶやいた。
逃げたコザルには遭遇せず、俺たちはそのまま洞窟を抜けた。
◆◆◆
洞窟を抜けた先は明るく、一見した限り中層とさして変わらない風景が続いていた。
ぼんやりと明るい天井、湿った苔の匂い。
北西には2つの湖が、北の彼方には丘陵地帯が広がる。
東の湖と西の湖の間には湿原らしきものが見える。
西の湖の向こうに小さく見える建物がコザルの砦とかいうやつだろう。
俺たちは西に向かって進む。
俺たちとすれ違うようにして走るネズミの群れに出会うだけで他の生物とは出会わない。
「ここから逆さ塔まで安全に行けるルートは西の端から北上してコザルの砦の脇を抜けていくものだけだ。底なし湿原はシロワニの巣窟、人減らし丘陵はよくわからないのがいて、気がつくとパーティーメンバーが減るらしい」
なにその怪談ルート。
タダミの言うルートはコザルが見逃してくれていたから成立するものだった。
さて、どうなるものだろうか。
「今のうちに一度休憩をしよう」
まだ距離があるからというタダミ隊の提案で野営をすることにした。
野営の準備をしながらタダミたちにコザルの砦やその先についてたずねる。
「実のところ、俺たちも逆さ塔に入ったことはない」
ルート確認をしたところで一度戻って今回の騒ぎだったからな。タダミは言う。
噂ではてっぺんから入り、下に下にと降りていく。中には怪物がどこからともなく現われる塔。中に入ったパーティーは多くなく、それすらも第2層までしか進んでいないという。
そもそも何層あるかすらわかっていない。
「これはあくまで噂なんだけどな。ほら、別の宿にいる凄腕パーティー知ってるか。そうそうあの渋いおっさんたち。あの人たちに学者がついていったことがあるらしいんだよ。
逆さ塔の中央には真っ暗な吹き抜けがあってな。どれくらい深いのかを測ろうと縄を下まで垂らしていったけど用意した縄すべて垂らしても一向に下につく気配がなかったんだとよ。
それどころか突然すごい力で引っ張られて、その学者とそれをひっぱろうとした護衛が1人一気に落ちていったらしいんだよ。
悲鳴は長いこと聞こえたけど、地面に叩きつけられるような音はとうとうしなかったらしい。
それ以降、塔の中でふと気がつくと落ちた学者が暗闇からじーっとのぞいていることが……」
おい、やめろよ。夜、便所にいけなくなったらどうしてくれるんだよ。
そう抗議する俺にタダミは「気がつくと塔の暗い奥底に引きずり込まれる。だから還らずの塔とも言うんだぜ」と続ける。
「大丈夫、怖くなったら、あたしがついていってあげるからね」
隣でミカが笑う。
「お、じゃあ、俺も怖くなったら言うから、ミカちゃんついてきてよ」
「あはは、タダミくんだったら、びっくりして声出した瞬間にお化けも逃げてくよっ」
そりゃそうだ。
◆◆◆
代わる代わる仮眠を取った後に俺たちは再び進み出す。
コザルの砦が近づいてくる。
タダミが無言で手を挙げる。
静かにしろという合図だ。
「砦」と呼ばれる建物は屋上に天井を貫く塔をつけた3階建てくらいの小さな建物だった。
「以前は屋上にコザルの見張りがいて、こちらを監視していたんだけど」
タダミ隊の癒し手マチコさんという女性が心配そうに屋上のほうを見る。
屋上にはコザルはいない。
中層で出会ったコザルのように敵意丸出しというのも嫌なものだが、いるべき場所にまったく姿が見えないというのも不気味で嫌なものだ。
俺たちは注意深く砦のほうに進む。
砦のそばまで来たところで、ようやく遠くにコザルの姿が見える。
5頭ほどがこちらに疾走してくる。
俺たちは思わず身構える。
しかし、やつらはこちらに敵意を向けて疾走してくるのではないことはすぐわかった。
逃げているのだ。
「やばいぞ! おい、逃げろ! あれはおかしいだろ!」 「砦だ。砦に入るぞ!」 「なんだよ、あれ!?」
皆が口々に叫び、砦に向かって走り出す。
コザルの群れを追い立てる異様な化け物。
巨大な目のないおたまじゃくし、変態しかけであるかのようにカエルの手足をもったそれはその手足をべちゃべちゃと不器用に動かしながら前へ進む。
カエルのような俊敏さもなく、飛び跳ねることもないが、巨大であるがゆえにコザルたちよりも速い。
おたまじゃくしという表現は正確ではないのかもしれない。
尻尾がないし、なによりも異様なのは背中から鮮やかな鳥の羽のようなものを何本か生やしていることだ。
ネイティヴアメリカンの酋長の頭飾りのような綺麗な羽をゆらゆらと揺らしながら、巨大な怪物は大きく口を開ける。
口の下側にびっしりと生えたぬらぬらとした毛で地面をなでながら、怪物が疾走するとコザルは逃げられない。
体の半分が口ではないかと思うくらいにがばっと開いた口はコザルの群れを後ろから包み込むように飲み込む。
3匹か4匹かがあっという間に飲み込まれ、悲鳴を挙げる間もなく消える。
「おい、バカ! なに突っ立ってんだ! さっそと逃げるぞ!」
俺はタダミにどつかれて、我に返る。
隣にいたミカの手を取ると、砦に逃げ込む。
「おいっ……あれ……は……何だよ?」
誰かがぜいぜいと息をきらせながら絞り出すように言う。
答えられる者は誰もいなかった。
タダミに先導されて俺たちは下層へ抜ける洞窟を進む。
巨大な洞窟はゆるやかな傾斜が続いている。
一匹逃れたコザルがいるので警戒は怠らない。
「おわっ! おっ! あっ!」
先頭を進むタダミが妙な声を上げる。
どうしたと聞く前に俺たちは原因を理解する。
ネズミの群れが足元をくぐり抜けていったのだ。
ネズミといっても上層で取れるオオネズミではなく、日本の街なかにいるドブネズミみたいな大きさのものだ。
ミカが怖がって俺に飛びついてくる。
俺は良いとこを見せようと彼女を抱き上げる。
「お、おもいっ……」
いくら華奢な女の子とはいえ鎖帷子と鎧に身を包み、背負い袋に色々と積み込んでたら軽いわけがない。
俺はネズミが通り抜ける間だけなんとか頑張ったが、足元を通っていくネズミの鳴き声が消えた途端にギブアップする。
「……」
ミカは不機嫌そうだ。
「ミカさん、君が重いんじゃなくて、鎧が重かっただけだから……」
「知らないっ! デリカシーの欠片もないんだからっ!」
ごめん、重いとか口に出したのがいけなかった。
俺は平身低頭で謝り続ける。
「街に戻ったら、市場のプリンケーキとお茶。それで許してあげる」
お許しが出る。
プリンケーキはタルト生地に甘みをつけた卵と乳を混ぜた中身が詰まったものである。名前を聞いたら、平たい焼き菓子とかいう覚えにくい名前だったので、俺たちは勝手にプリンケーキと呼んでいる。
別のところで焼いたものを売りにくるおばちゃんが市場にいて、ミカはそれにハマっていた。
正確にはハマっていたのはミカだけじゃない。
生クリームの乗ったケーキなどというものを見ることすらできない世界でこれは元の世界に持ち帰っても良いなと思えるぐらいに美味くて、皆の舌を虜にしていた。
物知りチュウジによると、「フランスに行けばパン屋でも売ってる代物と同レベル」だそうだ。知らねぇよ、行ったことないんだから。まぁ、そんなこと言っているやつも見かける度に貪り食っていたから、ハマっていたんだろう。
だいたい、どこで売っていようと美味いものは美味い。学食の焼きそばパンだって激旨だろ。
「よっしゃ、5つ買うから!」
「そんなに食べられないよ」
「俺が3つ食うし」
「これから下層へ向かうというのに、この子たちは本当にところかまわずいちゃつきますね」
サゴさんが苦笑する。
「しかし、なんだよ、あれは?」
タケイ隊のスキンヘッド、ジロさんの疑問にタダミ隊のハナコという女の子が「ただのネズミよ」と答える。
彼女は長弓をたくみにあやつる女の子だ。普段から冷静だし、今も冷静そうに話しているが、さっきは手近にいたジロさんに思いっきり飛びついていたから、やはり怖かったのだろう。
ネズミは下層にたくさんいて、コザルの貴重なタンパク源となっているらしい。
もちろん人間がネズミをタンパク源とすることも可能だ。
「かなり可食部が少ないし、すばしっこいから休憩時にキャンプの近くに罠張って取れたらおやつ感覚で焼くだけだけどな」とはタダミの言だ。
「味はどうなんだ?」と聞いたら、珍しく黙る。実は今の話は下層帰りの先輩探索家から地図を買ったときの受け売りらしい。かっこうつけやがって。
ただ、そうなるとタダミたちを含めて、この先は詳しい者がいないと思って気をつける必要があるかもしれない。
「ネズミは中層で見かけなかったはずだが、何か起こってるのかもな」
帰る前にやっぱり確かめないといけないな。タダミはそんなことをつぶやいた。
逃げたコザルには遭遇せず、俺たちはそのまま洞窟を抜けた。
◆◆◆
洞窟を抜けた先は明るく、一見した限り中層とさして変わらない風景が続いていた。
ぼんやりと明るい天井、湿った苔の匂い。
北西には2つの湖が、北の彼方には丘陵地帯が広がる。
東の湖と西の湖の間には湿原らしきものが見える。
西の湖の向こうに小さく見える建物がコザルの砦とかいうやつだろう。
俺たちは西に向かって進む。
俺たちとすれ違うようにして走るネズミの群れに出会うだけで他の生物とは出会わない。
「ここから逆さ塔まで安全に行けるルートは西の端から北上してコザルの砦の脇を抜けていくものだけだ。底なし湿原はシロワニの巣窟、人減らし丘陵はよくわからないのがいて、気がつくとパーティーメンバーが減るらしい」
なにその怪談ルート。
タダミの言うルートはコザルが見逃してくれていたから成立するものだった。
さて、どうなるものだろうか。
「今のうちに一度休憩をしよう」
まだ距離があるからというタダミ隊の提案で野営をすることにした。
野営の準備をしながらタダミたちにコザルの砦やその先についてたずねる。
「実のところ、俺たちも逆さ塔に入ったことはない」
ルート確認をしたところで一度戻って今回の騒ぎだったからな。タダミは言う。
噂ではてっぺんから入り、下に下にと降りていく。中には怪物がどこからともなく現われる塔。中に入ったパーティーは多くなく、それすらも第2層までしか進んでいないという。
そもそも何層あるかすらわかっていない。
「これはあくまで噂なんだけどな。ほら、別の宿にいる凄腕パーティー知ってるか。そうそうあの渋いおっさんたち。あの人たちに学者がついていったことがあるらしいんだよ。
逆さ塔の中央には真っ暗な吹き抜けがあってな。どれくらい深いのかを測ろうと縄を下まで垂らしていったけど用意した縄すべて垂らしても一向に下につく気配がなかったんだとよ。
それどころか突然すごい力で引っ張られて、その学者とそれをひっぱろうとした護衛が1人一気に落ちていったらしいんだよ。
悲鳴は長いこと聞こえたけど、地面に叩きつけられるような音はとうとうしなかったらしい。
それ以降、塔の中でふと気がつくと落ちた学者が暗闇からじーっとのぞいていることが……」
おい、やめろよ。夜、便所にいけなくなったらどうしてくれるんだよ。
そう抗議する俺にタダミは「気がつくと塔の暗い奥底に引きずり込まれる。だから還らずの塔とも言うんだぜ」と続ける。
「大丈夫、怖くなったら、あたしがついていってあげるからね」
隣でミカが笑う。
「お、じゃあ、俺も怖くなったら言うから、ミカちゃんついてきてよ」
「あはは、タダミくんだったら、びっくりして声出した瞬間にお化けも逃げてくよっ」
そりゃそうだ。
◆◆◆
代わる代わる仮眠を取った後に俺たちは再び進み出す。
コザルの砦が近づいてくる。
タダミが無言で手を挙げる。
静かにしろという合図だ。
「砦」と呼ばれる建物は屋上に天井を貫く塔をつけた3階建てくらいの小さな建物だった。
「以前は屋上にコザルの見張りがいて、こちらを監視していたんだけど」
タダミ隊の癒し手マチコさんという女性が心配そうに屋上のほうを見る。
屋上にはコザルはいない。
中層で出会ったコザルのように敵意丸出しというのも嫌なものだが、いるべき場所にまったく姿が見えないというのも不気味で嫌なものだ。
俺たちは注意深く砦のほうに進む。
砦のそばまで来たところで、ようやく遠くにコザルの姿が見える。
5頭ほどがこちらに疾走してくる。
俺たちは思わず身構える。
しかし、やつらはこちらに敵意を向けて疾走してくるのではないことはすぐわかった。
逃げているのだ。
「やばいぞ! おい、逃げろ! あれはおかしいだろ!」 「砦だ。砦に入るぞ!」 「なんだよ、あれ!?」
皆が口々に叫び、砦に向かって走り出す。
コザルの群れを追い立てる異様な化け物。
巨大な目のないおたまじゃくし、変態しかけであるかのようにカエルの手足をもったそれはその手足をべちゃべちゃと不器用に動かしながら前へ進む。
カエルのような俊敏さもなく、飛び跳ねることもないが、巨大であるがゆえにコザルたちよりも速い。
おたまじゃくしという表現は正確ではないのかもしれない。
尻尾がないし、なによりも異様なのは背中から鮮やかな鳥の羽のようなものを何本か生やしていることだ。
ネイティヴアメリカンの酋長の頭飾りのような綺麗な羽をゆらゆらと揺らしながら、巨大な怪物は大きく口を開ける。
口の下側にびっしりと生えたぬらぬらとした毛で地面をなでながら、怪物が疾走するとコザルは逃げられない。
体の半分が口ではないかと思うくらいにがばっと開いた口はコザルの群れを後ろから包み込むように飲み込む。
3匹か4匹かがあっという間に飲み込まれ、悲鳴を挙げる間もなく消える。
「おい、バカ! なに突っ立ってんだ! さっそと逃げるぞ!」
俺はタダミにどつかれて、我に返る。
隣にいたミカの手を取ると、砦に逃げ込む。
「おいっ……あれ……は……何だよ?」
誰かがぜいぜいと息をきらせながら絞り出すように言う。
答えられる者は誰もいなかった。
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