道化の世界探索記

黒石廉

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第2部1章 指と異端と癒し手と

063 丸太が俺に飛んでくる

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 いかがわしい拳闘酒場、今日もチュウジたちは少し離れたテーブルで人の輪を横目に見ながら、酒を飲んでいる。
 俺もいつものように横で突っ立っている。
 小一時間ほど経った頃、人の輪の歓声が一際大きくなる。

 「10人抜きだぜ!」「畜生っ! そろそろ相手が勝つかと思ってたのに!」「息ひとつ切らしていない!」「そろそろ、賭けが成立しないんじゃないか!?」「次、誰が出るんだよ?」「相手居なきゃ今日はもう終わりだろ?」「化け物だろ!」

 人の輪から様々な声が聞こえてくる。

 チュウジは席を立つと、俺にあごでしゃくって合図をする。
 俺は両手を組んでパキパキ言わせながら、できるだけ横柄に見えるように人の輪に入っていく。

 「ボクのとこのデクを戦わせてみたいんだけどさ、良いかな?」
 チュウジがプロモーター兼胴元みたいな男に声をかける。デクとは俺のコードネームだ。ウドの大木ことウドか、木偶の坊ことデクかという非常に不本意な二択を「坊っちゃん」から迫られて、後者を選んだ次第である。

 「へい、もちろんですとも!」と男が返す。
 「賭けもできるんだろ? こいつは馬鹿だが、腕っぷしはそこそこだ。ボクの小遣いも増やしたいんだが?」
 「へぇ、喜んで!おいくらほど?」
 そう答えた男にチュウジが金貨を1枚放ると周りがざわめく。
 そりゃそうだ。金貨1枚と言えば、若手の職人の月収分近い。
 クソガキが突然そんな金をぞんざいに投げて寄こせば、そりゃざわめく。

 「さぁ、皆さん! 新しい挑戦者がやってきました。気前の良いアーデルベルト様の用心棒、不機嫌なデクです。機嫌が悪ければ誰でも殴る。機嫌が良いところを見たことがない。アーデルベルト様に絡んでこいつに外に放り出されたやつは復讐のチャンスですぜ!」
 よくわからない通り名めいたものはチュウジが先ほど男に伝えていたらしい。
 どうせだったら、お前の中2病ボキャブラリーを活かして、「闇の貴公子」とか「熱き冷酷」とかつけてくれよ。なんだよ、「不機嫌」って……。
 俺はむすっとして前に出ると、着込んでいた鎧下とシャツを脱ぐ。

 「倍率はいくらだ?」
 胴元に声をかける。
 「1対15だ。てめぇが勝てば、坊っちゃんは金貨15枚儲かるってわけよ。坊ちゃんに殴られないようにせいぜい頑張るんだな」

 横柄に見えるように、ふんと鼻をならし、俺の相手を見据える。

 「不機嫌なデクを迎え撃つのは、10人抜きの豪腕、壊し屋、ヴォイパァップ。今回は何秒で壊すのか?」
 俺が負けること前提かよ?
 バカにしているんじゃ……ないようですね……。 

 ……相手は人間というよりトロルという言葉のほうが似合うおっさんだった。
 背丈こそ俺と同じくらいだが、体重は俺の3倍近くはありそうだ。 
 首がない。でかい禿頭と肩の間はあご周りのぜい肉とデカい僧帽筋で覆い隠されている。
 オッパイは大きい。絶対人前では言えないし、確かめたこともないが、絶対にうちの女性陣よりでかい。で、これがぜい肉だけかと思いきや、ピクピク動かしているんだ。
 腹は胸よりもでかい。
 サスペンダーで吊ったゆるやかなズボンの上は全体的に円錐っぽい。いや、鏡もちといったほうがいいだろうか。どちらにしても人間離れした体型であることにはちがいない。
 脚はそこまで太くないから、腕力で殴り倒すタイプだろう。

 うわー、勝つ勝たない以前に秒殺される自信があるわー。
 部活の大会でスポーツ推薦セレクション組と当たるときの気持ちに近い。
 でも、ああいうときは秒殺されたって痛いわけではない。
 今回の秒殺は文字通り殺されかねない……は言いすぎだとしても半殺しくらいにはされそうである。

 〈よりによってこんな化け物がいるときに俺をけしかけるなよ〉

 俺はチュウジを恨む。
 ミカを横目でちらっと見ると泣きそうな顔をしている。
 「お嬢様」の仮面が剥がれないように頑張らないといけないようだ。

 歓声の中、俺は片手をあげて、周囲をねめまわす。
 
 「さっさと転がって良いぞ」「20数える間に死ね!」「いや、頑張れ! 寝る前に一発くらい当ててみろよ!」「おい、お前に銅貨10枚賭けたんだ! すぐに転がるんじゃねーぞ!」

 目を血走らせたおっさんどもが好き勝手に叫ぶ。
 俺は彼らをねめまわすと、床にペッとツバをはく。

 「死ね!」「さっさと転がせ、チャンピオン!」「くたばれデク!」「10病以内に地面にキスしろっ!」「漏らすんじゃねぇぞ!」
 さらなる「声援」が俺に寄せられる。9割方罵倒である。たまに応援があっても、「賭けてんだから負けたら殺す」的な目を血走らせたおじさんの黄色くない声援である。
 俺は悪役レスラーヒールかよ。
 姿かたちからいったら、相手の方がよほど悪役っぽいだろうに。

 必殺の間合いインヴィンシブル・レンジ
 俺はあらかじめスキルを発動させる。

 偽トロルが拳を差し出す。
 〈ああ、ボクシングの試合とかでやるやつか〉
 俺と偽トロルが拳を合わせると同時に審判役の男がかかげた手を思いっきり下に下げる。

 すごいスピードで丸太のような腕が飛んでくる。
 ジャブでもなくストレートでもなくいきなりの右フック。
 空振った右腕をそのまま返して裏拳。
 左のストレート。
 福をもたらさない布袋様のような体格からは信じられないくらいのスピードだ。

 飛び退いて避けるだけで精一杯だ。

 実は俺は徒手格闘術というのをほとんど知らない。
 訓練所で軽く教わったが、かっこいいテクニックはほとんど知らない。
 懐かしのモヒカン教官の教えは「素人は難しいこと考えずにぶつかれ」というものだった。
 しょうもないもののように聞こえるが、俺はこれをビビって自分の間合いを忘れるなと解釈している。
 俺が使える立ち技は前蹴り、膝蹴り、足払い、パンチにいたってはどれもテレフォンパンチだ。ガードやらカウンターやらといった高度な技も出来ないが、今回は幸か不幸か関係ない。
 相手は丸太(のような腕)を振り回すトロルもどきである。
 ガードもカウンターも生兵法は怪我の元ってやつだ。
 決めてやるぜ、俺のテレフォン猫パンチ!

 頭ではかっこよく(?)猫パンチを決めるぜとか考えながら、体はずっと逃げ続けだ。

 「木偶の坊、逃げてんじゃねーぞ!」「さっさとおっちね!」「○ンタマついてんのか、てめぇー」

 俺に熱い「声援」が飛ぶ。
 ありがとう! おっさん!
 あんたら全員が禿げてもげるように神様に祈ってやる!

 突進からの丸太右フック。
 ばっと相手の左に飛び退いて避ける。
 熱いラブコールを送ってくれたおっさんの誰かに俺を狙った丸太が誤爆したようだ。
 ぶぶぶぶぶというわけのわからない声とともに誰かが倒れる音がする。
 ざまぁ。

 体型と脚の太さを考えると、あいつは蹴りを出さないだろうし、確実に下半身とスタミナが弱点だ。
 
 タックル?
 上から潰されておしまいだ。
 膝の裏や太ももを狙ってローキック?
 そんな技知らない。
 前蹴り? 相手の突進をとめるどころか、こちらの足が折れそうだ。
 膝蹴り? 丸太扇風機に近づけねぇ。
 足払い? これも近づけない。だったら、いっそスライディングタックルでもするしかないのか?

 偽トロル、再び突進からの右フック。
 と見せかけての左ストレート? 
 さきほどと同様に左に飛び込んで逃げようとしていた俺の体を左の丸太の一撃がとらえる。

 ふっとばされる。
 気持ち悪い。
 痛い。
 転がる。
 今居たところに偽トロルが飛んでくる。
 あわてて避ける。
 あれはやばいって!
 あの体重でストンピングされたら、内臓口から出ちゃうから!

 大ぶりのパンチをぶんぶん振り回すだけだが、相手のパンチは丸太だ。徒手格闘のガードの技術を持たない俺には止められない。
 まぁ、生半可な技術では多分ガードごと潰されて終わりだろう。俺の前に10人沈めているのは伊達じゃない。
 10人! 10人と戦っているんだから、もう少しつかれろよ! ていうか息切れでもしろ。

 そんな願いが通じたのか、相手の動きが少し止まった。
 少し息が荒い。
 
 いける?
 いけるんじゃないか?
 疲れていたらスピード出ないんじゃないか?

 俺は半身になって右手を突き出すと、指を動かし偽トロルを挑発する。
 俺の怒りの鉄拳見せてやるわ。
 感じるな、考えろ。
 格好こそ真似しても、思い浮かぶは心の師匠エンター・ザ・ド○ゴンの教えと正反対のこと。
 だって、こんな化け物相手に感じてたら、そのまま昇天しちゃうでしょ?

 タックルだ。
 俺の力でなくて相手の力を借りろ。

 偽トロルが咆哮ほうこうしたあとに突っ込んでくる。
 相手の膝から下に赤いモヤがかかって見えるがワンテンポだけ待つ。
 丸太フック。
 それに合わせてスライディングする。
 つまずきそうになる相手を両足で挟んでテイクダウン。
 見たか!
 カニバサミ!

 歓声が聞こえる。

 偽トロルの後頭部をなぐりつける。
 馬乗りになってフックをお返しする。
 両手を組んでハンマーのように拳を落とす。

 歓声と怒号が聞こえる。

 勝てる!
 
 そう思った瞬間に偽トロルがすごい勢いで体を返した。
 技術とか一切なしの力技に簡単にやられる俺。
 あえなく体を返された俺に丸太がうなりをあげて飛んでくる……。

 ◆◆◆

 誰かが俺を蹴っ飛ばしたらしいことを感じる。
 体を動かすのが面倒なので、そのまま転がっている。
 「……ボクの負けだな。こいつは役立たずだ」
 「いえいえ、いい勝負でしたよ、坊ちゃま」
 「こういうのはどこで見つけてくるんだい? ボクもこういう強いやつ、変わったやつを手に入れたいもんだ」
 「だったら……」

 俺は床にころがりながら、チュウジと誰かの会話を聞いているうちに再び意識が遠のいていく。
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