Eclipse/月蝕症候群

青貴空羽

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脅威、狂気、恐怖

その9

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 シャカシャカシャカシャカと、遊月はまるで八本のように見える手足で床を掴み、這い、移動し、その速度のまま壁を伝い、さらには謙一が走る場所の天井にまで回りこみ――
「は……ぎゃひっ!」
 ガチン、と後頭部の真後ろで音が鳴った。
 謙一の真上に回りこんだ遊月はそのまま手を離し頭の上へ降っていきながら、開けた口で噛みつこうとしたのだ。それを謙一は、必死の思いで頭を下げながら前方に屈みこむことで、間一髪で回避した。ゴロゴロと、無様に転がっていく。
「ハァー……ハァー……ハァ!」
 そして転がる体を右手で跳ね上げ、前宙の要領で着地し、"それ"と向き直る。目が、血走ってるのがわかる。喉が乾きすぎて、今にもバリッと割れて血が流れそうだった。心臓はもう、破裂しそうだった。
「ハァー……ハァー………ゆ、遊月」
 ニタリ、とソレは笑った。
「こんにつわ」
 恐怖に慄く感情とは別に理性の方が、2ちゃん用語かよ、とやたら冷静に呟いていた。遊月はこちらを品定めするように見回し、
「安坂くんは、まだこっち側じゃないんだよねー?」
「ハァ、ハァ……こ、こっち側?」
 理解できない単語に、眉をひそめる。こんな緊急事態に真っ当に話し込んでいる自分たちが、理解できなかった。
「あー、その受け答えー、やっぱりそうなんだー。じゃあわたしがァ……かんせんさせてあげるネ?」
 消えた。
 一瞬、そう思った。
「ハッ……くっ!」
 一瞬呼吸をつまらせるほどの恐怖を制し、横っ跳び。次の瞬間、今まで自分がいた場所に、遊月が出現。まったく同時に、牙が合わさる音。それは話の終わりを、意味していた。
 ここまでだ。
「う、うぅ……うおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 雄たけび、謙一は横っ跳びした先からさらにステップインして、その先にある窓に、体当たりをした。金田の時と同じ回避手段。あの時から学習し、頭から首の露出している部分を両腕の袖で覆う。ガシャアン、という音。墜ちる間際、腕の隙間から遊月の姿を覗いた。
 追う様子すらなく、ただ笑っていた。その唇が、動く。
 ――逃げられないよ。
 視界は暗転。そこで気づく。しまった、これじゃあ前回のように隣の屋上の屋根に飛び移ることが出来な――

 暗闇の中で、声を聞いた。
「――おい。おい、お前。おい、大丈夫かよ?」
 瞼を、開ける。そこに、日常があった。
「お……お前たちは?」
 謙一の言葉に、見下ろしていた六人の男子生徒と四人の女子生徒が、声をあげる。
「あ、目開けたよ」「おぉ、無事だったみたいだな」「で、こいつって誰?」「たぶん、二年だろ? 知ってるヤツいる?」「てゆーか、直接本人に聞けばいいってゆーか?」
 それら疑問の声に謙一は戸惑いつつ、
「あぁ……お、俺は、2-Fの安坂謙一だ」
 その言葉に、リーダー格らしきメガネをつけた凛々しい顔つきの男がメガネを直し、
「そうか、謙一君か。ぼくは、2-Aの近藤太一という。よろしく」
 差し出された手に、体を起こして応える。どうやら会話だけ聞いていたら馬鹿っぽそうな集団にも、話せるやつがいたようだ。しかし、2-A――
「2-A、か。というと、いわゆる特進組ってやつだよな?」
「まぁな。だが、そう特別視しなくてもいいだろう? 同じ高校、同じ二年生のよしみだ。そういうのは関係なしでいこう」
 まるで委員長気質の堅い話し方だが、性格は随分と気さくなやつのようだった。
「そうか。なら、そうさせてもらうよ。ところで、俺は一体?」
 尋ねると、とたんに近藤を始めとした十人は眉をひそめ、
「……そりゃあ、オレたちのほうが聞きたいところだよ。どんな経緯でお前、窓ガラス突き破って2-Aに飛び込んできたんだ?」
「…………」
 まばたき二つ。辺りを、見回す。
 そこは、教室の中心だった。だが自分がいる一角だけ、机が周りになぎ倒されている。まるで爆心地だ。窓の方を見ると、縦に二つ並ぶ窓の上の方の一つが、木っ端微塵に砕けていた。ちなみにここ含める三つの特進クラスは、一まとめに謙一が遊月の手から逃げ出した西校舎二階の校門側から見てちょうど向かいに当たる東校舎の一階にまとめられていた。
 つまりざっと計算して自分は、約五、六メートルほどの距離をだいたい三十度ほどの角度で落下しながらこの教室に飛び込んだ計算になる。
 我ながら、なんちゅー無茶なことやったんだと思う。一歩間違えれば壁に激突して、そのままお陀仏だ。今度からは計算なしの行動は控えようと自戒する。っていうか――
「……お前たちの方こそ、なんでここに?」
「ん? 学生が昼間に学校にいるのは、至極当然のことだと思うが?」
 再び近藤が答える。だけど謙一が聞きたいのは、そういうことじゃない。
「そうじゃなくて……この状況、一体どういうことなんだよ?」
 初めて謙一は、確信に近い質問をした。それに後ろでオドオドしていた女子が、
「……そんなの、わたしたちの方が聞きたいよ。なんで今日、誰もいないの? 休みなの?」
「――――」
 言葉を失う。こいつらは、何も知らない。自分が遭遇したような化け物たちを、まだ見ていない。
 それは、マズい。
「……聞いてくれ、みんな」
 集まる十人。それに謙一は、今までの経緯をかいつまんで説明した。その時の恐怖や、会話などは省いて。
「ちょっとぉ……信じられないってゆーか」
 答えたのは、もう一人の軽そうなギャル風の女だった。2-Aらしからぬ女だと謙一は感じた。
「そりゃあ、そうだろうな。俺だって自分の目で見るまでは信じられなかった。だから俺としては、信じてくれとしかいいようがない」
「じゃなきゃ、っつー感じで窓から飛び込んだりしねーよなー」
 今度はヤンキー風の男。2-Aにも色々いるのだと勉強になった。カテゴリーで一括りは、乱暴なのだと。
「とりあえず、お前はどうするつもりなのだ?」
 再び近藤。それに謙一は考えを述べる。
「とりあえず、ここを脱出することが最優先だと思う。だけど、この現象が校内のみだと断定も出来ない。だから原因を調べて、というのが前提条件での脱出――もしくは、出来れば解決、というのが最善だと考えている」
 静まり返る教室。みながみな、謙一の提案を吟味しているといった具合だ。謙一の手前では近藤と、先ほど発言したギャル風の女生徒とヤンキー風の男子生徒の三人が輪になって小声で話し合いを始めていた。だが、他の七人はその場に佇み、その三人が結論を出すのを待っているようだった。
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