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第三章
第十三話 紅蓮の獅子と薫子
しおりを挟む(混沌としてきた)
薫子は辺りを見渡し顔を歪める。頬を伝う熱気を帯びた汗とは逆に、体の末端は緊張で冷え切っていた。
側で薫子を護衛する蛇歌は、戦況を見てその都度水蛇を助太刀として放っている。その顔色は青白く、今にも倒れてしまいそうだった。
「薫さん!」
蛇歌の水の結界を掻い潜り、飛んできた妖術は史が弾いていた。戦闘に置いて無力な薫子は、必死に二人の邪魔にならぬよう身を縮こませるので精一杯である。
「大丈夫?」
「なんとか…」
どこに居ても危険。そう亜我津水は言っていた。それは事実なのだろう。ならば目の届く場所に居たほうが良いに決まっている。
(でも、眼の前で疲弊していく史さんや蛇歌姐さんを見ているのは心苦しい)
もしここに自分が居なければ。そんな事を考えてしまう。今更仕方がないというのに。
薫子は遠方を見る。そこでは火柱と爆炎が何度も上がり、時折近くの大木がバキバキと音を立てて倒れていくのが見えた。倒れゆく大木を岳詠穿が粉砕し、ふたりの道を作っている。
「茜鶴覇様、圓月様…」
熱気と火炎が暴発する度に圓月が風で炎を緩和し、蛇歌が薫子や史に届かぬよう、水の壁を作って熱を遮る。
とはいえ茜鶴覇の扱う刀は太陽そのもの。それに懴禍の炎の熱も加わり、更に湿度を下げ、代わりに気温を上昇させていた。彼らの周囲は最早火の海といっても過言ではない。蛇歌の水の防壁も一度使えば熱気で蒸発してしまう。
「……加減というものを知らぬようだな、あの馬鹿どもは」
舌打ちをしながら熱気を抑えこむ蛇歌。その息は荒い。
「じゃ…蛇歌姐さん、何かおかしいです。身体は大丈夫ですか…?」
「大丈夫なものか。あの馬鹿どものせいで神経と神力を削りまくってるんだ」
そう言いながら水蛇を数十匹地中から呼び起こすと、迫ってきていたあやかしに飛び掛からせる。
「くそ…」
蛇歌は膝を着いて咳を繰り返した。
「蛇歌…!」
史はあやかしの妖術を弾くとすぐに彼女の背に手を当てる。
「神力の使いすぎよ、回復を優先させて」
「しかし今は…」
三人を取り囲うあやかし達を蛇歌は鋭い眼光で睨めつけた。水蛇は対多数には弱いらしく、それに気がついた数体のあやかしが纏まり、一体一体破壊していく。
(なにか、私にできることは無いのか。本当に足手まといな存在になってしまうのか)
薫子は震える両手を握りしめた。その時。
「薫子!」
「え…」
蛇歌の顔色が更に白くなる。ヒタリと首に触れた冷たい感触に、薫子は固まった。その首にはあやかしの刃のように鋭い爪が当てられていた。
(死ぬ…)
クナイを構えて走ってくる史に手を伸ばす間もなく、あやかしは甲高い雄叫びを上げて腕を引いた。
しかし。
「……?」
カラン、と足元に鋭い爪が落ちる。それと同時に背後で火柱が上がった。熱風に押されて前に倒れ込むと、毛皮のような温かいものに包まれる。
「な、なに…」
恐る恐る顔を上げると、ザラザラとした舌が薫子の顔を下から上に舐め上げた。まるで大丈夫か、と訊ねるように。
(これは、獅子…?)
光り輝く鬣をサラサラと風に靡かせ、真紅の瞳が宝石のように美しい獅子は、薫子を支えて立っていた。足元には炎でできた毛並みが燃え盛っている。
「……これは、獅伯の式神」
蛇歌は薫子が無事な様子を見て安堵し、突如現れた獅子を見上げた。薫子は自身の手首を見る。先程までついていた真紅の数珠が消えていた。
「成程、薫子に式神を預けていったのか」
状況把握か早い蛇歌は、史の手を借りて立ち上がる。
「無事か。薫子」
「はい。なんとも無いです」
薫子は自力で急いで立つと頷いて見せた。
(これが獅伯様の力。それならば彼は今……)
薫子は雄雄しく立つ獅子を見て、極東へ向かった青年の背中を思い出す。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
薫子は獅子にそう言うと、ひとつ決心した。そして周囲を確認し、あやかしが闇から新しく現世に雪崩込んで来ていない事を確認すると、獅子へ真っ直ぐ向き合う。
「ひとつ。お願いがあります」
薫子はそう言って、両の手で獅子の顔を包んだ。
「今からここに居る懴禍以外のあやかしを全て、倒してくださいませんか」
その意味が理解できたのか、獅子はあやかし達を見る。そして史の背中から近づこうとしていたあやかしを見つけ、一声吼えた。口から火炎が噴射され、あやかしは灰になって消えてしまう。
そしてそれを合図に獅子は飛びかかった。真紅の炎を巻き上げ、瞬く間にあやかしを地に伏せていく。あやかし達は何をやっても敵わぬ炎の猛獣を前に怖気づき、足を止めた。
その隙に簡易的な陣を組んだ獅子は宙に飛び上がり、薫子達を中心に周囲を灼熱の炎で焼き尽くした。
熱波が蛇歌の水の膜にぶつかり、激しく蒸気が立ち昇る。
「どいつもこいつも無茶苦茶なやつしか居ないのかい…」
蛇歌は呆れたように呟いた。そして木々に燃え移る前に辺りに周囲に居た水蛇が鎮火させる。
獅子はあやかしが辺りに居ないことを確認すると、次の命令は何かと言わんばかりに薫子の元へと戻った。
「今はこれで充分です。お願いです、獅伯様の元へとお戻りください」
「薫子、一体なにを……!」
蛇歌が止める間もなく獅子は東の空へと掛けていく。それを見るなり蛇歌は薫子を振り返った。
「アレが居ればお前の身の安全は守れただろうに…!馬鹿なことを」
蛇歌がそう言うと、薫子は首を横にふる。
「今この国で安全な場所など存在しません。それに、もし獅伯様に万が一のことがあればこの国の結界は解かれ、それこそこの国の終わりです」
「薫さん…」
史は目を見開く。
極東と極西に向かった獅伯と寿鹿は、神央国の最後の砦だ。彼らが張っている国を覆う巨大な結界が消えれば、外から懴禍の息が掛かったあやかしが攻め落としに来る。
(なら、こんなところで力を分散させている場合じゃない)
死ぬ事が怖くないわけじゃない。だがどの道このままでは終わりだ。
(四千年前、色んな人の命を掛けて懴禍を阻止した)
それが今もう一度行われようとしている。更に辛い状況下の中で。
(前は桜花さんの命と引き換えに茜鶴覇様もご無事だった。だけど今回はそうも行かないはず)
神やあやかしだけではない。この国の民は、家族は、皆死んでしまう。
「死にたくはありません。私には果たさなきゃいけない事があります。なので、お願いがございます」
薫子は史と蛇歌に頭を下げた。
「私を生かしてください。そしてどうか、誰も死なないでください」
「……」
恐怖を押し殺すように肩を震わせる薫子を見て、蛇歌は桜花を思い出す。そして目を伏せ、そっと笑った。
「薫子、頭上げな」
蛇歌はポン、と薫子の頭を撫でる。
「本当に、お前は優しい子だね。その優しさが涙にならないように、アタシら神は戦わなきゃならない」
「蛇歌姐さん…」
「こんな台詞をアタシが吐くことになるなんて、笑えて来るね」
肩に掛かった髪を背に払いよける。史は少しだけ笑った。
「素直になるなんて珍しいわね」
「次は数百年後だよ、忘れないように目に焼き付けときな」
少し照れたように言うと水蛇を数体出して警戒させる。
「安心せよ薫子。お前を殺させはしない。お前は社に必要だ。……いや、違うな。茜鶴覇の馬鹿に必要だ」
「茜鶴覇様に…?」
薫子は火柱と爆炎が立ち上る方向を見た。圓月と共に懴禍の炎を捌き、応戦している。その後方では岳詠穿が隙を見て援護していた。
「今、ヤツの精神的支柱はお前にあると言ってもいい。逆に言えばお前を殺せば茜鶴覇も折れる」
先日、似たようなことを獅伯も言っていた。薫子は脳裏に過った言葉を思い出し、顔色を暗くさせる。
「大丈夫だと言ってる。心配するでない」
蛇歌は薫子の額をコツンと突いた。
「アタシが信じられぬか」
「いいえ…」
「ならば顔を上げ、見届けろ。お前にはそうする義務と権利がある」
そう告げると、蛇歌は亜我津水と視線を合わせて水蛇を放つ。水蛇は目を見張る速度で地を這い、亜我津水と共に爪雷へと攻撃をけしかける。爪雷はすぐに蛇を目視すると雷で吹き飛ばした。
「……」
静かに舌打ちをする蛇歌。史は薫子の肩をポンと撫でる。
「貴方は何があっても守るわ。もう二度と、四千年前のようなこと起こさせない」
「……はい」
薫子は史の覚悟を決めたような横顔を見て頷いた。
微かに感じる嫌な予感と共に。
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