桜咲く社で

鳳仙花。

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第三章

第十一話 極西

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 同時刻、極西海面にて。


「あの馬鹿戦い始めたな…」
溜息をついてヤレヤレと首を降る寿鹿ひさろく。海面に神力を張っているからか、沈むことなく優雅に立っていた。
「まあ、戦わなきゃいけない事態にでもなったんだろうね。アイツは何かを護る事については信じられないくらい強情で頑固で一途だから」
呆れた物言いでそう言うと、上空を見上げる。
「君は、頑固な男と僕みたいに優雅で美しくて余裕のある男、どちらが好みかな」
「あら、気づいてたの」
空には女の姿があった。黒い羽と尾、そして露出の多い服装が特徴的なその女は、意外とでも言うように首を傾げる。
「隠してたつもりなんだけどなぁ…」
顎に人差し指を当ててあざとくそう言う女に、寿鹿は自慢げに胸を張った。
「僕は人一番気配を正確に把握できてね。ここから真逆にいるクソガキ獅子の存在も、ブレまくった神力の風牙も、不安そうな薫子ちゃんも……国外にすっ飛ばされた夢幻八華の事も、手に取るように分かるよ」
「あら、国外のことまでわかるの?素敵ね」
「こんな程度で褒められるなんて悪い気はしないね。もっとも、流石に国外に行かれると気配は追えないけど。わかるのは、あらかじめ彼を嵌める為に組まれた何かしらの高度な転送陣で、結界外に放り出されたという事くらいかな」
鼻高々に話す寿鹿。女は口角を上げる。
「アナタ、随分楽しめそうな男ね。私は色欲の悪魔、アスモデウス」
「僕は寿鹿、岩神だよ。よろしくね」
寿鹿は「……まあ」と呟き、薄く笑ってみせた。
「君達悪魔は宜しくする気なんてないと思うけど」
ピリッと走った寿鹿の神力。アスモデウスは上空からそれを感じていた。
 飄々ひょうひょうとした態度を崩さない岩神だが、けして隙があるわけではない。寧ろ辺り一面に神力を展開している。その証拠に、彼は海面に立っているというのに、その周囲には波が一寸たりとも立っていない。いだ海面はまるで大きな水溜りのように静かだった。
 「時間が掛かりそうね、アナタ…」
舌舐めずりしてそう言ったアスモデウスは、腕を大きく振り上げる。海面が不自然に揺らぎ、邪気を孕んだ黒い海水へ変化した。やがてそれらは収縮し、渦潮となる。
 アスモデウスは渦潮が完成すると、そのまま腕を振り下ろした。渦潮は真っ直ぐと寿鹿へ突進していく。
 寿鹿は槍を出し、石突いしづきで海面をトンと突いた。すると海中から岩石の壁が迫り上がり、渦潮は分厚い岩石に阻まれ粉砕した。飛び散る邪気に侵された水は神にとって毒となる。それを予め知っていたのか、寿鹿は突風で全て弾き飛ばした。その手隙にアスモデウスへ風刃ふうじんを飛ばす。
 アスモデウスは目を細めた。その悪魔の力に対する冷静すぎる態度に、違和感を覚えたのである。
「アナタ……ただの神サマじゃないわよねぇ?」
寿鹿に弾かれた邪気を収縮させると、アスモデウスは短刀状に変えた。
「いやいや、元々ただの神サマじゃないよ。なんたって僕は五大元素の神だからね。上級神といってもピンキリだけど、僕らはその中でも上位だ」
自分の髪を愛おしそうにクルクルとイジる寿鹿だったが、その視線をアスモデウスへ戻す。
「……まあ、君の知る神サマと違うっていうのは、良い線いってると思うよ」
「あら、それはどうして?」
「美人に聞かれたら全部答えちゃいたくなるね、実によくない」
でも紳士なら優しく教えるべきだよね、と片目をパチンと瞑ってみせた。
 寿鹿は海面を二度突くと海底から巨大な岩石をいくつも宙に浮かせる。その岩石を渡って上空へ向かった。アスモデウスと同じ高さまで来ると、槍を構え直す。
「僕はね…この世に存在する神の中で、最も多く、悪魔を殺してきた。もう数なんて数えてないけど、万は越えてると思う。さとい君なら判るよね、ハッタリなんかじゃないって事くらい」
「……へぇ、どおりで…」
ここで初めてアスモデウスの目の色に動揺が映った。寿鹿は先程から神力で体表を覆っている。邪気に侵された水が、いかに危険なものか分かっているからだ。知識として知っていても土壇場で対策するのは難しい。幾度となく悪魔と戦ってきた経験からくるものだろう。
「じゃあ、舐めてかからないで本気で掛かった方が良さそうね」
「そういうことさ。僕も時間はかけてられないからね」
寿鹿がそういうと、アスモデウスは薄っすら微笑む。
「アナタが警戒すればする程、眼前は大きく揺らぐのよ」
意味がわからず寿鹿は片眉を上げた。
「一体どういう……」
 その時。突如アスモデウスの体が霧散し、辺りは白い霧に覆われる。寿鹿は耳をピクッと動かしながら辺りを警戒した。
 しかし、思いの外簡単にアスモデウスの姿は寿鹿に見つかる。
「何かの罠かな」
「さあ、どうかしらね。試しに切ってみたら良いんじゃないかしら」
「そうだね、こういう時は…」
寿鹿は槍を構えると、眼の前のアスモデウスを斬り伏せるフリをして後方から迫ってきていたもう一体のアスモデウスを薙ぎ払った。
「……!」
アスモデウスの血液が舞い、首が落ちる。
「……こういう時は大体、囮と本命が存在する。そういう決まりだよね。まさかこんな簡単な罠使うとは思わなかったけど…」
寿鹿は槍を振って血払いした。アスモデウスの体が闇となって霧散していくのを見ながら、寿鹿は不思議な違和感を持つ。
「あれ、君……さっきまで短刀持ってたよね」
 その瞬間だった。
背中を大きく切り裂かれ、眼の前が大きくグラつく。
「……っ」
寿鹿はすぐに体勢を整え、背後を槍で薙ぎ払った。アスモデウスはひらりとそれを躱して羽ばたく。
「どうかしら、私の幻覚は。まるで肉と骨を斬ったような感覚だったでしょう?」
「……そうだね、不思議だ」
幻覚というものは、見破られれば後は子供騙しの場合が殆である。それに加え幻覚は幻覚、実体は無い。実体が無いものには触れようもないし、攻撃しようもない。だというのに、アスモデウスの言葉を信じるのであれば先程の幻覚による彼女の分身は、しっかりと肉と骨が存在した。実に気味の悪い能力である。
「私の幻覚は実体を持つ。でもそれだけじゃない。例えばこんなのも出せるのよ」
アスモデウスが指を鳴らすと、白い霧から岳詠穿がくようがが現れた。寿鹿は目を見開く。
「まさか、相手の記憶から人物を読み取れるのか」
「ええそうよ」
アスモデウスは岳詠穿に近づくと、そのたくましい腕に指を這わせた。
「これが私の能力、素敵でしょ?」
「………どうかな。僕は美しいとは思えないけど」
 背中の傷を塞ぎ切ると、寿鹿は再び槍を構える。
「なるほど、大方把握した。君はその力を使って人間を誘き寄せ、精力と魂を喰らって生きているんだな」
「ナイショ。女に秘密はつきものでしょう?」
アスモデウスは妖美に笑って唇を舐めた。
「嗚呼、それもそうかもね」
寿鹿もそれに応えるように薄っすら笑ってみせた。

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