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第三章
第七話 南部
しおりを挟む同刻、南部。
ひたすら河原を走り抜ける雀梅と六花。その後ろを何者かが追いかけていた。
「良いぞ良いぞ、逃げろ!!狩りは得意だ!」
「………」
頭部は青毛の狼、体は人間という異形の姿をした女が楽しそうに走る。雀梅は河原に流れ着いていた流木を突風で浮かし、投げつけた。
「効かんぞ」
握り拳でいとも容易く流木を打ち砕いて笑う狼女。雀梅は舌打ちをする。
「五月蝿い。雀梅、風はあまり得意じゃない」
「なら何故使ったんだ」
最もな突っ込みを受け、雀梅はムッとした。
「そこに流木があったから」
「水で浮かせばよかろう?」
「水も得意じゃない」
「お主ほんとに神なのか?」
顎に手を当てて首を傾げる女。青筋を浮かべた雀梅は口を開く。
「でも使えないとは言ってない」
その瞬間川の水がうねり、膨大な水が宙へ浮かび上がった。
「ほお?」
ニヤリと笑う狼女は拳を握る。雀梅は鋭い雨に変形させると、そのまま腕を振り上げた。狼女は矢のような雨水を全て弾く。
土埃と水飛沫がドッと巻き上がった。すかさず六花が地面に手を付け、女の足ごと凍結させる。雀梅は大剣を構えると女に向かって飛び上がった。
「だから効かんと言っている」
振り下ろす大剣を躱し、雀梅の腕を掴む。そして炎の剣を噛み砕いた。
「…!」
そのまま刃を飲み込んだ女。雀梅はすぐに蟀谷に回し蹴りをして腕を振り払うと、その場から離脱して六花の隣に下がった。
「体が小さい分、お前は身軽かつ俊敏だ。そっちの女は状況判断が凄まじく早い」
女はバキッと音を立てて氷を蹴り砕き、口を開いた。雀梅と六花は身構える。
「よい、楽しくなってきた…!私の名は暴食の悪魔、ケルベロス。萎えさせてくれるなよ!」
ギラリとした眼光がふたりを見つめた。
「とても良くない状況です」
「雀梅もそう思う」
ジリジリと近づいてくるケルベロスに冷や汗を頬に伝わせた六花。雀梅は自身の周りに炎を生み出し、食いちぎられた大剣を修復する。
「力の強い相手に私の氷は少々不利です。砕かれてしまうので。それに…」
六花は雀梅を見た。
「雀梅の炎、お前の氷溶かす。相性良くない」
「ええ…」
氷と炎。そもそもの相性が良くない二人は力を合わせる事が難しい。なんとか怪我を負わずに済んでいるのは、二人の身軽さが力技であるケルベロスに唯一勝っているからである。体力が尽きればそれも無くなってしまうだろう。もはや時間の問題だった。
「元々ここに我々が集っている事自体よくない状況です。今この瞬間、あやかし達は人を襲いに行っている」
当初の予定は、それぞれ別れての守護である。それがこうして集められてしまっている事自体がこちら側にとって不利な状況だった。
「一つ、こいつ戦闘不能にする。二つ、どっちか残る」
雀梅は炎を浮かび上がらせると、ケルベロスに向けて放つ。簡単に弾き飛ばされてしまった炎は川の表面で爆発した。水蒸気で視界が悪くなり、雀梅と六花は後ろに下がる。
「前者は恐らく時間がかかり過ぎる。後者は間違いなく命を落とすでしょう」
雀梅もわかっていたのか頷いた。
「でも、こいつ放ったらかしもできない。こいつ結界破った。村ごと人が喰われる」
雀梅は水蒸気から出てきたケルベロスを睨みつける。
少し前、雀梅が結界を張り直していた所をケルベロスに襲撃された。結界が完全に破壊され、村人の腕が食いちぎられたのである。事態は最悪の手前だった。異変を察知した六花の応戦により村から引き離すことに成功したのだが、全てを喰らい尽くすケルベロスには神力の炎や六花の氷は無意味だった。
雀梅は顎から汗をポタリと落とす。そして何かを決意し、式神を呼んだ。背の高いホッソリとした炎の鳥が雀梅の影から現れる。
「おや?なんだ?それが式神というやつか」
美味そうだと舌舐めずりをするケルベロスを警戒しながら、雀梅は式神に命令した。
「村の守護、行け」
それに応えるように一声鳴くと、火の粉を舞わせて飛び立つ。
「行かせないぞ」
ケルベロスは獲物を捉えたような目で式神に向かって飛び上がった。
「こっちのセリフ」
その隙を狙って雀梅の炎がケルベロスの腹に命中する。
「ほお」
燃える体を見て地面に着地すると、自身の炎を食らった。バクバクと口にしていくケルベロスに、雀梅は小さく舌打ちをする。
「なんでもありですね…」
「悪魔、そういうやつ。懺禍、最悪なやつらと手、組んだ」
六花は美味しそうに炎を喰らうケルベロスを見て苦虫を噛み締めたような顔をした。
「せめて我々の力の相性が良ければ…」
「………」
とはいえ、そんな事を今更言ったところで仕方がない。雀梅は機嫌悪そうに眉間にシワを寄せた。
「でも負けない。雀梅、修行した。もう二度と前みたいにさせない」
大剣を構える雀梅に、六花は「ええ」と応える。そして手に氷の短剣を握りしめた。
「悲劇はあれで十分です」
そう言うと、炎を喰らい尽くしたケルベロスが笑い始める。
「何を言ってるんだ?お前たちは」
雀梅達を見下すような言い方で問いかけた。
「悲劇は終わらない。それが世の常だからだ。誰かにとって喜劇で、誰かにとっては悲劇。そういうものだ、世界というのは」
腕を広げ、楽しそうに話すその様は懺禍の姿を彷彿とさせる。
「知らない、無理やり雀梅達の喜劇にする」
「おや、傲慢だな」
「雀梅、カミサマ。思い通りにする力、ある」
「面白い、やってみろ朱雀」
雀梅は六花に目配せすると走り出した。六花もすぐに後を追う。
「それでいい!来い!」
ケルベロスも走った。火花を上げて雀梅の大剣とケルベロスの爪が交差する。間髪入れずにスルリと間合いに入った六花が、その首に刃を向けた。ケルベロスは六花の刃を避けてその腕を噛み千切る。赤い鮮血が飛沫を上げた。
「凍結」
六花がそう呟くと同時に雀梅は爪を避けてその場から離れる。六花の血が瞬時に赤い氷となってケルベロスに突き刺さった。先程よりも硬い氷が女の肌に深く傷を残す。六花は腕を庇い、距離を取った。
「なるほど、面白い」
ケルベロスは刺さった血の氷を引き抜く。しかしその隙に背後から忍び寄った雀梅が大剣を振り上げた。ケルベロスは身を屈めて避けると鳩尾に蹴りを入れる。
「ほお?」
しかし雀梅の腹には氷の盾があり、全くの無傷。雀梅は宙に飛び上がる。炎を召喚し、ケルベロスへ飛ばした。
「くだらん、同じ事の繰り返しか」
そう言って弾いた直後、すぐ後を追っていた小さな炎がケルベロスの頭に当たる。その瞬間、凄まじい爆音と共に火柱が上がった。
「………」
かなり神力を使ったのか、地に降りた雀梅は大剣を地面に突き刺して肩で息を繰り返す。巨大な火柱の熱量に押され、六花は残った腕で顔を庇って更に距離を取った。
だが。勝利には遠く及ばない。
不自然に火柱が揺れ動き、まるで齧られたように一片が欠ける。全身に火傷を負いながらも炎を喰らい続けるケルベロスは、四千年前の懺禍の姿と重なる。不気味に笑い続け、炎を纏う男を思い出し、雀梅と六花は悪寒を走らせた。
「悲しいな。お前たちが何をしようと、私には敵わない。炎も、氷も。私の食い物となる」
体に刺さったままの血氷を引き抜いて噛み砕く。体表に負っていた火傷はみるみる完治していった。
「絶望はするにはまだ早いぞ。私を満腹にしてから死んでくれ」
ケルベロスは鋭い牙を見せて笑いながら、雀梅の炎を喰らい尽くした。
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