桜咲く社で

鳳仙花。

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第二章

第三十八話 闇ノ奥デ

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 「いや、あいつは殺さねぇな」
低く響く声音が暗闇に木霊した。男は喉を鳴らして笑う。
「どぉーして?いくら茜鶴覇でも流石に消すでしょ。逆らったのよ?」
甘ったるい猫撫で声で、男の背後から耳元に囁く女。露出の高い服からは、豊満な胸と色気のある四肢が伸びていた。
「茜鶴覇は絶対に人間を殺さねぇ。だから四千年前、俺に負けたんだ」
顔に大きな火傷の跡を遺した男は高揚した表情でそう言う。そして女に目もくれず、視線を流した。
「そうだったよなぁ?爪雷」
闇の奥でひとり座って目を閉じていた人影。男はその人物を爪雷と呼んだ。
「………」
なんの反応も示さない爪雷を、男は鼻で嘲笑った。
「なんだよ。昔の仲間をわらわれて不快か?」
「……てめぇと馴れ合うつもりはない。あくまで目的の為に協力しているだけだって事忘れんなよ、懴禍」
ギロリと睨みつける爪雷。懴禍と呼ばれた男は女を引き剥がし、座っていた岩から降りた。
「ああ、そうだったな。悪い悪い。地獄から助けてくれてありがとうなァ、カミサマ」
わざとらしく両の手を広げて礼を言う懴禍に、爪雷は「気色悪い」と一蹴いっしゅうして顔を背ける。
 すると、その会話を黙って聞いていた巨体の男が腕を組んだ。背に龍の如き翼を背負い、筋骨隆々の肉体と鋭い牙を持つその男は、苛立ちの混じった声音で口を開く。
「なんだっていいが、早く俺達を現世に出せ、懴禍。俺達はお前に力を貸すとは言ったが、地獄ここでジッと待つとは言ってねぇぞ」
「そうくなサタン。後少しで神殺しの毒が現世で広まる。その時が暴れ時ってもんよ」
肩をすくめてなだめる懴禍に、先程までベッタリと引っ付いていた女がつまらなそうに首を傾げた。
「ねェ、どうして今すぐじゃダメなの?私達の力があれば別に神殺しの毒なんて必要ないんじゃない?」
頭に角を持った女は指先をスイッと動かして自身の髪を巻き付ける。
「アスモデウス、なんもわかってねぇなぁお前。ただ茜鶴覇をぶち殺すなんて愉しくねぇだろうが。どうせやるなら本気のあいつと俺は戦いたい。そんでやつのはらわたを引き裂いて首をもぎ取って、大切にしてるもん全部壊してやる。それが俺の求める戦いだ」
「知ってはいたけれど、本当に悪趣味ね。……でも、そういうの大好物」
舌なめずりをして熱の籠もった視線を送り、懴禍の首に腕を絡めるアスモデウス。懴禍は女の顎を掴んで深く口付けをする。その様子を見ていたサタンは心底気持ちが悪いと言わんばかりに視線を逸した。
 「ハッ。てめぇも存外趣味がわりぃな、アスモデウス」
ドンと女の肩を押して引きはがすと、乱れた襟元を適当に整える懴禍。
「あなたには負けるわよ」
アスモデウスは乱れた髪を後ろへ払う。
 そんな時、二人の人影が3人に近づいてきた。
「3人だけで楽しそう…ずるい、私も楽しくお話したいのに。殺そうか?」
サタンに続く巨漢の男に抱えられた少女が淡々と懴禍に告げる。その女の下半身は魚の尾ヒレがついており、足はなかった。巨漢の男は顔がなく、大切そうに少女を抱いている。
「楽しくなんかねぇよ。見ればわかるだろう、馬鹿なのか?」
「酷いサタン。貴方は殺す」
「やってみろよ、嫉妬の悪魔が憤怒に勝てるとでも?」
「後悔しても知らないわよ。その邪魔な翼ごと首をいてあげる」
大きな水掻きのついた爪を広げて睨みつける嫉妬の悪魔に、アスモデウスが声をかける。
「ね~ェ、リヴァイアサン。そんな戦闘狂放っといてお姉さんとイイコトしない?」
「しない。淫乱悪魔は引っ込んで」
「あら。淫乱なんて褒め言葉くれてありがとう」
妖艶な笑みを浮かべるアスモデウスに、リヴァイアサンはため息を吐いた。
 「他の奴らはどうした。一緒じゃないのか」
サタンが苛ついたような声音で訊ねると、リヴァイアサンは肩をすくめる。
「向こうでベルゼブブ達が殺し合ってる」
「なんでだよ」
「暇だから」
リヴァイアサンが答えるとサタンは更に苛ついたらしく、大きなため息を吐いた。蟀谷こめかみには青筋が浮かび上がっている。
「どいつもこいつもクソみてぇなのばっかだ」
「あらあら、そのクソみたいなのと同じ座に付いてる気分はいかが?」
いつの間にか背後に居たアスモデウスがピッタリと背に着いた。サタンは翼を大きく広げて払う。
「決まってるだろう。それ以上のクソな気分だ」
「まあまあ、元気なのは良いことじゃねぇの」
この場の誰よりも楽しそうに懴禍はゲラゲラと笑った。それを見てサタンは心底気に食わないという顔で、土埃の舞う方角を見る。時折地面が割れきしむような音が木霊して飛んできていた。地獄の片隅に居るはずなのだが、どこよりも治安が悪い。
「その元気が次の新月まで持つことを祈るぜ」
「新月?」
「ああ、そこで一気に神殺しの毒は広まる。いくら茜鶴覇といえど、夜の闇に混じる邪気と毒の蔓延まんえんを止める事など出来はしない」
懴禍はそういうと黙り込む爪雷を見る。
「そうだよなぁ?爪雷」
一点を見つめていた爪雷は少しの無言の後、「ああ」とだけ答えた。
 懴禍は彼の応答を聞いて不気味に微笑むと、その場で地面を踏みつける。
「!」
ドンという衝撃が地面を木霊した。地割れを起こし、黒い岩のような硬い地面はひび割れ、深く亀裂を残した。
「……消えるのは薄汚ぇ俺達か、天上の呑気な神々か。生き残るのはどっちだろうなァ」
懴禍は酷く楽しそうに高笑いを始めた。不気味な光景に思わずその場に居た者は目を細める。
 懴禍の笑い声は暗闇に響き渡り、地獄の業火をグラグラと揺らし回った。

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