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第二章
第三十三話 追いかけていた背中
しおりを挟む「…獅伯様」
「⁉」
屋根の上に寝そべり、白銀に輝く月を眺めていた獅伯は飛び起きる。目を見開いて振り返ると、薫子が屋根からずり落ちぬようにヨロヨロと歩いてきているのが見えた。
「なっ、オッ、あっ」
驚きすぎて頭文字しか喋れてない獅伯を無視し、薫子は足場の悪い瓦の上を歩く。
「…うわっ」
獅伯と会話ができそうな距離に近づいたその時、視線を下から彼に移した薫子はズルリと足を滑らせ、体勢が大きく傾いた。
「馬鹿ッ…」
とっさに飛び出した獅伯が薫子の手を引いて後ろに倒れる。おかげで屋根から転げ落ちることもなく、獅伯に抱きしめられる形で瓦の上にふたりで倒れ込んだ。
「バッ……カじゃねぇのお前……!」
「……すいません」
ドッドッドッと飛び跳ねる心臓を抑えるように胸をギュッと掴んでいる獅伯。薫子も目を見開いたまま暫し固まる。
(危なかった)
薫子はちらりと下を見て、己がいる場所の高さを実感してゾッした。
そんな薫子を見た後、獅伯は口を開く。
「……なんの用だよ」
見開いた目をスッと落ち着け、冷めた瞳で薫子を見ている獅伯。背中に回された彼の手は、薫子の肩を痛いくらいに掴み、先程のような分かりやすい威嚇などではない、本気の殺気を漂わせていた。
「食い殺されにでも来たか、人間」
そういった彼の瞳はどこか探りを入れているようにも見える。薫子によってもたらされる物が、自分や茜鶴覇にとって不幸か幸かを見極めようとしていた。
「……いいえ。貴女は私を殺しません」
「……は?」
その瞬間、思っていた答えと違ったのか、獅伯は目を見開いて硬直する。
「私はどうしても、貴男様がそのような事をする人には見えないのです」
そういうと獅伯はどこか複雑そうな表情を浮かべた。
「……この獅伯様を人と呼ぶなんて、無礼なやつだな…お前」
(…自分の守護神に対しての態度はいいのか)
薫子は心の中で思わず突っ込みを入れる。人の振り見て我が振り直せという言葉は天界には伝わっていないのだろうか。
「大体、お前に俺の何がわかる。ただの人間のくせに」
「確かに獅伯様の事はほとんど知りません」
「ならなんでお前…」
「しかし、こう聞きました。心が真っ直ぐで、嘘を吐かず、正直で素直だと」
彼の言葉を遮って薫子が答えると、眉間によっていたシワが少し緩まり、獅伯は瞳孔を揺らす。
「そんな事誰が」
「…茜鶴覇様です」
薫子が答えると獅伯は小さく息を吸い込んだ。そして下唇をギュッと噛み締め、視線を下げて顔を顰める。そしてゆっくりと薫子の肩から手を離した。
「………」
獅伯は起き上がり、空を見上げる。白銀の月は湾曲しており、美しい三日月になっていた。
「…俺は、今亜我津水のとこで修行してる。だけど俺が追いつきたいやつは、ずっとずっと一人だけ」
サアっと風が流れ、獅伯の髪と耳を揺らす。薫子は上半身を何とか起こし、少し距離を開けて座った。
「茜鶴覇様…ですか?」
そういうと、獅伯は「ああ」と頷く。
「俺はあいつに追いつきたくて、越したくて、そんでもって俺を……認めてほしかった。だから敢えてやつの元を離れて亜我津水の所で修行してたんだ。いつか再会したとき、驚く茜鶴覇が見たくて…」
獅伯はそこまでいうと薫子をキッと睨みつけた。
「それなのに、久々にあいつの名前を聞いたと思えば、天界会議を抜け出したとか、地獄にお前を取り返す為に乗り込んだとか、懴禍の野郎を逃したとかそんなんばっか。しかもどれもこれもお前関連」
(いや、懴禍については違くないか)
否定したかったが発覚した場に居たのは確かなので、ここは大人しくしておこうと薫子は思う。
「ずっと腹が立っていた。大した努力もしてない、能力もない人間風情が茜鶴覇の懐に入って高みの見物してるって考えたら、俺は居ても立っても居られなかった」
(まあ、そうなるよな)
彼の立場を考えると納得できないこともない。薫子は何も言い返すことなく獅伯の言葉に耳を傾けた。
「……だけど、お前は俺が思ってたような人間とは、ちょっとだけ違った」
急に声が小さくなり、俯く獅伯。その耳はどこかしょげているようにも見える。
「俺が威嚇してもビビんねぇし、媚売ってるわけでもねぇし、こんな危ねぇとこまで追っかけてくるし。もうよく分かんねぇ、お前」
(……この人)
聞いていた以上に素直な性格をしているかもしれない。というより、少年のまま育ってきたという感覚に近い。
(少し菊汰に似ているかも)
ツンケンしていてもどこか素直なところが重なって見える。
「私は獅伯様の言うとおり、非力で、無力で、何もできない人間です。誰の力にだってなれはしない」
薫子がそういうと、ゆっくりと視線を向ける獅伯。
「…皆さんが怪我せず平和に過ごせるのなら、私はいくらでも媚びます。倒れるまで働けと言われれば、いくらでも働きます。しかしそれは何の役にも立たない。それを私は知ってしまった」
(社に来てから、己の無力さを痛感することばかりだ。嫌という程に)
薫子は村では頼られる存在だった。自分よりも下の子供達が多く、歳が上の者達は出稼ぎに行ったり家業を手伝ったりと忙しかった。だから必然的に薫子だけに回される仕事も多かったのだ。
しかし社に来てから薫子はこれといって何かを任せてもらっていなかった。不満というより、不安に近い感情を日々抱えている。
自分は果たしてここに居ても良い存在なのか、何かを成さねば存在理由を失ってしまうのではないか、自分のせいで誰かが何かを失って、その責任を負うのが怖い。そんな考えが薫子の脳裏を過ぎっては不安にさせていたのだった。
「茜鶴覇様達は、確かに私を大切に想ってくださっています。だけどそれに甘えてふんぞり返られる程、私には余裕はありません」
そういうと、獅伯は少し気まずそうに後頭部を掻いて視線を外す。
「……茜鶴覇様との関係を聞きたいのですよね」
薫子は膝を抱えてポツリと訊ねた。獅伯は暫しの無言を経て口を開く。
「…いや、いい」
それだけ答えると、再び月を見上げた。
「本当は、茜鶴覇の目を見ればお前が悪いやつじゃないってことも、特別な想いを寄せてるってことも、端から判ってた」
獅伯はそういうと視線を伏せる。その横顔は憂いを帯びていた。
「……俺は、お前が羨ましい」
「獅伯様…」
小さな声で本音を漏らした獅伯に、薫子は何も言えなかった。どう声を掛けていいのかわからず口を一文字に閉じる。
「でもお前が嫌いなわけじゃない。カッコのつかねぇ話だが、俺は初対面のヤツを無闇やたらに信用出来ねぇ質なんだ。……だからその…意地の悪ぃ態度取って…悪かったな」
少し赤い俯きがちの横顔を、薫子は驚いた顔で見つめた。
(まさか謝罪されるとは)
色々と考えながらここまで来たのだが、それらすべてが要らぬ心配だったようだ。本人は本人で考える事もあったのか、自分で反省している。
薫子は数回瞬きを繰り返した後、フッと笑った。
「てめ…何がおかしいッ!この獅伯様が謝ってるってのに!!」
ガルルと喉を鳴らして威嚇しているが、顔が真っ赤なのと、耳が垂れているのを見ているとどうしても恐怖心は湧いてこない。
「凄んでももう怖くないですよ」
「なんだと⁉」
(その面と耳で何を言ってるんだか)
性格に難ありだが、根は真っすぐで腐りを知らない。その辺は流石茜鶴覇の身内だなと思う。
獅伯はクスクスと笑い続ける薫子を悔しそうに睨んだあと、ため息を吐いた。
「とにかく、この話は終いだ。しかたねぇから、今後はこの火神獅伯様がお前の護衛をしてやる。有り難く思え薫子」
(は?)
「何故?」
「何故だと?お前この俺の実力が気に入らないっての?」
「いえ、そこじゃなくて」
(なんで護衛?)
薫子は首を傾げながら説明する。
「どうして私を護衛するのですか?」
「あ?んなもん敵に弱点を取られねぇようにする為だ」
(じゃ、弱点)
直接的かつ辛辣な言い方に薫子はガックリと肩を落とした。それを見て獅伯は当然だろと言いたげに薫子を見る。
「現時点で茜鶴覇側の中で一番弱くて一番危険性が無い。それなのに茜鶴覇の一番壊されたくないものと来た。そんな好条件が揃いまくった人間は、生かすより殺したほうが懴禍にとって美味しい助けになる」
「おっしゃるとおりで…」
薫子は言葉でボコボコと殴られている感覚に陥った。そんなものお構いなしに獅伯は続ける。
「自分の弱点を守るのは当然のこと。そしてそこに割く意識は戦いの最中、最も邪魔になる」
真剣な眼差しで薫子を見つめる獅伯。薫子は申し訳なく思い、視線を下げた。
「だけど、火神がお前に付きっきりで居ればヘタな敵は攻めて来られねぇ。確かに幹部程のあやかしが来りゃ俺だって苦しいが、お前を殺す事が懴禍の最終目的じゃない。大事な戦力を削いでお前を殺そうとする理由は今の所無い」
(この人、なんだかんだと言いながら今の状況をよく把握している)
別に舐めていたわけではないが、予想以上の頭の回転の速さに驚きを隠せない。やはり何千年と生きてきた神なのだと改めて感じさせる。
「……あと、この戦いでお前に死なれると、後味悪い」
急に小さな声で呟く獅伯に、薫子は聞き取れずに「えっ」と呟いた。
「ンなんでもねぇよ‼」
獅伯は顔を赤くして吠える。薫子はキョトンとした後少し笑った。
「ていうか、お前どうやって降りんだ」
話を逸らすようにして獅伯が言うと、ピタリと薫子は動きを止める。後先考えず登ってきたは良いが、この高さを降りる方法を何も考えて居なかった。
「……飛び降りる、とか」
「やめろバカ今死ぬ気か?」
鋭い突っ込みを薫子に入れると、獅伯はため息を吐いて立ち上がる。そして薫子の手を引いて同じように立ち上がらせると米俵の様に担いだ。
「本当に手がかかるな、人間は」
「⁉」
そう一言呟くと、硬直する薫子を無視して屋根から飛び降りる。その瞬間、薫子は地獄の番兵に攫われたときよりも命の危機を感じたのだった。
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