桜咲く社で

鳳仙花。

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第二章

第二十三話 どこにも無い

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 「……圓月様?」
台所から居間へ向かっていると、見覚えのある男が立っている。その視線は庭へと向けられていて、遠くを見つめているようだった。
「おう、お前らか」
薫子の呼びかけに気がついた圓月は、ぱっと顔を明るくさせて笑う。
「居間に居たのでは…?」
「十六夜と夢幻八華の絡みが鬱陶しくてよ。茜鶴覇と武静ウージンに押し付けてきたとこだ」
(よりにもよってその二人かぁ)
はしゃぐ幼児と、とにかく冷静沈着な大人の図の出来上がりである。見ようによってはまさに地獄絵図に違いない。閻魔もびっくりである。
「饅頭に羊羹じゃねぇか。どっちも美味そうだなァ」
菓子を見た圓月がよだれを垂らしてジリジリとにじり寄って来るので、薫子は盆を隠す。
「だめです。居間へ行ってからですよ」
「……お前、最近史に似てきてねぇか?」
「あらあら、それは一体どういう意味かしら圓月様」
鬼を背負しょったような笑みを浮かべる史に、冷や汗をダラダラと掻いた圓月は「いやぁ、いい娘っ子になってきてるなぁ…と」などと厳しい言い訳をしている。
「お茶が冷めてしまうから早く居間へいらっしゃいませ」
まったくもう、とため息を吐いた史は少し笑って居間へと向かっていった。薫子はホッとため息を吐く圓月を白い目で見る。あやかしの長は、たった一人の老婆に頭が上がらないらしい。
 「そんな目で見るなよ薫子」
視線に気がついた圓月は、ムッとした顔で腕を組む。
(まず普段から威厳とかけ離れた場所に居るのが悪い)
薫子は心のなかでツッコミを入れつつ、「申し訳ありません」と表面上で謝った。
 「……なんつーかよ」
「はい」
すると、どこか居心地悪そうな声が聞こえ、薫子は首を傾げる。圓月は首の後ろを掻きながら少し暗い顔をしていた。
「俺は、お前を桜花だと思って接したことはねぇから安心しろ。……いや、安心しろは変か」
ゴニョゴニョと言葉を選ぶようにして呟く圓月。薫子は先程かなり気まずい状況で居間を飛び出してしまった事を思い出した。
「大丈夫です。茜鶴覇様から聞きました。皆様が私を想ってくださっている事も、桜花様が私を選んでくださった事も、全て」
そういうと、圓月は少し安心したような微笑みを浮かべる。
「そうか、なら良かった。………確かにお前の体も魂も桜花そのものだが、お前はお前だもんな」
ポンポンと頭を撫でる圓月。その瞳にはほんのりと憂いを帯びていた。そんな彼を見て、薫子は少しだけ違和感を感じる。
 しかし次の瞬間、彼の驚きの発言に薫子は思わず目を見開いてしまった。
「全てってこたぁ、茜鶴覇はお前につがいになってくれってようやく言ったのか」
「は?」
あまりにも間抜けな声を上げてしまった薫子は、盆をひっくり返しそうになる。
(なんで知ってるんだ)
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で圓月を見上げると、不思議そうな顔で圓月は首を傾げた。
「何間抜けな顔してやがる。お前だって気づいてなかった訳じゃねぇだろ?桜花の生まれ変わりってのを差し引いたとしても、わざわざ地獄に単身で乗り込もうとはしねぇって」
「それは……」
確かにあの時の茜鶴覇の動揺の仕方は、ただの人間が連れ去られたにしては不自然だった。いくら桜花の件で薫子を見捨てられなかったとはいえ、普段の彼なら一人で乗り込もうとはしないだろう。冷静な茜鶴覇だ。しっかり手順を踏んで地獄へ来たはずである。
 だが実際茜鶴覇の取った行動は、冷静とはかけ離れたものだった。武静がいたからまだ良かったものの、あのまま突っ走らせていたら今頃地獄は大変なことになっている。
 (彼の目には、本来人間に向けるべきじゃない感情が映っていた)
薫子はそこまで鈍感じゃない。だけど、見て見ぬふりをした方が都合がいい時だってある。
「わかってたんだろ。あいつがお前を好いてる事くらい」
「………」
薫子は黙った。無言の肯定である。
 圓月は首の後ろを搔いたあと、「あー…」と声を漏らした。
「いや、責めてるんじゃねぇんだ。勘違いしないでくれ」
薫子の様子を見て慌てて弁解をする圓月。薫子は静かに口を開いた。
「私は、茜鶴覇様をお慕いしているんだと思います」
薫子の告白に、圓月はピタリと動きを止める。
「………ですが、私は所詮どこまで行ってもただの人間。茜鶴覇様と想いを通わせるには、身分が違いすぎる」
神と人。したしくなったとはいえ、やはり根本から何もかもが違う。
(茜鶴覇様はきっと気にしなくていいと言ってくださる。しかし後ろ指を指され、誹謗中傷を受けるのは私だけとはいかない)
人間の娘を娶ったなどと天界で知れ渡ればどんな目を向けられるか。それがわからぬ茜鶴覇ではない。
「私のせいで彼が傷つくのは許せないのです」
そういうと、圓月は薫子の両肩をガッシリと掴んだ。
「お前は阿呆か?いや、頑固……?馬鹿……?お人好し…?とにかく、何いってんだ?」
(それは貴男では)
薫子はスンとした顔で圓月を見上げる。当人は意味がわかんねぇと言う顔で薫子を見つめていた。
「身分がなんだってんだ。そもそも茜鶴覇が周りの評価気にしてるような野郎だったらあやかしを友とは呼ばねぇ」
「……」
神は基本的にあやかしを卑下している。み嫌う対象である筈のあやかしを友と呼ぶのは、恐らく社にいる者達だけだ。
「いいか、薫子。茜鶴覇を逃げる理由に使うな。お前はどうしたい、何を思ってる。もっと自分を優先して生きていたって良いんだ。貪欲になれ」
優しく、でも力強く肩を掴んで目線を合わせる圓月。
「私は……」
薫子は視線を下げた。
(自分に素直になって、その後が怖い)
家族が何を思うか、天界で茜鶴覇がどんな目に合うか。しかしそれらは、茜鶴覇の想いを無視するにするには、都合の良すぎる逃げ道に過ぎない。
(ここに残ると、決めた時から、私は心の何処かで彼と生きたいと思っていた)
だけど認めるわけにはいかなかった想いである。もしそれが許されるのだとしたら、強く望んでも良いのだとしたら。
「薫子、お前の気持ちはそんな簡単に捨てられていいものじゃない。誰よりも一番、自分が大事にしなきゃいけねぇ」
圓月は真剣な目で説得する。
 薫子はそれを聞いて黙っていたが、少しの間を置いてゆっくりと視線を合わせた。
「少しだけ、時間をください。今すぐに答えは出せません」
薫子はひとつひとつの言葉を紡ぎながら語る。
「ですが、必ず茜鶴覇様とお話します」
それを聞いた圓月はじっと薫子の瞳を見つめ、嘘ではない事を察すると微笑んだ。
「わかった。信じる」
圓月はその大きな手のひらで薫子の頭を撫でまわす。
(子供か何かと勘違いしているのか?この人は)
盆を持っているので払い除けることもできず、薫子は一歩後ろに下がってなんとか逃れた。
 「私と茜鶴覇様の恋路ばかりを気にしていないで、ご自身の方を気にしても良いのでは」
ボサボサになった髪を手で撫で付けながらじっとりと睨みつけると、圓月は「こりゃ参った」といって大声で笑う。
「悪かったって」
謝罪しながら、圓月もボサボサになった薫子の髪を整えた。そして眉を下げながらぽつりと呟く。
「……俺はいいんだ、もう」
その反応に違和感を覚えた薫子は首を傾げた。
「圓月様には、想い人がいらっしゃるのですか?」
恋情れんじょうとはかけ離れた存在だと思っていたけれど、何かあるのか)
薫子の素直な質問に、圓月は少し間を置いて口を開く。
「ああ」
短く肯定した圓月。薫子は少し目を見開いた。
「意外でした。そういった感情をあやかしも抱くのですね」
「まあな。だけど、俺はもう何も望まねぇって決めたんだ」
最後にぴょんと跳ねた薫子の髪を整えると、圓月は身を離す。
「どうして」
「どうしてって。んー、俺の想いは今のあいつには重荷にしかならねぇからだ」
圓月はそう答えながら壁に背を預けた。
「だけど俺はあいつ一人しか欲しくない。今までも、これからも。生涯この想いが変わることはねぇ。だから嫁も娶らねぇし、他の女と寝る事もない」
「……」
強く語る圓月の視線は、ある方向に向いていた。先程、背筋の伸びた美しい所作のとある老女が通っていった廊下である。
 圓月の瞳は廊下ではなく、そこを通っていく凛とした誰かの背中を見ていた。その心の内に抱えた想いを押し付けるのでも、表明するのでもなく、ただただ影からそっと見守っているように。
(……まさか)
薫子はある結論に辿り着き、静かに声をかける。
「そのお相手とは、もしや…」
「薫子」
短く薫子の言葉を遮ると、圓月はほんの少しの寂しさを含んだ笑顔で目を合わせた。
「言わないでくれ、分かってる。分かってるんだ」
「圓月様…」
(なんて顔してるんだ)
あまりの悲痛な微笑みに、薫子まで胸が締め付けられる。
「あいつの中にもう俺は居ない。どこにも無い。…今更どうこうしようなんて思ってねぇ」
「どこにも無いなんて、そんなバカな…」
薫子は否定しようとしたが、圓月の表情を見て、何かが違うと確信する。
「……どういう、事でしょうか」
圓月は何かを察した薫子に「そうだなあ」と呟いて壁から離れた。
「……あいつはお前と同じだ。輪廻の変則で生まれた、魂の欠片が残った人間」
「えっ」
薫子は思わず目を見開く。圓月はふっと微笑むと、優しくポンと薫子の頭を撫でて居間へ歩き始めた。
 (魂の欠片が残った人間、それは即ち生まれ変わりという事)
薫子以外にもそのような人物がいると分かっていたが、まさかここまで近くに居るとは思わなかった。
 しかしこれで一つ、見え隠れする可能性が薫子の頭をよぎる。
(生まれ変わり、変わらない想い)
「あいつの中にもう俺は居ない…」
薫子は圓月の言った言葉を復唱しながら饅頭を見つめた。
 今の話から察するに、恐らく彼女は生前圓月とのえにしがあったのだろう。その時恋仲だったかどうかわからないが、少なくとも互いに想い合っていた筈だ。でなければ圓月の発言に説明がつかない。
 しかし、普通の人間ならば百年と持たずに死に別れる。きっと圓月はそれを承知の上で彼女を愛していた。だからこそ、今のこの状況が彼にとっては辛いものである。
(自分はずっと好きで、長い間想って生きてきた。しかし再会した彼女には、自分との記憶が無かった)
きっとそんな所だろうと薫子は思う。彼女にどれほどの生前の記憶が残っているのかはわからない。覚えている量や質も、人それぞれなのだろう。
 だが、今の今まで圓月に対してなんの反応も示していなかった事を考えれば、おのずと分かってくる話だ。
(圓月様との記憶は、受け継がれていないのかもしれない)
時に運命とは残酷なものである。誰も悪くないが故に、この状況がとても痛々しかった。



(……本当に、圓月様のことを覚えていないのかな。史さん)
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