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第二章
第十八話 輪廻転生
しおりを挟む「……これがお主が気を失った後に起きた全てじゃ。桜花の魂は渡し人が回収し、亡骸は村のもの達が連れ帰った」
十六夜が詳細を話すと、茜鶴覇は目を見開いたまま俯き、黙ってしまう。
「……茜鶴覇。今お主に何を言ったところで、わしらの言葉はひとつも届かぬだろう。もう暫く療養に重きを置くといい」
暗い面持ちで十六夜は立ち上がり、風牙達に目配せで部屋から退室するように指示を出した。各々が立ち上がり、心配そうな視線を茜鶴覇の背に向けて去っていく。
「茜鶴覇、今は辛かろう。世界から色が消え、光が失せ、音も言葉も届かぬのだろう」
部屋を出る前にそう言うと、十六夜は茜鶴覇を振り向いた。
「じゃがこれだけは勘違いしてはならぬ。桜花はお主に痛みを味合わせる為に生かしたわけではない。半永久的に続くお主の生涯が終わるその時、幸せだったと言えるように生きて欲しくて、お主を生かしたのじゃ」
十六夜は俯く茜鶴覇の背にそう言葉を投げかける。
「すぐ立ち上がれとは言わん。しかし桜花の命と願いを呪いとするか、祝福とするかはお主次第じゃよ」
相変わらずピクリとも反応しない茜鶴覇の背中。十六夜はその様子を見て、視線を下に落とす。
「……今は体を休めろ。また来る」
十六夜はそれだけ残すと、静かに襖を閉めた。
残された茜鶴覇は自身の胸を震える手で撫でる。そこには清潔な布が巻かれていた。シュルリと解くと、そこには生々しい傷跡が左胸に残っている
「………」
茜鶴覇は胸に手を置き、背中を丸めた。ドクドクと脈打つ心音が手のひらに伝わる。桜花の命と引き換えに動いている心臓は、「生きている」と強く鳴っていた。
「………ッ……う」
ボロボロと堰を切ったように溢れる涙が布団に滲みていく。守ると誓った筈の愛しい人は、茜鶴覇を救うためにその身を投げ出した。そして今手元に残るのは、この消えることの無いであろう傷と、彼女の残した神力だけ。自分に対する後悔と憎しみで、茜鶴覇は胸が張り裂けてしまいそうだった。
暫く泣き続け、涙も拭わずふと庭を見る。縁側から春の風が優しく吹き込んでは若葉の匂いを置き去りにしていた。
茜鶴覇はフラフラと布団を出て、裸足で庭に降りる。どこから舞い込んだのか、桜の花びらが一枚小池に浮かんでいた。
「………」
茜鶴覇は小池に入り、その花びらを拾う。小さなその桜は、水に濡れても尚美しい色をしていた。
「……お前は、こんな私を見てきっと、腹を抱えて大笑いするんだろう」
そうボソリと呟く。目頭が熱くなり、涙が再び頬を伝って落ちた。
「笑いたくば笑っていろ。私は……お前が笑顔で居られるのなら何でもいい。……何だって、良かったんだ」
バシャと水の波紋を広げて膝をつく。短くなった髪が視界の端で大きく揺れた。
「……だがお前が望むのなら、私なりにこの世界と向き合おう。桜花、お前が救ってくれたこの命で」
茜鶴覇はそういうと桜の花弁に口付けをし、そのまま飲み込んだ。水面に映った己の顔は、涙で酷い顔をしている。
茜鶴覇は目を閉じて立ち上がると、その反動で揺れ動く水面から視線を反らし、空を見上げた。
酷く美しく、透き通った青がどこまでも続いている。自分の心と正反対すぎるその空模様に、茜鶴覇は嘲笑するのだった。
「……約四千年前に起こった事は、これで全てだ。私達全員、懴禍とは最悪といってもいい縁で繋がっている」
茜鶴覇はそういうと、すっかり冷めきった茶の水面を見つめてそう言った。薫子は握りこぶしを強く握りしめたまま暗い顔をしている。
薫子の顔を見たあと、十六夜は眉間にしわを寄せて顔を伏せた。
「……薫、お主はこの四千年前に起きた事象に大きく関わっている。無関係とは到底言い難い」
「……私が、ですか?」
薫子が聞き返すと、その場にいた全員が肯定の意味を持って黙り込んだ。十六夜は覚悟を決めたように口を開く。
「お主の魂は四千年前、死んで輪廻へと還り、溶け別れた筈の桜花の魂なのじゃ」
その発言に薫子は目を見開いて硬直した。
「輪廻へ魂が還ると、個としての自我や形は失われ、全てが一つになる。これが輪廻の輪といわれるものだ。しかし稀に魂が全て溶けきれず、一部分残ってしまう事があるのじゃ。そういった人間たちは、僅かではあるが前世の記憶を引き継いでおる」
十六夜は袖の中で腕を組んで話を続けた。
「……しかしお主の場合、一部どころか桜花の魂はその一切を欠く事なく保ったまま、再び現し世に薫子として生を受けている。しかも容姿や声音までもが生き写しの様に同じというのは、今までに前例がない」
十六夜がそう説明すると、薫子は俯く。その話を聞いて、どこか腑に落ちる事はあった。どうして社を懐かしいと思うのか、何故皆自分の顔を見て驚愕の表情を浮かべたのか。それはそうだ。四千年前目の前で死んだはずの女が、容姿だけで無く魂まで瓜二つで現れたのだから。
ただ、薫子は複雑な気持ちだった。皆が薫子に良くしてくれていたのは、自分越しに桜花を見ていただけにすぎないのかもしれない。そんな予想が頭を過ぎる。
薫子はちらりと老婆の顔を見る。彼女も暗い顔でこちらを見ているので、薫子が桜花の生まれ変わりだという話もすでに聞いていたようだった。
「……じゃあ、皆さんが私を助けに来てくれたのも、心配して頂いていたのも、全て桜花さんのお陰だったんですね」
そう言うと十六夜が察したのか口を開く。
「薫、わしらは…」
「……あ、お茶。冷めてしまってるので私新しく淹れてきます。皆様、私のわがままで会議を止めてしまって申し訳ありませんでした。そしてお話くださってありがとうございました。失礼します」
「薫子…!」
蛇歌が呼び止めるも、会釈だけ残して足早に出ていった。残された十六夜達はただでさえ重い空気の中、暗い面持ちで息を吐く。
「……そりゃそういう風に取られるわな」
「ああ…」
圓月は後頭部を掻きながらそういうと、隣に居た嶄も頷いた。
「確かに俺たち全員、あの娘を見て桜花を重ねてしまったのは事実。無意識に彼女を通して桜花を見ていた時だってあっただろう」
風牙が冷静にそういうと、六花が口を開く。
「彼女からは、私達への敬愛を強く感じます。同じ物を返したとしても、今は全て桜花殿への情だと思って一切受け取って貰えないでしょう」
「こういう所も桜花そっくりだねぇ、薫子は。なんとも頑固な娘よのぉ」
少し呆れ混じりに言うと、蛇歌は茜鶴覇を見た。
「茜鶴覇、あんたが薫子と話してきな。今まで散々真実を隠して後回しにして来たんだ。ちゃんと向きやってやるんだよ。何かあってからじゃ遅いんだ。四千年前と一緒で」
そう言うと、茜鶴覇は「そうだな」と呟いて立ち上がる。さらりと純白の髪が揺れた。
「一度、皆休息を取ろう。一刻後、再びここの部屋へ。よいな」
皆が頷いたのを見て、茜鶴覇は薫子が行ったであろう台所へと向かう。どこか吹っ切れたような表情を浮かべた茜鶴覇を見送り、十六夜は小さく安堵の息吐いた。
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