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第二章
第十五話 命と命
しおりを挟む桜花の目の前に映った茜鶴覇の姿。彼の左胸には、本来貫くはずのない人間の矢が深々と突き刺さっていた。左肩甲骨の辺りから血のシミがじわじわと広がっていく。
「あ、かねづるは」
声が上手く出ず、掠れて震えた声音で彼の名を呼んだ。しかし茜鶴覇はその声に反応する事無く、ぐらりと体を揺らす。
「茜鶴覇…!」
ハッとした桜花は後ろに倒れ込む茜鶴覇を支える様に抱きしめ、その場に膝を着いた。すぐに自分が着ていた上の着物を脱いで肌襦袢だけになると、茜鶴覇の頭の下に着物を入れて寝かせる。
圓月は介抱する彼女の背後で再び矢を構える男を見て、咄嗟に突風で吹き飛ばして失神させた。
十六夜は茜鶴覇の状態を遠目に見ると、すぐに懺禍を確認する。
「ハハハ、やった、やりやがった……!やっぱお前はそう言うやつだよなァ茜鶴覇ァ!俺の期待通りの男だよ‼くだらねぇ!」
身体を震わせて大笑いしながら、懺禍は燃え盛る炎の中から出て来た。そして茜鶴覇が手から離して地面に突き刺さった鳳凰刀を引き抜く。懺禍は手に黒炎を纏っているからか、発火する事無く刀に触れていた。
「まずい、懺禍から刀を引き離せ!奴を刀と共に社から出してはならぬ‼」
十六夜は血相を変えて叫ぶと、爪雷と風牙が左右から攻め込み、跳び上がった嶄が金棒で脳天目掛けて叩きつける。しかし巨大な火柱が上がり、三人はその場で焼かれ、吹き飛ばされてしまった。爪雷達は少し離れた地面に叩きつけられて倒れる。黒い煙が体中から立ち上り、肌が焼けただれてしまっていた。
「これだ、これこそが俺が追い求めていた刀…!全てを焼き尽くす火炎は、俺が持つのにふさわしい!」
愛おしそうに刀身を見つめながら懺禍は興奮気味に呟く。そして大火傷を負って地面に横たわる爪雷達を見た。
激しく咳き込み、肩で息をする三人の命の危機を感じた雀梅は、すぐに橙色の炎を大量に飛ばす。それを見た懺禍は雀梅の炎を、鳳凰刀の炎で飲み込んで焼き尽くした。
「もうさせねぇよ、朱雀。散々回復させやがって。お前は必ず俺が殺してやるから、出しゃばってねェで大人しくしてろ」
「……」
雀梅はグッと眉間にシワを寄せ、彼女を庇う様に圓月が一歩前に出る。
鳳凰刀の炎は太陽その物。天照大御神がその手で生み出し茜鶴覇に与えたものである。その火力は一瞬で地水火風全てを灰にしてしまうのだ。そして今その刀を持っているのは懺禍。彼の黒炎も混ざっているので、爪雷達はかなりの重傷である。
最悪すぎる状況に皆の顔色が悪い。それを見て愉快なのか、懺禍は一人でゲラゲラと笑った。
「ついでだ、守護神の一角は今日で崩れる。俺は優しいからなァ、すぐにお前ら全員も後を追わせてやる。精々向こうで仲良しこよししてろよ」
そう言うと、懺禍は刀身に赤黒い炎を纏わせて爪雷達の方へ歩いて行く。
「おい、立てるか?嶄」
「なんとか…。つっても立つのが精一杯で動けそうにないですね」
爪雷は近くに倒れていた嶄に声を掛けて上体を起こした。同じ妖力を持つあやかし故に爪雷や風牙程の傷は負っていないようだが、鳳凰刀は神器である以上嶄にもきつかった様だ。爪雷は少し離れた場所に横たわり、起き上がろうと奮闘している風牙を見る。三人の中で一番の重傷を負ったのか体中焼けただれ、血まみれだった。
爪雷は舌打ちをすると、自身の膝を押して立ち上がる。
「ほお、立つか?」
「……立っちゃまずいか?」
「いいや、何も。ただ死にかけの虫が足掻いているようにしかみえない」
「神を虫呼ばわりたァ、光栄なこって」
バリバリと音を立てて雷を両腕に込める爪雷。十六夜は目を見開いた。
「馬鹿者、回復に集中せぬか‼」
しかし十六夜の言葉はもう彼の耳には入らない。
「来いよ懺禍、雷で焼いてやる」
「くだらねぇ冗談は嫌いじゃねぇよ」
懺禍は挑発と知りながらも爪雷に乗る。炎を纏った刀を振り上げ、大きく振り抜いた。飛び出した斬撃は鳳凰刀本来の美しい赤に、黒く禍々しい炎が混じっている。
「爪雷、逃げろ……ッ」
視界の端で血だらけの手を伸ばして叫ぶ風牙が見えたが、爪雷は構わず炎の中に突っ込んでいった。
だがここで、思いがけない方向から更に戦況に変化が起こる。
「好き勝手やってんじゃないよ」
上空から凛とした女の声が聞こえたと同時に、巨大な水蛇が落ちて来た。蛇が炎を喰らい、爪雷の身体を保護する。そして地面に着地した衝撃で飛び散った水が、辺りの火を沈めて湿度を元に戻した。
全員が上空を見上げるとそこには白い毛並みの虎が居り、その背に数人の人影が目視できる。
「天大蛇…!」
風牙が息絶え絶えで名を呼ぶと、走り寄ってきた十六夜も口を開いた。
「武静、虎文…」
虎が地上に降り立つと、背に乗っていた武静と虎文が十六夜の元へ駆けつける。
「申し訳ございません。思いの外あやかしの数が多く、手間取ってしまいました」
「こちらも同じ感じです。面目ない」
武静が胸に手を当てて軽く頭を下げた。その隣で決まずそうに虎文も謝った。
「よい、今は懺禍が優先じゃ」
「承知」
二人は短く返事をして懺禍を見る。武静はその場で両手を地面に着き、虎文は空へ飛びあがった。目を細めた武静は口を開く。
「数々の我が主たちへの無礼、今ここで償ってもらう」
その途端、懺禍が立っていた地面が大きく波打ち始めた。何かを察したのか、その場から跳躍して懺禍は離れる。しかしその先には虎文が待ち構えていた。
「俺は一度、お前とサシで戦って見たかったんだけどな。今はそうも言ってられなさそうだ」
風を纏わせた拳を握り、宙を殴る。するとそこから竜巻の如き風が噴射され、懺禍は地面に叩きつけられた。
武静は地面を大きく波立たせると、懺禍を球体に包みこむ。そして両手を合わせ、思いっきり握った。ドンという鈍い音が鳴り、土の球体は一回り以上その質量を小さくさせる。
だが勝利には程遠かったらしい。球体にひびが入り、その隙間から火炎が吹き出る。
「離れろ!」
十六夜がそう指示を飛ばすと、飛竜と圓月がそれぞれ爪雷と風牙を抱えてその場を離れ、狐の耳と九本の尾を生やした男が、嶄の巨体を支えて立ち上がった。
「ようやく帰って来やがったな、火響」
「今再会を懐かしむ余裕はありません。舌を噛みたくなければ黙ってください」
火響は力なくケケケと笑う嶄に容赦なく言うと、軽々とその巨体を支えて後ろへ飛ぶ。
その瞬間、岩の様に硬くなった球体が爆発し、瓦礫が勢いよく弾けた。六花と武静が全員の前に滑り込み、各々の力で壁を作り上げる。そのおかげで誰も怪我は無かった。
「この程度で俺が、俺の炎が消えるとでも?」
喉が焼ける程の火炎が吹き上がり、水蛇のおかげで保たれていた湿度が再び乾燥していく。巨大な水蛇の体表からは、蒸気が上がっていた。
しかし、そんな彼の目の前に立ちはだかる影が炎に照らされて揺れる。日が落ち始め、薄暗くなった空とは反比例し、庭は炎で昼間の様に明るかった。
橙色の炎に照らされた黒髪を、鬱陶しそうに肩から後ろへ払いながら女は目を細める。
「炎を振りかざしてアタシの前で暴れるとは。怖いもの知らずもいいとこだ」
そう言って妖艶に微笑むのは、天大蛇命だった。彼女の指示なのか、後ろに連れていた水蛇が数匹、大火傷を負った三人の肌を冷やしに向かう。
「水がどうした。鳳凰刀は全てを灰にする刀。水すら俺の敵ではない。失せろ」
「ああ、その通り。鳳凰刀に半端な水は効かぬよ。だがそれは、持ち主が茜鶴覇である時のみだ」
そう言うと、懺禍は眉間にシワを寄せた
「たかだか三千年かそこらしか生きておらぬ小童が舐めくさりおって」
天大蛇命は挑発するような笑みをやめて袖を口元に当てる。そして影を宿した瞳で懺禍を睨めつけ、口を開いた。
「刀の扱いも、力量の測り方も、全てが未熟で無知である貴様が、何故水神に勝てると思うてか」
天大蛇命は周囲に水を漂わせ、腕を上げる。
「水は、時に刃となる」
そう言って腕を振り下ろした直後、上空から流星のように数多の水の塊が落下してきた。懺禍は鼻で笑って隕石の如き水の塊を弾くが、その勢いは刀で緩和されたというのに地面を抉って穴を空ける。それを見て懺禍は少し目を見開いた。
「どうした。自慢の刀と炎で弾いて見せよ」
「……はは、いいねぇ。その最高に苛立つ感じ、茜鶴覇のようだ」
「あんな男と一緒にするな、気分が悪い」
天大蛇命は心底嫌そうな顔をし、控えていた巨大な水蛇を懺禍へ放つ。懺禍は空から無数に降り注ぐ水を避け、水蛇に向かって刀を振った。
水蒸気の爆発が起こり、視界が一気に悪くなる。その熱量に目を細めた後、圓月と虎文が風で蒸気を吹き飛ばした。しかし、そこに懺禍の姿は無い。
上空から馬鹿にするような笑い声が聞こえ、全員がその場で見上げる。そこには新たなるあやかしの軍勢が到着しており、懺禍は手下のあやかしの背に乗っていた。
「てめぇらがどう足搔こうと、茜鶴覇は死ぬ。刀も俺の手にある。俺の目的は果たせたんだ。後はてめぇらをこれからジワジワ殺していってやる」
そういうと、彼方へ飛んでいく懺禍。
「逃げる気かアイツ…!」
「雀梅、あいつ逃がさない」
虎文と雀梅が後を追いかけようとしたが、近くに居た火響が二人を止めた。
「深追いは辞めた方が良いです。あの数のあやかしを相手しながら追いかけるのは至難の業。無謀としか言えません」
「……わかった」
雀梅は炎の大刀を霧散させて諦める。虎文も一理あるのか踏みとどまった。
「虎文、雀梅。お主らも来い!」
十六夜の呼び声がし、二人はすぐに表情を変えて走っていく。向かった先では既に武静と飛竜が集っていた。
「今から簡易的な結界を張る。お主らの力を貸せ」
十六夜が印を結びながら指示を出すと、四人は胸に手を当てて頭を下げる。そして片手を地面に着け、神力を地中へと流した。十六夜が最後に地面へ手を付けると、地中から白い膜が上がり、社全体を一瞬で覆いつくす。外に居るあやかしは結界に突っ込んでは弾き飛ばされているので、ひとまず多勢で攻め込まれることは無いだろう。
「私と虎文は外のあやかしの迎撃に向かおう。雀梅は茜鶴覇様と桜花殿の元へ、飛竜は爪雷殿達の元へ」
武静が四神に指示を出すと、四人はすぐに散開した。
近くにいた圓月は雀梅と共に茜鶴覇の元へ急ぐ。
「おい、茜鶴覇…!」
声を掛けて走りよると、桜花が振り返った。
「……圓月、どうしよう。私の力じゃ傷が塞げない」
「は……?」
桜花の神力は傷や病の回復に特化している。一瞬では治せないが、それでも時間があれば大抵の傷は癒すことが出来るのだ。その力が効かないとなると、何かの術が茜鶴覇に掛けられたと考えるのが自然である。
「雀梅の炎、弾かれる…!」
雀梅も癒しの炎を茜鶴覇に溶かそうとしたが、拒絶されているのか、体に入って行かなかった。浅い息を繰り返す茜鶴覇を観察し、雀梅は矢を見る。
「この矢、何かある」
出血をこれ以上出さぬ為に抜かないでいた矢に、雀梅は手を伸ばした。しかしその指先が触れる前に、彼女の腕を十六夜が後ろから掴んで止める。
「全員、この矢に触れるな…!」
「十六夜様…」
何事かと目を見張る雀梅。十六夜の目は絶望の色を宿していた。
「この矢……。鏃に神殺しの実の毒が塗られておる。体内に入れば最後、神の命は尽きる」
「……」
余りの衝撃に桜花は硬直する。
「即死して居らぬのは、こやつの強すぎる神力と僅かな桜花の治癒の力で命を繋いでいるだけに過ぎない。いずれ……神力は尽きる」
十六夜は顔を歪めてその場に膝をついて座った。それを聞いた爪雷が、飛竜の支えを外して近寄る。
「そんな、嘘だろ茜鶴覇。そんな毒で……お前がやられるなんて…」
冷や汗をだらだらと流し、顔面蒼白で呟く。
「俺は、認めないぞ…茜鶴覇…ッ」
そう言いながら胸を押さえ、膝から崩れ落ちて激しく咳き込む。冷やして応急処置を下とはいえ、やはり重傷でしかない。
「…!」
雀梅はすぐに爪雷達の身体に炎を溶かす。火傷は完全には癒えなかったが、それでもだいぶ楽になったようだ。
「圓月、どけ」
天大蛇命は圓月を下げると、桜花の隣に座って茜鶴覇の手首と首筋を触り、刺さった矢の傷を撫でる。
「……十六夜の言う通り、即死並みの毒が回っている」
天大蛇がそっと腹の上に手首を置くと、その後ろに居た圓月が口を開いた。
「何か方法は…」
「無い。この毒を解毒する方法は生み出されておらぬ。この毒に触れれば、先にあるのは死あるのみじゃ」
十六夜が天大蛇命の代わりに答えると、圓月は絶句する。
静まった全員の重い空気の中、桜花がゆっくりと口を開いた。
「……方法は、無いわけじゃ無い。そうだろう?十六夜」
「……」
十六夜は否定せず、視線を下げている。
「私はそれに掛ける」
桜花がそう言うと、十六夜はシワを寄せて目を合わせた。
「ならぬ、許さぬぞ桜花」
「なんだ、どういうことだ。策があるのか?」
圓月が訊ねると、十六夜は酷く言い辛そうに答える。
「……桜花の言う通り、あるにはある」
「なら―――…」
「が、それは出来ぬのじゃ」
意味が分からないという面持ちで圓月や爪雷達が十六夜を見つめた。桜花はその先を話し始める。
「私の神力で、神殺しの実の毒を封印するんだ」
「……それのどこがダメなんだよ。十六夜、お前……茜鶴覇を見殺しにするつもりか?」
青筋を立てた爪雷が言うと、十六夜はギリッと歯を噛みしめた。
「そこらの邪気を封印するのとは大きく違う。神殺しの実は、絶対的な神の天敵。その力は見ての通りじゃ。それを封印するとなると、桜花の身体もただではすまぬ」
十六夜の説明に、天大蛇命は段々と察して来たのか「なるほどねぇ」と苦虫を嚙み潰したような顔で茜鶴覇を見る。
「桜花は人間だから、アタシ達みたいに触れてどうこうなるわけじゃない。でも、自身の神力で触れるとなると話は大きく変わって来る。即死はしないだろうが、十中八九……桜花は死ぬ」
それを聞いて全員桜花を見た。だがある程度分かっていたのか、桜花の表情は何も変わらない。
「でも他に救う方法は無い。私はやる」
「馬鹿を言うな。許すはずなかろう」
「馬鹿はどっちだ十六夜。茜鶴覇をこのまま見殺しにするという事がどういう事なのか、分からないお前じゃないでしょ」
十六夜を桜花は睨みつける。しかし十六夜とて譲るわけにはいかない。
「神殺しの毒は厄災そのものじゃ。それをお主一人が取って変わるなど、無謀以外の何ものでもない。悪い事は言わん、よせ。最悪お主も死んでしまうぞ」
そう言うと、桜花は茜鶴覇の大きな手を握りしめる。
「茜鶴覇はこの先の未来、絶対に必要な存在だ。それは皆だってわかるだろ?百年も持たない人間の命よりも、茜鶴覇を優先させるべきだ」
「……」
十六夜は唇を噛みしめて何も言わない。他の者達も否定が出来なかった。
「情がある故に引き留めてるんだったら、私は今ここでその情の一切を切り捨てる」
あまりの覚悟の強さに、十六夜は己の中の葛藤を一瞬表情に出す。しかし迷っている間にも、茜鶴覇の命は刻一刻と終わりへと歩を進めてしまう。
「……わかった」
そして遂に、十六夜は細い声で答えた。顔色は青ざめ、今にも泣きそうな表情をしている。桜花は彼を見て少し笑うと、十六夜の頬に手を伸ばして引き寄せた。コツンと額同士を合わせると、桜花は口を開く。
「ありがとう十六夜。きっとこれから先茜鶴覇は、ずっと寂しい思いをして生きていく。だから彼を一人にさせないで傍に居てあげてね」
十六夜は目を閉じて頷いた。
「……約束しよう」
「ハハ、任せた」
桜花はその会話を最後に矢を掴む。そして目を閉じ、自身の神力を鏃へと伝わせた。白い光が周囲を包み込み、茜鶴覇の傷口から溢れた神力が、爪雷達の癒えきっていなかった傷を治していく。
意識が段々薄れゆく桜花は茜鶴覇の顔を見ると、太陽のような笑顔で口を開いた。
「茜鶴覇、どうかお願い……幸せに生きて」
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