桜咲く社で

鳳仙花。

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第二章

第十話 兆し

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―――境内正面の庭中央。

 「避けるだけかァ?どうした茜鶴覇」
妖力を黒炎に変換させ、それを腕に纏っている懺禍。
「まさかてめぇ、周りの雑魚を気にしてんのか?」
その問いかけに茜鶴覇は身をひるがえし、懺禍の鳩尾へと肘を入れる。しかし寸での所で防がれ、腕を掴まれてしまった。
「やっぱりな、らしくねぇ戦い方すると思ったら…。構わず力出せよ茜鶴覇。俺はお前を殺したいんだ。力を出せねぇ弱者を痛ぶりに来たんじゃねぇ」
「ほお…?ならばあれはどう説明するつもりだ」
「あれ?……ああ、人間どもと大天狗たちの事か」
茜鶴覇が言った意味を理解した懺禍は、心底どうでも良さそうに首を傾げる。
「俺が欲しいのはお前の首なのに、他の連中が邪魔しに来たら面倒だろ?」
茜鶴覇は目を細めて神力を腕に流した。更にグッと押すと、懺禍は半歩下がる。
「その為のあれだ。鬱陶しい麒麟きりんや風神共を留め置くにはぴったりじゃねぇか。人間に情けを掛けるお優しいここの連中は、奴らがゴミの様に混じってるだけで神力を使わねぇんだから」
ケタケタと笑う懺禍。茜鶴覇は右足を軸にして回転すると、その勢いで懺禍の脇腹を突いた。その衝撃で掴まれていた腕の力が緩み、懺禍の腕を振り払う。そして数歩下がった懺禍の顔面に、間髪入れずに炎を纏った拳で殴った。
 しかし。
「なんだ?あったけぇな。ようやくそれ使いやがったか」
鼻血が少し出ただけでほぼ無傷。想定内だったのか、再び腕を掴まれる前に茜鶴覇は腕を引いて距離を取る。
「おいおい、辞めちまうのか?もっとやれよ、なァ‼」
目を見開き、口角を上げた懺禍は追撃する為突っ込んで来た。黒炎を纏ったその拳を茜鶴覇は目先ギリギリで躱し、懺禍の肘に手刀しゅとうを打つ。先ほどよりも強く込められた神力により、肘の関節からはギシギシという軋むような音が聞こえた。
 懺禍は大きく身を翻すと、茜鶴覇の肩を片手で掴んで放り投げる。鬼の腕力は凄まじく、茜鶴覇は屋敷の方まで吹っ飛ばされた。柱に背を激しく打ち付け、一瞬体がガクッと落ちる。横目で一瞬桜花を見ると、迫ってきた懺禍の拳を弾いて屋敷から離れた。
「もっとだ、茜鶴覇。もっとやれ!」
懺禍はそう言いながら更に黒炎の火力を上げる。茜鶴覇もやむを得ず手に炎を纏わせたが、懺禍の言った通り周囲に被害を出さない程度の火力だった。
 桜花はその攻防戦を横目に見つつ、怪我人の手当てを繰り返す。皆重傷とまではいかないのが幸いしたのか、今の所茜鶴覇こちら側の人間達に死人は居ない。的確な村長の判断や指揮が、最悪の事態を未然に防いでいるように思う。
 「……茜鶴覇」
桜花は心配そうに小さく呟いた。人間自分達が居るから茜鶴覇達は力を出せていないのだ。むやみやたらに力を解放すれば、人間はひとたまりもない。下手すれば社諸共塵となる。
 しかし人間を全員社から出そうとしても、それはそれで無理な話だ。あやかしが参戦した事で今戦況が逆転している。息を吹き返す神否抗派の士気に、村の男達は押されつつあった。再び雲行きが怪しくなる。
 桜花は庭を見渡した後茜鶴覇を見た。相変わらず激しく攻防が入れ替わっていたが、茜鶴覇が押されているのは火を見るよりも明らかだった。
「何度も言わせんじゃねぇ、本気でやれっつってんだろうが」
「…!」
茜鶴覇が懺禍の腕を弾いた時、逆の手で胸倉を掴まれる。そしてその手の黒炎を狩衣かりぎぬに伝わせた。茜鶴覇は素早く掴まれた着物を大きく裂いて離れる。懺禍の手に残った布切れは、不気味な黒い煙を出して塵になった。
「へえ、良い動きするじゃねぇの」
懺禍はニヤリと笑い、手に残った塵を空気に溶かす。茜鶴覇は裂けてあらわになった胸元に手を当てた。少しだけ火傷を負っている。茜鶴覇はすぐに自身の神力で回復させ、冷や汗を頬に伝わせた。
 このままでは泥沼状態でしかない事は、茜鶴覇は勿論他の者達も分かっている。だからこそ、足手纏いの人間を少しでも押し出そうと、村の男達が体を振るいだたせた。桜花が治療し終えるか否かの男達まで戦線へ走っていく。
 その様子を上空で見ていた大天狗は、いつまで経っても心居れぬ茜鶴覇達に痺れを切らしたのか、背後に巨大な竜巻を呼び起こした。
「虫けらが…。全てを巻き込んで引き裂いてやる」
そんなものを社に放たれては困るので、圓月は急いで止めに掛かる。だが行く手を黒鳥に阻まれ、身動きが取れなくなってしまった。
「まずい…」
珍しく焦りの表情を見せた圓月は、地上に向かって力の限り大声で叫ぶ。
「てめェら逃げろォ‼」
その声で、戦いに夢中になっていた人間達はようやく慌て始めた。しかしもう遅い。竜巻は周囲の風や木、岩を巻き込んで巨大化しながら突進していく。
「!」
茜鶴覇と十六夜はそれを見て止めようと動くが、その先を互いの敵に阻まれてしまった。
「お姉さん、拙者の後ろに…!」
恐怖が滲む青白い顔で少年は桜花の前に立つ。手に小さく風を纏わせ、しっぽを足の間に入れている。
「…わっ」
桜花は下唇を噛みしめ、少年の手を引いて抱きしめた。自身の背を盾にするように。
 やがてバキバキと社の木々が折れ、人間達の身体が風に引きずられ始めた。その時。
「何…?」
凄まじい轟音が山中を駆け巡る。竜巻は、渦潮のような巨大な水流に相殺そうさいされた。豪雨のように山に弾けた水が降り注ぎ、大天狗は信じられないと言わんばかりに声を漏らす。竜巻の事もあるのだろうが、今は相殺した相手に驚いているようだった。
 やがて振っていた水が止み、橙色の明るい炎が蛍の様に漂って村人や十六夜達の身体に溶けて行く。その瞬間、負っていた傷が全て塞がり始めた。
 上空を見上げると、水と炎で各々足場を作った男女が庭を見下ろしている。
 一つに結んだ青髪に死んだ魚のような目、左の袖が無い着物に袴といった風貌の男には、はだけた胸元に『東』という紋様があった。彼の足元には水の足場があるので、竜巻を消し飛ばしたのはこの男で間違いない様だ。
 その隣には白い頭巾の着いた外套を羽織る女がいる。小柄な体で、黒髪に真紅の目が特徴的な容姿をしていた。赤い袴に孔雀青の着物という派手な服装とは逆に、無表情で感情の読み取れない静かな瞳をしている。彼女の周りには地上で漂う炎と同じものが浮かんでいた。二人とも額に同じ朱殷しゅあん色の組紐くみひもを着けている。
 「あ…」
桜花は目を見開いた。見覚えのあるその姿に、少しホッとする。
「何故あいつらが居る。計画では足止めをしている筈だろう」
餓者髑髏が歯をガチガチと鳴らしながら怒りを露わにした。その遥か上空では、黒鳥と大天狗も奥歯を噛みしめている。
 「無事じゃったか。飛竜フェイロン雀梅チュエメイ!」
十六夜はあやかしに雷撃を放って振り払うと空を見上げた。十六夜を見つけた二人は軽くお辞儀をする。彼らは神央国しんおうこくの東西南北をそれぞれ治める土地神であり、十六夜の直属の配下でもある。その東南を治めている青龍と朱雀が社に参上していた。
 「俺は人間達をどうにかする…」
「分かった。雀梅、圓月に加勢しに行く」
そう言うと二人は空中で別れた。飛竜は十六夜の元に降り立つと、すぐに地面に右手を着く。
 その瞬間、地面に広がった水溜まりが大きく動き出し、敵味方関係なく人間達を一人一人包み始めた。しかしここで大人しく捕らわれる神否抗派のではない。力の限り抵抗する。
「なんだこれは…ッ」
「くそ、捕まってたまるかァ!」
「出せ!ここから出せ‼」
水が渦巻く中、必死に足掻く神否抗派の人間達。村人たちは大人しくその場で成すがままになっている。やがて水は神否抗派の抵抗虚しく、人間達を閉じ込めて完全に球体になった。何故か桜花だけはそのまま取り残され、近くに居た男達も水の中に入って行く。
 残ったのが桜花を除く、人外だけになると飛竜は立ち上がった。
「中からは壊せない。しかし、外からも危害は加えられない」
十六夜はそれを聞いて口を開く。
「しかし、水じゃとわしと爪雷のいかづちは通ってしまうぞ」
「ええ……なのでこのまま凍結させます」
十六夜にそう答えると、飛竜は六花むつのはなと目を合わせた。そして指で合図を送ると、何となく状況を察した六花は餓者髑髏の腕を避けて距離を取り、両手を地面につける。水浸しだったせいか、庭は何十とある水玉ごと一機に凍結した。
 氷に足を取られる前に、十六夜達や一部を除いたあやかしは跳躍して氷の上に乗る。風の防壁内はそもそも水が弾かれているので、一切変化は無いようだった。中の様子は殆ど伺えないが、時折雷のような発光と舞い上がる土埃見えるので、風神雷神の兄弟は未だに元気な様である。
 「軽い凍傷を負うでしょうが、死にはしません。傷は雀梅様ならすぐに治癒できます」
軽い会釈をして六花にお礼をすると、十六夜と背を合わせた。
「これでひとまず、今よりはある程度力を出せるでしょう…」
やる気の無さそうな平坦な物言いでいう飛竜に、十六夜は口角を上げて「よくやった」と呟いた。

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