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第二章
第七話 優しさ故に
しおりを挟む天大蛇命と火響が戦闘を開始した同時刻。
村に居た桜花達が社へ戻ると、予想通り境内は大混乱に陥っていた。
「村長!」
「桜花!戻ったのか!」
暁を村長の居る側に着地させると、鞍から飛び降りる。老爺はすぐに気が付いて走り寄ってきた。暁は六花が降りると、すぐに裏庭へと離脱する。
「村は、皆は無事か」
「大丈夫。ピンピンしてた。結界もちゃんと張られてたから安心していいよ村長」
そう答えると安心したのか、老爺は農具を掲げて周りの男達へ叫んだ。
「村は無事じゃア!皆押し返せェ‼」
この言葉を待ちながら戦っていた村の男達は、一気に表情を明るくする。先ほどまで庭の真ん中まで追いやられていた戦線が、徐々に押し上げていくのが分かった。人は気持ち次第で力が変わるのだと桜花は再認識する。
そしてそれは同じ人間である神否抗派も例外ではない。
「押し返せ!」
恨みや憎しみが体を突き動かしているのだろう。戦線は動いたが、未だ勢いは収まらない。
茜鶴覇は、男達の防衛を抜けてきた神否抗派を突風で弾いて迎撃し、十六夜は木の枝に雷を纏わせて武器を弾いている。圓月は翼を大きく羽ばたかせ、人間達を風圧で吹き飛ばしていた。
「お主らも帰って来たか」
「よぉ十六夜。随分押されてんじゃねぇか」
雲から飛び降り、十六夜と背中合わせになった爪雷が話しかける。
「気をつけろ。奴ら皆邪気を纏っておる。舐めてかかると痛い目を見るぞ」
十六夜はそう言いながら、刀を振り上げて走って来る神否抗派の男達に軽い電撃を放った。ビリビリと感電し、痺れた男達は地に伏せる。その奥では嶄が何人もの人間を肩に担いでは放り投げ、六花は足元を凍結させて大勢の足を止めていた。それでも抜けて来る者達を風牙が竜巻のような風を起こして遠くへ押しやる。彼らが戦線に加わったことで、少し余裕が出てきたようだった。
桜花は、村長が前線へ男達と向かっていったのを見送り、後方に下がってきた怪我人の手当てを始める。完全に治癒している時間は無いので、神力を用いて応急処置だけを手早く済ませていった。
「わりぃな、桜花」
「何言ってんの。むしろ、茜鶴覇達の為にありがとう」
そう言うと、怪我をした村の男達は少し笑う。
「ここは桜花のもう一つの家みてぇなもんだろう?」
「そうそう。勿論ここに来たのは茜鶴覇様達の御身を守りたいってのもあるけどよ。桜花、お前の事も守りたくて来たんだ」
わしゃわしゃと肉刺だらけの手のひらで桜花の頭を撫でる男達。砂埃と泥で汚れた手だが、愛が沢山詰まった手でもあった。
「私を、守る為…?」
「ああ、そうさ。村の仲間が襲われそうになってて見捨てるわけねぇだろ」
「いつも茜鶴覇様やお前に助けられて生きてきたんだ。恩返しとでも思ってくれよ」
桜花が手当した男達はおもむろに立ち上がり、腕や首筋を伸ばす。
「おめーらまだ行けるよなぁ?」
「当たり前だろ。生半可な鍛え方してねぇぜ」
誇らしげに自身の上腕筋を見せる男。桜花は慌てて止めた。
「ちょ、怪我してるんだから安静にしてなって!」
「言ったろ、そんなやわな鍛え方してねぇって。安心しろ桜花。おめぇには絶対手出させねぇからよ」
「そうだそうだ、そこで大人しくしてろ桜花。行くぞお前らァ!」
雄叫びで返した男達は、やる気に満ちた顔で村長たちの援護へと走っていく。火事場の馬鹿力なのか、戦線は一時的ではあるものの、大幅な人員増大により大きく動いた。
少しずつ押し返し始め、だんだんと茜鶴覇側に形勢が傾き始めた頃。茜鶴覇に吹き飛ばされた数人の内の一人が、怒りで歪み切った顔で恨み言を呟いた。
「神のくせに……神のくせに…ッ。何故俺達を、救わないィ……‼」
その言葉に茜鶴覇は目を見開く。
「願いを叶えろ、神はその力を持ってるくせに、俺達には全く使わない、何もしない…ッ」
「俺はあやかしに家族を殺された!……まだ、二歳にもならない娘と愛しい妻を!なぜあの時助けてくれなかったんだ…‼」
「俺もやつらに畑を焼かれたんだ、金もねぇ俺たち家族にどう生きて行けって言うんだよッ」
「こっちはあやかしに山を荒らされて獲物が狩れねぇ。このままじゃ俺の家族は皆無一文だ!」
「どうにかしろよ、神なんだろう⁉俺達を救ってくれよ!」
「叶えろ、叶えろ!それができないなら、お前なんて……神なんて要らない!」
「お前ら全員消えてしまえ」
「今すぐ消えろ!この国から出ていけ」
「消えろ消えろ、皆消えてしまえ」
絶えることなく降り注ぐ罵倒に、桜花は怒りと悲しさで体が震える。噛みしめた唇が切れ、口の端から血が垂れた。
「…一体誰が」
怒りのあまり、騒ぎ立てる神否抗派に口を開く桜花。その瞬間、老爺の怒号が社中に響き渡った。
「貴様らァ‼一体誰が今まで国を支えて来たと思っとるんだァ‼」
あまりの迫力に騒いでいた男達は静まり、鬼の形相の村長は怒りで顔を真っ赤にする。
「荒れていた大地を豊かな土地に変え、気候を調節し、干ばつを防ぎ、蝗害を止め、寄り添ってくれた恩ある方に刃を向けるとは…‼貴様ら、恥を知れェ‼」
「…村長」
肩で息をする老爺の姿を茜鶴覇は横目で見つめた。
茜鶴覇は人に苦労を見せない。疲れていても決して口には出さず、仕事も黙々と進める。何かあれば直接現地まで赴いたり、自ら式神を出したりと日々忙しそうに国の民の為に動いていた。しかし全員が幸せな国はできない。誰かにとっての幸福は、誰かにとっての不幸にもなり得るからだ。そうして積もって行った怒りや悲しみ等の負の氣が、巡り巡って今茜鶴覇に刃を向けている。
しかし茜鶴覇は何も言い返さなかった。それを良い事に神否抗派は再び勢いを取り戻す。
「五月蠅い、黙れ…!幸せな老いぼれには分かるまい!元はと言えばあやかしをこの国で自由にさせていたからこうなったんじゃないか‼」
一人が言いだすと、他の者達も騒ぎ始めた。
「結局人間の事なんてどうでも良いんじゃないか‼ふざけるな!」
「過去の栄光を盾に民の事を考えられないようなヤツは、国の頂点には要らない!」
騒然となる境内。最早こちらの言葉を何一つ受け入れないつもりらしい。
桜花は茜鶴覇の背中を見た後、爪が食い込むほど握りしめていた手の力を抜いた。
「……あんたらは知らないだろうね。そりゃそうだ、目の前の事しか頭になくて、他人が苦労してることなんて微塵も考えない」
神否抗派の人間達に人として諦めたのか、桜花の言葉は怖いくらいに淡々としている。桜花は未だに騒ぎ立てる神否抗派を見つめた。
「あやかしに盾ついて殺されるのが恐ろしいから、全ての不幸を茜鶴覇のせいにしてるんだ。茜鶴覇達は自分たちを殺さないって余裕を持ちながらここへ攻めてきたんだろう」
図星なのか、神否抗派は怒り狂った面持ちで桜花の方を振り向く。しかしそこには、この世の何よりも冷たく、軽蔑した瞳で見つめる桜花が経っていた。その雰囲気に神否抗派は思わず冷や汗を垂らす。
「あんたらの言う通り、こいつらは……特にお前らが攻め立てている茜鶴覇は、馬鹿が着くほどのお人よしで優しいから、お前たちを絶対に殺したりしない。だけど、私は茜鶴覇ほど優しくない。村の人に、大事な人たちにこれ以上手を上げ続けるならもう容赦しない」
そう言って手に神力を集めて言うと、神否抗派はグッと顔を引きつらせる。桜花の目は本気だった。茜鶴覇や十六夜に遠く及ばないとはいえ、神力は神力。ただの人間にとっては脅威になり得る。
だが、神力を集約させていた手首をそっと握る人物がいた。
「桜花…」
隣を見上げると、そこには茜鶴覇が立っている。その瞳は酷く辛そうだった。
「お前の手は争いで汚してはいけない。私の事は気にするな。……だが、ありがとう」
「……」
やるせなさから桜花は視線を落とす。
桜花の手のひらから神力の光が消えると、神否抗派は引きつった笑みを浮かべて口々に言葉を飛ばした。
「そうか、その小娘も神のやつか。人間じゃねぇ」
「お前も神諸共消えちまえ」
「みんなみんな、居なくなっちまえ!」
背後から歪んだ空気を漂わせて一歩一歩近寄って来る神否抗派。村の男達は農具を構え直して立ちはだかる。茜鶴覇は桜花を自身の後ろへと下げた。
「てめぇら、何勘違いしてんだ?」
その時、感情が失せたような冷たい男の声音が庭に通る。
「…確かに茜鶴覇は甘々の甘ちゃんだ。てめぇらがいくら屑でも殺すことはねぇだろうな」
首筋を伸ばしつつそう言ったのは圓月だった。神否抗派は態度が気に喰わないのか眉間にシワを寄せている。
「いいか、一つ言っとくぞ。あやかしは人間の事なんざこれっぽっちも考えてねぇ。精々餌としてしか認識してねぇわ。そんな慈悲もクソもない俺達が殺さねぇと、本当に思ってんのか?」
そう言う彼の背後には、嶄と六花が立っていた。二人も冷たい表情のまま控えている。
「俺達はあやかし、神じゃない。てめぇらを地獄に落としたあやかしと何一つ変わらねぇ。俺達は別に今からここで皆殺しにしたっていいんだ。関係ないし心底どうだっていいからな、てめぇらがどうなろうと」
バンッと大きな音を立てて翼を開く圓月に怖気づいたのか、数人が下がった。
「どうするよ、ここで死ぬか?それとも尻尾撒いて逃げるか?」
思ってもない言葉をつらつらと当たり前の様に並べていく圓月に、桜花は口を出しかける。しかし茜鶴覇が桜花の前に手を出して止めた。
「茜鶴覇、あれじゃあ圓月が悪者になっちまう」
「……」
茜鶴覇は圓月をジッと見つめたまま動かない。彼を信じて口を出さない事にしたらしい。
「害獣どもめが…ッ」
「お前らあやかしも神と共に居なくなれ」
「お前達なんて誰も必要としてない」
「消えろ!消えちまえ!」
「お前らさえ居なければーーー…」
口々に言い始める神否抗派の言葉を遮り、圓月は青筋を立てて口を開く。
「話、聞いてたか?俺が出したのは選択だ。ここに置いてくモンを、信念か命か選ばせてやるって言ってんだ」
「貴様いい加減にしろ!ただの化け物の分際で調子に乗るなよ!」
神否抗派の老爺が唾を撒き散らしながら醜く吠えた。それに釣られるように他の者達も圓月たちへと罵倒を浴びせ、石を投げる。
「嗚呼、そうかよ。人間が力であやかしに勝てると思ってんなら、脳ミソが隙間だらけの空っぽなんだなァ。笑わせる」
圓月はそう言うと、飛んできた石を風圧で弾き飛ばした。倍の速度で跳ね返ってきた石に、神否抗派の人間達は身構える。その瞬間、上空から飛んできた風の刃が石を粉々に砕いて粉砕した。地面が抉れ、砂埃が一気に視界を覆いつくす。
その場にいた全員が驚愕の眼差しで上空を見上げた。巨大な黒鳥が社の上を飛んでおり、その背には人影が見える。黒鳥の隣には翼の生えた男が浮遊していた。
「おいおい、圓月よォ。選択肢ならもう一つあるだろうが」
燃える様に赤い髪と目を持った男が、ケタケタと笑いながら見下ろしている。圓月は翼で砂埃を吹き飛ばし、目を細めた。
「殺す、逃げる。残りは戦う。そうだろう?圓月」
不気味な男は自身の指を人差し指、中指、親指と出しながら見つめ、最後に圓月の方を向く。
「……懺禍、てめぇ」
顔を歪めて睨みつけた圓月。
黒鳥の上に居たのは今回の首謀者であろう男。あやかしの長、懺禍だった。
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