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第二章
第二話 四千年前の社で
しおりを挟む現在から遡り、四千年前。
「こら、ダメだろ!そんなとこ登ったら!」
社の一角で巫女の服を纏った黒髪の女が、木登りをする少年を叱っていた。真っ直ぐに伸びた髪は、綺麗に高い位置で結われている。
「大丈夫だよ、オラ村で一番木登り得意なんだ。この前も村で木の実取るの手伝ったんだぜ」
そう言っている間にも大きな木に登っていく少年。女は気が気でないらしく、声を掛け続ける。
「そんなこと言って、何かあったらどうすんだよ!危ないだろ!」
「何もないってばー!五月蠅いなぁ」
そう言って下に居る女を見下げた。
その時。
「うわぁ!?」
木に止まっていた鳥がバサバサと飛び出し、驚いて体勢を崩した少年は重力に従い真っ逆さまに落下する。
「馬鹿!」
女は青ざめて受け止めようと腕を広げたが、それよりも先に、少年の帯を木の上で掴んだ者がいた。空中で宙ぶらりんになった少年は、固く閉じていた目を開く。そして状況が分からず辺りを見渡すと、ある男と目線がかち合った。
「…あッ!」
「何をしている」
少年を救ったのは純白の髪が美しい、女神の如き顔の男である。
少年はその男と目が合うと同時に、いたずらが見つかったと言わんばかりに血の気を引かせた。
「こ、これは…」
「言い訳なら下で聞く」
それだけ言うと男はひょいと少年を抱き上げ、地上に飛び降りる。無重力のような身のこなしの男は、さらりと髪を揺らして女の方を見た。そこには仁王立ちし、鬼のような形相をした女がいる。その背後にはなにやら不吉な空気が漂っていた。少年は「うっ」と声をだして恐怖に身を固める。
「猿も木から落ちるって言葉、この前村長さんが教えてくれてたよなぁ」
「……ハイ」
少年は話しかけられた瞬間抵抗するのを諦め、表情を無にして頷いた。
「私危ないって、さっき言ったよなぁ」
「……ハイ」
「何か言う事あるだろ?」
「マコトニモウシワケアリマセンデシタ」
女の圧に負けて素早く謝罪する少年。女はその様子を見てため息を零し、彼の前に膝を着いた。
「いいか?人は転んだだけでも打ち所が悪けりゃ死んじゃうんだ。木登りするなとは言わないけど、あんまり高く上るんじゃない。そして、細心の注意を払って登る事。いいね」
「…うん、ごめんなさい」
少年は女に謝ると、隣に居た茜鶴覇を見上げる。
「あの……茜鶴覇様、助けてくれてありがとう」
「気にするな。次からは桜花の注意を素直に受け入れる事だ」
茜鶴覇はそう言って少年の頭を優しく撫でた。
「茜鶴覇、ほんとに竜太郎を助けてくれてありがとう。助かったよ」
「礼は要らぬ。それにお前が下で受け止めるとなると、二人とも怪我を負うだろう」
茜鶴覇がそう言うと、竜太郎と呼ばれた少年も「確かに」と呟く。
「桜花ねぇちゃん落としそう」
「ほんとに落とすぞ」
「ごめんってば」
青筋を立てる桜花を見て、茜鶴覇の袖に隠れる竜太郎。高い所は大丈夫なくせに若干臆病なのは何なのだろうか。
「……で、茜鶴覇は何してたの?」
桜花はふと思い出し、問いかける。
「天大蛇と十六夜がそろそろ茶にすると」
茜鶴覇がそう答えると、竜太郎が目を輝かせた。
「お菓子ある⁉」
「お前は、村戻って畑の手伝い頼まれてるんだろうが」
間髪入れずに桜花が突っ込みを入れると、少年はすっかりその事を忘れていたのか肩を落とす。その様子を見て何となく悪い事をした気分になった桜花は、懐から金平糖が入った小袋を差し出した。
「ほら、これ食べながら村に帰りな」
「えっいいの!?ありがとう!」
甘味は貴重だ。砂糖を使ったもの等は特に出回らない。それをふんだんに使った金平糖は、子供にとっては最高のご馳走である。
竜太郎はそれを口に放り込み、ご機嫌で社を飛び出していった。
「随分と元気がいい」
「そうだね、あのくらいの子供はそんなもんだよ」
茜鶴覇が竜太郎の背中を見送りながら呟くと、桜花は腰に手を置いて笑う。
「茜鶴覇はあのくらいの時期ってあったの?」
「あった。……だが覚えていない。遠い昔の話だ」
「それもそっか。きっと無口で本の虫みたいな子供だったんだろうな」
ケッケッケと意地悪く笑う桜花を見て、茜鶴覇も少し笑った。そして彼女の頭に着いた葉を取りながら口を開く。
「今よりも無口ではあったが、外の世界が好きでよく一人で渡り歩いていたのは覚えている」
「なんだ、覚えてるじゃない」
「だがそれ以外は、記憶に残っていない」
頭から取った葉を見つめながらそう呟く茜鶴覇。少し憂いを帯びたその横顔を見て、桜花は彼の頬に触れた。
「でも、一人の時と今は違う。そうだろ?」
「……」
茜鶴覇は少し目を見開いたが、クスリと小さく笑って桜花の手を上から包むように握る。体格差故にか、手の大きさは指の関節二つ分ほど茜鶴覇の方が大きい。
「…そうだな。お前と出会ってから、私には世界が輝かしく見えている」
「それは良かった」
二ッと笑う桜花。茜鶴覇は頬に添えられた彼女の手のひらに口づけをした。
「……その世界を見せてくれたお前を、私が必ず守ると誓う。お前の命が尽きるまで、ずっと」
桜花はそれを聞いて林檎の様に赤面させる。息が詰まったように戸惑っていたが、二ッと笑ってもう片方の茜鶴覇の頬に手を添えた。若干前のめりになった彼に、桜花は「じゃあ」と口を開く。
「私を守る茜鶴覇を、私が守ってあげる」
まさかそう返されるとは思っておらず、茜鶴覇は瞬きを数回繰り返した。
桜花の性格は大らかで、姉御肌であり、前向きな思考と強い意志を持つ女である。茜鶴覇に仕える巫女という立場ではあるものの、対等な立場の様に振舞っていた。茜鶴覇が堅苦しいと言ったのがきっかけでこうなったのだが、今ではこの社を利用する神やあやかしに対しても分け隔てなく友人の様に仲を保っている。
「桜花、それでは意味が無い」
「じゃあ誰が茜鶴覇守るんだよ。文句言うな」
何故か怒られた茜鶴覇は意味も分からず「すまない」と謝罪する。
すると。
「あっついねぇ~」
突然聞こえた口笛と声に、桜花は驚いてサッと手を引く。振り向くと、縁側に立っている翼の生えた男と目が合う。
「おめーら白昼堂々愛を囁き合うのはいいが、さっさと居間に来いよ。十六夜が待ちくたびれたって言って五月蠅いんだが」
「圓月!」
桜花が名を呼ぶと、彼は肩をすくめた。
「俺はお前らを呼びに来ただけだから罪はねぇぞ。……だから不満そうな顔で俺を見るな、茜鶴覇」
「していない」
「存外お前顔に出やすいよな」
圓月は「まあいいや」と言って桜花の方を見る。
「冗談抜きで十六夜がへそ曲げてるから早く来いよな」
「分かった、今行くよ」
その返事を聞いた圓月は、頭の後ろで手を組んで歩いて行った。
「仕方ない、急いで行こっか」
「ああ」
茜鶴覇は少し不満気だが、ニコニコ笑う桜花を見て諦めたように袖の中で腕を組む。
庭から玄関へ向かいながら他愛もない話をする桜花と茜鶴覇。社内は四季が入り交じり、場所によっては寒かったり暑かったりと忙しない。
そんな風景を見ながら話していると、ふと桜花が話始めた。
「私の名前の由来、茜鶴覇に話したことあったっけ」
「いや、無いが」
桜花の視線の先には、先日植えたばかりの桜の苗木がある。
この社にある木々の半数は、人間達が貢物として奉納してきた物だ。毎年新年になると、一年を通して神聖な物とされる花が神華として神央国全体で発表される。そしてその植物の産地であったり、収穫できる地域の民が神に奉納するのだ。今年は桜が神華だったので、桜で有名な東の街東龍の祭司が選りすぐって持ってきたのである。
ここの不思議な気候のせいか、はたまた神華故に神力を吸ったのかは分からないが、桜は植えた翌日には開花させていた。一度も散ることなく咲き続けている。
桜花は立ち止まると、桜をジッと見つめた。
「私、捨て子だったんだってさ。桜の木の下で、まだ生まれたばかりの私が置き去りにされてたらしい」
茜鶴覇は突然の告白に、戸惑いこそしたが大人しく最後まで聞くことにする。桜花はそのまま続けた。
「たまたま夜通りかかった婆ちゃんが拾ってくれてね。ここまで育ててくれたんだよ。婆ちゃんが言うには、私が置き去りにされていた桜がその晩、信じられないくらい綺麗だったんだって。だから、桜の花で……桜花」
淡々と話す桜花。茜鶴覇は何も言わずに聞き続ける。
「本当の親からは名を貰えなかったけど、私はこの名前で満足してるんだ」
そう言いながら桜花は桜に向かって歩いて行く。苗木まで来るとしゃがんで花弁を指で揺らした。
「だってさぁ、桜って春の母親みたいだろ。なんかすごくカッコいいじゃない」
桜花は桜を見た後、茜鶴覇に向かって二ッと口角を上げ、太陽の様に笑う。温かい風が庭中を走り回り、二人の髪を躍らせる。
「最初はまぁ、安直な名前だなってくらいにしか思ってなかったけど、今となっては婆ちゃんに感謝してるんだ」
桜花の育ての親である老婆は、数年前に病でこの世を去っている。彼女の職業は村の祭司であり、その後ろ姿を見て育った桜花もまた、巫女として祭事に関わっていた。老婆が亡くなってからは後継者として、祭事の責任者を任せられている。こうして社に自由に出入りし、滞在できるのは茜鶴覇達の許可を得ているからというだけでなく、仕事としてでもあった。
最初こそ老婆の後を継げるか不安だったものの、桜花の不思議な力によってそれは杞憂となる。桜花には生まれつき神力が備わっていた。本来ならば三大神族以外、神力を持つ人間は生まれない。何かの手違いなのか意味があっての事なのかは分からないが、桜花はその力を村人の為に使う事で老婆の代わりに村の安らぎと平穏を保っている。
「……なんか変に語っちゃったな、ごめん。早く居間に行こう」
少し気恥ずかしそうに立ち上がると、茜鶴覇の元に小走りで戻った。茜鶴覇はジッと彼女を見た後優しく頭を撫でた。
「私も、よい名だと思っている」
それだけ言って歩いて行くので、桜花はポカンと口を開ける。そして次第にニヤニヤと口を歪ませて追いかけた。
「ありがとう」
「…本心で言ったまでだ。礼は要らない」
茜鶴覇は草履を脱ぎながら答えた。桜花も屋敷に上がりながら彼を横目に見る。
「おやおや?少し耳赤いぞ?」
「お前は顔が赤いようだな」
「ああ言えばこう言う」
「お前もだろう」
「それもそうだ」
ワハハと笑い飛ばした桜花。笑って歩いて行く彼女の後姿を見て、茜鶴覇は少し微笑んだ。
ーーーー最悪の事件まで残り、一刻。
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