桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第二十九話 束の間の解散

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 踏石に草履を置いて居間に上がってきた茜鶴覇。薫子は思わず風牙をじっと見つめてしまう。
(彼があの風神…)
薫子の中の風神は、無表情な筋骨隆々きんこつりゅうりゅうな巨漢だったのだが、思っていたよりもだいぶ大人しい。背も茜鶴覇達と並ぶと幾分か小さかった。
(いやまぁ、茜鶴覇様たちが大きいだけな気もするけど)
比べる相手が相手だが、実際天を仰ぐほど上背があるようには見えない。
 薫子が風牙を見つめていると、視線に気づいたのか目が合った。そしてぴたりと動きを止める。初めて見る顔に驚いたのかもしれない。
(名乗るべきか?)
口を開こうとした時、史が「ここにどうぞ」と座布団を持ってきた。そちらに意識が行ったからか、見つめあって居た視線が途切れる。
 「風牙様も夕食いかがかしら」
史がそう訊ねると、彼が答えるよりも先に圓月が「おう、持ってこい!」と答えた。史はくすくすと笑ってお辞儀をすると居間を出ていく。恐らく風牙の食事を取りに行ったのだろう。
「……史に余計な仕事を増やさせるな」
「いいじゃねぇの、久方ぶりの史の手料理だぜ?食ってけって」
「お前が作ったわけじゃ無かろうに…」
我が物顔で甘味を口に運ぶ圓月に、風牙が突っ込みを入れる。薫子は心の中で拍手をした。
 するとどこから現れたのか、薫子の背後から少年の手が伸びてきて沢庵たくあんを盗まれる。驚いて振り返ると桜色の髪をふわふわさせた少年が、ポリポリと咀嚼そしゃくしていた。
「…十六夜様、行儀が悪いですよ」
薫子が呆れた顔で注意すると、十六夜は肩をすくめる。
「まあまあ、そう怒るでない。最近お主史に似てきたのぉ」
そう言って笑うと、薫子から風牙へと視線を移した。
「久方ぶりじゃの、風牙。説明下手な所は相変わらずのようじゃな」
「十六夜…」
ケッケッケと意地悪く笑う十六夜。
 勘弁してくれと言いたげな面持ちで風牙がため息を吐くと、史が御前を持って戻ってきた。
「あら、十六夜」
「……史」
何処か気まずそうに視線を外す少年に、老婆は微笑みかける。
「お米とお味噌汁が随分減ってたのだけれど、何か知らない?」
カタンと静かに風牙の膳を置くと、首を傾げた史。その笑顔の背後には般若はんにゃが見える。
「……わしが、つまみ食いをした」
その圧に耐えかねたのか、冷や汗をだらだらと流した十六夜は素直に吐いた。
「全く、言えば用意してあげるから、二度と同じことをしないでね」
いいかしら、と微笑んだ史は、自分の席に戻る。正座をして遠い目をしながら少年はか細く「はい」と返事をした。
(この人、一応偉い神様…なんだよな?)
薫子は自問自答しながら味噌汁を啜る。温かくて優しい味が口に広がった。
 史は薫子が社に来てから、味噌汁の味噌を薫子の村の物にすることが多くなった。本人は美味しいからと言っていたが、家を離れてここに身を置く薫子に気を使ってくれているのだろう。怒らすと猛烈もうれつに恐ろしい老婆だが、やはり史は心底慈愛に溢れた人間だ。薫子は味噌汁から目を外して史を見る。綺麗な所作で茶碗を持った史は、凛とした雰囲気が漂っていた。

 その後、薫子達は一旦解散することになった。その場で風牙の話を聞いても良かったが長くなりそうだったので、各々就寝の支度を済ませてから茜鶴覇の自室に向かう。
 茜鶴覇は先に風呂へと向かい、その間に薫子と史、そしてつまみ食いの罰として十六夜の三人で食器を片付けていた。水場で史が食器を洗い、十六夜が布巾で拭いて薫子へ渡すという流れである。
 「……娘」
拭いた食器を十六夜から受け取り棚に戻していた所、不意に声を掛けられた。この場で娘に当てはまるのは薫子だけである。廊下を見ると、そこには風牙が立っていた。
「少し話をしたい。…良いだろうか」
「……えっと」
どうしたら良いものかと史を見ると、手を止めていた老婆は頷く。行ってこいと言いたいらしい。
「…はい、大丈夫です」
薫子は台所から廊下に上がる。
「風牙よ」
台所の段差の所に草履を整えて置くと、十六夜が風牙を呼び止めた。少年は背中を向けて食器を拭き上げている。
「……余計な事を言うでないぞ」
(余計な事…?)
首を傾げる薫子に対し、風牙は「承知した」とだけ答えて歩いて行く。
(なんだ、余計な事って)
何かを隠しいている十六夜に悶々もんもんとしながら風牙の背を追いかけた。
 渡り廊下のある辺りまで来ると、彼は足を止めて振り返る。
「お前、名は何という」
「薫子と申します」
ひとまず考えるのは辞めて答える。風牙は「そうか」と呟いた後、自身も名を名乗った。
「薫子、お前がここに来たのはいつの話だ」
「…全てお話しすると長くなるので、省略いたしますが…」
薫子は不本意でここに捧げられた事と、一度家に戻ってから社に戻ってきた事を端的に話す。度々風牙は瞬きをして驚いていたり、同情するよう目を伏せたりしながら薫子の話を真剣に聞いていた。無表情というよりは、感情に伴って表情筋が動きづらい人間なのだろう。茜鶴覇も似たようなものなので、薫子は少し既視感きしかんを覚える。
 「そうだったか」
聞き終えた風牙はそう呟くと、薫子の目を見た。
「一度開放されたのに、何故ここに戻ってきたのだ」
その質問に薫子は目を伏せる。
(何故か…ねぇ)
「わかりません。……ただここが、茜鶴覇様が、何故かとても懐かしくて……。どうしてなのかは私にも分かりかねますが、ここの空気や温かさを私は知っている気がするのです」
そう言うと、風牙は目を見開く。その瞳には目を伏せたまま語り続ける薫子が映った。
「おかしいと思うでしょう?私もそう思います。でも、忘れて生きていくには心残りが多すぎるのです」
自分が戻ろうとした理由を話しているうちに、薫子は改めて疑問に思う。既視感なんてあやふやな物じゃない。薫子は確かにこの場所を
 なぜそう思うのか、感じるのか。未だに答えは見つからない。
 薫子が話し終えると、風牙は口元を押さえて考え込んでしまった。そしてゆっくりと視線を上げる。
「お前は、もしかしたらーーー…」
「何をしている」
風牙の言葉に重ねるようにして響いた声。その声音は神楽鈴の様に美しい。風牙と薫子が声のした方を見ると、風呂から上がって来たのか、寝間着の茜鶴覇が立っていた。
 茜鶴覇は薫子を見た後、風牙へ話しかける。
「湯に浸かって来ると良い。私の寝間着を脱衣室に置いて来た。それを使え」
「……わかった」
風牙はそう言うと薫子に向き合った。
「変な事を口走って申し訳なかった。…ではまた後程」
そう言うと、髪をなびかせて去っていく。
 彼の背中を見送った茜鶴覇は薫子を見下ろした。
「風牙とは何を」
「名を聞かれました。それと、ここに居る経緯について」
薫子が答えると茜鶴覇は少し細めて「そうか」とだけ呟く。そして薫子の頬に手を添え、親指を滑らせて静かに離した。その目は少しだけうれいを帯びている。
 「どうか……されましたか?」
(黙ってればいいものを)
薫子はそう思ったが、思うよりも先に言葉が出ていた。
「……何かあったのですか」
少し言葉を変え、もう一度訊ねると、黙っていた茜鶴覇がほんの少し笑う。
「…お前は、よく私の心を見透かす」
「そうでしょうか…」
「存外、私もお前と同じで考えていることが表に出るのかもな」
(御冗談を)
無表情が通常の彼は、本当に何を考えているのか読めない。たまたま薫子の感じ取ったものが、当たっただけだ。
「……私はもう戻る。急ぐ必要はない。ゆっくり支度をしてから部屋に来い」
「承知しました」
茜鶴覇は薫子の返答を聞くと、桜とお香、そして石鹸の香りを廊下に残して渡り廊下へ消えていく。薫子はお辞儀をして見送ると、まだ片付けをしているであろう史たちの元へと戻った。



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