桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第二十一話 呉服屋

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 「大変お似合いです」
ニコニコと笑う女に薫子は苦笑を浮かべる。
 半刻一時間後、着ていた着物を剝ぎ取られ、美しい着物を纏った薫子が居た。店員に首の後ろの襟を正されながら遠い目をする。目の前に映る全身鏡には明らかに見慣れぬ姿が写り込んでいた。 ちなみに、鏡は高級品であり、加工が難しいゆえにあまり出回らない。ほとんどの者が磨き上げた銅や銀を鏡の代わりとしている。このように銅や銀ではなく、はっきりと映る鏡を所持している辺り、やはり高級呉服屋だ。
 一応やしろにも大きな鏡があるのだが、それは宝物庫ほうもつこに布を掛けて保管されてある。よく考えてみると、茜鶴覇も史も見た目にそれ程執着が無い。強いて言うなら史が薫子の見目を気にしてくれている程度だ。
(そもそも茜鶴覇様の外観が乱れていたら、史さんが勝手に直しているような気もする)
とはいえ鏡が全くないわけではない。薫子の部屋の箪笥の中にも手鏡があった。恐らく史も茜鶴覇も所持しているだろう。
 薫子は鏡に映った自分の姿を見た後、片腕を上げて着物のたもとを持ち上げた。
(着られている、着物に)
純白の生地が下へ行くに連れ、日が落ちる間際のような群青ぐんじょう色に染められている。様々な花が寒色で刺繍された着物は、実に見事と言うほか無かった。特に目を引くのは左胸の桜の花弁と空色のしとやかな帯である。
 「さあ、完成ですよ。とても着物映えするお顔立ちで、私も楽しい限りでございます」
興奮しながらあれでもない、これでもないと帯を合わせては在庫をあさっていた店員。聞けばこの店の店主だという。鏡の前に立たされた薫子は、「ありがとうございます」というしかなかった。店主は「いえいえ、滅相もない」と応えながら高速で薫子の着物を畳んでいる。
「店内へ戻りましょうか」
帯を素早い所作で畳みながら微笑む店主に、薫子は軽く会釈をしながら「はい」と応えて座敷の端へ向かった。
(…あれ、草履が無い)
確かに座敷へ上がる前に脱いでおいたはずの草履が消えていた。その代わりに着物に合わせた群青色の草履が置いてある。まさかと思い後ろを振り向けば、すでに着物を畳み終わり、風呂敷の口を縛っている女店主と目が合う。おそらく薫子が履いて来た草履はあの中で包まれている事だろう。本当に仕事が早い。
 薫子は仕方なく新しい草履を履いて、店主と共に店へ戻る。相変わらず金持ち感漂う人間達が賑やかに着物を見ていた。
「旦那様、お待たせいたしました」
薫子は店主に連れられ、茜鶴覇の元へと帰還する。茜鶴覇は暁と共に比較的年齢層の高めの淑女向けの売り場に居た。
「ご覧ください。本当にお似合いでしょう?お顔立ちがよろしいのでしょうねぇ」
(思ってもない事を)
薫子は「ははは」と軽く笑って視線を流す。それよりも薫子は別の事で頭がいっぱいだった。
(慣れぬ着物のせいか、恥ずかしい)
しかも馬の暁はともかく、茜鶴覇というやんごとなき身分の視線を受けるのは、少々居たたまれない。先ほどと違う姿になった薫子に興味があるのか、視界の端で暁が瞬きをしてこちらを見つめていた。正直、馬だとしても今は人の姿をしているのでとても気になる。
(見つめないで頂きたい)
 すると、茜鶴覇は視線が合わない薫子の様子に気づいて声をかけた。
「……薫子」
「はい」
「何故目を合わせぬ」
「……いえ、そのような事は」
薫子は斜め下に目を逸らし続ける。馬子にも衣装とはいうが、それにすらなっていない。そんな姿を晒すのは、精神的にかなり来るものがある。
 「薫子」
ふわりと香る桜とお香。それに伴い視界に彼の顔がひょいと写り込む。どうやら身を屈め、薫子の顔を覗き込んでいるようだった。さらりと薫子の顔にかかった横髪に触れ、耳に掛ける。
「…紅も、付けたのか」
店主がおまけだと言って、薫子に似合う色を選んでくれた。人間の肌には似合う色というものが存在し、それは一人一人異なるらしい。
(ありがたいけど、唇がべたべたするんだよなぁ)
化粧などまともにしたことが無かった薫子にとって、少しばかり居心地が悪い。だが相手の厚意でつけられてしまったものなので、薫子も断れなかったのである。
「ええ、店主様のご厚意で付けて頂きました…」
そう答えると茜鶴覇は薫子の頬へ手を伸ばし、するりと撫でる。肩をびくりと揺らし、思わず視線を上げた。
「やっと、私を見たな」
「……それは、卑怯ではないでしょうか」
「卑怯なものか。……よく似合っている」
(この男、自分の顔がどれ程の凶器になるのか知った方がいい)
こんな事をほいほいしていればいつか暴動を起こしそうだ。主に女が。
 顔に熱が集まり彼から目をそらすと、茜鶴覇は体を起こし店主に話しかける。
「この着物も一式貰う」
「かしこまりました」
(…も?)
薫子が不思議そうな顔をすると、チョンチョンと肩を突かれた。振り向くと暁が薫子を見下ろしている。彼が指さす方向には、男が二人ほど風呂敷と衣装箱を積み込んでいるのが見えた。
「……あの、茜鶴覇様」
「なんだ」
「あの男性達が運んでいる物は何でしょうか」
「先ほど購入した着物だ」
「一応訊ねますが、誰のものを?」
「お前の物だ。自身で選ばせようと思ったのだがお前の性格上、遠慮して選べまい。だから私が選んだ」
(それは当たっているけど)
考えを全て見透かされていたのか、おおむね茜鶴覇の推測は合っているといえる。だがそれよりも、薫子としては別の方が気になった。
(まさかあの量全部?)
話の流れ的に見て、あの衣装箱や風呂敷の中身は全て薫子の着物という事になる。思わず馬鹿なのかと問いそうになって慌てて飲み込んだ。たかが下女まがいの女にこんな物を買い与えて、いったいどうしたいのか。
 「他に何かご用意いたしましょうか」
女店主は何でも揃ってますよと言いたげに目を見開いて輝かせている。商魂たくましくて何よりだ。
「この着物も包んでくれ」
茜鶴覇がそう指をさしたのは、藤の花のような落ち着いた紫が綺麗な着物だった。裾に向かって桔梗が咲き誇る気品の漂った良い着物である。
「承知いたしました。帯の色は如何いたしましょう」
「あの白い帯を」
茜鶴覇が見つめる先には、白く清潔感のある帯が飾られていた。
「こちらもお嬢様の着物でよろしかったですか?」
ならば一緒に包みますが、と店主が気を使うと茜鶴覇は「いやいい」と断る。
「屋敷の者への物だ。別で包んでほしい」
「かしこまりました」
女店主はお辞儀をすると、近くに居た店員の男に着物を畳ませた。薫子はふと茜鶴覇を見上げた。
(自分の物も買えばいいのに…)
先程からうろうろと見ているのは淑女向けの着物だけである。
(まあ、あれだけ貢物があれば買わずとも事足りるか)
薫子は茜鶴覇に捧げられる貢物を思い出し、謎に納得してしまった。
 社には大きな宝物庫がある。中に収納されているのは、百五十を超える村や街、貴族などから捧げられた貢物だ。貢物は味噌や醤油等の加工品や農作物だけでなく、金や宝物ほうもつ反物たんものといったものがかなり多い。その中には着物もあるのだが、女物や男物も関係なく送られてくる。それらは神へ捧げる物故に一着一着が最高の質を誇っていた。あまり詳しくない薫子から見てもわかるほどなのだから、相当高価な品である。
 だが茜鶴覇は基本的に昼間は狩衣、夜は寝間着として軽めの着物しか着用しない。今日の様な外出用の着物を着ている事はまず見ないのだ。着てもいない高級品が山の様にある以上、新しく必要としないようである。
 「合わせてあちらかんざしなどは如何でしょうか」
女店主は簪が並べられている棚を勧めた。
「では質の良い物を一本」
棚には細工が細かい物から大きな飾りが付いた物まで、多種に渡って揃えてある。茜鶴覇は店主に任せる形で注文した。
「……茜鶴覇様、私からひとつお願いがあるのですが」
「申してみよ」
「もしよろしければ、簪は私が選んでもいいでしょうか」
以前史から貰った梅の花の簪は女店主に頼んで今も帯に挿してある。その礼には到底ならないだろうが、せめて史に似合うものを選ぶことくらいしたい。
「良いだろう」
茜鶴覇は何かを察したのか、袖の中で腕を組んだ。
「ありがとうございます。行ってまいります」
薫子はお辞儀をすると、店主と共に棚へ近寄る。思った以上に横に広い棚には、綺麗に陳列ちんれつされた簪があった。
(選ぶといったが、私の感覚で大丈夫だろうか)
今更不安になってきたが、店主も一緒に居るので残念な事にはならないと願いたい。
 薫子が気合を入れなおしてきらきらと輝く簪を見ていると、ふと目を引く一本があった。それは光沢の美しい銀の簪に白い華やかな花弁があしらわれた品でとても美しい。薫子の脳裏に史の淑やかな笑顔が浮かんだ。
「あの、この花―――」
「とても綺麗ですよね」
なんの花か店主に質問しようとした瞬間、隣から声が聞こえる。驚いてそちらを見ると、若い男の青年が薫子を見ていた。










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