桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第十九話 山の麓に住む女

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 「ここは……」
「私の領地の中で最も栄えている街、北玄ペィシュアン。今では流通の多くがここを仲介にしている」
馬車が空から着陸し、しばらく普通の道を走っていると、ずいぶんと賑やかな場所に入った。ずらりと並ぶ二階建ての店や建物は、基本を木造建築としているが所々赤い煉瓦れんがを組み入れている。洒落っ気を出すためもあると思うが、恐らく火災対策だと予測できた。
 木材のみだと小火ぼやが起きた時、一気に燃え広がる。一度薫子の村でも小火が発生し、木造りの家が多かったのもわざわいして消火が大変だった。運よく雨が降ってきたので全焼ぜんしょうすることはなかったものの、あれ以降建てる家は泥や煉瓦などを部分的に使うようにしている。
(それに、あの大きさの家を全て木材で補って建てるとなると、かなりの金を浪費ろうひする)
小さな家を建てるならまだしも、二階建てや一階に店を構えるような建築物を建てるとなると、それはそれは大変なことになる。主に金が。木は高い。限りがある上に育てるのにも時間がかかる。自然の中で流れる時間は酷く遅いので、太く頑丈になるまで何十年も待たなくてはならない。それを無視して切り倒していけば、獣が飢え、水が乾き、自然からの恩恵おんけいを失うだろう。恐らく、それを理解しているからこそ、質のいい煉瓦で代用しているのだ。
 薫子は建築物から目を逸らし、道行く人々を見つめる。大きく広い道には馬車が何台も行き来し、路面にある店からは元気な呼び声が響いていた。沢山の人間が友人や家族と談笑しながら歩いている。活気があり、和気藹々わきあいあいとした良い街だ。
「……この街は元々干ばつが酷く、その日暮らしの人間で溢れていた。もう随分昔のことだが」
街並みを見ていた茜鶴覇が袖の中で腕を組み、静かに語る。どれくらい前の話か分からないが、今の様子からは信じられない状況だ。
「玄武と共に大地を形成し直し、山を木々で満たした後、人間たちは己の力のみでここまで大きく街を育て上げている」
「……それは、随分と規模の大きな話ですね」
大地を形成し直すまで来ると、最早もはや意味不明である。本当に茜鶴覇の力は計り知れない。その後の人間たちの発展力も大したものだが、内容がいまいち頭に入ってこないのは何故だろうか。
 「……ところで、今日私がここに来たのは、何か理由があるのでしょうか」
「ある。……が、それは後程向かう。今から行くのは知り合いのところだ」
(知り合い?神様に?)
詳しい事は謎だが、これだけは流石に分かる。ただ者ではないと。

 しばらくして、ゆっくりと街の中を走っていた馬車が急に速度を上げた。うとうとして空を見上げていた薫子はハッとして外へ意識をやる。そこは賑やかだった大通りとは正反対ともいえる場所だった。粗末な天蓋てんがいを立てるのに精一杯の人間達が目に付く。豪華な馬車をじっとりとめつける者、目を輝かせる者、ほのかに笑う者など、様々な人間が道に居た。街の規模が大きくなり程こういった貧民街は増えると思うが、やはりこればかりは避けられない。
「薫子、窓の外から見える位置に座るな」
「はい」
茜鶴覇の指示に従い、端から席の中央へ移動する。さびれた街並みから目を離した薫子は、膝の上に置いた手へ視線を落とした。

 それから少しして、また外の風景が変わった。どうやら森の中に入ったらしい。森というよりは、山のふもとと言った方がより的確かもしれない。木漏れ日が馬車の中を照らし、平坦な道よりもガタガタとしているのか、度々大きく揺れた。座椅子が柔らかいおかげで痛くもかゆくもないが。
 暫く森の中を走っていると、徐々に速度を落とし始めた馬車はキィという音と共に停車する。窓から外を見ると、青々と茂った木々が陽の光を受けて揺れていた。
「ここは、北玄から一番近くにある山の麓だ」
茜鶴覇は暁が開けた戸から出ると、薫子に手を差し伸べる。行き同様掴んで降りろと言いたいらしい。
「……失礼いたします」
薫子は諦めてできる限り力を入れない様に手を添える。茜鶴覇は小さくため息を吐くと、薫子の添えられた手を優しく掴んで下車させた。
 地に足を下ろし、改めて停車した場所を見渡す。そこには巨大樹があった。窓が二つあり、その間に木造の扉がある。どうやら木の中に住んでいるようだ。窓の中を見ると、燭台しょくだいで燃えている蝋燭や行灯あんどん、そしてそれらの光源に照らされている謎の瓶や箱がずらりと並んでいるのが分かる。
「暁、黄昏、お前たちはここで待て」
茜鶴覇が命令すると暁はうやうやしく頭を下げ、黄昏はいななきを上げた。元々言語が把握できている神獣だと知っていたが、体が人間になったとしても話すことはできないらしい。暁は薫子にも軽くお辞儀をすると、黄昏の傍に行ってしまった。
 茜鶴覇はそれを見送ると、巨大樹に付いた戸の前に向かい数回叩いた。
「茜鶴覇だ」
そう名乗ると、ギィと軋んだ音と共に戸がひとりでに少し開いた。茜鶴覇は了承と受け取ったのか、取っ手を掴むと戸を押し開ける。室内は蝋燭や行灯のおかげで見えているが、夜になったらかなり暗そうだ。
 薫子は茜鶴覇の後ろを着いて中に入る。薄っすらと見える部屋の中に置いてあったのは、先程見た大量の瓶や箱だけでなく、軽量道具や書道具なども机に置いてあった。それとはまた別の広く大きい机には書物が所狭しと重ねられ、沢山の急須と湯呑が混在している。中には変わった形の物もあった。
 乱雑に散らかった机上きじょうから目を離し、ぐるりと部屋を見渡す。棚に規則的に陳列している瓶や箱。箱の方は中身が分からないが、瓶の中身はなんとなくわかる。あれは薬草か茶葉の乾燥させた物だ。どの種類かまでは分からないが、同じような瓶が他にも多く並んでいた。たまに葉とは言い難い怪しすぎる植物もあるが、薬草か何かだと思いたい。
 部屋の中を見渡していると、暗い部屋の奥から木の軋む音が聞こえてきた。
「おやおや……誰かと思えば。随分と久しいご対面じゃないか」
突然聞こえた妖艶な女の声音こわねに、薫子は生唾を飲み込む。
蛇歌じゃか
茜鶴覇がそう呼ぶと、ようやく行灯の光が女の顔に届いた。その顔は青白く、切れ長の目が特徴的な顔立ちである。手足がすらりと長く、真っ白な着物に相反した漆の様に黒い長髪が、一層妖美ようびにさせていた。
「貴様が女を連れてくるなんて、珍しい事もあるもんだ。史はどうした?」
「彼女は社で留守を預けている」
「おやそうかい。茶の旨い淹れ方すら知らぬ貴様よりも、史と語らいたかったねぇ」
「次の買い出しで顔を出すように伝えておこう」
「そうしておくれ」
薫子はその会話を聞いて驚きを隠せなかった。十六夜以外にもこれほどまでに砕けた態度で接する者がいるとは。
「……?」
すると、蛇歌と呼ばれた女と目が合う。女は数拍開けて目を見開き、次第に笑い始めた。
「そうか、そうか…」
肩に掛けた白い衣を揺らして笑う蛇歌。異様な様子に薫子は体を硬直させ、茜鶴覇は目を少し細めた。
「……運命を捻じ曲げおったか、茜鶴覇」
一通り笑い終えた後、女の口から出た言葉はそれだった。全く意味の分からない薫子は「え…」と声を漏らす。
「……」
「何をした貴様」
蛇歌が問うと、茜鶴覇は瞳を閉じた後ゆっくりと蝋燭の火を見つめる。その横顔はこの世の物とは思えぬ程美しかった。
「……分からぬ」
「なに…?」
「私にも分からぬ事ゆえ、説明ができない」
茜鶴覇の顔を見て嘘ではない事を察すると、蛇歌は「そうかい…」とだけ言って薫子に近づく。
「見れば見る程……いや、何でもない」
蛇歌は何かを言いかけたが、薫子の顔を見た後どこか優しい眼差しで笑った。その口からは二股に別れた舌が見える。やはりこの女は人間ではない。神か、もしくはそれに準ずる存在だ。
 「…蛇歌、これを頼む」
「見なくてもわかってるさ。ここで待ってな」
茜鶴覇が史から預かったであろう紙を差し出すが、蛇歌は受け取らずに薫子から離れて部屋の奥へ向かう。そして取り出して出してきたのは茶葉の入った茶色い木箱だった。
「いつものやつだ」
「かたじけない」
茜鶴覇は懐から金の入った袋を取り出すと、それを急須がたくさん乗った机に置く。音を聞くにかなりの大金が入っていた。
 確かに茶葉は粗悪品から高級品まであり、値段も勿論違う。この茶葉がいくらなのか分からないが、あの袋の大きさと音から予測するに、金の銭が三十くらいだろうか。ちなみに金貨一枚で贅沢をしなければ数か月は暮らしていける。それが三十枚前後となると、高級品どころの話ではない。
(どんな茶だよ)
まさか普段飲んでいる茶では無いだろうなと肝を冷やす薫子。すると、蛇歌が大きなため息を吐いた。
「全く。毎度毎度余計なお世話をするねぇ、茜鶴覇」
「……」
茜鶴覇は蛇歌を見つめた後、背を向ける。
「私なりの償いだ。要らぬのなら捨てるなりバラ撒くなり好きにすればいい」
「……ふん、生意気なやつめ。可愛げのない」
蛇歌は仕方なさそうに袋を手に取ると、床に置いてあった大きな箱に放り込んだ。銭のぶつかり合う音が聞こえたので、箱の中には沢山金が入っているのだろう。蛇歌はそのまま乱暴に箱の蓋を閉めた。
 「薫子」
「あ、はい」
先に出ていく茜鶴覇の後を追いかけ戸の前に来ると、薫子は蛇歌に振り向き深々とお辞儀をする。女は慈愛の籠った目で薫子を見た後、背を向けてヒラヒラと手を振った。



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