桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第十五話 お団子事情

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 渡り廊下に辿り着くと、薫子は自分が脱ぎ捨てた足袋たびを拾う。その場で履こうとしゃがんだ所で茜鶴覇が制止を掛けた。
「足をこちらへ」
茜鶴覇は薫子と同じように膝を着き、足首に触れる。少し冷たい茜鶴覇の指が触れた瞬間、霜焼けになりかけていた薫子の足に肌本来の色味が戻った。
(温かい)
ほんのりと温まった足を撫で、薫子は初めてこの社へ来た日の事を思い出す。あの日もこうして手首の痣を癒してもらった。よく考えてみれば、茜鶴覇には色々と良くしてもらってばかりである。
「ありがとうございます」
「構わぬ。……十六夜、私は先に部屋へ戻る。薫子と共に来い」
「あい分かった」
薫子が礼をして足袋を履き始めると、立ち上がった茜鶴覇は十六夜にそう告げて自室へ向かっていった。
 「履けたか?」
金具を止めると、しゃがみ込んでいた十六夜と真正面から目が合う。
(こうして間近で見ると、本当に可憐かれんなお顔をされている)
一瞬少女にも見間違うその中性的な容姿は、背後に牡丹ぼたんの花か椿でも背負っているかのようだ。
(いや、どちらかと言えば)
髪の色と同じ桜の花弁の方がしっくりくる気もする。
 じっと彼を見つめていると、不思議に思ったのか十六夜が首を傾げた。薫子は慌てて返事をする。
「はい、大丈夫です」
「では行くぞ、薫」
そう呼びかけられた瞬間、薫子は目を見開いて止まった。十六夜は瞬きを数回繰り返したのち、「ああ」と声を漏らす。
「薫子は長いから短くしたのじゃが、何かまずったか?」
「……いえ、ただ」
薫子は目を伏せた。
「私の家族も、そう呼んでくれていたので、少し驚いたというか…」
薫子は一刻二時間前ほどに別れた家族を思い出し、なんとなく温かい気持ちになった。それを見た十六夜は「ほぉ」と顎に手を置くと、長い睫毛まつげを揺らして笑う。
「わかった。ならばここではわしが、お主の親の代わりに呼んでやろう」
(神が親代わりは、ちょっと色々ぶっ飛んでる気もするんだが)
薫子はそう思ったが、何処か嬉しそうな十六夜の姿を見ると言えそうになかった。

 暫くして、足袋を履き終えた薫子は十六夜と共に渡り廊下を歩いていた。その途中で後ろからやってきた史と合流する。彼女の手には急須と花見団子が乗った盆があった。
「史さん、私が持ちます」
「あらあら…気にしなくても良いのに」
代わるように薫子が盆を持つと、史は頬に手を当てて眉をハの字に下げる。
「盆なぞ誰が持っても良かろうに」
訳が分からん、と肩をすくめる十六夜。その手にはいつ取ったのか知らないが、団子の串が握られていた。
「十六夜、ここではだめよ。まだ我慢しましょうね」
やんわりと注意しながら史は団子を取り返し、薫子が持つ盆の上に戻す。やはりこの老婆、本当にあなどれない。下手な神よりも、史の方が怒らせてはならないと本能がそう言っている。
 渡り廊下を抜け、三人で茜鶴覇の自室まで来ると史と薫子は姿勢よく床に正座した。そして面倒くさそうに十六夜も座る。
「茜鶴覇様、史にございます。お茶と菓子をお持ちしましたよ」
「入れ」
茜鶴覇からの許可が取れた瞬間、十六夜は立ち上がって遠慮なく全力で襖を開け放った。凄まじい音を立てて開いた襖を見て、あまりの無礼さに薫子は放心するが、いつもの事だと言わんばかりに史が立ち上がる。室内で文机ふづくえに向かっていた茜鶴覇も当然のごとく無反応。
(……ここで一番の自由人なのか、この神)
十六夜は陽気に部屋に入り、座布団の上に着座している。薫子は思わず口を開けて止まってしまった。
「薫よ、早く団子をここへ」
「…かしこまりました」
ハッとして立ち上がり、部屋に入る。
(なんだか自分が間違っているような気すらして来た)
考えるのをやめた薫子は、ふと茜鶴覇と目が合う。彼は少し驚いたような表情でこちらを凝視ぎょうししていた。
「薫…?」
「ん?なんじゃ知らんのか。この娘の両親は薫と呼んでいたらしい。だからわしがこやつの親の代わりに呼んでやることにしたのじゃ」
十六夜はちゃぶ台に盆が置かれると、目を輝かせて何よりも先に団子を頬張る。机を挟んだ向かいで、史が静かに茶を注ぎながら笑った。
「そうだったのねぇ。じゃあ私も薫さんと呼ぼうかしら」
「ど、どうぞ」
「どうぞじゃないわ、わしだけの約束じゃ!なぁ、薫」
(知らんよ)
名前一つで何になるというのか。薫子は花見団子を片手に頬を膨らませるよわい数千の神に、口を滑らせそうになる。非常に危ない。
 すると。
「名というものは、その姿形をつかさどるもの。むやみやたらに改変すべきものではない」
茜鶴覇がそう言うと、しんと水を打ったように静まる部屋。庭から鹿威のカコンという音が聞こえた。
「そう言うな、茜鶴覇よ。名、その物を変える訳ではないのじゃ。気になるのであれば、お主だけはこやつの本当の名を口にすれば良い。そうすれば薫も、わしらも、誰も忘れまい」
真剣な眼差しで語る十六夜に、薫子は少しだけ重たい空気を感じる。先ほどまでの彼の空気感からは想像もつかない程に大人びた威厳いげんを放っていた。
「……ああ」
少し間を開けて答えた茜鶴覇。場の空気を読んで茶を差し出すのを待っていた史が、ちゃぶ台に湯呑を置く。
「さぁ、茜鶴覇様。お茶が冷めてしまわぬ内にどうぞ」
茜鶴覇は湯気が立ち上る湯呑を見て「わかった」と言って文机を離れる。そして優雅な仕草で十六夜の隣に腰を下ろした。
(…名前なんて、正直みんな呼びたいように呼べばいいと思うけど)
史は置いておくにしても、後の二人は文句を言える者の方が少ないだろうに。不思議な人だと、薫子は麗しい茜鶴覇の横顔を見つめる。
(まあ、彼には彼で思う節があるんだろうな)
人間が理解できないだけで。
 「薫、いつまで突っ立っておる」
「あ…」
立ちっぱなしの薫子を見上げ、団子を頬張っている十六夜。その団子は薫子の分である。
「今座ります」
薫子が史の隣に正座して座ると、ピンと張った声音で老婆が口を開いた。
「こら、十六夜。それは薫さんのお団子でしょう」
早速薫呼びに切り替えた史が、ニコニコと微笑みながら土地神十六夜に圧を掛けている。何度も言うが、本当に肝の据わりまくった老婆だ。
「……わし、団子が好物じゃから、つい」
十六夜は流石にまずいと感じたのか、冷や汗を一滴頬に垂らしながら言い訳をする。子供の見た目を盛大に活用して薫子を上目遣いで見つめる十六夜に、薫子は大きく揺らいだ。
(この神、自分をわかっているな)
なんとなくこの図太さは菊太と似ている。結局長女の血が騒いでしまい、薫子はふうとため息を漏らした。
「どうぞ。私はお茶だけでいいので」
「良いのか!では遠慮なく」
薫子が答えた瞬間残りの団子を口に突っ込む。呆れた食い意地だ。
「もう…ただでさえ薫さんは痩身そうしんなのに…」
(そんなことないんだけどな)
自分の腕を見ながら顎に手を当てていると、目の前に座っていた茜鶴覇が団子の乗った自分の懐紙かいしを薫子に差し出す。
「私のをやる。十六夜がすまなかった」
「んっ?んぇっ」
突然の謝罪に無様ぶざまな声を出し、茜鶴覇を見上げた。相変わらずの顔面の輝き具合に一瞬目が痛かったが、それよりも申し訳なさが勝った薫子は懐紙を押し戻す。
「そんな、私は大丈夫ですので…!」
「遠慮は無用だ」
しかし譲らぬ茜鶴覇は、懐紙を再び薫子の前に差し出した。
「遠慮だなんて……。これは貴男様がお食べになるべきです」
そう言って押し返すと、史が「お行儀が悪うございますよ」と叱りの言葉を飛ばす。茜鶴覇はため息を一つ吐いてから串を手に取った。薫子はほっと胸を撫でおろす。
(神から団子を取り上げるなんて無礼、私にはできない)
そう思い、湯呑を手に取ってすすった直後だった。
「んぐっ」
口に入ってきた丸い物体。もちもちとした触感と控えめで上品な甘さが美味しい。
(団子…?)
数回瞬きをして、咀嚼そしゃくしながら状況を確認する。茜鶴覇がこちらを見ながら二つ団子の残った串を持っていた。どうやら無理やり団子を突っ込んできたのは彼の様だ。
「あ、あの、これは一体…」
団子を飲み込んだ薫子が質問すると、茜鶴覇は無言で花見団子の真ん中の団子を食べる。そして余った最後の一つを懐紙ごと薫子に差し出した。
「気に病むなら分ければ良いかと」
団子を飲み込み、茶を啜る彼を見て史はコロコロと少女の様に笑う。
「だからって…突然団子を詰め込まれても困ります…」
「……」
薫子が控えめにそう言うと、申し訳なさそうに茜鶴覇は目を逸らした。
「薫さんの言う通り、茜鶴覇様。団子は串に刺さっておりますゆえ、今後は気を付けてくださいませ」
笑っている筈なのに、どことなく史を囲う空気が冷たい。茜鶴覇がいつか言っていた「薫子に何かあれば史が五月蠅うるさい」というのは、恐らくこういう事なのだろう。
「…すまない」
「い、いえ!全然。美味しかったです。ありがとうございます」
素直に謝る茜鶴覇に薫子も頭を下げる。神にこうべを下げさせる老婆もすごいが、何よりこの状況下でひたすら団子を食い続ける十六夜も中々の強者つわものだ。
 薫子は懐紙に乗った団子をありがたく貰い受けると口に入れる。団子の優しい甘さは、とても心地が良かった。



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