桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第十四話 茜鶴覇と十六夜

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 驚きのあまり固まってしまった薫子の背後で、史が口を開く。
「あら、十六夜いざよい。ただいま」
十六夜と呼ばれた少年は、尻もちをつく薫子の頭の先から爪先までを見た。金色の瞳が冷や汗をかいた娘を映す。
「なんというか、地味な人間の小娘じゃな」
(なんだこのクソガキ)
「お主、思うとることが顔に出やすいやつだと言われるだろう」
正確な突っ込みに思わず薫子は表情を消して「いえ、全く」と視線を逸らした。
 「まあまあ、落ち着いて。……十六夜、この子は薫子さん。これからここで暮らすのよ。貴男も仲良くしてね」
十六夜は史をちらりと見た後「善処ぜんしょしよう」とだけ答えた。失礼だが素直にそう返事をする辺り、然程さほど性格はゆがんでないらしい。史は微笑み、腰を抜かした薫子の腕を引いて立ち上がらせる。
「薫子さん、彼は十六夜。このやしろ土地神とちがみ様なのよ」
「と、土地神…?」
目を見開いた薫子は十六夜を振り返る。彼はきょとんとした様子で「なんじゃ?」と首を傾げた。
 土地神とは名の通り土地に宿る神の事なのだが、その姿形は定まっておらず、場合によってはそもそも形という概念がいねんすらない神もいる。そんな不安定な神種じんしゅなのだが、一つだけ絶対的な規律があった。それはすなわち。
(人の形をしていればいるほど、持つ力は強大になる)
薫子は頬に冷や汗を垂らす。付喪神つくもがみなどの下級神かきゅうしんはよく人間の前に姿を現すのだが、中級神ちゅうきゅうしん上級神じょうきゅうしんと力が大きくなればなる程、無闇むやみな争いを避けるために姿を見せなくなる。そしてそんな中でも特に姿を現さない一角が、土地神という神種なのだ。
 (まさか、こんなにもあっさり姿を現すとは…)
十六夜は「はて」と固まる薫子を見つめていると、何かを思い出して史へ視線を移した。
「ああ、そうだ史よ」
「なにかしら」
「茜鶴覇は渡り廊下の辺りの冬庭ふゆにわにおるぞ」
「あらあら、お風邪を召されなければいいのだけれど」
史がそう言うと、十六夜は「あやつが病で床に伏せるなど、あり得るものか」と鼻で笑う。
「それもそうねぇ。なら体を温めるために温かいお茶を淹れましょうか。薫子さん、十六夜と一緒に冬庭へ行って呼んで来てもらってもいいかしら。茜鶴覇様のお部屋でお茶にしましょう」
「かしこまりました」
あるじの部屋で茶会とは、やはりこの老婆、肝の据わり方が半端じゃない。
最早もはや社の主は彼女と言っても過言ではないかもしれない)
流石にそれは無いかと、薫子は乾いた笑みと共に心の中で訂正した。

 三人で薫子の部屋を後にして渡り廊下まで来ると、史は二人の方を向いた。
「では、私は一旦ここで」
「ああ、またの」
十六夜は軽く手を振るとすたすた渡り廊下へ向かっていくので、慌てて薫子も史にお辞儀をして追いかける。
「こうやって後姿を見ていると、姉弟していのように見えるわねぇ……」
二人の姿を見送る史は、頬に手を当ててほがらかに笑った。

 (まあ、想像はしていたけど)
「…寒い」
冬庭に面した廊下に辿り着くと、一面が雪景色におおわれていた。ひんやりとした空気が辺りを支配し、吐く息は白く霧散むさんする。雪で覆われた庭の両隣は夏と秋の庭らしく、向日葵ひまわりの花畑が揺れ、紅葉の燃えるような紅が輝いていた。相変わらず不思議な光景だと思う。
「よっと」
薫子が辺りを見つめていると、十六夜は途中にあった踏石ふみいしに降り、置いてあった大きめの草履を履いて歩いて行った。そこそこ積もった雪には、少年らしく小さな歩幅の足跡が残されていく。
(早く追いかけなきゃ)
薫子はハッとして草履を探すために踏石付近を見たが、都合よく転がっているわけもなく、綺麗に整備された軒下のきしたが広がっていた。仕方なく足袋を脱ぎ捨て、白い雪の中に飛び出す。
「お、おぉう」
ふかふかの雪に足を取られ転びそうになるが、なんとか踏ん張って耐えた。中々に無様な格好である。近くで見ている者が居なくて良かった。
 (十六夜様はどこへ)
額の汗を手の甲で拭い、ふうと白い息を吐くと辺りを見渡す。薫子の視線の先では桜色の髪をなびかせて歩く十六夜が見えた。見た所、近くに茜鶴覇の姿はない。薫子は着物の裾を濡れないようにたくし上げると、彼の後を追った。
 足に触れる雪が冷たく、弟妹ていまい達と雪の日に走り回った記憶が頭をよぎる。
(楽しかったなぁ)
 雪の感覚を懐かしみながら十六夜を追っていると、水仙の花畑が見えてきた。花の中に立つ狩衣かりぎぬの人物の隣では、十六夜がなにやら喋っている。
(あの白い髪は…)
サラリと揺れる絹糸のような髪が、雪景色に反射して一層美しい。時折吹く冬の風すらも味方につけ、神秘的な空気感を漂わせていた。
 「薫子よ、何をしておる。さっさとこちらへ来い」
茜鶴覇の後姿を眺めていると、十六夜が薫子に気が付き、手招きをする。その隣で純白の髪を揺らし、茜鶴覇が振り向いた。
(……これは一体)
思わず目を見開く薫子。しんと音が消え失せ、遠くからの鳥のさえずりだけが微かに耳に届いた。
 振り返ったのは、まさに女神のごとき美しさの青年だった。白い肌に通った鼻筋、絵に描いたような眉、薄い唇はほのかに赤く染まり、唐紅からくれないの瞳は宝石のようだった。あまりの美しさに、薫子は現実離れした創造物を見ているのではないかと思い始めた。
 動かなくなった薫子を見て、茜鶴覇は目を細めた。その隣で十六夜は片眉を下げて不思議そうにする。
「薫子よ」
「…え、あ、はい」
急に茜鶴覇に声を掛けられ、一拍遅れて何とか返事を返す。
「どうかしたか」
その問いかけに、薫子は言い訳を考え始めた。驚愕きょうがくしていただなんて言った暁には、自分のはらわたが雪の中に転がっているだろう。それは無いと信じたいが。
(さてなんて言おう)
必死に頭の中で色々と考えていると、茜鶴覇は薫子の足元を見て目を見開いた。
「薫子、草履はどうした」
素足で雪の中に立っている薫子に気が付き、淡々と問う。言い訳探しを一旦中断し、薫子は自分の足を見ながら答えた。
「踏石の辺りに草履が無かったので…」
「お主足袋はどうしたのじゃ。先ほどまで履いておったじゃろ」
十六夜が驚いたように口を開く。
「廊下に置いてきました。濡れてしまうので」
そう言うと、茜鶴覇と十六夜はため息を吐いた。二人の息が白く濁って消える。
 そもそも村では一年を通して足袋なんて物を履かない。しいて言うなら祭司の担当者か婚約の儀をするときくらいである。なので殆ど素足で過ごしていたも同然の薫子にとっては、今更草履がなくなったところで然程差はない。足の裏に直接雪が当たるのは少しくすぐったいが。
(でも流石にそろそろ寒い)
足の指の感覚がほぼ無いことに気が付く。今頃史が温かい茶を用意している筈なので、早く戻りたい。もぞもぞと雪の中で足を動かしていると、足元に大きな影が落ちる。
「これから雪の中を裸足で来るな」
「おわっ」
いつの間にか目の前に来ていた茜鶴覇は、流れるように薫子の脇に手を添えて抱き上げた。唖然とする十六夜の顔が視界の端に見える。
「な、何を…」
「このまま屋敷に戻る」
抱き上げられたことで、ずっと見上げていた茜鶴覇の顔が自分よりも下にあった。近くで見ると、更に美しさが増す。毛穴という物を知らぬ肌は、冬の風に当てられたせいか若干桃色に色づいていた。だが今の薫子は、茜鶴覇の顔を眺めていられるほどの余裕は無い。冷や汗なのか脂汗なのか、よくわからない汗を頬に伝わらせて硬直する。
「このまま!?」
「不服か」
「不服とかそういう問題ではない気がします」
動揺しながら言うと、茜鶴覇は少し眉間にしわを寄せた。
「ならばどういう問題だ」
「え、どういうって。……神様が下民を抱き上げるだなんて、私に天罰が当たりそうです」
「この茜鶴覇が、そのような些細ささいなことで罰を与えると、本気でそう思うのか」
(そうだった、この人神様だった)
顔面の美しさのあまり、一瞬忘れていた事をふと再認識する。
 「他にあれば申してみよ」
薫子が唸るようにして何とか「このまま行くのはやはり…」というと、茜鶴覇は「体勢が気に入らぬのならばこうしよう」と言って、薫子を横に抱いた。違う、そうじゃない。
(でもこれ以上言って怒りに触れてもなぁ)
ぐっと黙り込む薫子を見て、茜鶴覇は承知と受け取ったのか、雪の中を歩き出す。その後ろをやれやれといったおも持ちで十六夜が付いて歩く。
 (それにしても)
薫子は背中と膝裏に回った彼の腕が、思ったよりもしっかりと筋肉が付いていることに気が付いた。
(なんだか照れる)
置かれている状況が状況なので顔に出すわけにもいかず、薫子は庭を見渡して誤魔化すことにする。太陽を反射させた雪は、少しだけ目が痛かった。






    
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