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32日前【1】

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 十一月下旬。
 すっかり冬めいて、風はからりと乾き、冷たさを帯び始めた頃、修学旅行は開催された。

 電車と新幹線を乗り継いで行くこと約三時間。
 僕たちは無事に京都の地に降り立っていた。

「うっはー! ザ・京都って感じがするねえ、こーちゃん!」
「そうか? 駅周りなんてどこもこんなもんだろ」
「ちっちっち。甘いなあこーちゃん。あそこに立ってるローソクみたいな塔が、もう異国感バリバリだろうに」
「京都タワーな。あと異国ではないだろ。日本だぞここ」
「あ、でも別名ローソクって書いてあるよ。夜には先端が赤くライトアップされたりして、ローソクに似てるんだって。織江ちゃんの言うことも、あながち間違いじゃないかも」
「ふっふーん、無知を晒したねえ、こーちゃん」
「うっぜえ……。今日から二日間こいつと一緒とか耐えられんわ」

 なんだとお!? と取っ組み合いを始めた御影と織江さん。
 元気だ……。
 僕はと言えば、慣れない長旅に既に疲れ気味だった。
 御影が言っていた通り、今日から二日間、ほとんどの時間が自由行動で、班ごとでの行動が許されている。いくつかの班はもう行動を始めており、三々五々に散って行っているようだった。

「真崎くん、疲れてる?」

 ひょこっと、四季宮さんが顔をのぞかせた。
 修学旅行の班が決まって以来、僕たちはまた少しずつ、会話ができるようになっていた。

 婚約のことに関しては……まだお互いに触れる勇気がないけれど。
 それでも少しずつ、状況は改善している気がした。

「ちょっとだけ。というか、あの二人が元気すぎるんですよ」
「あはは、言えてる。新幹線の中でも、ずーっと喋ってたもんね」

 旅行のテンションにあてられているのだろうか。
 四季宮さんは饒舌に話し続けた。
 屈託なく話す四季宮さんを見られることは、とても嬉しかった。

「でも気持ち分かるなあ。私もわくわくして、昨日はあんまり寝られなかったもん」

 そういえば。
 四季宮さんは今日からの二泊三日の旅行中、寝るときはどうするのだろう。

 四季宮さんは織江さんと同じ部屋だけど、自遊病のことを彼女は知らないはずだ。
 とはいえ、同じ部屋で過ごしていて、手錠で縛って寝ているところを隠すのは、さすがに無理がありそうだけど。

「夜はね、別室を用意してもらってるんだ」

 四季宮さんは、僕が考えていることが分かっているかのように言った。

「体調が悪くなってー、って理由で抜け出して、その部屋で寝るの。だから、織江ちゃんとはあんまり一緒の部屋にいられないんだよね。一人にしちゃって、ちょっと申し訳ないけど……」
「しょうがないですよ」

 これに関しては、何よりも四季宮さんの身体の無事が優先だ。
 織江さんだって、目が覚めた時に横で傷だらけの友達が寝ていたら、一生物のトラウマになるだろう。

「まあね。あーあ。折角の修学旅行なのに、夜は一人なんてつまんないなー」
「夜は寝るだけですし、一人でも大丈夫なんじゃないですか?」
「何言ってるのさ、真崎君。修学旅行といえば、夜が本番なんだよ? 枕投げたりお菓子パーティーしたり、恋バナしたりするのが、メジャーな楽しみ方ってやつだよ」
「それは知りませんでした」
「だからさ……その……」

 一拍置いて、四季宮さんが口を開いた。

「あ、遊びに来てくれても……」

 しかし四季宮さんが発した言葉は。
 喧騒の波にもまれて、僕の耳に届くことはなかった。

「……? すみません、最後の方よく聞こえなくて……。もう一度言ってもらってもいいですか?」

 僕が聞き返すと、四季宮さんは頬をわずかに赤らめて、わたわたと顔の前で両手を振った。

「う、ううん! なんでもない! ごめんね、今のは無し! 忘れて!」

 そう言うと、織江さんたちの方に駆け寄っていった。
 なんだったんだろうと首を傾げつつ、僕もその後を追った。


 ※


 僕たちの班は、清水寺から八坂神社、祇園四条を経て、鴨川へ出るルートを選択した。
 京都の東側をぐるりと一周する形になる。他にも見たいものはたくさんあったけれど、寺も神社も歓楽街も、満遍なく観光できるし、最後に着く河原町付近が、夜の集合場所だったということもあり、満場一致で決定したのだった。

 誤算だったのは、地図で見ていたよりも遥かに長い距離歩く必要があったということだ。

 清水寺付近はかなり道に勾配があったし、八坂神社や祇園四条付近は観光客でにぎわっていて、前に進むのも一苦労だった。

 夕方、ようやく鴨川に着いた頃には、僕たち四人ともヘロヘロになっていて、橋の上からぐったりと鴨川を見下ろしていた。

「やはー……疲れたねえ、茜ちゃん」
「ねー。足の裏がじんじんするよ」
「絶対ペース配分間違ったよなあ。新幹線の中ではしゃぎすぎたわ……」
「こーちゃんは引きこもってるから体力落ちてんじゃないのー? やーい、もやしっこー」
「今はお前の軽口に付き合う元気も残ってねえよ……」
「あはは、みんなガス欠って感じだね。真崎君、大丈夫?」

 僕はもったりと手を挙げて答える。

「大丈夫じゃないです……」
「ただでさえ口数が少ない藤堂君が、最後の方はずーっと無言だったもんねー。人混みにもまれて消えちゃうんじゃないかと思ったわー」

 やははと笑う織江さんを諭しながら、四季宮さんがお茶を差し出してくれた。
「さっき買ったばっかりだから、まだあったかいよ」
「いや、でも……」
「大丈夫大丈夫、まだちょっとしか口付けてないから、たくさん入ってるし」

 ちょっとでも口をつけてることが問題なのでは?
 とはいえ折角の好意だし、あまり押し問答をする体力も残ってなかったので、僕はありがたくペットボトルのお茶を受け取った。

 十一月も下旬になると、川近くに吹く風はかなり冷たい。まだ十分に温かいお茶は、疲れた体にしみわたった。

「さって。じゃあちょっとばかし休憩もできたことだし、我がグループの本日最後となるイベントを開始しましょっかぁ! 集合時間まで、もうそんなに時間もないしー」
「本日最後? もう鴨川でゴールじゃないの?」
「ふっふっふー。甘い、甘いぞ茜ちゃん! 私が何のためにゴールをここに設定したと思ってるのだ!」
「んーと、クラスの集合場所が、ここから近いから?」
「ぶっぶー」

 織江さんはバッテンを作ると、

「正解はー……あれでーす!」

 じゃん! と両手をそのまま前に向けた。
 そこには当然のように鴨川が広がっていて、川岸の店にぽつぽつと明かりが灯り始めていた。

 あたまに疑問符を浮かべた僕と四季宮さんだったが、どうやら御影は何かを察したらしく「あー、なるほどね」と呟いた。

「どういうことですか?」
「おやおや? 藤堂君には見えてないのかな? あの、等間隔に座るカップルたちが!」

 どうやら織江さんが言っているのは、川のことではなく、川岸のことだったようだ。よく見てみると、川岸には人が座り、並んでいた。

「なんでも、京都の鴨川には、カップルが等間隔に座るっていう文化があるらしいよ!」
「言われてみれば、確かに等間隔だな。すげー」
「でしょでしょ! これはもう、見てるだけじゃもったいないよね? 私たちも体験してみるしかないよね⁉」
「いや、別にここから見て写真撮るだけでもいいんじゃ――」
「シャラップ藤堂君。それ以上の発言は私が認めない」

 暴君ですかね。

「と、いうわけで。私とこーちゃん。藤堂君と茜ちゃんのペアで座ってみよーぜ!」

 おー! と右手を振り上げる織江さんに、四季宮さんが慌てて口を挟む。

「ちょ、ちょっと待って、織江ちゃん! もうペア決まってるの?」
「ったりまえじゃーん。私と茜ちゃんペアでもいいけど、それだと藤堂君とこーちゃんがペアになっちゃうでしょ? 女の子二人はいけても、あのカップルの列に男二人は厳しいでしょー」
「だったら、僕と御影はここで待っててもいいんじゃ――」
「君に発言は許可していないぞ、少年」

 だから暴君かよって。横暴にもほどがある。

「だったらもう、藤堂君と茜ちゃんがペアになるしかないじゃない? 私はまー、しゃーなしで? しゃーなしで、こーくんと組もうかな!」
「そうだな。まあ俺も、真崎と織江なら、しゃーなしで織江を選ぶかな」
「は? 何言ってんの。そこの二択なら秒で私を選びなさいよ。いや、たとえ私とマリリンモンローの二択だったとしても、私を選びなさいよぉ!」
「……。なんでマリリンモンロー……?」

 漫才をしながら川岸に降りていく二人を、僕と四季宮さんはぽかんと眺めていた。
 やがて僕は、特に興味もないのに、近くでこうこうと光を放っているドラッグストアの看板をじっとながめながら、

「え、えーと……、じゃあ、行きますか……?」
「そ、そうだね。折角だし、私たちも体験してみよっか」

 ちらりと四季宮さんの顔を盗み見ると、どうやら彼女はでかでかと存在感を放っている中華料理屋の看板に、興味津々なようだった。
 人混みをかき分けながら、僕と四季宮さんはてんでバラバラな方向を見つつ、川岸に向かって歩き出した。
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