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最終幕:本庄翼の場合

(5)B-Side

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 私はなぜ、修君に自分の話をしたのだろうか。あんなにも赤裸々に、包み隠さず、さらけ出してしまったのだろう。
 後にも先にも、自分語りをしたのは弥生さんにした、あの一回だけだった。あの時は語らなければならない必然性があったけど。今回のはいくらでも誤魔化せたはずだ。

 何言ってるの、修君? 変なこと言うんだね、修君。

 そんな風にお茶らけて、お茶を濁して、さも大したことがなさそうに言えば、修君も深く追及することはなかったはずだ。
 頭では分かっていたはずなのに、結局全てを語ってしまったのは。

『僕は……翼さんの力になりたいんです』

 彼のひたむきな瞳と、まっすぐな言葉に、あてられたからなのだろうか。
 明確な答えはない。
 ただ、あの時の行為を後悔していない自分がいることだけが、何かを示している気はした。

「あれから、色々考えました。僕なりに、どうやったら翼さんの力になれるのか」

 修君は、真摯に言う。

「本当は、翼さんが泣けるような作品を、僕が探し出せれば一番よかったんですけど……とても残念なことに、僕は本に関する知識がありません。翼さんがこれまで見つけられなかった本を探し当てるなんて、できないと思いました」

 修君は、ひたむきに言う。

「もし僕に小説を書く才能があったとしたら、僕が翼さんを泣かせるような作品を書くこともできたかもしれないと思いました。だけど残念なことに、僕は作文が苦手でした……」
「苦手なんだ」
「得意なように見えます……?」

 確かに見えないなぁと、私は笑って答えた。
 修君は器用ではない。私はそれを、悪いことだとは思わない。不器用な人は、その事実と向き合いながら、折り合いをつけながら、生き方を探す。その過程には、器用な人が決して経験できないような道があって。それが人を豊かにすることもあるだろうと、私は思う。
 修君が、そうであるように。きっと彼は、そんなことは思いもしてないだろうけれど。
いっぱい考えてくれて、ありがとね。すごく、嬉しいよ。でも、もういいんだ。私が抱えているものが、とってもとっても厄介で、難しい物だっていうのは、よく分かってるから。だから――

「だから、僕でもできそうなことを、この一週間、無い知恵を絞って考えて……それで、見つけました」
「見つけたって……何を?」
「これを、見てもらえませんか?」

 そう言って修君が差し出してきたのは、スマートフォンだった。
 画面には、再生ボタンが大きく映っている。
 押してください、と言われ、私は言われるがままに、それをタップした。
 動画が流れ始める。


【岸谷真雪の場合】
 
「それで、最初の話に戻りますけど。今日は私、なんで呼び出されたんですか?」

 実は――というわけでして。

「はぁ、なるほど。それで私に何をしろと?」

 翼さんに、一言お願いします。

「何言ってもいいんですか?」

 じょ、常識の範囲内でお願いします……。

「そんなの当たり前じゃないですか。あーあー。んんっ」


「本庄翼さん」


「私は嘘を見抜くのが得意です」
「だから、あなたが私についた嘘も、当然見抜いていました」「その嘘が、ひどく私に似ていたから、私は一度、あなたを嫌いました」

「自分が今に至った理由を偽ること」

「なぜ本庄さんが、そんなことをしているのかは分かりません」
「きっと私とは全然違う理由なのでしょう」「もっと複雑で、難しくて、ドラマチックな理由なのかもしれません」

「だけど少なくとも――私はもう、偽るのをやめました」
「空っぽだった自分を受け入れて、今からすべてを始めることにしました」

「なぜ、そんなことができたのか」

「急に自分を変えることが出来たのか」

「答えは簡単です」

「本庄翼さん。私は――」


【貝塚遼太郎の場合】

「えーっと、それで。俺は今日、なんで呼ばれたんですか?」

 実は――というわけでして。

「そんなことが……。俺は、どうすればいいんですか?」

 翼さんに、一言お願いします。

「なるほど、そういうことですか。分かりました。それじゃぁ――」


「本庄翼さん」


「カフェでお話した時、あなたは俺に似ていると言っていましたね」「あの時は、一体何を言っているんだと、疑問に思いました」「気休めの同情かとすら思っていました」
「でも今、彼から話を聞いて、あながち間違ってはいなかったのかなと、そんなふうに感じています」

「……本庄さんは、時間を戻せるとしたら、人生のどの段階に戻りたいですか?」
「俺はずっと、大学に入った時に戻りたいと思っていました」「あの頃から、俺の人生は狂い始めたと思っていたから」「もう一度やり直せば、きっと今度はうまくいくに違いないと思い込んでいたから」

「だけど今」「もう、戻らなくてもいいかなって、思い始めているんです」
「もしあの時失敗していなかったら」「何かの拍子で、うまく大学生活を送ることが出来ていたら」「俺はきっと、ひん曲がったままでしたから」

「こんな風に、挫折を経験していてよかったと、そう思えるようになった」
「ずっと後ろを向いていた視線を、前に戻すことが出来た」

「ねぇ、本庄さん。俺は――」


【真田宗谷(志波)の場合】

「今日は何か、俺に頼みがあるって話でしたよね? 一体どうして、俺はここに呼ばれたんですか?」

 実は――というわけでして。

「……そんなことが。分かりました、何か一言、彼女に言えばいいんですね」

 お願いします。

「いえ、これくらいどうってことないです。それでは――」


「本庄翼さん」


「こんにちは、志波です」
「作家って言うのは難儀なもので、二つの欲求を持っているんです」「一つは自己承認欲求。自分を認めてもらいたいと、思う気持ちです」「創作をしているものは、多かれ少なかれ、自分の中で風船みたいに膨れ上がる、この欲求と日々戦いながら過ごしていると思います」

「そしてもう一つは」
「自分の作品を愛する欲求です」
「作品って言うのは、本当に子供みたいなもので、苦しみながら、もがきながら、時には血反吐を吐くくらい悩みながら、ひねり出したものなんです」

「だから」「人一倍、作品には愛着があって」「だからこそ、作品には幸せになって欲しくて」「この二つの欲求は、似ているようで、全然の別物で」「片方が満たされたら、もう片方が満たされるみたいな、簡単な関係性じゃないんです」

「まあ、残念ながら俺は、このどちらもが欠けていて、それが原因でずっと腐っていたわけなんですが」
「でも今は、もう立ち直っています」「前を向くことができています」
「きっかけは、些細なことでした」「細くて小さなスポットライトが当てられただけでした」「だけど、それだけですごく、報われた気分になったんです」

「ねえ、本庄さん」
「俺と、俺の作品は――」



「「「」」」



「今回は、時間が短かったので、この三人の方からしかお話を聞くことはできませんでした」

 動画を止めて、修君が言う。私は――

「でも本当は、きっと、もっと、ずっと、たくさんの人が同じように思っているはずなんです。……翼さん。分かったでしょう?」

「あなたという存在が――で、こんなにも救われた人たちがいる」

「確かに、翼さんの勧めた本が合わなかった人もいるかもしれない」「だけどその人たちだって、それがきっかけで、新しいジャンルのことを好きになったかもしれない」「それになにより」「こんなにもたくさんの人が、あなたに救われている」「だから……だからっ!」

 修君は、言う。

「ソムリエをやめるなんて、言わないでください。僕で良かったら、いくらでも力を貸しますから」

 私は――。

「……っ? あ、れ?」

 視界がぼやけて、目頭が熱くなって。
 頬の上をしずくが伝った。

「あれ? あれれ?」

 声が震えて、思うように言葉が発せなかった。

「翼さん……」
「おか、しいな……。なんで、なんでこんな簡単に……」

 訳が分からなかった。これまで散々、感動できる本を読んできて、たくさんの人が泣いたという映画を観てきたはずなのに。なんども焦燥感に駆られて、幾度となく悲しい気持ちになって、その度に心を痛めてきたはずなのに。
 一度だって流れなかった涙が、どうして今、こんなにも簡単に流れるのだろうか。

 三人が、私の紹介した本で前向きになれたことは知っていた。
 岸谷アナは手紙をくれた。貝塚さんはSNSで呟きを見た。志波さんは小さな声で、直接お礼を言ってくれた。
 知っていた、分かっていた。彼らがみんな、私の紹介した本でポジティブになったことは、頭では理解していた。 
 だけどそれらは、何かフィルターのようなものに遮られ、私の心に直接届くことはなかった。
 なのになぜか、修君が作ってくれたこの動画の言葉は、ストレートに私に届いた。
 一言一言が、名作の感動的なセリフのように胸をうって、私を虜にして離さなかった。

 私は確かに、彼らの力になれていた。
 他にもたくさんの人の心を動かすことができたのかもしれない。
 それになにより。
 今この瞬間に、熱い涙を流すことができているから。
 これから私は、もっともっと本に詳しくなることができるかもしれない。
 感動的な本にも、造詣が深くなるかもしれない。
 だとすれば。そうだとするならば。

 私はまだ、ソムリエをやり続けてもいいのだろうか?

 嗚咽交じりに泣きじゃくる私の横で、修君は静かに寄り添ってくれていた。
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