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幕間2

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 嘘をついた。
 貝塚遼太郎さんに、嘘をついた。
 確証バイアスだの、正常性バイアスだのと、それらしい、体のいい言葉を並べて、「私はあなたの悩みを見抜いていたわけではない」とはぐらかした。

 本当は分かっていた。
 貝塚さんの見た目は20~30台。
 顔つきはまだ幼く、手や顔の肌はまだ若々しかった。
 ソムリエスペースに貝塚さんが来たのは平日の昼過ぎ。
 おそらく、社会人ではない。大学生かフリーターだろう。

 彼が近くまで来ると、油の香りがした。服に染みるほどの動物性の油のにおい。
 おそらく、常習的にフライヤーを使っているのだろう。
 居酒屋か、ファーストフード店かでバイトをしているのだと推測した。
 目に覇気がなく、疲れている様にみえた。

「ソムリエスペースってここですか?」

 彼は言った。

「そうですよ。何かお探しですか?」
「あ、じゃあお願いします……」

 あまり乗り気ではないようだった。
 どこで噂を聞きつけて、冷やかしがてらに見に来たのだろうか。
 最近テレビの取材を受けたから、それが原因かもしれない。
 弥生さんの戦略大当たりだなと、内心で微笑む。

「好きな本を見つけてくれるって聞いたんですけど」
「承っておりますよ。いくつか質問させていただいてもよろしいですか?」
「はい」

 伝聞系、自身なさげな言葉尻。概ね推測は当たっているかなと思った。

「普段本は読まれますか?」
「いえ、全く」
「本はお好きですか?」
「あんまりいい印象はもってないですね」

 変わった答えだった。深く聞いてみる。

「どういうことですか?」
「いや……すみません。最後に触れた物語が教科書とかのレベルなので、忘れてください」
「そういう方は実はとても多いんです。お気になさらず、どうぞ」

 笑顔でうながすと、彼はとつとつと語り始めた。

「なんていうか……解釈とか時代背景とか心情描写とか、色々押し付けてくる感じが苦手っていうか……。読んでると息苦しくなるんですよね」
「ほうほう」
「ちゃんと全部理解しなくちゃいけないっていうか、強要されてる感じがするっていうか……」
「教科書に載っていないような物語でも、それを感じますか?」
「そうですね。あんまり最近のものは読んだことないですけど」

 なるほど、と私は頷いた。

「因みに、ご自身で本を買った経験は?」
「……? ありません」

 恐らく彼がこれまでに読んできた本は、教科書に載っている物語か、あるいは親から与えられてきた本だ。
 受験対策として本を読んでいた可能性が高い。
 心情描写はまだしも、しっかりと時代背景も踏まえることを理解している、たくさん勉強もしたのだろう。
 もしかしたら良い大学に入っているのかもしれない。だけど

「そうですか。では最後に――」


「今、学生さんですか?」
「あぁ……いえ。大学は卒業しました」


 だけど恐らく、彼は今フリーターだ。
 さて……と私は考える。
「フリーターをしているのか。フリーターになっているのか」
 その二つの間には、とてつもなく深い溝があるのだと、相葉君は言っていた。
 彼は一体、どちらだろうか。

 とにもかくにも、まずは彼の好きそうな本を見定めなくてはならない。
 比較的新しいものがいいだろう。現代物ではなく、ファンタジーの方が、彼には真新しくて良いかもしれない。
 軽く読めるもの、特に、途中で投げ出してもいいと思えるような、心的負担の少ないものがいい。

 本に慣れていない人が、高確率で長編を読み切ることができないのは、情報量が多く頭で追いきれないからではなく、単純に「全部読まなくてはいけない」という使命感にかられるからだ。
 そういう人には、短編くらいのサイズ感が丁度いい。
 短編を追っていたら、気付いたら一冊読み終わっていた。
 そういう達成感が、次の読書への足掛かりになる。

 いくつか脳内で候補を絞って、最後の一押しを考える。
「フリーターをしているのか。フリーターになっているのか」
 もし、もし仮に後者だったとすれば。
 たくさん勉強し、良い大学に入り、なのに自己実現を伴う事ができず、鬱屈とした毎日を過ごしているのであれば。
 彼を応援してあげたいと思った。
 何か前向きになれる言葉を、見つけて欲しいと願った。
 だとすれば。

「分かりました。それでしたら、こちらの本がおすすめです」

 そうして私は「アタランテは気付かない」を彼に渡した。

 ほの暗い部屋の中で、ソファーにもたれかかりながら、スマートフォンの画面を操作する。
 最近は便利なもので、顔も知らない人の日常のつぶやきを追えたり、その人の顔写真を知ることができたりする。


 アカウント名、DUKAさん。
 あまり積極的に呟く人ではない。そんな人が、珍しくコメントを残していた。

【心機一転、頑張ろうと思う】
「よかった」

 と私はおめでとうの言葉を送った。もちろん、書き込んだわけではない。

 私はこうして、自分が本を手渡した相手が、その後どのような感想をつぶやいているのか。その動向を追うのが日課だった。

 私の渡す本は、今が旬でないものが多い。
 そしてソムリエの名前も、少しずつ浸透している。
「本の名前」「ソムリエ」「水月書店」そんな単語を組み合わせて検索すれば、全てではないにしろ、渡した人のアカウントをみつけることができる。

 その後は、本名が分かりそうなら、調べてみる。
 ツイッターを本名登録している人は稀だが、別のアカウントであればその限りではないし、地震情報や停電情報、ふとした呟きから特定範囲を狭めていく事は容易い。
 今の時代、本名を特定するのは、そんなに難しい事ではなかった。

 本名が分かれば、その人の生い立ちが知れる。
 そうなれば、次来てくれた時に、もっとふさわしい本を進めることができる。

 本当は、あなたの悩みを分かって本を進めましたと、声を大にして言いたかった。
 今日だって、貝塚さんの悩みを聞いて、ぴったりな本を提供したかった。
 だけど、それは止められている。

「お前はカウンセラーじゃない。ただの書店員。一人のソムリエだ。それ以上のことをしようとするなら、私はなにも教えない」

 言いつけを守って、私はこれまで、ソムリエの仕事に徹してきている。
 こうしてSNSを通じて調べているのは、それに対する、ほんのわずかな私の抵抗なのかもしれない。


「噂のソムリエさんにお勧めしてもらった本、面白かった!」
「暮らしの中の怪物、面白いな……。マイナーな出版社だから知らなかった」


 よかった。よかった。
 私はちゃんと、人の役に立っている。
 私はちゃんと、誰かの力になれている。

 ふと、フリックする手が止まった。


「んー、ソムリエさんにお勧めしてもらった本、私には合わなかったなー。泣けなかった」


 ごめんね。と呟く。
 今度はもっと、ふさわしい本を選ぶから。
 あなたに喜んでもらえるよう、頑張るから。

 だから、どうか、私を――
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