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第一幕:岸谷真雪の場合

(6)B-Side

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 打合せは書店内の休憩スペースで行われた。
 本屋に来るのは久しぶりだった。紙の匂いなのか、インクのにおいなのか、独特の香りが鼻をつく。

「わざわざお越しいただき、ありがとうございます。店長の茨木弥生です」

 最近の書店というのは、美男美女でそろえなくてはならない決まりでもあるのだろうか。
 アーモンド形の大きな目に、きりっとした眼光。ハスキーな声質も相まって、ともすれば男勝りに捉えられかねないが、ミディアムヘアーが可愛らしく決まっていて、フェミニンな印象を受ける。

 肌には張りがあり、手の甲からも若々しさがにじみ出ている。店長というからにはそれなりに歳も取っているはずなのだけれど……つくづくやりにくい案件だと思いながら、私とディレクターも挨拶をする。
 そうこうするうちに、企画のメインゲストが現れた。

「遅れてすみません! 今日はいつもよりお客さんが多くって……。本庄翼です。どうぞよろしくお願いいたします」

 ああ、主役の顔だ。
 彼女が現れた瞬間、確信した。
 顔、表情、声、仕草、立ち振る舞い、画面内で人間を構成するあらゆる要素のクオリティが、凡人とは一線を画していた。
 これはかなり……きついなあ。

「いえ、こちらこそよろしくお願いしますね。早速ですが、スケジュールの確認に移らせてください。まず――」

 話し合いは滞りなく進んだ。
 店長の茨木さんが話し、次に本庄さん、最後におすすめの本を紹介してもらう、と言う流れだ。

「取材の日までに、この質問票を埋めて送ってもらえたら、こちらで岸谷アナウンサーにぴったりの本をご用意しておきます」

 そう言って渡された質問票には、項目が十個足らずしかなかった。

「これで私にピッタリの本が分かるんですか?」

 思わず、そう問うと

「はい、お任せください」

 と彼女は笑顔で答えた。自身に満ちた声音だった。
 これまで、この方法で何人もの客を相手にやってきているのだ。愚問だったなと、内心で苦笑いをする。

「それにしても、すごいですね。毎日何十人ものお客さんを相手に、たくさんある本の中から、一瞬でおすすめの本を選び出すなんて」

 ふと興味がわいて、聞いてみる。

「これは本番でも聞くと思うんですけど、どうしてソムリエをしようと思ったんですか?」

 私の問いに、彼女、本庄翼はさらりと答えた。

 さらりと。

 答えた。

「本を好きな人が増えたらいいなと思って。大学の友達に、その子におすすめの本をプレゼントした時、とっても喜んでもらえたんです。同じようなことが本屋さんでできたらいいなと思って、家の近くで一番大きな本屋さんの水月書店さんにお願いしたんです」
「――っ」

 嘘を見抜くのは得意だ。
 そして同時に、嘘は嫌いだ。
 何より

「本当、ですか?」
「……? はい。本当です」

 は、大嫌いだ。

「そうですか」

 私は笑って彼女の言葉を流した。
 それまでは自信に満ちた声音だったのに。
 迷いのない語調だったのに。
 私の最後の問いかけに対してだけは、借り物のような、どこかで誰かが答えていそうな、そんな無難な答えを返してきた。
 もっと腹が立ったのは、それを彼女が言い慣れていたことだった。
 何度も何度も、嘘の言葉を繰り返して、あたかもそれが真実であるかのように、口になじんでいたことだった。

「うざ……」

 家に帰り、いつも通りベッドにダイブして枕に向かって悪態をつく。
 自分の仕事に自信を持っていて、自分の能力にも自負があって、なのにどうして……どうしてきっかけについてだけは、嘘をつくのだろうか。
 それが妙に腹立たしかった。

「質問票、ね……」

 来週までに送ってくれればいいと彼女は言っていた。
 私はこの質問票に合わせて台本を作り、彼女たちに送ることになっていた。

「……」

 その時、ふと、ひらめいた。
 これまで溜まっていたうっ憤が爆発したのかもしれない。
 とにかく私は、彼女を少し痛めつけてやりたくなった。
 この企画は生放送ではない。一度カットがかかるくらいだろう。それでもいいから私は、あのきれいな笑顔にひびを入れたくなった。
 質問の項目を一つだけ抜いた台本を書店側に送り、正しい台本をディレクターに渡し。
 そうして本番を迎えて――。
 私は完全に敗北した。


 結果的に、取材は成功した。
 ディレクターとカメラマンに渡した台本通りに事が運んだのだから、当然だと言える。
 本庄翼には「その本、きっと気に入ると思うので、ぜひ読んでみてくださいね」と笑って送り出されてしまった始末だ。
 唯一私を責め立てたのは、店長の茨木弥生だった。

「おい、お前」

 ディレクターからもカメラマンからも、本庄翼からも離れた一角で、茨城さんは私を壁際に追い詰めた。

「翼の顔に免じて怒ってやるよ。二度とこういうことすんな。品位を下げるぞ」

 何歳かは知らないが、同性に迫られたとは思えないほどの強烈な威圧感だった。
 だてに店長を務めてはないということだろう。
 それにしても――

「だっさ……」

 ダサいにも程がある。
 勝手に仕組んで勝手に自爆して、おまけに誰にも気づかれることなく、あまつさえ相手側に叱ってもらったのだ。
 もしこれで茨城さんが私を咎めてくれていなかったら、私は反省の機会を得られないまま、日々悶々と過ごすことになっただろう。あの姉御肌な店長は、私に一つの区切りをくれたのだ。
 化粧を落とす気にもなれず、服を着替える気力もわかず、私は一緒にベッドの上に放り投げたハンドバッグの中から一冊の本を取り出した。

『少女の日記。落ちる雨』

 確かに美しい装丁だった。
 ブックカバーをかけるのが勿体なくなるような、色彩豊かな表紙。黄色をベースにした背景に、様々な色の線がクレヨンのような筆跡で細切れに入っている。これが雨をイメージしているのだろうか。中央には少女が大の字で寝転がっていて、塗れた制服がぴったりとくっついている。
 あのソムリエが私に勧めた一冊は……一体、どんな内容なのだろうか。
 こつんと、ハードカバーの表紙にツメが当たった。懐かしい感触だ。
 ベッドにうつぶせになりながら、親指を少し動かして、私はページをめくった。
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