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第一幕:岸谷真雪の場合

(1)A-Side

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「事前に告知していた通り、今日うちにテレビの取材が入りまーす」

 土曜日。開店前ミーティング時。
 ででん、と効果音が付きそうな仁王立ちのポーズで弥生さんが言った。

「え、僕知らないですけど」
「あー、お前ここ最近シフト入ってなかったっけ。まあ、そういうことだから」
「雑すぎません?」
「いいんだよ雑で。関係あるのは、私と翼だけなんだから。他のみんなは取材の邪魔にならないように、いつも通り働いてくれてれば良し! ほい、解散!」

 弥生さんが手を二回たたいて、ミーティングはお開きとなった。バイトと正社員の人たちが、三々五々に散っていき、それぞれの仕事に取り掛かる。
 大型量販店チェーンストアのビル五階、フロアの実に八割を占めている「水月書店」の朝は、こうして雑にゆるっと始まる。

「取材って、もしかしてソムリエの?」

 一緒に荷ほどき作業に入った相場さんに聞いてみる。
 相場さんは、僕より二年長くこの書店でバイトをしている。シフトがよく被るので、分からないことは大体相場さんに教えてもらっていた。
 語尾を伸ばすのが特徴的な相場さんは、いつも半目で眠そうなのだけど、仕事を教えるのがとっても上手で、僕は兄貴分のように慕っていた。

「そゆこと。知名度上げて、さらに売り上げ伸ばそうって作戦みたいだねー」
「作戦って……そんなの狙ってできるもんなんですか?」
「弥生さんは『コネで呼んだ!』って言ってたよ。普通そんなコネないってーの。ウケるよなー」

 喉を鳴らして笑いながら、相場さんはテキパキと送られてきた本の確認を進めていく。因みに「ウケる」というのは相場さんの口癖だ。言いすぎて語尾みたいになっているので、本当に面白いと思っているかどうかは定かではない。

「この辺のコミックは確認オッケー。オサムン、これシュリンカーまで運んでー」
「はーい」
「あ、シュリンクは俺がやるから、横に置いとくだけでいいからねー」
「はーい……」

 本をビニールで包み込む作業、通称シュリンク。
 ぴったりと美しく、しわがないように、かつ本を傷つけずに、何冊もの本を包んでいく作業なのだけど……僕はこれが苦手だった。
 一度、相場さんに教えてもらいながらやったことがあるのだけれど、それはもう酷いありさまで「そうか、お前はこういうタイプか……」と弥生さんを絶句させてしまったほどだ。

「オサムン、ヤバいくらい不器用だもんねー。ウケるわー」
「そこはウケないでください、へこみます……」
「あは、ごめんごめん。でもその代わり、力仕事がんがんやってくれるから助かってるよー。ありがとねー」

 当然のことだけど、本は重い。段ボール一杯に詰まっていたりすると、それはもう結構な重量になるわけで。ほっそりとした体形の相場さんは、いつ腰を痛めるかひやひやしていたそうだ。
 その点、僕は一応、高校の頃運動系の部活に入っていたので、まだ無理もきく。
 下半身に力を入れつつ段ボールを持ち上げる。このサイズなら、二つ重ねていけるかな。

「おお、それ一気に持てちゃうんだ。すごいなあ。修君、やっぱり力持ちだね」

 真後ろからかけられた声に、僕は段ボールを持ったまま慌てて返事をする。

「つ、翼さん! おつかれさまです!」
「いやいや、まだ仕事始まったばっかりでしょー。オサムンきょどりすぎ」

 そう言って相場さんはけたけた笑った。
 とはいうけれど、翼さんみたいなきれいな人が至近距離で話しかけてきたら、語彙力も消し飛ぶというものだ。

「あ、『恋は亜麻色』、増刷分届いたんだね。話題になってるし、読みたかったんだー。後で買おっと」
「あれ、ツバサン漫画も読むんだっけー?」
「読むよ読むよー、読みますよー。勉強も兼ねて、絶賛コミック強化週間なんだから。漫画系の質問も多くなってきたからね」

 翼さんと相場さんは同い年らしく、タメで喋る。基本的に敬語で喋る翼さんが語調を崩すのは、相場さんと、年下の僕が相手の時だけなので、なんだか少し得した気分になる。

「品出し、何か手伝えることある? これとか運んだらいいかな?」
「いやいや、手伝いなんてとんでもないです! 翼さんはソムリエスペースの方に行ってもらって大丈夫ですよ!」

 基本的に、翼さんは僕たちがやるような書店員の業務はやらなくて良いことになっている。というか、営業中はひっきりなしに翼さんのもとに人が来るので、暇がないのだ。

「でも、開店前ってあんまりやることなくて……。二人が楽しそうに話してるのみたら、一緒にお仕事したくなっちゃったんだけど……そうだよね、私がいたら足引っ張っちゃうよね。ごめんね邪魔しちゃって、ぐすん」
「え、あ、いや! そういうことではなくてですね! 単純に、僕だけで十分と言いますか、翼さんの手を煩わせるほどではないと言いますか!」
「へー、じゃあオサムン全部一人でやってくれるのー? 助かるなあ。ツバサン、あっちでおしゃべりしよー」
「な、なんでそうなるんですかあ!」

 この中では一番年下だからか、三人で喋るときは、大体僕がこんな風にからかわれる。そして決まって最後は、翼さんがけらっと笑いながら言うのだ。

「あはは、ごめんね。修君の顔みたら、からかいたくなっちゃって。久しぶりに会ったからかな?」

 ごめんね、と両手を合わせる翼さんは、聖母のように清らかな笑みを浮かべていた。ちょっとだけハの字に下がった眉も、その笑顔を引き立てている。
 ああ……いい……。翼さんにだったら、いくらでもからかわれていい……何ならむしろ、からかって欲しいまである。

「ツバサンにだったら、いくらでもからかわれていい。むしろ、からかわれたいまである。って顔してるね、オサムン」
「し、しししし、してませんけども⁉」

 こわいな、おい! なんで一字一句完全に一致してるんですか!
 どうにも流れが悪い。このままでは相場さんの玩具にされ続けてしまう。いつものことだけど。
 僕は話題を変えようと切り出す。

「そ、そういえば。翼さんは、今日取材受けるんですよね? 緊張とかしてないですか?」
「え? う、うーん……ちょっとだけ? でも台本もあるし、事前に打ち合わせもしてるから、そこまでじゃないかも」 

 翼さんは簡単に、今日の取材について教えてくれた。
 曰く、来るのは東都テレビのアナウンサーたちで、地方テレビのお昼のワイドショーの時に特集を組んでもらえるらしい。
 台本は既に送られてきていて、緊張する要素はあまりないのだとか。

「すごい……さすが翼さん! 僕なんて、バイト初日に朝礼で自己紹介しただけで心臓がもんどりうって飛び出しそうだったのに!」

 僕が言うと、翼さんは右手の人差し指を振りながら得意げな表情を浮かべた。なんだか、いつもよりもテンションが高い。取材があるから、わくわくしてるんだろうか?

「えっへん。すごいでしょー。もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
「すごい! えらい! かっこいい!」
「ふっふっふー。まあ? 大船に乗ったつもりで? 私の勇士を見てて? みたいな?」
「はい! 見てます! 見たいです! タイタニック号に乗ったつもりで!」
「オサムン、それ沈んじゃうやつだからー」

 あ、そうか。じゃあ何の船だったらいいかな……。戦艦ヤマト、はなんかちょっと違う気がするし、ブラック・パール号……は海賊船か。しかも映画の。こういう時、さらっと豪華客船の名前とか出せるとかっこいいんだけどなあ。
 なんて僕が考えていると、相場さんが「まあでも、あながち間違いじゃないのかもー」と意味深な発言をする。いつの間にか、作業机の端に腰かけて、何かの冊子をぺらぺらとめくっていた。

「あ、相場君、それ……!」
「なになにー。『ここのセリフは重要! 笑顔で元気よく岸谷さんの目をみて言うこと! 緊張して噛まないように!』『うーん、とか、えー、とか言わない!』『本番前は修君と相場君と喋る!』。なるほどー」
「なんですか、それ?」

 何の資料だろう。発注書でも在庫一覧でもなさそうだし……。
 不思議に思って聞くと、相場さんはにやっと笑いながら答えた。

「ツバサンの今日の台本――」
「あ……」
「――の中にすんごい書き込まれてるツバサンの走り書き」

 ピンときた。
 そっと目線を戻すと、両手で顔を覆ってうつむいた翼さんがいた。
 つっこまないわけにもいかず、僕は問いかける。

「本当は、緊張してるんですか……?」

 そのまま、こくこくと頷く翼さん。

「それで、緊張をほぐそうと僕たちと喋りに来たんですか?」

 やっぱりこくこくと頷く翼さん。いや、かわいすぎか。

「じゃあなんで……嘘ついたんですか?」
「……を……から」

 顔を抑えた指の間から、か細い声がこぼれる。が、残念ながらほとんど聞き取れない。

「すみません、なんて……?」
「……いい年上の……を見せた……から」
「もうひと声ー」

 楽しそうに相場さんが合いの手を入れると、翼さんは観念したように両手を下ろして、言った。

「余裕のあるかっこいい年上のお姉さん、ってところを見せたかったからですー!」
「はいよく言えましたー」

 ぱちぱちと拍手をする相場さんに、翼さんは「いじわる……」と唇を尖らせた。あ、いいなあ今のセリフ……。僕も言われたい――じゃなくて!

「な、なんでそんなことを?」
「だって、仲良くしてくれてる中で修君は唯一の年下だし……。ちょっとカッコつけたかったっていうか、年上の余裕みたいなのを見せたかったっていうか……」
「ばかだなあ、ツバサンは」
「む……馬鹿とはなによー」
「だってさー」

 隣にやってきて、相場さんは僕の頭をぽむぽむと叩いた。

「オサムンはそんなことしなくても、ツバサンのことそんけーしてるっしょー」

 相場さんの言葉にあわせて、僕はぶんぶんと首を縦に振る。

「そうなの……?」
「もちろんです! 尊敬してます!」
「ね?」
「そ、そうなんだ……」

 聞かれるまでもなく当然だ。なんなら翼さんにあこがれてバイトを始めたくらいなんだから。

「だからさー。変に肩ひじ張らずに、いつも通りのツバサンで大丈夫だよ、テレビの取材も。はい、台本。勝手に見てごめんね」

 はっとした。
 そうか、相場さんはいつもより少しテンションの高い翼さんを見て、彼女が緊張していることや、それを隠そうとしていることをすぐさま見抜いたのか。
 だから、わざとあんな風にからかって、翼さんの肩の力を抜いてあげたんだ。さすが相場さん。気の使い方が一流だ。

「……相場君って、たまにクリティカルに男前だよね」
「たまに、は余計じゃなーい?」
「あはは、そうだね。ごめんごめん。うん、二人ともありがと。元気出た」

 僕は何もしていないけど、翼さんの調子が戻ったのならよかった。
 翼さんは、相場さんから返してもらった台本をめくると

「そういえば、修君。まだ台本の中身、知らないんだよね?」
「はい。丁度バイトを休んでるときに配られてたみたいで」
「そっか。中間考査期間だったんだけ? おつかれさま」

 まさに翼さんが言った通り、ついこの前まで、地獄の中間考査期間だった。成績の四割を占めるテストだから、さすがに勉強しないわけにはいかなかった。バイトと両立ができるほど、僕は器用じゃない。

「じゃあ簡単にだけど、台本の中身、教えてあげるね」
「とか言ってー、ツバサンが確認したいだけなんじゃないのー?」
「そ、そこ茶々入れない!」
「やはは。ごめんごめーん」

 まったく、と一息入れて、翼さんは取材の内容を話し始めた。
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