はじまらない物語 ~僕とあの子と完全犯罪~

玄武聡一郎

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出題篇 □■□■君は

第一話 (1) 『春、来たりて』

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 この五月、僕は転校することになった。 
 別れの春、出会いの春。
 高校一年生になった僕にとって、それは決して他人事ではないのだけれど。
 
 まさか中学三年間仲良くしていた友達に別れを告げた直後に、高校で出来かけていた友達にまで別れを告げなくてはならなくなるとは思わなかった。
 新学期が始まって早々、流星のごとく転校していく僕を見送ってくれたクラスの皆の、何とも言えない顔が忘れられない。

「えーっと、君の事はリアルに何も知らないけど、向こうに行っても頑張ってね」

 みたいな? 
 いや、まぁ分かる。
 気持ちは分かるよ。
 僕だってどんな顔してどんな別れを告げればいいのか分からなくて、「えー、あー、皆さんの期待に沿えず残念です?」とかいう訳の分からない言葉を残してしまった訳だしさ。
 せめて語尾を疑問形にするのはやめればよかったなぁって、今更ながらに後悔している。
 

 四月に入学し、五月に転校。
 こんな突飛なシチュエーションに置かれたのは、ひとえに父さんの仕事のせいだ。
 急に異動が決まった父さんの転勤先はイギリス。
 よりにもよって九千キロ以上も離れた国への大転勤だった。

 父さんが行くとなれば、当然、母さんも付いて行く。
 そうなれば必然的に僕も付いて行かざるを得ない、という話だ。
 よく『両親は海外出張中で一人暮らしの僕は――――』という設定を見るけど、実際問題、親はあんなの許してくれない。ソースは僕。

 一人暮らしの「ひ」の字を言う前に、「あんたも来なさい!」と言われれば、養われている身分の僕は「はい分かりました」と首肯するしかない。


 びゅんびゅんと窓の外を通り過ぎていく放牧地帯を眺めながら、僕は「なんにもないなぁ」と誰に言うでもなく独りごちた。
 タクシーの中には鼻と肺をつんと刺激する臭いが充満していて、どこか落ち着かない。においの根源は恐らく、運転手のおっちゃんがつけている香水なのだろう。
 こっちの人はシャワーを浴びず、香水で体臭を誤魔化す、と何かで読んだ覚えがある。真偽は定かではないけれど、とにかく独特のにおいがするのは確かだ。

 既に引っ越しは完了し、僕は母親と共に新しい学校へと向かっていた。

 海外に行くにあたって一つ問題だったのは、僕の転校先だった。
 案として真っ先に挙がったのは現地校だったけれど、速攻で僕が却下した。
 自慢じゃないが、僕は英語が苦手なのだ。喋るなんてもっての他だ。

 そうなると日本人がいる学校に行くしかないわけだが、生憎と海外における公立の日本人学校、いわゆる在外教育施設というのは、中学校までしか設けられていない。
 高校からは、私立の大学と提携している「全寮制」の学校しか存在しないのだ。
 つまり、選択の余地なく、僕は両親の住むロンドンを一人離れ、「東応英国学院」で寮生活を始めることになった。


 車が速度を落とし、ウィンカーの音が車内にカチカチと響く。
 あぁ、着いたのか、と僕はこわばった両手両足を思い切り伸ばした。
 新品の制服がぐぐっと嫌な音を立てた。
 ロンドンから、ここイースト・サセックス州の片田舎まで二時間ちょっと。朝早くに家を出たにもかかわらず、すでに時刻は正午近い。
 実に長い旅路だった。
 最初は景色をぼんやりと眺めていたけれど、周りの景色が牧場か畑だけになってからは本当に暇だった。

奏汰かなた、着いたみたいよ」
「ん、分かってる」

 門をくぐった後も暫く道は続いているようで、車はごろごろと徐行しながらゆっくりと構内を進んでいった。着用義務があるという青いネクタイをのんびりと結びながら、僕は外を眺めた。
 
 綺麗な並木道だった。
 何の木かは全く分からないけど、とりあえず桜の木じゃないことだけは間違いない。
 転校前にグラウンドで見た散りかけの桜を思い出しながら、僕はスマホを取り出して外の写真を撮った。いい景色だ。

「ポプラだって」
「へぇ」

 運転手に聞いたらしい。
 こっちに来るまで知らなかったけど、母さんはそこそこ英語が喋れるらしく、ここに着くまでの間も助手席で何か喋っていた。

「もうお花のシーズンは終わっちゃったみたい」
「そもそもどんな花が咲くか知らないや」

 数分の後、ようやく校舎らしきものが見えてきた。
 やたらとでかい学校だ。
 そういえばパンフレットか何かに、敷地面積が東京ドーム数十個分あるとか書いてたっけ。
 ただ、グーグルアースで見た感じはほとんど緑色だったから、実際問題その内の何パーセントを有効に使えているのかが気になるところだ。
 
 いくつかレンガ造りの建物が並ぶ場所に着くと、運転手がサイドブレーキをひいた。
 一体どれが校舎でどれが寮なんだろうとキョロキョロ辺りを見渡しながら、僕は車を降りた。
 ほとんどの建物がレンガ造りで、落ち着いた茶色を基調にした建物の並びは中々に趣深い。
 
 写真映えしそうだな、と少しウキウキした。
 何を隠そう、僕は写真を撮るのが大好きだ。
 といっても、デジ一とか、一眼レフとか、そういう大層なカメラを使いたいわけじゃない。
 スマホでパシャっと、気軽に写真を撮るのが好きなのだ。

「ようこそ、東応英国学院へ、日向ひむかい奏汰君」

 振り返ると、ダンディなおじさまがニコニコと僕に歩み寄って来ていた。
 ダンディというか、紳士? イギリスに住んだらみんなこんな色気を出せるんだろうかと、ちょっとどぎまぎしながら、僕も挨拶を返す。

「あ、どうも。今日からお世話になります、日向奏汰です。よろしくお願いします」
日向ひむかい涼子りょうこです。中途半端な時期からで恐縮ですが、息子をどうぞよろしくお願いいたします」
「校長の南です。いつからでも入学は歓迎ですよ。お疲れの所申し訳ないですが、まずは手続きと荷物の運び込みをしてしまいましょうか」
「分かりました」

 すっげー、胸ポケットにハンカチつけてる人初めて見た。やる人がやったら様になるもんだなぁ。
 階段を上り目の前の建物に入っていく、色気たっぷりの校長先生の背中を眺めながら、僕もトランクを車から降ろしてその後を追う。

「母さんも行くよ。悪いけど手続きまでは一緒にいて」
「はぁ……校長先生、素敵ねぇ……。母さんもここに通おうかしら」
「あぁ、トイレならあそこにあるみたいだよ。一回鏡見て歳を確認してきたらいってぇええええええ!」
「ふんっ、いいケツしてるじゃない」

 ケツとか言うな、思春期の子供の前で。
 僕はひりひりと痛む臀部でんぶをさすりながら、階段を上った。


◇◇◇


 諸々の手続きの後、名残惜しそうにちらちらこちらを見る母さんの背中を蹴っ飛ばして(勿論、比喩表現だ)タクシーで帰ってもらった後、僕は校長先生に寮へと案内してもらっていた。

 綺麗に舗装され、掃除も行き届いたコンクリートの道を、重いトランクをがらがらと引きずりながら歩く。
 因みにさっき階段を上って入った建物は「教員棟」と言うらしい。
 文字通り先生方の机がコの字型に並んでいて、授業に出ていない先生と目が合う度に僕はぺこぺことお辞儀をした。

「ここが女子寮です。昔、この辺りを取りまとめていた領主さんの家を改装したものなので、中にはシャンデリアや螺旋らせん階段なんかもありますよ。ふふ。勿論男子禁制なので、日向君は見ることができませんが」

 それは残念、と思いながら女子寮を眺める。
 玄関ホールの大きな窓はステンドグラスで出来ているようで、中がうっすらと透けて見えた。確かにシャンデリアらしきものが天井からぶら下がっている。すごい豪華だ。

「そしてこちらが男子寮です」
「男子寮も、お屋敷を改装してあるんですか?」
「いえ、こちらは元々馬小屋だった場所ですね」
「はい?」
「馬小屋です」
「男子に一体何の恨みが」

 女子寮との格差よ。
 見れば、確かに女子寮に比べればこぢんまりとした建物が女子寮の横にくっついていた。
 ただ、女子寮に比べると造りが新しい気がする。最近新築されたんだろうか。

「どんな時代でも、男がないがしろにされることはある、ということですかねぇ、ふふふ……」

 そういって寂しげに笑う校長先生の左薬指には、きらりと光る指輪がはまっていた。
 あぁ……苦労してるんですね、先生……。

 僕の部屋は二階にあるということで、えっさほいさとトランクを持ち上げて階段を上がる。
 ふわりと、ワックスと制汗剤のにおいがした。意外と男臭くはなかった。

「そこの二一〇の部屋が、日向君の部屋ですよ」
「二一〇……ここですね」

 今は丁度四限の授業中だから誰もいないとは分かってはいたけれど、そーっと扉を開けた。
 部屋の中はとてもシンプルで、ベッドが四つ並んでいて、木製のロッカーが壁際に並んでいた。
 僕の身長くらいのラックにはシャンプーやボディーソープ、歯ブラシセットといった洗面用具類が並んでいて、生活感を感じる。

「日向君の他に三人、この部屋で生活しています。みんないい子たちなので、仲良くしてあげてくださいね」
「いやいや、むしろこちらこそお願いしますと言いますか……」

 Souta Himukai と名札がかかったベッドの脇にトランクを置き、部屋を見渡す。
 ベッドの間にカーテンや仕切りはない。プライベートな空間は期待できなそうだ。

「細かい寮のルールなんかは、ルームメイトに聞いてください。そちらの方が早いでしょう」
「はい」

 事前にパンフレットやサイトで下調べをした感じ、かなり規則は厳しそうだった。
 朝起きる時間からご飯の時間、寝る時間まで決められているのは当然として、他にも寮ならではの規則が存在した。
 
 思春期の男女がぎゅっと押し込められ、日夜を共にするのだから当然と言えば当然だが、少々窮屈に感じるだろうとは思った。

「最後に教室の場所を教えます。ついてきてください」

 はばれないようにしなくちゃな、とポケットの中の物にそっと触れながら、僕は校長先生と部屋を出た。
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