九年セフレ

三雲久遠

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二十四話

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 トレーナーの両袖を肘までまくり上げ、キッチンで真新しい雑巾を絞る。
それを広げながら、十年半住んでいた自分の部屋を眺めた。

「さてと……」

 荷物を全て運び出し、がらんとした部屋はいつもよりずっと広く見える。
日に焼けたブラインドを上げ、ベランダへと続く吐き出し窓を全開にして、窓枠を丁寧に拭いていく。

 俺は今、人材バンクで紹介してもらった大手ソフトウェア会社の正社員として働いている。
長らく引きこもっていた俺が、毎朝新堂と二人、通勤ラッシュに揉まれていた。
在宅ワークのときより生き生きしていると、新堂は目を細める。
確かに、仕事には遣り甲斐を感じる。
キャリアとして二十代のうちにやっておかねばならないことはたくさんある。
時間はいくらあっても足りない。

 世話になった日野さんの会社へは、悩んだ末に行かなかった。
仕事内容、待遇、人間関係、あの会社なら安心して働ける。
でも俺は、敢えてチャレンジすることを選んだ。
俺が詫びると日野さんは、なぁにまたどこかで一緒に仕事をすることもあるさと、明るく言ってくれた。

 日野さんに告白もどきをされた事も、ちゃんと新堂に話した。
やっぱりなと怒っていた。
話す必要はなかったかもしれないが、どんな些細なことでも、もう隠し事を作りたくなかった。

「緒方、もう運ぶものないよな。台車はもう管理人に返したぞ」

 新居に荷物を運び終え、デニムに綿シャツ姿の新堂は、軍手を手にして戻ってきた。

「うん、全部終わり。後は掃除だけ」
「この週末ずっと天気がよくて、よかったな」

 ベランダに出た新堂が、雲一つない澄み渡った晴天を眩しそうに仰ぐ。
のんびり構える新堂に対し、俺はというと、自分で立てた計画に合わせ、せっせと体を動かしていた。

 季節は晩秋になり、爽やかな明るい日差しの下、今日は俺たちの引っ越しの日だった。 
新居は、歩いて五分の場所にある築浅の分譲マンションだ。
駅近の低層マンションに二人で目を付け、複数の仲介業者にオファーを掛けておいたのだが、思ったより早く、最適な売り物件が出た。

 頭金は二人で貯金をはたき、ローンの金額も折半だ。
稼ぎがいいのは新堂だが、持ち分は二分の一ずつ、これは俺の矜恃だった。

「新堂、掃除を手伝ってくれる?」

 キッチンで絞った雑巾を、ベランダに立って暢気に外を見ている新堂に投げてやる。

「床拭きをお願い」

 了解と答えて、新堂は掃除を始めた。

 婚約解消による訴訟問題は、理事長の不祥事により成し崩し的に消滅した。
電車での移動中になにげなく見ていたネットニュースで、理事長の脱税容疑を知る。
元婚約者を送っていった時に見たモダンな豪邸に、段ボール箱を抱えた捜査員が続々と入っていく映像が何度もニュースで流された。

 巨大医療法人理事長と大手メーカー役員との癒着問題は、未だに連日マスコミで取り上げられ、
理事長は即時退任したが、医療法人内での背任行為も追及されている。
この状況で婚約破棄の慰謝料を争っても、とても勝てないと向こうの弁護士も諦めたらしかった。

 全ての発端は、新堂の会社での社内調査だった。
何がきっかけで理事長へのリベートが発覚したのか、気になって、新堂に聞いてみた。

 ――接待ゴルフに何度も付き合わされて、常務と理事長の内緒話を小耳に挟んだ。
   それを、丁度ヘッドハントされてきた新任のCFOに耳打ちしたら、
   それはもう、よく働いてくれたよ。

 やられっぱなしっていうのは癪に障る、まぁ見とけと言っていた。
あれは、こういう事だったのかと、ようやく全てに合点がいった。
失地奪還のために新堂が放った秘策が、常務の息の根を止め、理事長を今、窮地に追い込んでいた。

 ――あっぶなかったなー
   新堂、結婚してたら今頃どーなってたんだ?

 理事長の不祥事が明るみに出てすぐ、木田が卒業以来久々に俺の部屋にやってきた。
手土産の日本酒で酒盛りして、賑やかに一騒ぎ。
今度引っ越すと話すと、じゃあ、新居にみんなを集めて、いよいよお披露目だなと言い出した。

 パーティーのケータリングは任せろと言うのだが、まだどうなるか分からない。
緒方も腹をくくれ、前祝いだと言われたのは、こういう日を想定していたらしかった。

 この数ヶ月、駆け足でいろんなことがあった。
めまぐるしくいろんなことが変わっていく。
ひとつひとつ、できることを終わらせていけばいいのだと、ここ数日、自分に言い聞かせている。
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