九年セフレ

三雲久遠

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二十三話

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 今ではすっかり日常になった、朝の光景だった。
新堂がローテーブルにあぐらをかいて座り、マグカップのコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。

 俺はネットニュースしか見ないが、新堂は習慣だからと紙媒体の新聞を読む。
俺はインスタントでブラックだが、新堂は自分で買ってきた粉をドリップしてミルクを入れる。

 デスクチェアの背もたれにもたれ、俺はさっきからずっと、新聞を開いて読む新堂を眺めていた。

 少しでも顔が見られたら一日が幸せ。
気づかれないように遠くからそっと。

「何? 俺の顔になんかついてんの?」
「何もついてない」

 ははっと二人で笑うのも、毎日の習慣になった。
もう新堂に気づかれても、他の誰に気づかれても困ることはない。

 朝の光の中の男を眺めながら、昨夜の男を思い出す。
薄暗いバーの奥まった席で、甘えるように肩にもたれてきた。
しばらくは互いの温もりに寄り添い、でもすぐに、昨日もしたけど今夜もいいかと聞いてきた。
求められるのは素直に嬉しくて、同時にとても恥ずかしい。
答えられずに俯いたら、ダメかと言って、困ったような顔をする。
こんな表情の新堂は珍しい。
可愛かったので、ついくすっと笑ったら、笑うなと怒られた。

 緒方には翻弄される、なんて言ってくれるけど、翻弄されているのはいつだって俺の方だ。
新堂はセックスが上手くなった。
清廉そうなこの男のそんなことを知っているのは、十九の時から抱かれているこの俺だけだ。

「なぁ、緒方?」
「……」
「おーがーた?」
「ん? 何?」

 ぼんやり新堂を見ていたら、新聞を折りたたんだ新堂がこっちを見ていた。
見ていたつもりが、見えてなかった。
ワンテンポ遅れて返事をしたら、にまっと笑った新堂が立ち上がって、俺の背後から腕を回してきた。

「何考えてた?」
「……何って……」

 答えられずに頬が染まっていく。
だって、新堂の指を見ていた。
つまり、昨夜の新堂を思い出していた。

「ねぇ、マンション買おうか。駅近で、新築でなくても築浅の中古マンション。
 主寝室一部屋、おまえの個室、狭くていいから俺の書斎。3LDK。どう?」
「マンション?」
「よく考えたら、会社を辞めずに済むって事は、ローンを組める」
「ローン! えー、だってそれは……」

 新堂が失業せずにすんだとしても、叔父さんの会社の問題はまだ解決していない。
それに破談についての話し合いだって、まだ平行線のはずだった。
マンションなんて買ってる場合なのか?

「緒方も正社員の話が決まりそうなんだろう?
 なら共有名義にしよう。少しでいいからおまえも出せよ」

 散々気を揉まされている俺は、呑気な新堂にちょっと腹が立った。

「今は少しでも資金を貯めておかないと……。
 俺が正社員のクチ探したのだって、少しはしっかりしなきゃと思って……」
「やっぱり俺のためだった?」
「いや、そんなんじゃないけど……。もちろん……自分の将来のためで……」

 恩着せがましく聞こえたかもしれない。
俺が多少稼ぎを増やせたところで、新堂の役に立つわけでもない。
ただの自己満足だ。
自分のためだと尻すぼみに言葉を濁したが、新堂は嬉しそうな顔をした。

「俺が文無しになったらって心配してくれたんだろ?
 下手したら、しばらくは本当に緒方に食わしてもらってたかもな」
「食費とこの部屋の家賃ぐらいは、俺でも何とかなるけど……」

 背後から新堂にぎゅっと抱きしめられる。
緒方ありがとう、でも大丈夫だよと首筋に唇をくっつけて言われた。

「大丈夫って何が?」
「叔父の会社、どうやら増資を引き受けてくれそうなところが見つかった。
 特許をとってる技術に興味があるらしい。
 全然違う分野に転用できそうで、そうすると一気にマーケットが広がる。
 それぞれ技術と販路を提供し合う提携だ」
「本当? でもまだ可能性があるってだけの話なんじゃないの?」
「それがな、実はさ……」

 新堂の話によると、またもや常務だった。

「常務はこの特許についてもきっちり調べてた。
 俺の叔父の会社だから、闇雲に買収しようとしたわけじゃなかった。
 ちゃんとビジネスになると踏んでたんだ。
 会社ごと買い取って、特許だけを他社に高く売りつける。
 合併後、数年のうちに社員は全員、もちろん叔父も含めて、リストラする計画だった。
 そんな極秘の計画書が社内調査で出てきた」
「リストラ……って、酷い……」
「まったくだ。あの常務、ほんとに鬼畜。大事な社員まで酷い目に遭わせるところだった。
 でも、お陰で会社の特許技術の使い道が分かった。
 常務は特許を売り飛ばすつもりだったが、その代わりに提携先を探した。
 提携先の候補は、常務が書いた計画書に会社名が上がってたから楽だった。
 あのオッサン、何がカネになるか、めちゃくちゃ鼻が効くんだな。
 結果的に役に立ってくれたのは、不幸中の幸いだ」

 俺はあっけにとられ、ぽかんと口を開けていた。
これって、瓢箪から駒ってヤツなのだろうか。

「救済合併って言われた段階で、経営者である叔父はいずれは会社を去る覚悟だった。
 それでも、退職するときにはそれなりの退職金が出ただろうから、
 老後資金と個人資産は手元に残ったはずだった。
 社員だってちゃんと雇用を継続されるはずで。
 それが、全員リストラ、会社は清算だなんて、まさかそんなシナリオになってたとは知らなかった」
「常務に騙されたってこと? 会社を潰した後、新堂に何て言うつもりだったんだ?」
「たぶん俺には、叔父さんの会社の内情が悪すぎた。
 ビジネスとして最も合理的な方法を取る、とかなんとか言うつもりだったんじゃないかな」
「怖過ぎる……」
「何度も言うけどさ、ホントに緒方のお陰だ。
 叔父貴も気力が戻ってる。俺も今、会社の再建計画を立てるのに協力してるんだ」

 新堂が最近よく叔父さんの会社へ出向く理由も分かった。
俺が何をしたわけではないが、確実に事態は好転している。

「というわけで、緒方ぁ、マンション買おうぜ」
「うん……そりゃあ、俺も嬉しいけど……でも」

 新堂は変にノリノリだ。
はっきり口に出して言いにくいが、破談の損害賠償はどうなるのだろう。
この結婚は政略的で、常務と理事長との密約が露見している。新堂は結婚を強要された被害者だ。

 でも、一度は合意があって成立した婚約を、新堂から破棄している。
新堂側の弁護士は勝機はあると言っていたらしいが、本当に新堂が責任を問われずに済むのか。

「なぁ緒方。リベートを渡していた常務が自己破産なら、それを受け取っていた理事長も無傷ではいられないと思わないか?」
「え?」

 新堂が意味深にこう言ってきた。
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