ある王族のはなし

及川雨音

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スオウ編

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 ずっと何かを忘れているような気がしていた。

 大切な、己の命よりも大事な、なにか。

 忘れるはずがなかった、なにか。

 そんなものあるはずがないのに。

 そのないものを、俺は無意識に求め続けていた。

 

 昔から感情のない人間だと言われてきた。
 それは事実だった。
 俺は何にも興味が持てず、愛着がわかず、執着が無い。
 だから人に対して容赦が無かった。
 人を人と認識していないかのような俺の態度はひどく恐れられた。
 半年前、父が不治の病に倒れ王の座を譲り受けた。

 それ以来、「冷徹王」と呼ばれている。



 「もう駄目だな」

 父が食事すらとれなくなって三日がたった。

 「そんな……!」

 城の重鎮たちは悲痛な面持ちで嘆いた。
 それを俺は冷めた目で眺めた。
 駄目なものは駄目なのだ。人はいつか死ぬ。王とて例外ではない。それに今は俺が新しく王として仕事をしているのだからこの者たちには死んだとて影響がないはずだろうに、何を嘆く必要があるのか。

 「だいたい医師に診せない父が悪い。不治の病といえど、進行を遅らせるなど悪あがきができただろうに。例の離れに籠りっきりなのだから悪くなるのは当然だろう」
 「そ、それはそうですが……」

 離れは、俺が六歳の時突然造られた塔だ。
 城の敷地内で一番陽当たりの良い場所に建てられている。
 この国一番の魔力の持ち主である父によって厳重に結界が張られ、誰も入ることができない。
 「入ろうとした者はこうなる」とぐちゃぐちゃの血まみれの肉を見せられた。見せしめに従者を一人殺したらしい。人の原型は残っていなかった。
 それまで穏やかだと評されていた父の凶行に皆驚き、恐怖した。

 離れは父の狂気の象徴になった。

 「それにしても今まで通り一人前は食べられているのですよね。いったい、離れには何がいるのでしょうか……」

 離れには父が健在の頃から食事が一人前、毎食父の手によって運び込まれていた。
 何かを隔離していることは明白だった。
 父を狂気に駆り立てたもの。

 人か、動物か、それとも……

 城の者たちの関心はいつもあの謎に満ちた塔にあった。

 「さあな。自分は食えなくなってもその何かには最後の力を振り絞って与えているのだから大切なものなのだろう」

 一か月前から、ついに動くことも出来なくなったらしい父は魔法で食事を運んでいた。
 今、食事も取れない体で魔法を行使するのは追い打ちをかけるようなものだった。

 それでも運ばれる食事。

 「とりあえず覚悟はしておけ。もうじき、先代の王は死ぬ」

 非難するような眼差しを無視して会議を終わらせた。



 夜中にふと目が覚めた。
 なにかを感じる。

 なんだ。

 気配を探ってみると、あの離れのほうからだった。

 「ついに死んだか……?」

 しかし、結界はまだ辛うじて保たれていた。随分薄くなってはいたが。
 結界が存在しているということはまだ死んではいない。 
 どうやら綻んだ結界からその気配が漏れ出ているようだった。

 懐かしいような、不思議な気。

 父はどうでもいいが、その気が気になり、導かれるように離れに足が向かっていた。

 こんな気分は初めてだ。

 近づくにつれ、自分が興奮というか高揚しているのを感じる。
 あの感情がないと言われ続けた俺が。

 とうとう塔の入り口まで来た。
 本当はとうに父の魔力量など超えていて、入ろうと思えばいつでも入れたのだ。
 それでも入らなかったのは単に他の者と違い塔になど興味がなかったからだ。それに父に対しても情はなかった。
 俺たちは親子と呼べるような仲ではなかった。
 父は塔以外はどうでもよいといった態度だったし、俺はといえば、俺が生まれた素としてしか見えなかった。

 内部にはすんなり入れた。
 異物を排除する能力がもう働いていない。

 「今夜が峠だな」

 冷静に分析しながら目の前の螺旋階段を上る。

 この上に、いる。

 最上階からあの気配がする。
 内部に入った途端一気に濃密になった気に酔いそうだ。
 こちらを誘惑するような、魔性の匂い。
 無意識に舌なめずりをしていた。

 「……もう少しで逢える……」

 気がつけばそう呟いていた。

 ああ、なんだか。

 なにかを。

 思い出しそうな、そんな……


 「たのむ……私と一緒に死んでくれ」
 「それは無理だ」


 声が、聞こえた。

 ああ、どこか懐かしい……


 「じゃあ私が死んだあとどうするんだ」
 「んーとりあえず子供に会ってそのあと出てくわ」
 「駄目だッ!!わ渡さない……ッ誰にも渡さなっ、ごほっ、ぅ」
 「ちょ落ち着け。ほら、よしよし」
 「会っては駄目なんだ……あったらもう……」
 「一応産んだ義理があるから顔だけ見てく」
 「だから会っては駄目なんだっ!」

 父の魂の叫びを聞いて俺は、嗤った。

 ドアは、目の前にある。

 


 驚くほど月が近い。

 その月の光に照らされて、きらきらと漆黒の髪が輝く。

 「あ?」

 振り返り、目が合った。

 その、瞳。

 「ああ……」

 漏らした吐息は俺のか父か。

 「お前……」

 美声を発する、そのくちびる。
 

 大切な、己の命よりも大事な、あなた。

 忘れるはずがなかった、あなた。


 「……レイ……」
 
 ようやく、見つけた。


 「来るなッ!!」

 父が威嚇する。
 卑しくも、レイの胸に抱かれながらこちらを射殺さんばかりに睨み付けている。

 この死にぞこないが。
 チッ、と舌打ちする。
 レイと見つめ合う。

 俺だよ、レイ。
 あなたならわかるだろう。
 あれからどんなに時が流れて姿が変わっていても。

 自分の息子を……

 
 「スオウ」

 
 その瞬間感じたものが俺にはわからない。

 
 頬に熱いものが伝った。
 泣いたことなど一度もなかった。

 「スオウだろ?あんなにちっちゃかったのに、でっかくなったなー」

 せっかくのレイの顔がぼやけて見える。

 
 始まりは一人の愚かな男だった。
 父の従者をしていたそいつは、身の程知らずにもレイに懸想した。そして恋に狂ったケダモノはあろうことかレイを襲おうとした。もう、正気じゃなかったのだろう。
 簡単に返り討ちにされて事件は終わったが、父は発狂した。
 拘束されているそいつを剣で何度も貫き切り刻み骨も砕きミンチにした。

 「私が甘かったのだ……私のせいだ……すまない、すまない……っ」と何度もレイに謝りながら。

 そう、父は考えが甘かったのだ。
 まさか王の寵愛を受けているレイに手出しをする者がいるとは思わなかったのだろう。
 浅はかだった。
 反省した父は、レイを知っている者すべてのレイに関しての記憶を封じた。

 永遠に、思い出すことのないよう、深くに。

 そして塔を建てそこにレイを監禁した。
 存在を知らなければ、奪われることはないからだ。

 父が一番危惧したのは俺だった。

 レイに甘やかされる者。

 いずれ必ず自分にとって脅威となる者。

 自分からレイを奪う者。

  だから……

 

 「レイをどこへやったのです!」
 「その名を呼ぶな!呼ぶのも愛するのも私だけだ!」

 勢いよく顔を殴られた。軽く体がふっとぶ。
 父は無力な俺を見て嘲笑っていた。

 「誰にも渡すものか。もちろん、お前にもな」

  父の体から陽炎のように魔力が湧きあがる。
 何か魔法をかけるつもりだ。
 しかし六歳の俺には抵抗する術がない。

 「レイの存在を知る者は私だけでよいのだ」

 無情にも魔法が襲いかかってくる。

 いやだ、忘れたくなどない……っ

 
 レイ……!!

 
 他の誰よりも強くかけられた魔法は俺から大切な存在を奪った。それは魔力量が父を超えても蘇らないほど深くに埋められた。
 こうして永遠に忘れられるはずだった記憶だが……

 愛が勝ったのだ。

 俺の、このレイへの想いが、忌まわしい呪いを解いたのだ。

 目と目が合っただけで。

 言葉など交わさずとも。

 逢えば、それだけでもう、充分なのだ。

 「レイ……逢いたかった……レイ……俺を抱きしめてくれ……」

 レイを感じさせてほしい。

 父が何か喚いた。
 もはや父は父ではなかった。
 あの時から、嫉妬に狂った醜いただの男であったのだ。
 王だった威厳などもう欠片もない。
 黙らせるために口封じの魔法をかける。

 レイがクスクス笑いながら近づいてくる。

 「でかくなっても甘えたは変わらずか」

 そうだ。レイにはいつも様々な想いを抱いていた。
 俺は感情がないのではない。
 レイに関してのみ感じるのだ。

 甘えるように両手を伸ばす。
 その中にずっと待ち焦がれたレイがすっぽりと収まった。

 もう、離さない。

 ギュッと強く抱きしめた。

 ああ。レイだ。レイレイレイレイレイ……

 全身を使ってレイを感じる。
 両手は背中を這いまわり背骨を辿ってぷりんとしたお尻をやわやわと揉みしだく。
 勃起した己のものを服越しにうっすら筋肉のついてる腹に擦りつけた。
 獣耳は舌で舐めまわしてべちゃべちゃだ。
 サラサラ艶々の髪の匂いを嗅ぐ。

 レイレイレイ……これからは、俺の傍にいてくれ。

 そのために、しなくてはならない事がある。
 こちらをずっと目で呪い殺そうとしている邪魔者。
 それを排除しなければ。


 おもえば、哀れな男だったのかもしれない。
 レイに愛されていると勘違いしていた。
 幼い俺にも分かっていた真実を理解していなかった。


 レイが俺たちに愛情などあるわけがないことを。

 あるのは情だけなのだ。

 そこをはき違えた。

 小さいけれど、大きな間違い。

  抜け出せるはずの塔にずっといてくれたのを愛してるからだと思ってしまった。
 レイにとってはただの甘やかしの行為を。
 だから先ほど言ったのだ。

 「一緒に死んでくれ」などという白痴なことを。

 情だけで、一緒に死ぬわけがない。
 断られて当然だった。
 渡さないなどという妄言は傑作だった。
 愚かの極みだった。
 はじめからお前のものなどではないのだ。
 それをまるで自分のものかのように言うなど、聞いたこちらが恥ずかしくなる。

 レイは自由だ。

 肉体的にも精神的にも。
 誰も干渉することなど出来ないのだ。
 出来ることといえば懇願することくらいだ。

 傍にいさせてくれと。

  跪き、赦しを請うのだ。


 それをお前は。

 息も絶え絶えなのにそれでもまだ生きている。
 しぶとい奴だ。
 足掻く姿がなんとも醜い。
 パクパクと渡さないと言っている。

 とっとと死ね。

 レイの足元に跪き、太ももを舌で舐めまわした。
 てらてらと光り一層艶めかしい。

 「くすぐったい」

 しっぽでぽふぽふされた。
 そのしっぽを掴み丹念にしゃぶる。そして指をしっぽの根元からゆっくりと足の付け根に這わす。

 「んん……」

 そこは、しっとりと濡れていた。
 透明な液を絡めとり口に含んだ。
 レイはペタンと座り込んでしまった。

 都合が良い。

 這いつくばると、レイをまんぐりがえしにした。
 とろとろと愛液にまみれたピンクの肉壁が丸見えだ。
 これ以上の絶景などこの世に存在しないに違いない。指で広げると、じゅるじゅると下品な音を立てて直に啜った。

 まるで甘露だ。

 ねっとりとしてとても甘く淫靡な香りがする。
 乾くほど舐めとりたいと思った。
 おでこをくっつけて目と目を合わせる。
 永遠にこの瞳を見つめるためには。

 「レイ……前に約束したね。俺の子を産んでくれると」

 視界の端で男の顔が土気色になった。

 「ああ、そうだったな……んっ」
 「果たしてもらうよ」

 すでに己のものはだらだらと先走りが垂れていた。

 入り口にあてがう。

 「レイ、愛してる」

 ようやく言えた言葉とともに、一気に突き入れた。

 

 夜明けが近づいてきた。
 あんなに近かった月は消え、空は青みがかってきている。

 背徳の交わりは終わりをみせなかった。
 今までの年月を取り戻すかのような勢いでレイを貪った。
 今は獣姿のレイを後ろから犯している。
 背中の毛に顔をうずめる。汗でしっとりと濡れているが、普段はもふもふですごく気持ちがいいのだ。
 そんなことも忘れていた。

 レイを忘れた自分への失望はこの先一生消えないだろう。

 そしてそんな傷を負わせてくれた当人は絶望の表情でこちらを見たまま動かない。
 どうせ奪われたとでも思っているのだろう。
 本当に愚かだ。
 レイはレイだけのものなのに。
 俺にだって手に入れることなど出来ない。
 傍にいてもらえるだけで奇跡の存在。

 身の程は、弁えるべきだ。

 ガク、とレイが崩れた。
 失神している。
 名残惜しいがレイから抜き取ると、ごぽりと精子があふれ出てきた。

 俺の、レイへの愛の証。


 ああ、心底レイが愛おしい。

 
 チュ、と目元に口づけると、俺の着ていた服を被せた。

 さてと。

 ゴミを処理しなければ。

 口封じの魔法を解いてみたが、もう男が喚くことはなかった。

 「貴様は詰めが甘かった」

 魔法陣を展開させる。

 「俺の記憶を消すのではなく殺すべきだった。俺ならそうする」

 レイの存在を知る者は、俺だけで、いい。

 発動するまであと数秒。

 「……レイ……」

 それが偉大なる王だった男が残した最期の言葉だった。

 

 
 レイが目覚めたとき、もう陽は完全に出ていた。

 「ここは……」
 「俺の私室。懐かしいだろ」

 俺は王になっても部屋を移動しなかった。なんとなくこの部屋を離れがたかった。その理由が今ではわかる。

 「死んだのか」

 結界の気配がないことに気づいたのだろう。

 「自殺だった。レイと心中しようと魔法を使ったんだ。転移魔法でなんとか逃げたが。塔は燃えて崩壊した」
 「……そうか」

 レイの漆黒の毛並みが太陽の光に輝いて美しい。

 「レイ、さっきも言ったが俺の子供を産んでくれ。そして死ぬまで傍にいてほしい。出て行かないでくれ」

 もうあなたのいない人生は嫌なんだ。

 愛用の剣を取り出し、首ギリギリに近づける。
 嫌だと言われたら死ぬつもりだった。

 「わかった。わかったから剣を下ろせ。泣きそうな顔してんじゃねーよ、もう」

 人化したレイが頭を撫でてくれる。

 表情筋が動いたことなどなかったはずだが。
 やはり母親は子のことなら何でもわかるのだろうか。

 「約束だ」
 「はいはい、約束な」

 レイに口づける。

 約束のキス。
 俺にとって何よりも神聖な儀式。

 「とりあえず、孕むのは今度でいいか?今無性に煙草が吸いたい」
 「煙草吸うのか」

 だから昔度々姿が見えないことがあったのか。
 新しくレイのことを知れて嬉しくなる。
 まだまだ知らないことはたくさんある。
 それを知っていける幸福。

 これからはこうやって、レイとともに過ごしてゆくのだ。


「レイ、愛してる。死ぬまで傍にいさせてくれ」


 跪き、恭しくその足に舌を這わせた。




 スオウ編おわり
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