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25話
しおりを挟むバートン卿が肩を組んでいるのは、もしや暗殺者なのでは。‥色々おかしいと思うけど、それしか考えらないか‥。暗殺者のすぐ近くで他の誰かと肩を組むわけがない。いや、暗殺者と肩を組んでいるのも心底おかしな話なんだけど‥。
「‥何か不備でもございましたか?」
いつまで経っても袖口から出ようとしない私に、案内役はついに痺れを切らした。ドラージュ公爵はもうとっくに私の紹介を済ませていたらしい。2階と反対側の袖口ばかりに気を取られていたけど、パーティーの参加者たちの方に意識を向ければ確かに“何かあったのか”とざわめき立っているように見えた。
ちょうどその時騎士たちがぞろぞろと案内役の元へ来て何かを耳打ちすると、案内役は飛び上がりそうなほどに驚いた。
「なんだって?!?!不審人物?!?!‥‥‥っ、すみませんが、少々お待ちくださいませ」
「あ、はい‥」
私にそう声をかけた案内役は急いでその場を離れた。恐らく公爵に報告しに行ったのだと思う。バートン卿が肩を組んでいた人も騎士たちに引き渡されてどこかに連行されていった。
ーーーこの展開‥私たちは仮面を取る必要があるかもしれないし、暗殺を未然に防ぐことができた理由も聞かれるかもしれない。公爵家に鼠が入り込んでいたのは事実なのだし、パーティーはもう中止になるのかも‥。結局ピアノの演奏なんて、そもそも不可能だったんだわ‥。
どちらにしても私にチャンスはなかったのかと少し落ち込んでいると、まるで獅子のような凛々しさを持つ男性が近付いてきた。ドラージュ公爵だ。こんなに間近で見るのは幼い頃以来かな。相変わらず、ものすごく威厳のある人。
「‥警備に抜け目があったようですまないね。いや、むしろよく気付いたというべきか。‥詳しい話はあとで改めてということで‥とりあえず演奏をしてもらおう。皆待ち草臥れている」
「‥‥え?‥この状況で‥続けるのですか?」
「あぁ。もう暗殺者はいないし、誰も被害に遭っていない。暗殺者が捕まり警備が強化された今、もし仮に取りこぼした鼠がいても実行はできないだろう。‥何より娘のパーティーをぶち壊すことを前提に暗殺が企てられたことが気に入らない。何が何でもパーティーは成功させてやると今しがた心に誓ったのだ!」
そう言って、公爵はハッハッハと豪快に笑った。肝が据わった豪傑だと聞いていたけど、それは今も変わらないようだ。
「わ、わかりました」
公爵はステージから降りると再び私の紹介をした。その紹介に合わせてステージに登場した私は、深々と礼をしたあとに椅子に腰を掛けた。
ピアノを演奏することに対して緊張していた前回と違い、今回は考えなくてはならないことが沢山あったせいか、人前にいることの緊張感は前回よりかは薄れた。
鍵盤に指を置き、自身に“集中しろ”と心の中で叱咤する。
騒ついていた筈の会場は一気に音を立てるのをやめた。まだこの国ではあまり浸透していないピアノの音色を全身全霊で聴くつもりのようだ。
ーーこの国にピアノが浸透しない理由は、恐らく悪女のレッテルのせい。皇女はピアノが好きだと、多くの人々が知っていたから‥私の存在が、人々からピアノを敬遠させてしまっているのかもしれない。
踊る指を見ながら、まじまじとそう思ってしまった。
思ってしまった途端‥私の目は瞬きを忘れたように見開いた。脳には譜面が次々と流れ込んでくるのに、心は今にも張り裂けそうだ。
嫌われて、汚されて、暗殺まで企てられて、大好きなピアノさえ私のせいで人々から敬遠されて。
ーーシクシクと泣く気なんて、もうない。
いま私の心を占めているのは“怒り”だけ。
いつもよりも力強いけど、どこか脆く儚そうな‥そんな演奏を終えた時、仮面の下で一筋だけ涙が落ちた。泣く気なんてないけれど、不意に溢れたこの一粒の涙はきっと私の弱さからくる涙じゃない。
しん、と静まり返っていた会場からはやがて盛大な拍手の音と感嘆の声が溢れ出した。
立ち上がって再び深く礼をすれば、人々の拍手と歓声は更に増す。どうやら無事に成功したみたい‥よかった。
袖口にはバートン卿だけではなくノエルとテッドもいた。3人の姿を目に入れた途端に緊張の糸が解けたのか、やっと深く呼吸ができた気がした。
ステージから袖口に戻るなり、案内役に促されるまま控室へと通された。
暗殺者に関する話を聞かれるんだろうな‥。‥仮面‥剥がされちゃうかな‥。どうしよう‥。
「‥素晴らしい演奏でした」
控室に入って一番最初に口を開いたのはテッドだった。眼鏡をクイっと上げながら、こんな時でも表情を変えないクールな騎士だ。
「ありがとう‥」
「‥‥どうする?逃げちゃう?正体バレるの、なかなかキツくない?」
ノエルが無邪気に首を傾げた。現実的ではないけど、たぶんノエルは本気で言ってる。
「‥きっと逃げられないよ。たぶん逃げられないように馬車だって出せないようにしてるんじゃないかな」
暗殺者がいた場所と状況からして、私が狙われていたことは公爵も気付いてると思う。
公爵家で暗殺をしようとした者を突き止める為には私の正体を知るのは必須‥。
「‥‥ですが皇女様。そもそも、馬車に乗って帰ることも危険です」
冷静にそう言葉を落としたのはバートン卿だった。
「え?」
「皇女様が狙われていたならば、王宮の誰かが企てていた可能性があります。従って、王宮から送られてきた馬車は信用できません。御者もグルの可能性もありますし、最悪帰りに賊の襲撃を装って襲われる可能性もあります」
バートン卿の言葉を聞いて、私はようやくその可能性に気が付いた。暗殺者のことやピアノの演奏のことばかり考えていたせいで、それ以降のことを考えられていなかった。
ドラージュ公爵邸から3時間ほど歩けば離宮に辿り着けるかもしれないけど‥それこそ襲ってくださいと言っている様なものかもしれない。
これ‥もしかして詰んでる‥‥?またリセットしないといけないのかしら‥。
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