上 下
16 / 123

15話

しおりを挟む

 バートン卿に腕を差し出した。その腕も震えているのだから、もはや笑えてきてしまう。同じ人間の筈なのに、今の私たちは間違いなく捕食者と、被食者だ‥。

「‥血が必要なのであればどうぞお好きなだけ飲んでください。私が魔女ではないと信じられないならば、信じなくて結構です。‥ですが、私はまだ死にたくありません。私を殺さないでください」

 バートン卿は険しい顔をしながら、掠れるような低い声を落とした。

「‥‥‥死にたくない?もし本当に皇女様なのであれば、死にたいと願うに決まっている。魔女が好き勝手した体なのだから」

 私が魔女に体を乗っ取られていたことを知っていたバートン卿のその言葉は、まさしく私が一番最初に思ったことだった。

 ーー私も思ったことだったけど、生きていきたいと願っている今、バートン卿の言葉は私の胸を酷く抉った。
 死を選ぶことが当然なのに、何故生きているんだ?と言われているんだ。存在を否定されることは、こんなにも傷付くことなんだなぁ‥。

「‥何故、そんな顔をする」

 バートン卿は、私の体にまだ魔女がいると思ってる。だから、見慣れない私の反応にいちいち眉を顰めた。

「‥‥‥‥傷付いたからですよ」

「ーーーは?‥魔女のお前が、傷付くだと?俺の体を吸血鬼に変えたような女が何を言ってるんだ。いつまで皇女様の振りを続けるのか見ものだが、生憎お前のおふざけに付き合うつもりはない」

 魔女がバートン卿の体を吸血鬼にしたんだ‥。
だから、バートン卿は魔女の存在を分かっていたのかもしれない。

「‥‥血を。必要なら、飲んでください」

 もう信じてもらうのは諦めた方がいいのかもしれない。眉を下げながらそう言うと、バートン卿は私が差し出していた腕を強く引いた。
 腕に切り傷を作って血を吸うのだと思っていたのに、私は鼻っ柱をバートン卿の熱い胸板に打ち付けることになった。
 
 突然首筋あたりにふわりとバートン卿の髪がかかる。あまりにも近い距離に驚いてバートン卿を押し返そうとしたけど、バートン卿の力強い両腕が私を逃がしてはくれない。

「バ、バートン卿?何を‥」

 首筋に、何か鋭いものが触れた。ーーズプッと音を立てて肌を破ったソレが吸血鬼のであると気付いたのは、血を吸われ終わった後だった。

 痛い筈なのに、じわじわと全身の末端まで暖かく痺れていく。血を吸われる度に全身の血が歓喜の声を上げているようだった。恐怖に震えていた筈の体は、何やら経験したことのない快感に震え出す。
 私と同じように息を荒くしたバートン卿にソファに押し倒された時に、今が一体どんな状況なのかを漸く把握した。

 頬を紅潮させたバートン卿は、熱っぽい視線で私を見ていた。ーーまさか‥‥これ、そういう流れなのでは‥?完全にスイッチが入っている体とは裏腹に、脳が急激に冷静になっていく。

 私の鎖骨に顔を埋めて、荒々しくも官能的に唇を押し当て始めたバートン卿。それだけでブワッと全身に刺激がまわる。私は詳しくわからないけど、これは明らかに快感がドーピングされている気がする。吸血行為が互いの欲を高めている‥のかも。

 なんて、冷静に分析している場合じゃない!

「待って、待ってください!バートン卿!‥あっ!」

 まるで動物のように私を貪ろうとするバートン卿の顔を、無理矢理引き剥がした。

「っ、邪魔するな」

 手のひら全体でバートン卿の口元を抑えていると、バートン卿はその手のひらにキスをした。

「ひぃ!!ちょっと、本当に、やめてください!!人を呼びますよ!」

「何を今更‥。何百回交わったかわからないのに」

 ーー何百回ですって?!?!?!?!

 私はなんとか上体を起こし、私の指先にキスをするバートン卿から、全力で腕を引いた。
 バートン卿はめげずに目を伏せながら、また私の上体を押し倒そうとしたけど、私はそんなバートン卿の頬を思いっきり打った。

 ーーパァン。

「‥‥‥‥え」

 バートン卿は頬を押さえながら、一瞬何が起こったのか分からないような顔をしていた。

「な、な、な、何百回も、こんなことをしたのですか」

「‥‥‥‥‥え?」

「信じられないっ‥‥。貴方が変態だということはよくわかりました。あぁ、信じられない‥。もう、出て行ってください。‥早く私から離れて」

 あぁ、最低よ。最悪よ。
バートン卿もきっと被害者で、そもそも魔女のせいでこうなったんでしょうけど、夜の意識が全くなかった私にとって、これ程にショッキングなこともないでしょう。

 あまりの恥ずかしさから、ポロポロと涙が溢れてくる。きっと眉は情けなく下がって、顔はぐしゃぐしゃで、茹で蛸のように赤い筈。

「‥‥‥‥ま、さか‥‥‥本当に、皇女様‥‥なの、デスカ」

 バートン卿はぱちぱちと瞬きをしながら、絞り出すように声を出した。私はキッとバートン卿を睨みつけて、ぐしぐしと涙を拭き取り、ドレスの裾を直した。

「‥‥お帰りください」

「こ、皇女、様‥」

「‥」

「も、申し訳ありません、その‥」

 顔色を途端に青くさせ、眉を下げ始めたバートン卿。そんな彼の姿を見て、私も段々と冷静になっていく。

「‥‥いま、実際に私も体感したので、魔女の魂胆で理性が飛んでしまうことは理解しました。ですが、今の私にはあまりにもショックが大きいので‥今日のところはお帰りください」

 私がそう言うと、バートン卿は暫く黙り込んだ後、小さく「‥はい」と言って出て行った。

 たぶん‥バートン卿からの死亡フラグは消えたけど‥‥。
 ーー魔女に対しての怒りが沸々と募っては、やるせないため息が何度も口から溢れ出した。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました

冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。 家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。 過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。 関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。 記憶と共に隠された真実とは——— ※小説家になろうでも投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

【R18】微笑みを消してから

大城いぬこ
恋愛
共同事業のため、格上の侯爵家に嫁ぐことになったエルマリア。しかし、夫となったレイモンド・フローレンは同じ邸で暮らす男爵令嬢を愛していた。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...