感染日

江田真芽

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第五話

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 予想通りマイナスドライバーはあった。「お借りします」と呟きながら拝借する。

 ついでに、ガレージの壁に立て掛けてあったバールも拝借することにした。

 あまりにも死が身近にあることを実感して、丸腰の自分に危機感を感じてしまったのだ。


 左右を見てゾンビがいないことを確認して道路を渡る。ジャングル荘Ⅲの居室側の地面は砂利が撒かれていて、それが敷地を囲むブロック塀まで続いている。

 スマホを開いて三角割りの方法を再確認し、マイナスドライバーをガラスと窓枠の間に突き立てた。

 玲花に宛てたメッセージは既読になっていない。眠っているのか、気を失っているのか。

 すぐそこに玲花がいるのだと思うと気持ちが急いて仕方がなかった。


 慣れない手つきながらも窓を割り終えた私の耳に砂利を踏み込む音が聞こえる。

 規則正しい音ではない。引き摺るような重さを感じさせる足音だ。ごくりと息を飲んで音の方向を見る。

 まだ姿はない‥が、すぐに広範囲の皮が剥けた痛々しい左手が角から見えた。


(ゾンビだ‥‥!!!)



 いや、ゾンビと言ってもほんの最近まで人間だった存在だ。軽トラの下敷きになっていたあのお父さんのように、家族もいて生活をして、ごく普通に生きていた人達。


「グアァァアッ!!!!!」


 首が折れているのかおかしな曲がり方をしている。目から下の皮膚は大部分がぺりぺりと剥がれ、左の目玉は半分以上こぼれ落ちていた。

 このゾンビがいつゾンビ化したのかは分からないけど、他のゾンビたちに無作為に噛みつかれて食いちぎられているせいか体はボロボロだった。

 冬場だけど、傷んでいる感じはすごくする。血が流れ続けているからか肌のハリも当然なく、ウィルスのせいか皮膚が剥がれている場所は腐り始めているのがよく分かった。


 ただゾンビの服装や二本だけ残る左手の爪先を見れば、元はお洒落な若い女性だったことが分かる。

 白と薄ピンク色のジェルネイル、ブランド物のコートと巻かれていたであろう甘栗色の長い髪。


(尊厳もクソもないな‥。こんな死に方絶対に嫌だ)


 きっとこのゾンビだって同じ思いなはず。こんなにお洒落な人が、こんな見た目になりながら腐っていく体を引きずって歩き回るなんて嫌に決まってる。

(ーーー死体損壊・遺棄罪とかになったりしないよね?!本当ごめんなさい、こんなことしたくないけど‥!!)


 左手にマイナスドライバーを持ち、右手でバールを強く握る。


 やらなきゃ殺される。ほら、このゾンビだって今まさに綺麗な形だったはずの唇を歪に広げて、血と涎を垂れ流しながら私に牙を剥いている。

 息を吸えているのか、この状況を正しく冷静に見れているのか分からない。ただ私はジッと目を見開いてゾンビを凝視していた。


「ーーーー固まってる場合じゃないだろ!!!!」



 突然男性の声が響いてハッとした。私が手に持っていたはずのバールを奪い取った男性は、何の躊躇もなくゾンビの頭を吹っ飛ばしたのだ。

 ゾンビは崩れるようにしてその場に倒れ込んだ。頭と胴が切り離されたゾンビはさすがにもう動くことはないようだった。


 男性がこちらを振り返る。襟足が短めの無造作な黒い髪、何故か目元はウィンタースポーツ用のスノーゴーグルで覆われ、鼻と口にも布が何枚も巻かれているようだった。

 スノーゴーグルはミラーレンズになっていて、立ち尽くす私が映っている。


「家から出たばかり?」
 
「‥え?」

「そんな無防備な格好でゾンビ見て固まってたらすぐ死ぬよ」



 確かにその通りだ。まさしく私は今呆気なく死ぬところだった。


「すみません‥助けていただきありがとうございます」


 私がそう言って頭を下げると男性は「いいえ」と言って私にバールを手渡そうとした。

 反射的にバールを受け取ろうとするも、バールの先端にゾンビの髪の毛や肉片、大量の血液がこびり付いているのを見て私はそのまま「おえっ」と胃の中を吐き出しそうになったのだがなんとか堪えた。

 男性がどんな表情を浮かべているのかは分からないけど、男性は無言のままバールを持つ手を引っ込め、私の背後にある窓をじっと見つめている。


「ここ知り合い?」


 腕を組んで窓に向かって指を差している。


「あ、はい‥友人が閉じ込められているみたいで‥」

「そっか‥ちょうどよかった」


 男性はそう言って、割れた部分に指を入れて窓の鍵を開けた。


「‥‥ここの家、俺の義理の弟が借りてる家で‥。あのカスが彼女を監禁状態で放置してきたって言ってたから来たんだ。本当、あいつのせいで申し訳ない」

 カラカラカラ、と窓を開けながら男性は言う。


 この人のことをまだ何も知らないけれど、この状況の中で義理の弟の尻拭いをしているということは、この人自体は常識人なんだろうと思う。



 部屋の中は生活感があった。テレビの上にはコントローラーがあって、灰皿には吸い殻がいくつもある。


「玲花!玲花いるっ?!」
 

 アパートの間取りは恐らく1DK。私たちが侵入した窓から真っ直ぐに玄関まで繋がっていて、途中に廊下を兼ねた小さなキッチンがあった。

 右手の襖の前には不自然に物が積み上げられていて、ソファや棚が襖に引っかかっているのが分かる。


「っ、本っっ当クソだな!!!」


 義理の弟である裕也くんの仕打ちを見て男性が舌打ちをしている。ひょいひょいと物を避けていく男性を見て、この人とかち合ったタイミングが同じで良かったと思った。

 なんせ重量級のものが多すぎる。2日間眠り続け、お粥のみしかエネルギーを取らず、ここまで全速力で自転車を漕ぎ続けた私ひとりではかなりの時間がかかったはずだ。


 気付いたら男性はゴーグルを外して首にかけていた。クッキリとした眉毛と、切れ長の三白眼。

 顔の上半分しか見えていないけれど、なかなかに迫力がある。


「中の状態が分からないから、先に確認してほしい」


 男性の言葉に頷いた。確かにその通りだ。

 トイレだって行けない、お風呂にだって入れない状況だし服を着ているのかも分からない。面識のない男性には絶対に見られたくない状況だと思う。



 男性が少し離れたのを見てから私はソッと戸を開けた。


「れ、玲花‥‥!!!」


 玲花はぐったりと倒れ込んでいた。辺りには菓子パンの袋やペットボトルが落ちている。部屋の隅に雑誌を破ったものを入れた袋で簡易的なトイレを作っていたらしく、着ている服は汚れてはいなかった。


 冬場だし暖房は付いていない。玲花は洒落たワンピースにコートを羽織った状態だった。部屋着じゃないところをみると寛いでいたところを監禁されたわけではないようだ。


「玲花!!玲花!!大丈夫?!?!」


 息はある。どうやら眠っているようだった。顔面を殴られたのかアザになっており、目元は青黒くなっている。

(どうしてこんなことに‥)

 ぺちぺち、と頬を叩いてみると玲花が「うっ‥」と声をあげ、薄目を開けた。

 玲花は私の姿を捉えるなり、目を大きく見開いて「心!」と私の名を叫び、続け様に大きな声で泣き始めた。凄い勢いで飛び起きて私に抱き付いている様子からして、体に大きな怪我は無さそうだ。


「怖かったよね、もう大丈夫だよ‥!!」

 そう言って玲花の背中をさする。‥と、玲花は「違う!」と声を荒げた。

しんもうゾンビになっちゃったと思ったの!!凄い悲しくて怖かった‥!!心、どうして連絡返してくれなかったの?!充電切れてたの?!?!」

 玲花は東京の大学で一緒になった友達。タイプは違うけど気が合って、お互いに親友だと思っている間柄だ。

「ごめん‥それが、まるまる2日間も寝てたの」

「はあ?!?!?!」


 あまりに大きな声で会話をする私たちに割り込むように、男性の申し訳なさげな声が聞こえてきた。


「‥もう少しだけトーンを落としてくれ」

「あ、すみません!」


 そうだったそうだった。ゾンビが集まってきたら大変なことになる。

 玲花がいた部屋は元々窓があったはずだけど、部屋全体が防音のマットのようなもので囲われていた。

 確か玲花の彼氏の裕也くんはバンドマンだったはずだから、この部屋は本来楽器練習用の部屋だったのかもしれない。

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