感染日

江田真芽

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第三話

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 どうやら私が眠りこけている間、事態は急速に進んでいたらしい。

 まず発端の血塗れの男は病院に運ばれた時点で“動いているけど”そうだ。男に噛まれて血塗れになった他の人もそう。

 つまり、最悪なことに彼らはまごうことなく歩く屍ゾンビだったのだ。

 あの日空港では次々に人が噛まれた。速報では死者もいたはずだが、その死者も血を噴き出しながら動き回ったという目撃情報もあったそう。

 何故それを断言できないかというと、それらはほとんどがSNS上にアップされた“空港利用者”からの情報でしかなかったからだ。
 SNS上はゾンビの話題で持ちきりだが、当然のことながらAIを悪用した画像やデマが飛び交っているそうだ。

 あの日羽山空港では空港職員、利用客をはじめとし、警官や空港に拠点を置く医師、看護師たちまでもがゾンビ化したらしいのだが、空港にいた人たちも必死に散り散りになって逃げ惑っていた為に被害は断片的にしか見えてこなかったのだ。


 恐ろしいのがその後。そのゾンビたちが屍だと判明する前、続々とゾンビたちが運ばれた病院では次々に被害者が増えた。

 その病院には防護服を着用した警官達が駆け付けたらしいのだが、多くの医師や看護師、そして患者たちと連絡が取れなくなり消息不明だという。

 また、救急車の中で何が起きたのかは分からないが、ゾンビを搬送中救急車が道路上で激しく横転したり、建物に衝突するという事故が何件か起きた。

 結果として、救急車から救命士の服を着たゾンビが現れて街を徘徊する事態となった。


 空港は封鎖され、当時空港にいた人たちは空港内で隔離されているらしい。空港内には多くの警察官、そして空港周辺は派遣された自衛隊が警備にあたっているという。


『そんで、今まで寝てたってどういうことよ?!?!?!』

 母の甲高い声が鼓膜に響く。
ここまでツラツラと現状を説明してもらったが、確かにこんな緊急事態に娘が眠りこけているとは思わないはずだ。

「いやぁ‥私もびっくりしてる‥」

 寝るのは好きだったけどここまで深く眠り続けたことなんてない。ここにきてようやくお腹が鳴り出した。

『大田区は超警戒地区で病院を発端にゾンビがうじゃうじゃだって‥目黒区品川区でも既に目撃情報があるってよ。だから世田谷区と渋谷区と港区も立ち入り禁止令が出てて、住民達の非難は昨日の朝から始まってる!ずっとニュースでやってるのよ!早くこっちに帰ってきなさい!!』

「わ、わかった。荷物まとめたらすぐ向かう。‥え、新幹線とか通ってるよね?!」

『今は通ってるはずだけどいつ運休になるか分からないから急いで!』


 きっと東京周辺に住む多くの人が東京から逃げようと必死になってるはず。そんな中、明らかにスタートを切るのが遅れた私が今更荷物をまとめて東京駅に向かったところで、きっとすぐには乗ることができないだろう。

(でももしかしたら地方へ向かうバスとかも国が手配してくれるかもしれないし、とにかくまずは危険な地域から離れないと‥)

 何度も何度も「死なないで」「絶対生き抜いて」と泣きそうになりながら繰り返す母に「絶対死なないよ」と伝え、電話を切った。


 クローゼットの奥にしまっていた、大容量のリュックサックに最低限の物資を詰める。家にあったパックのご飯3食分と、2リットルのミネラルウォーターを一本。鯖缶に、ツナ缶、魚肉ソーセージにフルーツ缶。着替えを何着か、あと汗拭きシートやウェットティッシュ。災害時の避難バッグを意識したようなのも入れた方がいいのかもしれない。

 ガサガサと荷物を入れながら、清潔感のある白いリビングに目をやる。
 
 ーーもしかしたらいずれこの地域までゾンビが徘徊するようになって、もう二度とこの家に戻ってこれないなんてこともあるのだろうか。

 初めての一人暮らし。両親が色々と家具や家電を買い揃えてくれた。
 風呂もトイレも玄関も台所も全部狭いけど、インテリアを工夫してそこそこオシャレな部屋にしていたのだ。


「戻ってこれますように‥」


 そう言ってリュックサックのチャックを閉めた時に、パラパラと耳に掛けていた髪が垂れてきた。

 切りっぱなしのボブヘアー。根本に触れずとも、髪の毛を意識するだけでネチョっているのが分かる。


(そういや、ずっと眠ってたからお風呂にも入れてないんだよな‥歯磨きもできてないし‥。お風呂も洗顔も歯磨きも、急いでしちゃえば問題ないでしょ。このまま外に出るのだけは絶対嫌だ‥!)


 急いでシャワーを浴び、歯磨きをして、髪を乾かしている間にインスタントのお粥をレンジで温めた。

 お粥を口内に流し込み、着替えを済ませて立ち上がる。物資は不足してるかもしれないけど、東京から脱出さえしてしまえばどうにでもなるはず。

「よし!行くか!」

 
 目覚めてからここまで、母との電話以外は時間に追われるように急いで準備をしていて、ろくにスマホを見ていなかった。

 私ほどスタートダッシュが遅れている人もいないだろうし、スマホに届いている大量のメッセージや着信はそのほとんどが私の身を案じているものだろうと思ったから、状況が落ち着いてから確認しようと思っていたのだ。

 しかし、一歩外に踏み出せばどんな世界になっているのか分からない現実を前に、ほんの少しだけ、ふとスマホを確認しておこうと思った。

 本当、軽い気持ちで。





『心‥寂しいよ、助けて』


 そんなメッセージが目に入り、思わず「え?」と声が出た。相手は友人の玲花れいか
 彼女は年末年始に彼氏と旅行に行ったはずだった。確か日程的にはゾンビ事件が発生する前にこっちに帰ってきてるはず‥


 ごくりと息を飲みながら送られてきている大量のメッセージを遡る。


『心、もう東京帰ってきたよね?』
『なんかやばいことになってるんでしょ?心、一回裕也くんの家に地元のお土産送ってくれたことあったじゃん。住所のデータ残ってたりしない?』
『実はさ、裕也くんに閉じ込められちゃって。窓のない部屋で、外側から何かで抑えられてて出られなくてさ。警察に通報してるんだけど、なんか今この地域危険な場所みたいで立ち入り禁止らしく。警察も来られないんだって』
『裕也くんは逃げたみたいで、もう詰んでる』
『東京から逃げる前にちょっと助けて欲しいって思ったんだけど、心だって危険な目に遭うかもしれないし嫌に決まってるよね、ごめん』
『どうにかして逃げるから気にしないで!』
『心、返事ないけど無事だよね‥?』
『ごめんね、もしかして、あたしのメッセージ負担に感じて嫌いになっちゃった‥?』
『もう本当大丈夫だから、どうにかして逃げてね』
『おーい‥心‥さすがに心配だよ』
『ねぇ、大丈夫だよね?』
『心、ねぇ、お願い返事して』
『嫌だよ心、生きてるよね?ねぇ、生きてて、お願い』
『‥‥‥‥心』
『心がもしゾンビになってるなら、あたしも一緒にゾンビになりたい』
『このまま死ぬなら、せっかくなら心に噛まれたかったな』
『お腹空いて死にそう』
『このまま暗い部屋で餓死するのかな』
『心‥寂しいよ、助けて』



 玲花が、彼氏の家に監禁されてる‥?
確か裕也くんの家は品川区‥大井町駅の近く!私がいる笹塚からは自転車で1時間も掛からない。


(なんで?どうしてそんなことに‥?!)


 予期せぬ事態にスマホを握る指が震えている。これは焦りと、裕也くんに対するからくるものだろう。


『玲花、ごめん寝てた!いま行く!!!』


 そうメッセージを送って、私は住み慣れた家を飛び出したのだった。

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