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第二話
しおりを挟む夜行バスの中は誰ひとりとして寝ることなく、“血塗れの男”や“ゾンビ”についての話題が飛び交っていた。
どうやら発端の血塗れの男は今度こそ確実に取り押さえられたそう。
男に顔を齧り取られたあの女性も同様で、二人揃って体を厳重に縛られながら救急搬送されたらしい。
空港の前に何十台というパトカーと何台もの救急車が列をならす映像はなんだか圧巻だ。
なんとなく、これで大丈夫だろう‥という安心感がある。いや、これはもしかしたら正常性バイアスなのかな。
大丈夫であってくれ、と無意識に願っているのかもしれない。
確かにまるでゾンビのようだけど、死者が蘇っているわけでもないし、警察や救命士というプロの人たちが駆け付けてくれている。
恐らくこれ以上の事態にはならないだろう、と考えている人が多いようで私も含めてみんなどこか他人事だった。
その証拠に、情報収集をやめて眠りだす人もいるし、夜行バスは変わらずに東京へ向かっている。
目的地は新宿のバスターミナル。羽山空港は割と近いのだが、運転手は無線でやりとりをしながらも顔色を変えずに平常運転中だ。
途中の休憩でトイレに行き、ついでにホットのお茶を購入した。
夜間の屋外はバスの中で暖まっていた体を瞬時に冷やしてしまう。
急ぎ足でバスに戻ろうとすると、先程大声で「ゾンビだ!」と発言していた学生らしき男性とタイミングが重なった。
「もしかすると、映画みたいな感じになりかねないっすよね!!」
男性は振り返りざまに興奮気味にそう話す。私はペットボトルのお茶を両手で挟むように持ちながら、「怖いですね‥」と答えた。
ーーもうきっとあれ以上の被害は出ないでしょ‥。いや、出ないで欲しい。
そう思っていると、男性は早口で捲し立てるように「食料を買い込んでたほうがいい!」と言う。
「食料‥?」
「もし最悪の事態に陥ったら物流も何もかもストップするから、しばらく生きていけるだけのストックがないとヤバいと思うんすよね」
「あぁ、なるほど‥」
確かにゾンビ映画じゃそういうシーンもあったなぁ。電気もガスもないし、水もない。食糧を調達しようにもゾンビがいる。よその家のパントリーを探って賞味期限切れのお菓子を食べたり、缶の保存食を食べたり。
‥そういや、うちには災害用に水や食糧の備蓄はあったはずだな‥と思いつつも、いやいやいやいやと首を横に振る。
「多分‥大丈夫だと思いますよ」
私がそう言うと、男性は「いや!」と強めに言った。
「あの血塗れ男が噛んだだけであの女性も血塗れになって他の人噛んだでしょ?多分感染力えげつないんだと思いますよ。噛んだことで体液同士が接触して感染したんだとしたら、女性に噛まれた人も感染してるだろうし、あの人らすごい量の血を流してたから、あの血に触れて感染する人だっているかもしれない!知ってました?いま、航空会社が揃いも揃って飛行機飛ばすのやめたらしいですよ。未知の感染症かもしれないからって!!」
いつのまにかバスの入り口に着いており、バスの運転手さんがやや冷たい表情でこちらを見ている。
(飛行機が飛ぶのをやめた‥って、確かにかなりの異常事態ってことなんじゃ‥)
なんとか平静を装おうと思っていたものの、SNSの情報だと死者も出たって書いてあったし‥。死因は分からないけど、もしさっきの動画みたいに人が人を「噛みちぎった」のが死因だったとしたら、それは本当にーーー
「やばいんですかね‥」
自分の席に向かいつつ、男性の背中にそう呟く。男性はパッと振り返って大きめに頷いた。
「覚悟してた方がいいと思います。俺たち、そこに向かってるんで」
(もしもゾンビが蔓延る世の中になって、まともなご飯も食べられなくなるのなら、お母さんのご飯をもっと食べてくれば良かったな‥。というか私もゾンビになっちゃって、もう二度と会えなくなったりしたらどうしよう‥)
隣でスースーと眠る年配女性を横目に、私はただひたすら最悪の事態を想定しながら朝が来るのを待った。
早朝にバスは着いた。空気は澄んでいて、やはり東京でもこの季節の早朝は寒い。
バスから降りてゾロゾロと去っていく人たちを横目に「みんなゾンビになりませんように」と心の中で祈った。
重いキャリーを引きながらアスファルトを歩く。小さな段差で膝がカクンと落ちた時、背中にビキっという衝撃が走った。
「痛っ」
(痒いし痛いし、一体なんなのよ!!)
家に帰ったらまず背中を確認しないと‥。そう思いながら歩を進めるも、妙に体が熱っぽくなっている気がした。インフルエンザに罹った時に近い感覚だ。
みるみるうちに関節も痛くなってきた。結局バスでも満足に眠れなかったせいか、睡眠不足も影響しているのだろうか、猛烈に眠い。
電車に乗り込むもその時には既にふらふらで、ゾンビのことを考えたり新たな情報を仕入れる余裕もないままに何とか帰宅した。
ガチャガチャと鍵を開け、キャリーケースを玄関に放り込み、自分も倒れ込むようにして鍵を閉める。
スマホが鳴っている。母、という表示。
いま電話に出たら、きっとヘロヘロな状態に気付かれて余計な心配をかけてしまうかもしれない。
そもそも、もう意識が途切れそうだ。‥せめて少しだけ眠ってから掛け直そう‥‥。
ーーーーそうして私の意識は途絶え、ふと猛烈な喉の渇きを感じて目を覚ましたのだ。
よりによってショートブーツを脱がないまま玄関に倒れ込み、そのまま眠りこけていたらしい。おかげで身体中が痛い。
それよりもまず水分だ‥。リュックに入れていたお茶は確か移動中に飲み切ってしまった。
冷蔵庫の横に置いてあるダンボール。中身はミネラルウォーターだ。これがまた安くて美味しいから、ネットで注文して常に置いてある。
コップに水を入れ、喉を鳴らしながら豪快に飲んだ。こんなに喉が渇いたのは一体いつぶりだろう。
飲み切った後にコップをタン、とキッチン台に置いたのと同時、今度はくらくらと立ちくらみに襲われた。
少し息を整えたあと、段々と頭にさまざまなことが浮かんでくる。
(何時間くらい寝ちゃったんだろう?そういやゾンビ事件の続報は出てるのかな、お母さんに電話かけ直さないと‥)
ゆっくりとした動きでスマホの画面を付けたところで、私は「んん?」とおかしな声をあげた。
ーーー1月7日‥????
私が意識を手放したのは、家に帰って来た1月5日の早朝だ。今の時刻は何度見直しても1月7日の昼。
おかしい。スマホが壊れた‥?いや、でも、ちょっと待ってこの尋常じゃない着信履歴はなに‥?!着信72件、メッセージの数もとんでもないことになってる。
心がザワザワする。まさかまさか、本当に丸2日以上寝ちゃったの‥?!
充電もかなり少なくなってるし、とりあえず充電差して‥と。ーーーーーーー♪♪♪♪
「わっ」
ちょうど母からの着信だ。すぐに通知ボタンを押す。
「あ、もしもしお母さん?ごめんごめーーー」
『ーーーーえっ?!あ、かかった!繋がった!繋がったよお父さぁんんん、うわぁ、よかったぁぁぁぁ』
母はそう言ってしばらく咽び泣いた。母が泣くのを見るのは母が好きなアイドルグループが解散した時以来2回目だ。あの時は気力が湧かなかったみたいで3日間デリバリーのご飯が続いたけど、それでもこんなに泣いたりはしてなかった。
どうやら相当な心配をかけてしまったらしい。
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