感染日

江田真芽

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第一話

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 1月4日。

 社会人一年目の冬休み、私はかじかむ手を擦り合わせながら夜行バスに乗り込んでいた。

 正月を東北の実家で過ごし、向かう先はアパートがある東京。

 キャリーケースは既に乗務員さんに預けてある。飲み物もあるし、長旅を共に過ごすイヤホンも既に装備済みだ。

 仕事が始まるのは数日先のことだが、明日は友人に会う予定がある。


 青森には歳の離れた幼い弟もいて、本当はもっと一緒に遊んでいたかったけれど、仕事が始まる前に生活を整えておきたいし、こればっかりは仕方がないのだ。


しんちゃんまた遊んでね!』


 通知音に気付いてスマホに目をやると、弟からのメッセージが届いていた。

 現在小学生3年生の弟、こうは私のことをちゃん付けで呼ぶ。懐かれているのを感じて、それがまた愛おしく思えるのだ。

 ピロン、と続け様に通知音が鳴る。


『●●もまた遊びたいって!』


 ーーーー???


 黒い丸が二つ並んでいる。‥これはなんだろう?誰かお友達のことを指しているのかな?


 休み中、1日だけ弟が友人達を家に連れて来た。人数は確か4人。居間でゲームをしたり、お菓子を食べてそこそこ盛り上がっていた。

 途中私もほんの少しだけ参加させてもらい、僅かな時間だが一緒にゲームをしたのだ。


 年齢も離れているし、普段は東京にいるから弟の交友関係はイマイチ分からない。●●というのは、この前一緒に遊んだ『ケン君、ソラ君、ユウト君、ハル君』のうちの誰かを指しているのだろう。


『うん!また遊ぼうね』


 そうメッセージを返し、小さく微笑む。夜行バスはあっという間に高速に乗っていた。どこまでも続く田んぼの奥、遠くに見える街の灯りに目を細め、やがて私も目を瞑った。

 

 ーーー背中の真ん中‥いや、右下の方。ダニにでも食われたのだろうか。痒いと気付いた時から痒みは増していき、無性に気になっては寝付くことができなかった。

 仕方なくSNSを開く。“Z”というこのアプリはそれぞれが自由に文章や画像などを投稿したり閲覧することができ、国民の多くが利用している。


 一人暮らしをしてからというもの、テレビを見る時間は極端に減った気がする。その代わり日常のニュースや話題の出来事はZを通して知ることが多かった。


 どれどれ‥と画面を指でスクロールしていくと、ひとつの投稿が目についた。

【羽山空港に血塗れの人いるんだけどヤバイ】

 そんな投稿に3000以上のイイネが付いている。投稿されたのは1時間前。
 みるみるうちに数字が増えていっているところを見ると、まさしく今急速に拡散されているところなのだろう。
 一緒に投稿された画像はセンシティブ設定がされていたが、恐る恐る画面をタップする。


 ‥‥ひっ!


 表示された画像には、ダウンジャケットを着た男性が苦しそうに自身の首を掻きむしっているような姿が映っていた。
 目元や鼻、口元からは大量に血が溢れ出ているように見える。


 なにこれ?!病気‥?!怖すぎる‥!!大丈夫なのかなこの人‥‥あ、いや、これはもしかしていま流行りのAI画像なんじゃないかな。だって空港にこんな症状の人がいたら大パニックなはずだし。

 考えがまとまらないまま、親指だけは勝手に動き続ける。


【血塗れの人?なにこれ怪我?】
【感染症?やばくね?さすがにAIでしょ?】


 私と同じような反応のコメントが散見される中、別な人物が投稿した別角度の映像が流れて来た。

 どうやら上の階の吹き抜けから下の階にいる“血塗れの人物”を映している様子。そしてこれは、動画だった。閲覧注意という文字に背筋がゾワッとする。

 しかしこの血塗れの男性の詳細を知っておかないと、不安でたまらない。

 ごくりと息を飲みながら再生ボタンを押す。多くの人が寝静まる夜行バスの中、私と同じようにこの血塗れの人物に関する映像を見ている人は他にもいるのだろうか。


『う、うわぁ!!血、血を吐いてる!!』『きゃああああ!』『え、いやぁ、なに?!ぎゃあああああああ!!!!』『なんだあれ、襲ってないか?!』『誰か止めてぇええええ!!!!!』


「ーーーっ‥!!」

 私は思わず、右耳のイヤホンを外し、そして焦ったようにバスの中を見渡した。隣の年配女性は薄目を開き、突然辺りを見渡す私を訝しげに見ている。

 ドクドクと、心臓が痛いほどに煩かった。



 映像は続いている。血塗れの男は、心配して近寄ってきた女性の腕を突然掴み上げると一気に自身へと引き寄せ、あろうことか女性の顔面にかぶりついたのだ。

 血塗れの男に怯みながらも周囲の人々が血塗れの男を抑えようとする‥が、血塗れの男は女性の顔面の肉、恐らく鼻や頬あたりを食いちぎったようで、女性の顔面から血飛沫が飛ぶのが見えた。イヤホンをつけたままの左耳に、絶えず悲鳴が聞こえてくる。

 血塗れの男は警察官や空港職員、旅行客達が総出で抑え込んで地面に突っ伏した状態になった‥のだが、遠目からでもかなり抵抗しているのが分かる。上で抑えている人たちがグラついているのだ。
 こんなに血塗れで苦しそうなのに、3、4人の男性の力でなんとか抑え込んでいる状態だ。

 被害を受けた女性の周りにもすぐに何人か駆け付けている。動画はここで終わったが、結局のところ謎が深まっただけ。


 消化不良状態に陥りながら、更なる情報を求めて親指を動かしていく‥と、テレビ局のニュースアカウントの投稿が流れてきた。


【羽山空港に全身血だらけの男、数人を襲い逃走か。怪我人、死者数名】


 その見出しに今度は「えっ」と声が出てしまった。


 さっきの映像であの血塗れ男は抑え込まれていたのに。あの状態から逃げ出したの‥?!



「ーーーゾンビだ!!!!!!!!」



 一心不乱でニュースを読もうとした私の耳に、後ろの方から興奮気味の声が聞こえてきた。眠りにつく人が多い夜行バスでは、こうして大きい声を出す人など通常はいない。

 その為、声を上げた学生らしき男性は一気に注目を浴びた。


「噛まれた女も血を噴き出して、他の人噛んだって!!!」
 

 どうやらその男性も私と同じ事件の情報を集めていたらしい。眠っていた人たちや、読書やゲームをして過ごしていた人たちは「は?」という顔で男性を見ているが、私をはじめ数人がごくりと息を呑むような緊張感のある面持ちをしていた。


「あー‥お客様、走行中はお静かにお願い致します」


 運転手がアナウンスで男性に注意をする‥が、男性はより一層大きな声を出す。


「ニュースにもなってるんだよ!!成山空港で!!血だらけの男が何人もの人を噛みちぎったんだ!噛まれた人も、同じ行動をしててパニックになってるって!!お、俺の友だちが空港にいて、いま逃げてるって!!!」


 何を言ってるんだ‥?という反応をしている人もいるものの、多くの人が疑いながらもスマホを触りはじめた。そして、ニュースを見た人たちは皆「‥‥え‥?」と絶句している。

 私の隣の年配女性はニュースの調べ方が分からないらしい。目を細め、腕を伸ばしてスマホを遠ざけながら何やら打ち込んでいるものの、うまく検索できずにやがて諦めた。


「なんだか大変なことが起きているのかしら?」


 年配女性はそう言って私を見た。


「は、はい‥。多分、すっごくヤバイと思います」


 私がそう答えると、年配女性はよく事情を理解しないまま「そう、困ったわね‥」と口にしている。


「なんだか最近、嫌なニュースが多いわよねぇ」

「そ、そうですね」


 ーーーあの人数で抑えつけていたのに逃げられて、しかも更に被害も増えて‥よく分からないけど、噛まれた人も同じように他人を噛んだ‥。
 ひと言で表すとまんまゾンビだ。映画で見ているのと同じことが現実で起きてしまった‥ということ?


【未知の感染症か】


 そんなタイトルのニュースがZに流れている。バスは止まらない。そして、私の背中の痒みは依然として強いままだった。

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