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第二話

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 花の盛りだけあって、庭には花々の馥郁とした香りが満ちていた。季節は初夏——オービニエ侯爵家自慢の庭園が、最も見頃を迎える季節だ。
 レティシアが出て行くと、エルヴェはちょうどカップを傾けながら庭を眺めているところだった。その秀麗な横顔に、一瞬目を奪われる。
 少し青みのある黒髪を撫でつけ、琥珀のような色合いの瞳を細めたその姿は、まるで一枚の絵画のよう。歴史あるグランジュ公爵家の嫡男にして騎士である彼は、細身ながらも鍛えられた均整の取れた体つきをしていて、まるで彫刻が歩いているようだと言われている。
 天はいくつ彼に恩恵を与えれば気が済むのだろう。現在二十三歳の彼は、騎士団でも頭角を現していると聞いている。
 社交界では、その凜々しさと将来性の高さからかなりの人気を博しているのだということを、レティシアでさえ知っていた。
 まったく、ご立派に育ったものだ。小さな頃は、泣いてばかりいたくせに。
 そう思いながら一歩踏み出すと、その気配に気付いたのかエルヴェがこちらを向いた。

「いらっしゃい、エルヴェ。約束もなしに押しかけてくるなんて珍しいわね」
「こんにちは、レティ。相変わらず元気そうで何より」

 ——ああ、またやってしまった……。
 どうしても、彼のことになると嫌みな態度をやめられない。せめて表情だけでも、と思うものの、引きつったような笑顔しか作れない。これのせいで、人を小馬鹿にしていると言われてしまうのに。
 だが、そんなレティシアに向かって、エルヴェはにこりと微笑んだ。完璧な優しい笑顔を向けられて、顔が一気に熱くなる。それを隠そうとして、レティシアはつんとそっぽを向いた。
 すると、彼が小さく吹き出すのが聞こえて、むっときたレティシアはつっけんどんな態度になってしまう。
 これも、毎度のパターンだ。

「……失礼な男ね、相変わらず」
「まあ、いいから座りなよ」

 この場合、失礼なのはレティシアの方である。だが、エルヴェはそんなことは気にした様子も見せず、席を立つとレティシアのために椅子を引いた。その優雅な仕草に、またしても腹の底にもやもやしたものが生まれてくる。
 最近、いつもこうだ。レティシアは心の中で小さくため息をついた。
 エルヴェがこういう、女性慣れした態度を見せるのが気に入らない。たかだか五年早く社交界に出入りするようになっただけのくせに、気取っちゃって。
 それが様になっているから、なんだかどきどきするだなんて——そんなことは、絶対にないのだ。
 小さく首を振ると、レティシアはつんと顎を逸らせて口を開いた。

「それで、今日は何のご用なの」
「冷たいことを言うなぁ……僕ときみの仲だろう?」
「……妙な言い方をしないでちょうだい。そういう態度だから……誤解されるのに」

 そうだ。レティシアに求婚者の一人もいないのは、彼のこうした態度も原因だと思う。
 最近の彼は、まるでレティシアに気のあるような態度をとるのだ。しょっちゅうオービニエ家を訪れたり(ただ、兄や父に会うだけで帰る日も多いのだが)、夜会では父に頼まれたのかエスコート役を買って出てくる。そうして、レティシアの傍から離れようとしないのだ。
 目標があるから、それを達成するまでは結婚しないと言い張っているらしいので、それでも寄ってくるという女除けなのだろう。
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