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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
「ああっ、だめっ……そんな、奥……っ」
ローズマリーの悲鳴のような声が、室内にこだまする。
装飾をほぼ深紅で統一した室内には、淫靡な空気が漂っていた。寝台の脇には脱ぎ捨てられた衣服が散らばり、床の上で黒い影を作っている。
その中で唯一白いシーツの上には、ローズマリーの赤みのある長い金髪が広がり、枕元の淡い光を受けて輝いていた。
その髪が揺れるたび、ぐちぐちと音が立ち、彼女の口からは喘ぎがこぼれ落ちる。視界がゆがみ、自分の身体が奏でる淫らな音を聞きながら、ローズマリーは今にも飛んでいきそうな意識をなんとか保とうと、目の前の逞しい体に縋り付く。
「駄目って……そんなことはない。ほら、こんなにぬるぬるで……きゅうきゅうしてて……っ」
ぐっと腰を突き込んで、にやりと口の端を上げたのは、セーヴェル王国第二王子。つい先日ローズマリーの夫になったばかりのオズワルドである。
「ほら、ローズマリー、わかるか……ココが、お前の一番奥だ」
「わっ、わからなっ……だ、だめえ、おかしくなっちゃ……うっ」
こつこつと腰を動かし、奥を叩くと同時に、オズワルドの指先がローズマリーの乳首を捏ねまわす。途端に、身体の奥がぎゅうっと胎内の肉棒を喰い締めた。うっとりと目を細めたオズワルドが、それに耐えるように歯を食いしばる。
甘い悦楽に、ローズマリーの白い肌は汗ばみ、吸い付くような手ざわりでオズワルドを楽しませているようだ。だが、そんなことに気が付く余裕などない。
――オズワルド……どうして、こんな風にするの……
じわ、と溢れた涙が頬を伝う。
――本当は、こういう風に睦み合いたい方が、別にいるのに……
ローズマリーにもわかっている。オズワルドはこうするよりほかにないのだ。それが、彼に課せられた義務なのだから。
けれど、こんな風に情熱的に抱かれると、錯覚してしまいそうになる。
オズワルドの手が、ローズマリーの細い腰を掴むと、一気に抽送を始めた。そんなことをされてしまえば考えていたことが霧散して、ローズマリーはもはや悦楽に啼くことしかできない。
胸の先端に吸い付かれて、目の前に星が散る。散々なぶられていた乳首は、すでに充血しきっており、ざらついた舌がそれを舐めるたびに小さな法悦がローズマリーを襲う。
「あっ、あっ……やっ、オズワルド、やだ、やだ、こわいの……っ」
「こわくないから、ほら……」
オズワルドの唇が、ローズマリーに優しく口付けを落とす。ちろちろと舐められて、教え込まれた通りに唇を開けば、そこから厚い舌が侵入してきた。
舌を絡め、擦り合わせながら、オズワルドの熱杭が蜜洞を行き来する。その硬さと熱さに翻弄されて、ローズマリーはびくびくと背筋をそらした。離れた唇を、オズワルドが追ってくる。
「駄目だ、ローズマリー、俺は……」
がつがつと奥を突き上げながら、オズワルドは熱に浮かされたように囁きかける。返事はさせないとばかりに、再び口腔内を貪られ、ローズマリーの身体は抑えきれない快楽に攫われる。
「んっ、んんっ……!」
絶頂の波に襲われ、ローズマリーの中がきゅうきゅうと収縮を繰り返す。それに誘われるように、オズワルドが精を放った。
だが、ローズマリーの胎内にある彼の肉棹は、いまだに衰える気配がない。
思わず夫を見上げたローズマリーに、オズワルドが微笑みかける。だが、その瞳にはぎらぎらと欲望が煮えたぎっていた。
ひっ、と息を呑んだローズマリーに構わず、オズワルドが再びゆっくりと動き出す。彼の放った精と、自身が溢れさせた蜜液が絡み合い、ぐっちゅぐっちゅと淫猥な音が響き出した。
達したばかりで敏感な粘膜を遠慮なく捏ねまわされ、ぐったりと弛緩していたローズマリーの身体に再び熱が灯った。
「あ、だめえ、今、達したばかりなの……っ」
「そうだろうな、すごく締め付けてくる」
相対するオズワルドの口調には、いくらか余裕が感じられた。だが、ぎらつく双眸はじっとローズマリーを見つめ、その反応を余すところなく見ようとする。
視線と、身体の奥の熱と、その両方に責められて、ローズマリーは涙を流し身をよじった。その身体をしっかりと捕まえたオズワルドの手が、つながっている場所のすぐ上、ローズマリーの一番敏感な部分を嬲り出す。
溢れる蜜を絡められ、くりくりと摘ままれると、ローズマリーの口からはもう、意味のない嬌声しか出てこなくなってしまう。
「やっ、おかしくなる、おかしくなっちゃう……っ」
「いくらでも、おかしくなれよ……っ」
オズワルドの肩の下まで届く黒髪は乱れ、首筋にも頬にも張り付いている。それが壮絶に色っぽく、そして見つめる視線の熱さがローズマリーを煽り立てた。
「いやあ、だめ、だめえ、もう、イっちゃ……」
「まだまだ、もう少し我慢しろ」
大きく捏ねるように蜜壷を穿ち、オズワルドが非情な宣告を下す。いつものローズマリーであれば、その偉そうな態度に一言物申すところだ。
だが、今のローズマリーは、その言葉に従順になってしまう。
なんとか快感を逃そうと、白いシーツをぎゅっと掴む。しかしその手は、眉をひそめたオズワルドの手に攫われた。縋るようにその手を握りしめ、だんだんと大きくなる悦楽に耐える。
「あ、あ、あっ」
「ん、ローズマリー、俺も、俺も……っ」
腰を奥へと打ち付けながら、オズワルドが悩ましげな声を上げた。ごりごりと大きく太いもので膣壁を擦られ、ローズマリーの身体に大きな波が押し寄せる。
頤をそらし、中が絞り上げるようにオズワルドの熱杭を締め上げるのを感じながら、ローズマリーは真っ白な空間に放り出された。
「絶対、離さないからな……っ」
薄れゆく意識の中で、低く囁くオズワルドの声が、遠く聞こえたような気がした。
第一話 すべての始まり
話は数か月前までさかのぼる。
壁一面に描かれた精緻な壁画に、美しい装飾を施された天井。吹き抜けになった広間は開放感があり、大勢の人々が集まっても息苦しさを感じることのない設計になっている。
ところどころに置かれた彫刻も、いずれ劣らぬ一級品ぞろい。
さらに圧巻なのは、周囲を照らす大きな燭台だ。これに灯されているのは魔術の光で、それ自体はこの国、セーヴェル王国では珍しくもない代物である。しかし、これだけ大きなものになると用意するのは相当に難しい。まさに、贅を尽くした逸品である。
――こんなときでなかったら、ゆっくり鑑賞したいくらいだわ。
高級品で溢れかえるセーヴェル王国の王城。その大広間で、ローズマリー・アルフォードは踊っていた。
「なんでこうなったのかしら……」
「……往生際の悪い奴だな」
ステップを踏みながら、ローズマリーは唇を噛みしめてダンスの相手を見上げた。肩の下まで伸ばした黒髪を一つにまとめ、銀糸の刺繍も鮮やかな紺色のジュストコールを身に着けた姿は、確かに恰好いい。踊る相手として申し分ないだろう。それは認めよう。
だが、その腕の中にいるのが自分である、という現実に、ローズマリーはいまだについていけていなかった。
セーヴェル王国の第二王子、オズワルド。
闇夜のような黒髪に、深海を思わせる深い青の瞳をした、美しい青年。それが彼だ。その彼と今日、ローズマリーは婚約披露を行っている。
そのためのファースト・ダンスだ。婚約者同士としてホールの中央に陣取った二人は、一曲目を二人だけで踊ったあと、続けて二曲目に入っていた。
二曲目からはほかの参加者たちもダンスを始めており、二人の婚約を祝ってすれ違いざまに微笑みを投げかけてくる。
「どうして……」
「どうしてもこうしてもあるか」
ひそひそと交わされる会話は、おそらく楽の音にかき消されてほかの人には聞こえないだろう。はたから見れば仲睦まじい婚約者そのものだが、会話の内容は甘くもなんともない。
はあ、と一つため息をついたところで、突然くるりと身体を回される。ぐ、と足に力を入れてそれを凌ぐと、にやりと笑ったオズワルドが至近距離からローズマリーの顔を覗き込んだ。
「お、やるな」
「もう……! 転んだらどうするの」
唇を尖らせたローズマリーに、オズワルドは少しだけ肩をすくめてみせた。悪戯っぽく眉を上げた彼の、からかうような声音がローズマリーの耳に届く。
「これくらいで転ぶのか? ダンスの名手と呼ばれたお前が?」
「そんなわけないで、しょ!」
この日のために誂えた深い青のドレスの裾を翻し、一歩踏み出すと、ローズマリーは挑戦的な瞳でオズワルドを見上げた。薄い青をした煌めく瞳をわずかに細め、彼女は口元に笑みを浮かべる。
「見ていなさい……振り回してあげる」
「お手柔らかに頼む」
ふん、と鼻を鳴らしたオズワルドの手が、ローズマリーの赤みのある金の髪をそっと肩から払う。にやりとした笑みを浮かべると、オズワルドは楽団にちらりと視線を走らせて、合図を送った。途端にゆったりとした曲調が、だんだんと速度を上げはじめる。
その曲に合わせて、彼の足がそれまでのものよりも複雑なステップを踏み始めた。
「……腕を上げたわね」
「いつまでも苦手とは言ってられなかったんでな」
軽快にステップを踏み、微笑み合う。周囲の目には、想い合う恋人同士のように見えたことだろう。
事実、この婚約披露から三か月後には二人の結婚式が予定されている。
第二とはいえ、王子の婚姻だ。普通なら、婚約を公示してから一年は準備期間に費やされるはずである。だというのに、こうも式を急ぐのには理由があった。
――ことは、二週間前までさかのぼる。
その日、ローズマリーはいつものように第二騎士団の鍛錬を見学するために王城へと向かっていた。彼女の目的は、第二騎士団団長、エイブラム・オルガレン侯爵だ。
今年三十五を迎えてなお独身。鍛え上げられた体躯と精悍な顔立ち、そしてその身分も相まって、世の令嬢方の人気を集めている。
オルガレン侯爵は、持ち込まれる縁談も星の数ほどと言われているが、そのすべてを断り独身を貫いていた。本人は、第二王子に剣を捧げた身であるから、と話しているが、社交界の噂では、若い頃に恋人を亡くして操を立てているとか、報われぬ恋に身を窶しているとか囁かれている。
今年十九になったばかりのローズマリーからすれば、かなり年上になるだろう。だが、そんなことはローズマリーにとって些細なことだ。
昔から、ローズマリーは年上が好きなのである。淡い初恋は幼馴染のお兄ちゃん。その後も成長するにつれて、淡い恋を何度も体験してきたが、対象はやはりみな年上だ。
――だって、同じ年頃の男の子って苦手なんだもの。
ローズマリーは、馬車に揺られながらため息をついた。小さい頃、一緒に遊んだ黒髪の少年の姿を思い浮かべて首を振る。
思えば、同世代の男の子が苦手になったのは、間違いなく彼のせいだ。
『なあ、あっちを案内してやろうか』
あれは、確かまだローズマリーが五歳のときのこと。両親に連れられて、ローズマリーはとあるお茶会に出席していた。
そこで出会ったのが彼だ。
よくわからない会話だらけのお茶会に退屈しきっていたローズマリーを連れ出してくれたことには感謝している。だが、そのあとが悪かった。
『ほら、これをやるよ』
にっこりと笑った少年が差し出した手のひらに乗せていたのは、大きな芋虫。
きゃあ、と大きな叫び声をあげて後退ったローズマリーに、彼は目を丸くしてさらにずいっとそれを近づけてきた。
『ほら――』
彼はまだ何か言っていたが、その後のことは、もうよく覚えていない。ぱたり、と倒れたローズマリーが次に気付いたときには、室内の長椅子に寝かされていた。その顔を、やはり黒髪の――先程の彼よりも年上の少年が覗き込んでいる。
『あ、気が付いた? ごめんね、弟が……』
そう微笑んでくれた少年は、先程の彼と面差しが似ていた。だが、雰囲気は大人びていて、ローズマリーはぽわんと頬を赤らめて首を振り、にっこりと微笑んだ。
これが、ローズマリーとオズワルド、そして彼の兄である第一王子クラレンスとの出会いである。
そして、ローズマリーの初恋は優しく付き添ってくれたクラレンスで――このときから、ローズマリーの淡い恋のお相手は、みな年上ばかりになった。
だが、その後も何故かことあるごとに、ローズマリーとオズワルドは顔を合わせる機会が増えてゆく。ローズマリーの父が宰相で、国王と懇意にしていたこと、二人が同じ年齢であることなどが理由だったのだろう。ローズマリーの兄、ブラッドリーがクラレンスの学友だったこともそれに拍車をかけたのかもしれない。
アルフォード家は侯爵の位を戴く高位貴族だ。あわよくば二人を結婚させよう、という目論見もなくはなかっただろう。
だが、二人の相性は最悪だった。
ローズマリーとオズワルドは、寄ると触ると口論を繰り返し、いつしか二人は犬猿の仲として有名になってしまったのである。
『もう少し、お淑やかにできないものか』
そう父が嘆いていたことまで思い出して、ローズマリーは憂鬱な気持ちになった。
オズワルドさえ絡まなければ、ローズマリーはどこに出しても恥ずかしくない、気品ある侯爵家のご令嬢でいられる。だが、オズワルドの前では何故かその仮面がはがれ、気の強い一面が前に出てしまうのだ。
――まあ、小さな頃から喧嘩ばかりしている相手に、今更ねえ……
再びローズマリーがため息をついたとき、馬車がゆっくりと停車する。王城の車寄せに着いたのだと気が付いて、ローズマリーは嫌なことを忘れ、うきうきとして大きなつば広の帽子をかぶると、鍛錬を見学しに向かうことにした。
ほかにも何人か、見学に向かう令嬢の姿が見える。その一番後ろを目立たぬようについていき、ローズマリーはいつもの定位置に腰を下ろした。
そこへ、ぬっとあらわれた人影がある。
「ローズマリー、お前、また来たのか」
「あら、オズワルド殿下には、ご機嫌麗しく……」
ローズマリーの定位置は、観覧席の一番後ろの目立たない場所だ。ここからひっそりと訓練を眺めるのが、いつものスタイルである。
大きなつば広の帽子をかぶっていることもあって、ローズマリーの正体に気が付く者は少ない。それなのに、何故かオズワルドはいつもすぐにローズマリーを見つけてしまう。
帽子が目立つのか、と小さな帽子をかぶってきたこともあるのだが、そのときには馬鹿にしたような顔で日傘を差し出されたものだ。一応お礼を言ったところ、「倒れられでもしたら兄上に迷惑がかかるからな」とツンとした態度で言われたことは記憶に新しい。
まあ、ここでローズマリーが倒れでもしたら、一番に連絡が行くのは城に常駐している兄ブラッドリーのところだろう。彼は今、王太子の側近として常にクラレンスの傍にいる。ブラッドリーが傍を離れることになれば、当然王太子の業務は滞るわけで、ローズマリーとてそれくらい承知していないわけではない。
別にお前のためじゃないぞ、と暗に言われたわけだが、そんなことは百も承知だ。しかし、ローズマリーの体調を慮ってくれたのは事実だから、あえて口答えはしなかった。
「お前に殿下、なんて呼ばれると、なんだか背筋がぞわっとするな……」
「仕方がないでしょう、お父様が最近うるさいのよ」
わざとらしく震えてみせたオズワルドに向かって、ローズマリーは肩をすくめた。その隣に、オズワルドは許可も取らずにどっかりと座り込む。
だが、それもいつものことだ。
「アルフォード侯爵か。まあ、あの方はわりに固いところがあるからなあ……」
ローズマリーの父、アルフォード侯爵の姿を思い浮かべたのだろう。オズワルドの表情がわずかにげんなりとしたものになる。
幼少期から親交のある二人は、当然互いの親にもよく会うわけだが、アルフォード侯爵は何かにつけては優秀な兄王子を引き合いに出して、オズワルドにも勉学に励むよう発破をかけていた。それゆえ、苦手意識があるのだろう。
くす、と笑ったローズマリーは、訓練場に視線を向けて呟いた。
「それにしても、第二王子って暇なの? 私がここに来ると、いつもいるけど」
「第二騎士団は俺付きだからな。エイブラムがここに来る日は、来なければならないだけだ」
俺も鍛錬をするしな、と続けられてローズマリーは肩をすくめた。それはもちろん知っている。王子付き騎士団の団長は、剣の指南役を兼ねているのだから。だが、その鍛錬のあるはずのオズワルドに、こうしてエイブラムを見学できる機会をいつも邪魔されるのはおかしな話だ。
ローズマリーの視線の先では、エイブラムがほかの団員たちに稽古をつけている。相変わらずほれぼれするような剣筋だ。うっとりとした視線を送るローズマリーに、かすかな舌打ちの音が聞こえた。
「……お前、本気なのか?」
「え? 何が……?」
しばらく黙ってローズマリーを見つめていたオズワルドが、ぼそりと呟いた。エイブラムの雄姿に夢中になっていたローズマリーは、何を言われたのかよくわからなくて首をかしげてオズワルドに向き直る。
すると彼は、頬を少しばかり赤らめて訓練場の――エイブラムを見つめていた。
――ん? ま、まさか……?
昨日友人から貸してもらった、ある本を思い出して、ローズマリーはうろたえた。
本自体は、どうということもない流行りの冒険もので、主人公はとある事情から身分を隠して旅をする貴族の青年だ。剣の腕が立つことから、冒険者に身を窶している。
そして、その青年とともに旅をするのが腹心の部下でもある魔術師だ。旅が進むにつれて明かされる謎と、二人の身分を超えた友情が話題を呼んでいる。
もちろん、物語の主人公とその相棒だけあって、二人とも誰に勝るとも劣らぬ美丈夫として描かれているのだが、何故かこの二人、その巻ごとに登場するどんな美女とも恋仲にならない。それどころか、巻を追うごとに二人の信頼は厚く、ゆるぎないものに変わっていく。
それゆえか、一部のファンの間からは二人の間を怪しむ声があがっている――というありさまなのだ。
それに加えて――ローズマリーはオズワルドとエイブラム、二人にまつわる「とある噂」を思い出してしまい、ほんのりと頬を染めた。
意識してしまうと、俄然、自分のこの思い付きが正しいような気がしてきてしまう。
――そ、そんな……でも、まさかでしょう……?
頬を赤らめたオズワルドの視線の先にはエイブラム。観客席から起こる黄色い声援に応えて手を振っている姿を、唇を尖らせて見ている。
オズワルドとエイブラムの仲が良いことは、もちろん付き合いの長いローズマリーはよく知っていた。時折、二人が視線だけで会話をするシーンを何度も間近で見たものだ。
口元に手を当てて、ローズマリーはオズワルドの横顔をじっと見つめた。これはもしかしたら嫉妬の視線なのではないだろうか。
自分というものがありながら、ご令嬢方に愛想を振りまくエイブラムに対する、だ。
気付いてしまった衝撃的な事実を胸に秘め、ローズマリーはオズワルドとエイブラムを交互に見比べた。それに気付いたのか、エイブラムがこちらに視線を向けると、口角を上げる。すると、オズワルドはぷいと顔を逸らしてしまった。
――どう見ても、これは……
男二人のそんなやりとりに、ローズマリーは何故だかどきどきしてしまう。生憎、ローズマリーはそちらの方面には詳しくはないのだが、友人たちが「あの騎士さまとあちらの騎士さま、随分と距離が近いと思わない?」などと盛り上がっていたことを思い出す。
このときやり玉にあげられたうちの一組が、オズワルドとエイブラムなのである。もちろん、噂になっているだけで確証があるわけではない。ただ、二人の距離がほかの人たちに比べて近いのは、動かしようのない事実である。そのせいか、そういった趣味趣向の持ち主である令嬢たちの間では、二人の関係はほぼ公然の秘密扱いになっていた。
一度そう思ってしまうと、噂を信じていたわけではないローズマリーの目にさえ、オズワルドの瞳はまるで恋する男のそれに見える。
いや、ローズマリーでさえ、本当はそうなのではないか、と疑っていた節もあるのだ。だから、すっかりその考えに取りつかれてしまった。
――まさか、オズワルドがオルガレン団長に恋をしているだなんて……!
これを教えてあげたら、きっと友人たちは色めきたつに違いない。だけど、とローズマリーはそっと胸を押さえた。
オズワルドは、セーヴェル王国の第二王子である。ということは、王家の血を絶やさぬために婚姻して子を残さなければならない立場だ。
実らぬ想い。いや、もしエイブラムの方もオズワルドを憎からず思っていたとしても、決して結ばれず――オズワルドは誰かほかの女性と結婚せねばならない。
じわ、と熱いものが込みあげてきて、ローズマリーは目を伏せた。
ローズマリーとて、こうして淡い憧れを胸にエイブラムを見るために騎士団の鍛錬を見学しに来ているわけだが、実際に結婚となれば別の話だ。貴族の子女たるもの、結婚相手は親が決める。ローズマリーの意志はさほど重要ではない。
それと同様に、今こうして見学に訪れている令嬢のほとんどが、おそらくは家のために結婚をする。騎士団の鍛錬を見学する自由は、それまでのものだ。
貴族間の婚姻なんて、そんなものである。ごくまれに、恋に落ちた相手と結婚できる幸運な令嬢もいるが、それはほんの一握り。
まあ、中には親の決めた婚約者と仲睦まじい結婚生活を送るものもいるにはいるのだけれど。
――私もせめて、そちら側に入りたいものだわ。
ふう、とため息をついたローズマリーは、視線を感じて顔を上げた。すると、オズワルドが訝しげな顔でこちらを見ている。
「お前……」
「な、何よ」
先程、オズワルドに同情していたせいだろうか。なんとなく勢いがそがれて、いつもの軽口も出てこない。そんなローズマリーに、オズワルドはますます眉間のしわを深くした。
「……ローズマリー、このあと時間あるか?」
「え? ええ、まあ」
「じゃあ、ちょっと茶でも飲んでけよ。ここで待っていてくれたら、あとから迎えに来る」
その言葉に、ローズマリーは珍しく素直に頷いた。オズワルドは立ち上がると、そんなローズマリーの頭をぽんと叩き、その場をあとにする。
「……オズワルドだって顔は良いのに、なんでここにいても騒がれないのかしらね」
その後ろ姿を見送りながら、ローズマリーはふと思いついて口にする。
そばで一部始終を見ていた侍女は一瞬片眉を上げたが、賢明にも口をつぐんだままだった。
さて、オズワルドとお茶をするのなら、場所はどこになるのだろうか。小川のそばの四阿なんか、この季節なら涼しげでいい。そういえば、ゆっくり話をするのは久しぶりになる。
こうして鍛錬を見学に来るたびに会っているから、まったくそんな気がしていなかったのだけれど。
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