Trains-winter 冬のむこう側

白鳥みすず

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第一章 ユキ

友人

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次の日はそうそうに切り上げて帰り支度をする。
通学バッグに教科書を詰め込み、足早に廊下に出る。
自然と足取りは軽かった。
今日は心と勉強を約束している日だ。
図書館に行くと既に椅子に座って参考書を広げている彼女の姿があった。
長い艶やかな髪を耳にかき上げているところで僕の視線に気づいたのか彼女は振り返った。
「ユキくん」
花が咲きほころぶようなその笑顔を見ただけで僕の心はふわりと暖かくなった。
「お待たせ、心」
椅子を引き、隣に座ると僕も教科書を取り出し並べる。
「へー。ユキくんはここで勉強してたんだ?」
後ろから呑気な声とともに覗き込まれて僕は驚いて立ち上がった。
後ろを向くと見慣れたグレーの派手な髪に着崩した制服。
その人物は笑って手をひらひらとさせていた。
「浅野?!」
心もびっくりしたようにこちらを見上げている。
彼女が口を開く前に僕は早急に彼を図書館の扉前まで連れていった。
「何でここに?」
「え。貴之くんの意中の彼女は誰かなあと思ってつけた」
悪気は一切ありません、みたいに不思議そうに首を傾げて浅野は答えた。
「彼女じゃない」
「そんな怖い顔しないでよ。貴之は視野狭いよね。あんなに堂々と尾行したのに一切気づかないんだから。隠れてもいなかったよ、俺は」
やれやれと首を振り浅野は言った。
「視野が狭いのは認める」
噛みつくように僕は答え
「勝手に付いてくるなよ・・・せめて事前に言ってくれ」
と頭をおさえていった。
「・・・言ったら紹介してくれたの?」
僕の言葉に浅野が目をぱちくりとさせた。
「ああ、それは・・・そうだよ」
勉強でいつも世話になってるわけだし、なんだかんだフールの学校でまともに喋ったことがあるのは浅野ぐらいだ。それに苦手意識は、自分の偏見だったことに気づいた。
思っていたより話しやすかったし、浅野はひとなっつこい性格だ。
まだ読めないところはあるけれど、悪い奴ではない。
真剣な話だってできる仲だと僕は思っている。
「そっか・・・そっか・・・!」
あはは、と急に浅野は笑い出した。
「そっかー嫌がられるか、隠されると思ったんだよね」
「そんなわけないだろ」
きっぱり告げると更に目をまん丸にしてから浅野は笑った。
「貴之くんは面白いなあ。いってらっしゃい、紹介はまた今度してよ」
浅野は僕の肩をぽんと軽く叩いた。
「邪魔してごめんね」
手をひらひら振ると扉をくぐって行ってしまった。
不思議だ。第一印象はあまりよくなくて自分とは縁のない人間だと思っていた。
向こうが声をかけてくることだって、特に気にしていなかった。




初対面は保健室だった。熱が出てしまい、保健室に転がりこんだ僕はとりあえずベッドに寝転がった。気怠い・・・まだはかってないけど、これは高熱だなといつもの感覚で分かる。先生、今どこなのかなとぼんやりと考えた。頭も身体も重い。視界の端に人影が映った。ドアが開いて派手な髪色にピアスが目に付いた。
その人影はなんだあ、先生いないんだって少しつまらなそうな声をあげた。
ここでは校則も特になくて、自由だった。だからその派手な髪色も咎められることはない。
不良行為さえしなければ。風紀委員は存在したけど、本気で注意してきたりはしない。
だって注意されたってやめないことを知ってるから。ハーフのような顔立ちとその髪色は何の違和感もなかった。
僕はなんとなく派手な人は苦手だったから、彼が保健室に入ってきた時は無意識に目を逸らしていた。
「澤木くんじゃない」
まるで級友に会ったかのように微笑んで親しげに話しかけられた時は本当に驚いた。
「どうしたの?また熱でも出たの?」
顔を覗き込むようにして聞かれて僕は身を引いた。
「近い」
「ああ、ごめんごめん。人との距離感おかしいってよく言われる」
やっちゃったなあ、と言いながら浅野は笑った。
「またって、なんで知ってる?」
「え?先生が澤木くんの話もしてたから?」
首を傾げて答えてくる。
「澤木くん、ここの常連でしょ。俺もよく来るんだよね。
先生優しいし。静かで落ち着くしさ」
・・・銀髪の人とすれ違っていたら、僕もさすがに覚えていると思うんだけど。
適当に言っているだけかもしれない。
「甘やかしてくれる場所があるに越したことはないでしょ。
貴之くんも気持ちいいところのが好きだよね?」
唇の端をつり上げて彼が笑う。
その表情に不穏なものを感じて、僕は返事をしなかった。
・・・やはり苦手だ。僕とは違う人種だ。
僕は眉をひそめた。その表情を見て僕の体調が悪くなったと勘違いしたのか浅野は
「またね、貴之くん。ああ、冷えピタあげる」
と引き出しから冷えピタを出すと僕の枕元において去って行った。
・・・よく分からない。疲れた。
彼が出て行った瞬間にどっと疲れが出た。
重たい瞼を閉じる。
今はただ眠りたい。貰った冷えピタを張ることもなく僕はうつろで深い眠りへと落ちていった。

・・・起きたら僕の額には冷えピタが張られていた。
先生が張ってくれたのかもしれない。ただ次の日から浅野は教室で会うと軽く声をかけてくるようになった。浅野は比較的誰とでも話していたから自分が話しかけれるのも別に大勢のうちの一人だと思ってその変化は気にしなかった。
ただ僕は浅野に対して苦手意識を持ったままだったからあまり関わらないようにしていた。
それが今では一緒に勉強して昼間も過ごして知っていくうちに友達って思うようになった。
見かけと雰囲気だけで勝手に避けていたのは間違いだったなと思う。
未だに浅野が考えていることが分からないけど。
僕は心を待たせているのを思い出して急いで席に戻った。
戻って声をかけると教科書を閉じて心がうれしそうに頬を緩めた。
「さっきの人、ユキくんの友達?」
「うん・・・まあ」
「ユキくんと似てるねっ。ユキくんの友達って感じが凄くした」
・・・どこがどのように似ていたのか具体的に聞きたい。
外見に関してはどこもかすってすらいないだろうし、声も似ていない。
性格だって、どちらかというと正反対だと思う。
「・・・全然似てないと思うよ」
「似てるよ。寂しそうなんだけど優しい目してるところとか。
今度は三人でお話させてね」
彼女はうんうんと一人で勝手にうなずくと勉強を再開していた。
僕が感じないこと感じて、きっと見えているのだろう、僕の視点からは決して見れない景色を。
彼女の言葉はいまいちしっくりとはこなかったが、嬉しそうにしていたのでそれ以上聞くのはやめておいた。
彼女は数学が弱いと言っていたが、しばらくは黙々と問題を解きながらノートの上にペンを走らせていた。・・・思っていたより大丈夫そうだ。数学は特に猛勉強して彼女に何を聞かれても大丈夫なように準備してきたけど。その必要もなさそうだ。取り越し苦労だったかな、頭の隅で考える。
しかし、一時間ぐらいすると急に心は机の上に顔を伏せて撃沈していた。
「無理です・・・なぜあなたは数学なんですか?どうして数学なの?」
・・・ロミオとジュリエットのようなノリだ。
「数Ⅰ基本はまだ分かります。例題があれば・・・応用って何ですか?
なぜ応用しちゃったんですか?」
・・・とりあえず、彼女の中のキャパは超えてしまっていることは十分分かった。
「数Aも意味分からない・・・数Aに関しては最初から分からないです。A∪B?初歩の初歩から躓くなんて・・・」
打ちひしがれている心を見て、僕は隣からそっと覗き込んだ。
大丈夫、分かる問題だ。
僕は丁寧に根気よく何度も説明した。
彼女はなんとなくは分かったようだった。
基本問題までは解けれるようになった・・・まではいかなかった。
なんとなくでも理解できるようになったのだから良しとしよう。
僕だって最近真面目に勉強に取り組むようになったばかりだ。
心は時折変なうめき声を上げながら、僕の励ましでペンを動かし、ついに力尽きた。
「ごめんね、ユキくん・・・せっかく教えてくれたのに。全然できなくて」
帰り支度をする中、うなだれる心を見て僕はそっと声をかけた。
「大丈夫、今日で大まかなところは理解できたみたいだから、次は基本問題を一人で解けるように頑張ろう。それに、また分からなくなったら分かるまで何度でも教える。心ならできるよ」
「せ、せんせいー・・・頼もしい」
「・・・いや、先生ではないけど」
・・・うるうるとした瞳で言われて僕は目を逸らした。
言えない。この間まで数学ができなくて友達に頼みこんで勉強を教えてもらってた、なんて。
かっこ悪すぎる。
・・・浅野には今度改めて礼をしよう。
鞄に入れ終わると二人で外に出る。
・・・こんな日常がずっと続けばいい。
平凡で、勉強に切磋琢磨して、明日を楽しみにしたりして。
・・・無理だって分かってるのに。
心といるとそんな未来も想像してしまう。
近頃の自分は重症だ。
でも病にかかるならこっちの方がいいなと思って笑みが零れた。
未来を望んでしまう夢見てしまう。
それも悪くないと今の自分はそう思えた。



玄関の扉を開け、帰宅するとおかえり、と祖母の声が聞こえた。
横になってテレビを見ているようだ。
両親は他界していない。交通事故に巻き込まれた、とだけ聞いた。
小さい頃から祖母に育てられて、僕はここにいる。
身体の弱い僕の面倒を見ながら、祖母は教師の仕事をしながら稼いでいた。
・・・大人になったら恩返しができると僕は無邪気にそう思っていた。
だけど、生きる時間は長くてあと4年。短くて・・・何年だろう。
きっと祖母より先に僕は逝ってしまう。
苦労して育ててもらったにも関わらずだ。
白髪になってしまった後ろ姿をじっと見つめる。
祖母は本をたくさん持っていた。
両親が本が好きだったらしく、本棚には本がびっしりと入っていた。

純文学から哲学まで多種多様だ。ジャンルは問わず、好きだったのだろうか。
僕は両親のことを覚えているのは読み聞かせをしてもらったことだけだ。
絵本は一冊もなかったから本を読んでもらったのだろう。
僕は本を暇さえあれば読むようになった。
・・・記憶をなぞるように、必死に両親の欠片を探すように幼い頃は読んでいたように思う。
・・・結局、何も思い出せやしなかったけど。
飾ってある写真では僕は笑っていた。両親と祖母に囲まれて。
未来に何の不安も抱いていないように見える。公園だろうか。芝生の上で両親に抱きしめられている。・・・覚えてないよ、何にも。
フールスクールに入ることが確定してから僕は塞ぎ込んだ。
それまで以上に本にのめり込み、祖母と話すこともなくなっていた。
「学校は?今日はどうだった?」
僕が動かないことを感じ取ったのか、そのままの姿勢で祖母が問いかけてくる。
「・・・少し、楽しかったよ」
僕は答えると階段を上っていった。もっと色々話すことがあるはずなのに。
正解の言葉と行動は頭では分かってるはずなのに、現実では実行できそうもなかった。
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