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第二部 第一章
ラーム伯爵邸茶話会3
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エリージェ・ソードルにとって元々、良い印象の無かったペルリンガー伯爵家ではあったが、ここまで嫌悪するようになった理由に、第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者問題があった。
元々、ペルリンガー伯爵家の次男、ユルゲン・ペルリンガーは第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者をしていた。
そこには、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが次期王太子、そして、次期国王であるだろうという目算が働いたのは言うまでも無い。
王太子就任時の従者は後に側近として力を振るう可能性は高い。
それにより、ペルリンガー伯爵家の権威を上げようとする打算は当然のようにあった。
だが、その当てが外れるのでは無いか?
そう思わせる事態が起きた。
国内屈指の名門、ソードル公爵家令嬢、エリージェ・ソードルとの婚約解消である。
実際の所、まだ、正式には発表されていないそれではあったが、貴族の間であっという間に広がった。
理由としては、第一王子ルードリッヒ・ハイセルがエリージェ・ソードルをないがしろにしたというものから、エリージェ・ソードルの心変わりなど多岐にわたったが、噂が流れるもっとも初期に、ザーダール・リヴスリー大将軍が機嫌良く話していた事から、少なくとも婚約破棄自体は信憑性の高い話だと囁かれるようになった。
そうなると、ペルリンガー伯爵の行動は早かった。
ユルゲン・ペルリンガーを第一王子の元から離し、第二王子の側に従者として就かせたのである。
元々、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが国王に即位する可能性は低いと思われていた。
それは、かの王子が悪名高い、前国王ヴィンツェ三世に雰囲気が似ているという理由で古参達の目が厳しかったからだ。
ソードル公爵令嬢の婚約が決定する前までは、冷徹な判断をいとわず行う国王オリバーがその点を考慮して、第二王子クリスティアン・ハイセルに継がせるのではないか?
そんな風に言われていたのである。
それに、どのような理由があるにせよ、婚約破棄とはお互いにしこりを残すものである。
王家を除けば国内最大の資金力と軍事力を保有し、国教である光神との結びつきも強い公爵家と距離を取られる王子が、国王に即位できるはずがない。
そう判断しても、無理はなかった。
ただ、ペルリンガー伯爵は失敗した。
失敗してしまった。
もう少し、二人の関係をじっくり見ていれば、そのような決断はしなかっただろう。
そうすれば、婚約破棄の決意は強いものの、エリージェ・ソードルの第一王子ルードリッヒ・ハイセルに対する姿勢が特に変わっていないことを。
慧眼の士であれば、エリージェ・ソードルの第一王子ルードリッヒ・ハイセルを思う親愛の情が変わっていないことを――気づいたはずだ。
だが、ペルリンガー伯爵は第二王子の従者が埋まってしまわない前にと急いでしまった。
だから、失敗した。
――
一月前のことだ。
エリージェ・ソードルは毎年行われる光神光臨祭――その前に行われる王家主催の園遊会に参加していた。
会もつつがなく進行し、宴もたけなわを過ぎていた。
参加した貴族達もぽつり、ぽつりと帰り始めていた。
この女は中座し、子供達の集まりに参加していたのだが、ふと、祖父マテウス・ルマに話をしないといけないことを思い出し、大人達の会場に戻ってきていた。
会場には弛緩した空気が流れていた。
王族は既に下がり、うるさ型のご婦人達は別室にて茶話会を開いていた。
残ったのは比較的無礼に対して寛大なオールマ王国の貴族、その男達である。
酒が入っていることも手伝い、ガハハと大きな声で騒いでいる者すらいた。
エリージェ・ソードルは、その辺りについては余り気にしない。
勿論、自分に絡んできたらその限りではないが、(殿方は騒々しいわね)と思いつつも、祖父の姿を求めて視線を巡らせていた。
ところがである。
この女、とんでもない話を耳にすることになる。
「いやぁ~あの時の、ペルリンガー伯爵の動き、迅速でしたな。
第一王子に芽がないと判断したら、即、第二王子に鞍替え。
人としても、臣下としても、正直褒められたものではございませんが、貴族としては素晴らしい判断力と言わざる得ないでしょう」
普段であれば、伯爵程度がそのようなことを口にすることはなかっただろう。
特に、王族や怪物が参加する会でそのような迂闊なことを話すはずが無い。
だが、ソードル公爵家以外の大貴族は比較的早く、帰ってしまい、エリージェ・ソードルにしても既に子供達の集まりに行ってしまった。
だから、気の緩みがあったのだろう。
一人の貴族が非常に迂闊なことを口にしてしまった。
それを聞いた女は「……鞍替え?」と訝しげに呟く。
何を言っているのか、理解できなかったのである。
この女、その瞬間までペルリンガー伯爵子息が病気だということを疑っていなかった。
品行方正で非常に優秀なマリオ・レーヴ侯爵子息にばかり視線がいっていたこともある。
だが、お世辞にも頭脳明晰とは言えぬこの女は、たかだか伯爵程度の貴族が、敬愛する王子に対してそのような反逆行為をするとは、全く考えもしなかったのである。
「鞍替え……」
と反芻する様に繰り返す。
そう言われてみればなるほど、思い当たる節はあった。
病気病気と言いつつも実際の病名や症状を耳にしたことがないとか、王城でその姿を見た気がしたとか……。
正直、この女にとって第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者って事以外は興味の対象外だったのでそこまで気にしていなかったのだが。
(あのお方に不便をおかけするばかりか、自分勝手な理由で――)
「――鞍……替え……?」
腹の底から言葉が漏れ出てきた。
顎に力が入り奥歯がギギギと鳴った。
何故か体がガクガクガクと震え、手に持つ鋼鉄で出来た扇子がグニャリと変形した。
いつの間にか、周りにいた貴族達が後ずさり、顔を強ばらせながら女を見ていた。
先ほど機嫌良く話をしていた貴族の男などは、”何故か”腰を抜かして、「ヒィィィ!」なんて声を漏らしている。
だが、この女は気にしない。
ゆっくりと、視線を会場の入り口付近に向ける。
そこには、”例”の”クズ”がいつも陣取っている場所があり、実際、それらしき男の背中が見えた。
もちろん、エリージェ・ソードルは分かっている。
ここは、王城である。
他の場所ならともかく王城なのである。
当然のことながら、捕まえてボコボコにする事など出来ない。
この女とて――この女とて――出来ない。
「ペルリンガー……」
ただ、一言二言ぐらいは――言ってやらなくてはならない。
そう”冷静に”、”冷静に”だ。
その証拠に、この女の顔に表情は――無い。
エリージェ・ソードルは一歩、また一歩、その男の元に足を進める。
「ペルリンガー……」
途中、五、六人ほどの王家騎士が「落ち着かれよ!」と前に現れた気がしたが――一瞬後に視界から消えたので、多分、女の気のせいだろう。
その時、右側からけたたましい音が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
……ところで、五大伯爵に名を連ねる名門ペルリンガー伯爵家であったが、多くの歴史学者が首をひねる存在だった。
歴史書を紐解けば、敵方に裏切った回数二回、反旗を翻した回数四回、王命に逆らった回数は二十回以上と記されている。
苛烈王ヴィンツェ国王の時など、一族全員縛り上げられ、首が刎ねられる寸前まで行っていた。
だが、この貴族家は生き延びる。
領地が多少減ったり、領地替えにあったり等はありながらも、未だに五大伯爵として権威を残したまま生き延びている。
それは、悪運が強いというのとは別に、最後の最後になると本能的に正しい選択をする――ペルリンガー伯爵家の血にはそんな能力があるのではないか?
そう囁かれていた。
果たして、その血によるものなのか、それとも、偶然なのか――ペルリンガー伯爵という男、動かない。
既に、会場中の視線を一身に集めているエリージェ・ソードル、そちらに顔を向けない。
近くにいる貴族に一言、二言話をしながらも、エリージェ・ソードルを見ない。
仮に、エリージェ・ソードルを見た場合、当然、目が合うだろう。
あった場合、向かってくる女を迎えなくては礼を失することになる。
いや、そもそも武芸などはからっきしなペルリンガー伯爵の事だ、この女の威圧にすくみ上がって動けなくなったことだろう。
だが、振り向かない。
そして――突然駆けた。
「なっ!?」
その背後に黒い影が迫る。
”黒い霧”である。
それがペルリンガー伯爵の体を包む直前に――伯爵が角を曲がり、”黒い霧”は空を掴む。
会場出入り口を駆け抜けながら、ペルリンガー伯爵が叫ぶ。
「自領で急変があり、失礼!」
許可無く王城を走るなどというあり得ない暴挙、それが唯一許される領主としての権利を前面に出したのである。
だが、その姑息さに、この女、目を怒らせながら絶叫する。
「ペルリンガァァァァァァ!」
足が引っかからないように両手で衣服を掴み、持ち上げながら駆け出す。
ペルリンガー伯爵、両手両足を大きく動かしながら走る。
ヒィヒィ言いながら逃げる。
その背中に向かって、”黒い霧”を伸ばす。
「ペルリンガァァァァァァ!」
「ヒィィィ!
自領で、自領で、急変あり!
助けてぇぇぇ!」
などと言いながら、角を曲がる、”黒い霧”またも空を掴む。
「ペルリンガァァァァァァ!」
この女の怒声が、王城に響き渡った。
――
「本当に、忌々しいわ」
エリージェ・ソードルは顔をしかめながら、閉じた扇子で自身の掌を叩いた。
「まあまあ」と女騎士ジェシー・レーマーが宥めようとするが、当然、そんなものでこの女の気が晴れることはない。
あの時、一刻ほど追い回したにもかかわらず、ペルリンガー伯爵を取り逃がしたこともある。
だが、何よりもその後、マルガレータ王妃と祖父マテウス・ルマに四刻ほど激しく説教をされた事で、ペルリンガー伯爵に対する怒りが募っていた。
「早く成人したいわ!」
「いえ、あのう……。
絶対通らないと思いますよ、その法案」
女騎士ジェシー・レーマーがボソボソ言っていたが、そんなもの耳に入っていない女は、その時の為にと、扇子で素振りをしつつ、伯爵邸の玄関を抜けるのであった。
元々、ペルリンガー伯爵家の次男、ユルゲン・ペルリンガーは第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者をしていた。
そこには、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが次期王太子、そして、次期国王であるだろうという目算が働いたのは言うまでも無い。
王太子就任時の従者は後に側近として力を振るう可能性は高い。
それにより、ペルリンガー伯爵家の権威を上げようとする打算は当然のようにあった。
だが、その当てが外れるのでは無いか?
そう思わせる事態が起きた。
国内屈指の名門、ソードル公爵家令嬢、エリージェ・ソードルとの婚約解消である。
実際の所、まだ、正式には発表されていないそれではあったが、貴族の間であっという間に広がった。
理由としては、第一王子ルードリッヒ・ハイセルがエリージェ・ソードルをないがしろにしたというものから、エリージェ・ソードルの心変わりなど多岐にわたったが、噂が流れるもっとも初期に、ザーダール・リヴスリー大将軍が機嫌良く話していた事から、少なくとも婚約破棄自体は信憑性の高い話だと囁かれるようになった。
そうなると、ペルリンガー伯爵の行動は早かった。
ユルゲン・ペルリンガーを第一王子の元から離し、第二王子の側に従者として就かせたのである。
元々、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが国王に即位する可能性は低いと思われていた。
それは、かの王子が悪名高い、前国王ヴィンツェ三世に雰囲気が似ているという理由で古参達の目が厳しかったからだ。
ソードル公爵令嬢の婚約が決定する前までは、冷徹な判断をいとわず行う国王オリバーがその点を考慮して、第二王子クリスティアン・ハイセルに継がせるのではないか?
そんな風に言われていたのである。
それに、どのような理由があるにせよ、婚約破棄とはお互いにしこりを残すものである。
王家を除けば国内最大の資金力と軍事力を保有し、国教である光神との結びつきも強い公爵家と距離を取られる王子が、国王に即位できるはずがない。
そう判断しても、無理はなかった。
ただ、ペルリンガー伯爵は失敗した。
失敗してしまった。
もう少し、二人の関係をじっくり見ていれば、そのような決断はしなかっただろう。
そうすれば、婚約破棄の決意は強いものの、エリージェ・ソードルの第一王子ルードリッヒ・ハイセルに対する姿勢が特に変わっていないことを。
慧眼の士であれば、エリージェ・ソードルの第一王子ルードリッヒ・ハイセルを思う親愛の情が変わっていないことを――気づいたはずだ。
だが、ペルリンガー伯爵は第二王子の従者が埋まってしまわない前にと急いでしまった。
だから、失敗した。
――
一月前のことだ。
エリージェ・ソードルは毎年行われる光神光臨祭――その前に行われる王家主催の園遊会に参加していた。
会もつつがなく進行し、宴もたけなわを過ぎていた。
参加した貴族達もぽつり、ぽつりと帰り始めていた。
この女は中座し、子供達の集まりに参加していたのだが、ふと、祖父マテウス・ルマに話をしないといけないことを思い出し、大人達の会場に戻ってきていた。
会場には弛緩した空気が流れていた。
王族は既に下がり、うるさ型のご婦人達は別室にて茶話会を開いていた。
残ったのは比較的無礼に対して寛大なオールマ王国の貴族、その男達である。
酒が入っていることも手伝い、ガハハと大きな声で騒いでいる者すらいた。
エリージェ・ソードルは、その辺りについては余り気にしない。
勿論、自分に絡んできたらその限りではないが、(殿方は騒々しいわね)と思いつつも、祖父の姿を求めて視線を巡らせていた。
ところがである。
この女、とんでもない話を耳にすることになる。
「いやぁ~あの時の、ペルリンガー伯爵の動き、迅速でしたな。
第一王子に芽がないと判断したら、即、第二王子に鞍替え。
人としても、臣下としても、正直褒められたものではございませんが、貴族としては素晴らしい判断力と言わざる得ないでしょう」
普段であれば、伯爵程度がそのようなことを口にすることはなかっただろう。
特に、王族や怪物が参加する会でそのような迂闊なことを話すはずが無い。
だが、ソードル公爵家以外の大貴族は比較的早く、帰ってしまい、エリージェ・ソードルにしても既に子供達の集まりに行ってしまった。
だから、気の緩みがあったのだろう。
一人の貴族が非常に迂闊なことを口にしてしまった。
それを聞いた女は「……鞍替え?」と訝しげに呟く。
何を言っているのか、理解できなかったのである。
この女、その瞬間までペルリンガー伯爵子息が病気だということを疑っていなかった。
品行方正で非常に優秀なマリオ・レーヴ侯爵子息にばかり視線がいっていたこともある。
だが、お世辞にも頭脳明晰とは言えぬこの女は、たかだか伯爵程度の貴族が、敬愛する王子に対してそのような反逆行為をするとは、全く考えもしなかったのである。
「鞍替え……」
と反芻する様に繰り返す。
そう言われてみればなるほど、思い当たる節はあった。
病気病気と言いつつも実際の病名や症状を耳にしたことがないとか、王城でその姿を見た気がしたとか……。
正直、この女にとって第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者って事以外は興味の対象外だったのでそこまで気にしていなかったのだが。
(あのお方に不便をおかけするばかりか、自分勝手な理由で――)
「――鞍……替え……?」
腹の底から言葉が漏れ出てきた。
顎に力が入り奥歯がギギギと鳴った。
何故か体がガクガクガクと震え、手に持つ鋼鉄で出来た扇子がグニャリと変形した。
いつの間にか、周りにいた貴族達が後ずさり、顔を強ばらせながら女を見ていた。
先ほど機嫌良く話をしていた貴族の男などは、”何故か”腰を抜かして、「ヒィィィ!」なんて声を漏らしている。
だが、この女は気にしない。
ゆっくりと、視線を会場の入り口付近に向ける。
そこには、”例”の”クズ”がいつも陣取っている場所があり、実際、それらしき男の背中が見えた。
もちろん、エリージェ・ソードルは分かっている。
ここは、王城である。
他の場所ならともかく王城なのである。
当然のことながら、捕まえてボコボコにする事など出来ない。
この女とて――この女とて――出来ない。
「ペルリンガー……」
ただ、一言二言ぐらいは――言ってやらなくてはならない。
そう”冷静に”、”冷静に”だ。
その証拠に、この女の顔に表情は――無い。
エリージェ・ソードルは一歩、また一歩、その男の元に足を進める。
「ペルリンガー……」
途中、五、六人ほどの王家騎士が「落ち着かれよ!」と前に現れた気がしたが――一瞬後に視界から消えたので、多分、女の気のせいだろう。
その時、右側からけたたましい音が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
……ところで、五大伯爵に名を連ねる名門ペルリンガー伯爵家であったが、多くの歴史学者が首をひねる存在だった。
歴史書を紐解けば、敵方に裏切った回数二回、反旗を翻した回数四回、王命に逆らった回数は二十回以上と記されている。
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だが、この貴族家は生き延びる。
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それは、悪運が強いというのとは別に、最後の最後になると本能的に正しい選択をする――ペルリンガー伯爵家の血にはそんな能力があるのではないか?
そう囁かれていた。
果たして、その血によるものなのか、それとも、偶然なのか――ペルリンガー伯爵という男、動かない。
既に、会場中の視線を一身に集めているエリージェ・ソードル、そちらに顔を向けない。
近くにいる貴族に一言、二言話をしながらも、エリージェ・ソードルを見ない。
仮に、エリージェ・ソードルを見た場合、当然、目が合うだろう。
あった場合、向かってくる女を迎えなくては礼を失することになる。
いや、そもそも武芸などはからっきしなペルリンガー伯爵の事だ、この女の威圧にすくみ上がって動けなくなったことだろう。
だが、振り向かない。
そして――突然駆けた。
「なっ!?」
その背後に黒い影が迫る。
”黒い霧”である。
それがペルリンガー伯爵の体を包む直前に――伯爵が角を曲がり、”黒い霧”は空を掴む。
会場出入り口を駆け抜けながら、ペルリンガー伯爵が叫ぶ。
「自領で急変があり、失礼!」
許可無く王城を走るなどというあり得ない暴挙、それが唯一許される領主としての権利を前面に出したのである。
だが、その姑息さに、この女、目を怒らせながら絶叫する。
「ペルリンガァァァァァァ!」
足が引っかからないように両手で衣服を掴み、持ち上げながら駆け出す。
ペルリンガー伯爵、両手両足を大きく動かしながら走る。
ヒィヒィ言いながら逃げる。
その背中に向かって、”黒い霧”を伸ばす。
「ペルリンガァァァァァァ!」
「ヒィィィ!
自領で、自領で、急変あり!
助けてぇぇぇ!」
などと言いながら、角を曲がる、”黒い霧”またも空を掴む。
「ペルリンガァァァァァァ!」
この女の怒声が、王城に響き渡った。
――
「本当に、忌々しいわ」
エリージェ・ソードルは顔をしかめながら、閉じた扇子で自身の掌を叩いた。
「まあまあ」と女騎士ジェシー・レーマーが宥めようとするが、当然、そんなものでこの女の気が晴れることはない。
あの時、一刻ほど追い回したにもかかわらず、ペルリンガー伯爵を取り逃がしたこともある。
だが、何よりもその後、マルガレータ王妃と祖父マテウス・ルマに四刻ほど激しく説教をされた事で、ペルリンガー伯爵に対する怒りが募っていた。
「早く成人したいわ!」
「いえ、あのう……。
絶対通らないと思いますよ、その法案」
女騎士ジェシー・レーマーがボソボソ言っていたが、そんなもの耳に入っていない女は、その時の為にと、扇子で素振りをしつつ、伯爵邸の玄関を抜けるのであった。
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