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第二部 第一章
とある尊き伯爵令嬢のお話1
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ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は伯爵の中では中の上に位置するラーム伯爵家の長女として生を受ける。
名門ハンケ伯爵家から嫁いだ母とその母曰く、口だけは達者な父、その父に似て何かと口を挟んでくる三人の兄という家族の中、少々息苦しい生活を送っていた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は小さい頃から自身と自身の家格との釣り合いで悩んでいた。
品良くつり上がった目に、絵画で見た南国で輝く海面のような青い瞳、黄金色に輝く長い髪――どこに出しても人々の目を引き寄せてしまう美しい令嬢で、本来で有れば王家、少なくとも大貴族の姫として育てられてしかるべき宝石のような少女であった。
……少なくとも、本人はそのように思っていた。
にもかかわらず、ラーム伯爵家などという、大貴族どころか、五大伯爵にすらなれぬぱっとしない家の令嬢をしている。
その現実が余りにも理不尽に感じた。
だが、ものの通りが分からない父や兄達は「ハハハ!」と笑うだけで取り合ってくれない。
「イーゼは可愛いからな!」
と”当たり前”なことを言いながら、頭を撫でることしかしてくれない。
それがヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢にとって、たまらなく不満なことだった。
唯一、賛同してくれるのは母だけで、父らを一喝すると、その日の夜、特別にとある秘密を教えてくれた。
「実はあなたの遠縁に王家に”関わる”人がいるのよ」
母の実家であるハンケ伯爵家、その先代当主の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王家に連なる人物とのことだった。
その話を聞いたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は舞い上がった。
母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王家なのだ。
それはつまり、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢も王家の姫と言っても良いのではないか――そう思ったのだ。
自分のこの容姿と気品を加味すれば、むしろそれが自然なことだと確信した。
母からは「わたし達だけの秘密よ」と釘を差されていたので、言葉には出さなかったが、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の中で、自身が王家に連なる者だという思いが募っていった。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢のそういった思いが確信に変わる出来事が、十一歳になったばかりの時に起きた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の二番目の兄が第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者となったのだ。
父が言うには、王族の従者になるにはその者の家にもそれ相応の家格が必要で、親戚などに確固たる後ろ盾が無ければ攻撃される恐れが出てくるとの事だった。
いくら優秀だからとはいえ、ラーム家の兄を従者にするのは余りにも不釣り合いだと父は頭を抱えていたが、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢には選ばれた理由が分かっていた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の兄にも、王族の血が流れているからだ。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢とは違い、凡庸な容姿をしている兄ではあったが、それでも母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王族なのだ。
兄が選ばれても不思議でなかった。
だが、王家とはいっさい関わりがないありきたりでちょっとかわいそうな父は、当然その秘密も知らされていないので、『とにかく、うまく立ち回るように』などと念を押していた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はその馬鹿馬鹿しい言に、心の中で苦笑した。
自分たちは――父以外は王族と言って良い血統なのだ。
当然、王家はその事を”知っている”からこそ、兄を従者に決めたのだろうし、恐らくだが、ラーム伯爵より上位の貴族にとって、それは常識なのだろう。
だから、その懸念は杞憂に過ぎないのである。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は――この心優しいと自称するこの令嬢は――父が余りにも可愛そうに思えてきた。
可愛そうで、みすぼらしくて、さえない貴族に見えてきた。
いつも父に対してきつく当たる、母の気持ちが分かった気がした。
(わたしは父とは本来、一緒にいるべきじゃないんだわ)
そう思えてならなかった。
ただ、兄だけは、”混ぜ物”が有るとは言え母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那に王族を持つので、屋敷ですれ違った時にこっそりと囁いてあげた。
「お兄様、御自身の血に相応しい働きをしてください」
ここまで言えば普通なら悟るだろう――そう思っての言葉だった。
ただ、オールマ学院を首席で卒業したはずの兄は、残念ながら思いのほか愚鈍なようで、きょとんとした顔で見返すだけだった。
その様子に、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は酷く失望した。
自分は王家の血筋に相応しい気高さを胸に生きている。
母もそうだろう。
にもかかわらず、この兄は余りにも軽薄であり、貧民街を放浪する雑種犬のごとき見苦しさすら感じた。
二番目の兄だけではない。
可哀想な父は無論のこと、長兄も三兄を合わせたラーム伯爵家の男達からは、洗練さからはほど遠い芋臭さすら感じられた。
「ヤダわ!
ヤダヤダ!
わたしは、何て可哀想なんでしょう!
こんな、下らない家に押し込められて、何故、役不足な人生を送らなくてはならないの!
光神様は何故、わたしにこんな、非道な試練を与えるのでしょう!」
その余りにも”残酷”な現実を目の当たりにして、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はうちひしがれるのであった。
日々、苛立ちを抱えながらの生活を余儀なくされていたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢だったが、お遊びを思いつくことで、ほんの少しだが心が晴れることとなる。
ご令嬢”いじり”である。
勿論、ほぼ王族と行っても良い、誇り高きヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢である。
下位貴族を”いじったり”しない。
相手にする令嬢は伯爵家以上と決めていた。
なので、下位貴族の令嬢を散々脅した上に、彼女らに強要し、自身と伯爵令嬢と勘違いをしている格下を泣かせる。
そんなお遊びで楽しんでいた。
勿論、虐めでは無い。
ただの”いじり”、ちょっとからかっているだけである。
なので、その内容は実に”罪の無い”ものだった。
例えば、虫を怖がる令嬢がいたら、その襟元に蜘蛛を差し入れるとか。
例えば、ある令嬢の恥部を耳にしたら、彼女と彼女の恋する子息に聞こえるように暴露したりとか。
例えば、母の形見だという装飾品をこっそり盗ませ、その令嬢の馬車の車輪下に置き、砕けるようにしたりとか。
そんな軽い”冗談”程度に流せるものばかりだった。
そして、何やらこの世の終わりのようにワンワン泣きわめく令嬢を眺めながら、「あんな野良犬のように喚き散らして、貴族令嬢として恥ずかしくないのかしら?」と言ってやるのが、本当に気分の良いものだった。
ひょっとしたら、反撃されるかも知れないとは思ったが、狙ったのが気弱そうな令嬢ばかりだったので、そうはならなかった。
もっとも、仮にされてもヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は”何もしていない”のだ。
実行した下位貴族令嬢を指さし「最低ね、あの子」と言ってやれば良いと思っていた。
――
月日が過ぎて、十三歳になったヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はイライラを募らせては、例の”遊び”で晴らすことを繰り返していた。
この頃では、とある令嬢での遊びに夢中になっていた。
その令嬢、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢という。
五大伯爵の一角、ミュラー伯爵家の令嬢である。
気弱な性格をしていて、いつも俯き気味にボソボソ言っては、自身の専属侍女の影に隠れるような少女だった。
年は、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢より二つほど下で、物入れの中で転がっている糸くずのような赤毛がもじゃもじゃと縮れていた。
戯れに、下位貴族令嬢の一人を近づけさせ、突然大声で叫ばせたら、腰を抜かしてワンワン泣き出すほどの軟弱な少女だった。
いかにも、”遊び甲斐”の有りそうな令嬢であった。
とはいえ、流石のヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢とて、初めのうちは五大伯爵家にちょっかいをかけるのは避けていた。
大貴族とて気にかけなくてはならないのが、この五つの家と聞かされていたこともある。
出会ってきた五大伯爵家の子息子女が、剣の天才であり”ちょっと”素敵なリーヴスリー子息、日に日に丸く巨大になってなんか怖いペルリンガー伯爵令嬢、取り巻きを沢山引き連れて怒らせたらかなり怖そうなトレー伯爵令嬢、既に様々な著名な学者と堂々と会話し、弁が達者な上に気も強そうなコッホ伯爵令嬢だったので除外していたのだ。
母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王族なヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢にとって、非常にしゃくに障ることであったが、致し方が無かったのである。
だが、様々な事実を知り、状況が一転する。
まず、両親達の話から、ミュラー伯爵令嬢が五大伯爵といっても王都から遠く離れた田舎貴族である事を知ったのだ。
母などは「あんな田舎者達の風下に立つなんて信じられない!」などと眉をしかめ嫌悪していた。
軟弱な父ですら、それを窘めつつも”辺境”よりだと認めていたほどだ。
他の五大伯爵家に比べて、取るに足りないのだと確信した。
そしてもう一つ、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢は事もあろうか、”虫好き”だということが判明したのだ。
基本的に令嬢は虫を嫌う。
さらに言うなら、貴族家としてもそのような令嬢を恥部とする傾向がオールマ王国ではあった。
それは見た目の気持ち悪さもさることながら、それが令嬢として”何の意味も無い”と言うことが問題であった。
例えば、犬や猫ならその可愛らしさで話は盛り上がるだろう。
馬や牛なら実用性という意味で、貴族に相応しい会話と言えるだろう。
だが、虫である。
小さくて足がうじゃうじゃあって気色の悪い。
そのようなものを社交で話題に出されて、喜ぶ令嬢など異端中の異端だと確信していたし、もしヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢がそのような話題を耳にしたらお茶の入った茶碗を投げつけてやっただろう。
貴族家の中にはそのような気色悪い生き物を集めている輩が存在していると聞かされた時は、そんな家、一族もろとも焼き払えば良いと明言したほどであった。
そんな虫を密かに愛する少女――それがハンナ・ミュラー伯爵令嬢であった。
初め、何本も足が並ぶ虫を嬉しそうに眺めるハンナ・ミュラー伯爵令嬢を見かけた時、吐き気がするほど嫌悪したヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢であったが、直ぐにニンマリとほくそ笑んだ。
そして、使い勝手が良いと重宝している下級貴族令嬢の二人に指示を出した。
大柄でふくよかなな令嬢と、小柄でありながら口が達者な令嬢はニヤニヤと意地悪く口元を緩めながら、忠実に行動した。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢が開いた茶話会にて、庭園の隅で上手い具合に三人だけになった時、小柄な令嬢がハンナ・ミュラー伯爵令嬢にそっと話しかけた。
「ハンナ様って、虫が好きなんですってね」
「うわぁ~気持ち悪い」
小柄な令嬢の言葉に大柄な令嬢が露骨に眉を寄せると、蒼白になったハンナ・ミュラー伯爵令嬢は慌てて首を横に振った。
「そ、そんなことないの!
虫なんて好きじゃ無い!」
しかし、下位貴族令嬢達は嘲笑しながら言う。
「知ってますの?
虫が好きな令嬢は社交界から追放するという不文律があるんですって」
「わぁ~
わたしが当事者だったら、生きてはいけませんわ」
「そればかりか、そんな恥さらしがいる家、取り潰しになるのでは無いかしら?」
「イヤァ~
わたしの家にそんな恥さらしがいたら、刺し殺しているわ!」
「そ、そんな!
わたし、違う……」
下位貴族令嬢に思わずと言った感じに近づこうとするハンナ・ミュラー伯爵令嬢を「気持ち悪い!」といって大柄な令嬢が反射的に押し返す。
「キャ!」っと声を漏らしながら倒れるハンナ・ミュラー伯爵令嬢はついに、シクシク泣き始めた。
それを見下ろしながら下位貴族令嬢達はさらに追い打ちをかけるように言葉を投げつけ続ける。
そんな様子を花壇の影からヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は眺めていた。
胸が高まり、ゾクゾクとした何かが湧き上がってくるのを感じる。
本来なら自分の風下に立つべき存在のくせに、忌々しいラーム伯爵家のせいでデカい顔をしている。
そんな五大伯爵家の一角の令嬢がヒイヒイ泣いている。
酷い目に遭って嘆いている。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の顔は恍惚に火照り、緩むのを感じた。
もっと虐めたい。
もっと酷い目に遭わせたい。
自分の身の丈を思い知らせたい。
その日からハンナ・ミュラー伯爵令嬢を度々呼び出しては虐めるようになった。
もちろん、下位貴族令嬢達を通して、”バラされたくなければ誘われた茶話会は絶対に参加するように”と念を押させた。
無論、ミュラー伯爵に告げ口することも警戒し、いざという時は下位貴族令嬢達を”断罪する”準備も行っていた。
もっとも、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢はそんな素振りを見せなかった。
虫好きがバラされるのが怖いのか、下位貴族令嬢に虐められているのが恥ずかしいのか、茶話会に参加してはシクシクと泣かされるのを繰り返していた。
なので、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は思う存分楽しむのであった。
名門ハンケ伯爵家から嫁いだ母とその母曰く、口だけは達者な父、その父に似て何かと口を挟んでくる三人の兄という家族の中、少々息苦しい生活を送っていた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は小さい頃から自身と自身の家格との釣り合いで悩んでいた。
品良くつり上がった目に、絵画で見た南国で輝く海面のような青い瞳、黄金色に輝く長い髪――どこに出しても人々の目を引き寄せてしまう美しい令嬢で、本来で有れば王家、少なくとも大貴族の姫として育てられてしかるべき宝石のような少女であった。
……少なくとも、本人はそのように思っていた。
にもかかわらず、ラーム伯爵家などという、大貴族どころか、五大伯爵にすらなれぬぱっとしない家の令嬢をしている。
その現実が余りにも理不尽に感じた。
だが、ものの通りが分からない父や兄達は「ハハハ!」と笑うだけで取り合ってくれない。
「イーゼは可愛いからな!」
と”当たり前”なことを言いながら、頭を撫でることしかしてくれない。
それがヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢にとって、たまらなく不満なことだった。
唯一、賛同してくれるのは母だけで、父らを一喝すると、その日の夜、特別にとある秘密を教えてくれた。
「実はあなたの遠縁に王家に”関わる”人がいるのよ」
母の実家であるハンケ伯爵家、その先代当主の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王家に連なる人物とのことだった。
その話を聞いたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は舞い上がった。
母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王家なのだ。
それはつまり、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢も王家の姫と言っても良いのではないか――そう思ったのだ。
自分のこの容姿と気品を加味すれば、むしろそれが自然なことだと確信した。
母からは「わたし達だけの秘密よ」と釘を差されていたので、言葉には出さなかったが、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の中で、自身が王家に連なる者だという思いが募っていった。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢のそういった思いが確信に変わる出来事が、十一歳になったばかりの時に起きた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の二番目の兄が第一王子ルードリッヒ・ハイセルの従者となったのだ。
父が言うには、王族の従者になるにはその者の家にもそれ相応の家格が必要で、親戚などに確固たる後ろ盾が無ければ攻撃される恐れが出てくるとの事だった。
いくら優秀だからとはいえ、ラーム家の兄を従者にするのは余りにも不釣り合いだと父は頭を抱えていたが、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢には選ばれた理由が分かっていた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の兄にも、王族の血が流れているからだ。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢とは違い、凡庸な容姿をしている兄ではあったが、それでも母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王族なのだ。
兄が選ばれても不思議でなかった。
だが、王家とはいっさい関わりがないありきたりでちょっとかわいそうな父は、当然その秘密も知らされていないので、『とにかく、うまく立ち回るように』などと念を押していた。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はその馬鹿馬鹿しい言に、心の中で苦笑した。
自分たちは――父以外は王族と言って良い血統なのだ。
当然、王家はその事を”知っている”からこそ、兄を従者に決めたのだろうし、恐らくだが、ラーム伯爵より上位の貴族にとって、それは常識なのだろう。
だから、その懸念は杞憂に過ぎないのである。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は――この心優しいと自称するこの令嬢は――父が余りにも可愛そうに思えてきた。
可愛そうで、みすぼらしくて、さえない貴族に見えてきた。
いつも父に対してきつく当たる、母の気持ちが分かった気がした。
(わたしは父とは本来、一緒にいるべきじゃないんだわ)
そう思えてならなかった。
ただ、兄だけは、”混ぜ物”が有るとは言え母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那に王族を持つので、屋敷ですれ違った時にこっそりと囁いてあげた。
「お兄様、御自身の血に相応しい働きをしてください」
ここまで言えば普通なら悟るだろう――そう思っての言葉だった。
ただ、オールマ学院を首席で卒業したはずの兄は、残念ながら思いのほか愚鈍なようで、きょとんとした顔で見返すだけだった。
その様子に、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は酷く失望した。
自分は王家の血筋に相応しい気高さを胸に生きている。
母もそうだろう。
にもかかわらず、この兄は余りにも軽薄であり、貧民街を放浪する雑種犬のごとき見苦しさすら感じた。
二番目の兄だけではない。
可哀想な父は無論のこと、長兄も三兄を合わせたラーム伯爵家の男達からは、洗練さからはほど遠い芋臭さすら感じられた。
「ヤダわ!
ヤダヤダ!
わたしは、何て可哀想なんでしょう!
こんな、下らない家に押し込められて、何故、役不足な人生を送らなくてはならないの!
光神様は何故、わたしにこんな、非道な試練を与えるのでしょう!」
その余りにも”残酷”な現実を目の当たりにして、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はうちひしがれるのであった。
日々、苛立ちを抱えながらの生活を余儀なくされていたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢だったが、お遊びを思いつくことで、ほんの少しだが心が晴れることとなる。
ご令嬢”いじり”である。
勿論、ほぼ王族と行っても良い、誇り高きヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢である。
下位貴族を”いじったり”しない。
相手にする令嬢は伯爵家以上と決めていた。
なので、下位貴族の令嬢を散々脅した上に、彼女らに強要し、自身と伯爵令嬢と勘違いをしている格下を泣かせる。
そんなお遊びで楽しんでいた。
勿論、虐めでは無い。
ただの”いじり”、ちょっとからかっているだけである。
なので、その内容は実に”罪の無い”ものだった。
例えば、虫を怖がる令嬢がいたら、その襟元に蜘蛛を差し入れるとか。
例えば、ある令嬢の恥部を耳にしたら、彼女と彼女の恋する子息に聞こえるように暴露したりとか。
例えば、母の形見だという装飾品をこっそり盗ませ、その令嬢の馬車の車輪下に置き、砕けるようにしたりとか。
そんな軽い”冗談”程度に流せるものばかりだった。
そして、何やらこの世の終わりのようにワンワン泣きわめく令嬢を眺めながら、「あんな野良犬のように喚き散らして、貴族令嬢として恥ずかしくないのかしら?」と言ってやるのが、本当に気分の良いものだった。
ひょっとしたら、反撃されるかも知れないとは思ったが、狙ったのが気弱そうな令嬢ばかりだったので、そうはならなかった。
もっとも、仮にされてもヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は”何もしていない”のだ。
実行した下位貴族令嬢を指さし「最低ね、あの子」と言ってやれば良いと思っていた。
――
月日が過ぎて、十三歳になったヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はイライラを募らせては、例の”遊び”で晴らすことを繰り返していた。
この頃では、とある令嬢での遊びに夢中になっていた。
その令嬢、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢という。
五大伯爵の一角、ミュラー伯爵家の令嬢である。
気弱な性格をしていて、いつも俯き気味にボソボソ言っては、自身の専属侍女の影に隠れるような少女だった。
年は、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢より二つほど下で、物入れの中で転がっている糸くずのような赤毛がもじゃもじゃと縮れていた。
戯れに、下位貴族令嬢の一人を近づけさせ、突然大声で叫ばせたら、腰を抜かしてワンワン泣き出すほどの軟弱な少女だった。
いかにも、”遊び甲斐”の有りそうな令嬢であった。
とはいえ、流石のヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢とて、初めのうちは五大伯爵家にちょっかいをかけるのは避けていた。
大貴族とて気にかけなくてはならないのが、この五つの家と聞かされていたこともある。
出会ってきた五大伯爵家の子息子女が、剣の天才であり”ちょっと”素敵なリーヴスリー子息、日に日に丸く巨大になってなんか怖いペルリンガー伯爵令嬢、取り巻きを沢山引き連れて怒らせたらかなり怖そうなトレー伯爵令嬢、既に様々な著名な学者と堂々と会話し、弁が達者な上に気も強そうなコッホ伯爵令嬢だったので除外していたのだ。
母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那が王族なヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢にとって、非常にしゃくに障ることであったが、致し方が無かったのである。
だが、様々な事実を知り、状況が一転する。
まず、両親達の話から、ミュラー伯爵令嬢が五大伯爵といっても王都から遠く離れた田舎貴族である事を知ったのだ。
母などは「あんな田舎者達の風下に立つなんて信じられない!」などと眉をしかめ嫌悪していた。
軟弱な父ですら、それを窘めつつも”辺境”よりだと認めていたほどだ。
他の五大伯爵家に比べて、取るに足りないのだと確信した。
そしてもう一つ、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢は事もあろうか、”虫好き”だということが判明したのだ。
基本的に令嬢は虫を嫌う。
さらに言うなら、貴族家としてもそのような令嬢を恥部とする傾向がオールマ王国ではあった。
それは見た目の気持ち悪さもさることながら、それが令嬢として”何の意味も無い”と言うことが問題であった。
例えば、犬や猫ならその可愛らしさで話は盛り上がるだろう。
馬や牛なら実用性という意味で、貴族に相応しい会話と言えるだろう。
だが、虫である。
小さくて足がうじゃうじゃあって気色の悪い。
そのようなものを社交で話題に出されて、喜ぶ令嬢など異端中の異端だと確信していたし、もしヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢がそのような話題を耳にしたらお茶の入った茶碗を投げつけてやっただろう。
貴族家の中にはそのような気色悪い生き物を集めている輩が存在していると聞かされた時は、そんな家、一族もろとも焼き払えば良いと明言したほどであった。
そんな虫を密かに愛する少女――それがハンナ・ミュラー伯爵令嬢であった。
初め、何本も足が並ぶ虫を嬉しそうに眺めるハンナ・ミュラー伯爵令嬢を見かけた時、吐き気がするほど嫌悪したヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢であったが、直ぐにニンマリとほくそ笑んだ。
そして、使い勝手が良いと重宝している下級貴族令嬢の二人に指示を出した。
大柄でふくよかなな令嬢と、小柄でありながら口が達者な令嬢はニヤニヤと意地悪く口元を緩めながら、忠実に行動した。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢が開いた茶話会にて、庭園の隅で上手い具合に三人だけになった時、小柄な令嬢がハンナ・ミュラー伯爵令嬢にそっと話しかけた。
「ハンナ様って、虫が好きなんですってね」
「うわぁ~気持ち悪い」
小柄な令嬢の言葉に大柄な令嬢が露骨に眉を寄せると、蒼白になったハンナ・ミュラー伯爵令嬢は慌てて首を横に振った。
「そ、そんなことないの!
虫なんて好きじゃ無い!」
しかし、下位貴族令嬢達は嘲笑しながら言う。
「知ってますの?
虫が好きな令嬢は社交界から追放するという不文律があるんですって」
「わぁ~
わたしが当事者だったら、生きてはいけませんわ」
「そればかりか、そんな恥さらしがいる家、取り潰しになるのでは無いかしら?」
「イヤァ~
わたしの家にそんな恥さらしがいたら、刺し殺しているわ!」
「そ、そんな!
わたし、違う……」
下位貴族令嬢に思わずと言った感じに近づこうとするハンナ・ミュラー伯爵令嬢を「気持ち悪い!」といって大柄な令嬢が反射的に押し返す。
「キャ!」っと声を漏らしながら倒れるハンナ・ミュラー伯爵令嬢はついに、シクシク泣き始めた。
それを見下ろしながら下位貴族令嬢達はさらに追い打ちをかけるように言葉を投げつけ続ける。
そんな様子を花壇の影からヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は眺めていた。
胸が高まり、ゾクゾクとした何かが湧き上がってくるのを感じる。
本来なら自分の風下に立つべき存在のくせに、忌々しいラーム伯爵家のせいでデカい顔をしている。
そんな五大伯爵家の一角の令嬢がヒイヒイ泣いている。
酷い目に遭って嘆いている。
ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の顔は恍惚に火照り、緩むのを感じた。
もっと虐めたい。
もっと酷い目に遭わせたい。
自分の身の丈を思い知らせたい。
その日からハンナ・ミュラー伯爵令嬢を度々呼び出しては虐めるようになった。
もちろん、下位貴族令嬢達を通して、”バラされたくなければ誘われた茶話会は絶対に参加するように”と念を押させた。
無論、ミュラー伯爵に告げ口することも警戒し、いざという時は下位貴族令嬢達を”断罪する”準備も行っていた。
もっとも、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢はそんな素振りを見せなかった。
虫好きがバラされるのが怖いのか、下位貴族令嬢に虐められているのが恥ずかしいのか、茶話会に参加してはシクシクと泣かされるのを繰り返していた。
なので、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は思う存分楽しむのであった。
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