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第十九章
愛らしい猫
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公爵邸迎賓室に隣接された露台、そこで第一王子ルードリッヒ・ハイセルとお茶を楽しむ女がいた。
エリージェ・ソードルである。
この女、公爵領に来てから三日間、幼なじみオーメスト・リーヴスリーに振り回されてヘロヘロになっている第一王子ルードリッヒ・ハイセルを見かねて、お茶会の席を準備させたのだ。
因みに、弟マヌエル・ソードルも誘ったのだが、同じく疲れ果てた顔をしていた彼に『もう少し、頑張ります!』と返されてしまった。
少し心配だったが、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンが見ていてくれるのだからと、様子を見ることにした。
晴天の公爵家庭園を眺めながら、この女にしては珍しく、機嫌良さげに話をする。
「殿下、わたくし、寝台が手には入ったことが嬉しいわけではございません。
もちろん、素晴らしい出来なのは間違いありませんが――それよりももっとかけがえのないモノを平民達はわたくしに捧げてくれたのだと思っておりますの」
ここの所、ずっと話している内容を繰り返す女に対して、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは「う、うん」などと気もそぞろに頷く。
その視線は、チラリチラリと女の膝の上に向けられていた。
それに気づいたエリージェ・ソードルは、特に気を悪くした風でもなく、訊ねる。
「あら殿下、殿下は猫がお好きですか?」
「猫……そ、そうだね……。
猫”は”結構好きかな」
エリージェ・ソードルはその返事に、頬を緩める。
「まあ、そうだったのですか。
わたくし、初めて猫というものを飼い始めたのですが、ここまで愛らしいのかと驚いておりますの」
エリージェ・ソードルが膝の上にいる”子”を優しく撫でると、気持ちよさそうな「グガォォ!」という鳴き声が聞こえてくる。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルは困ったように眉を寄せる。
「う、うん……。
『グガォォ!』って鳴く猫は、初めて見たよ」
――
前日のことだ。
ハマン邸から戻り、あれこれがあった夕頃、従者ザンドラ・フクリュウから、猫が数匹手には入ったとの報告を受けた。
その時のこの女、執務中だった事もあり、「クリスに見せて上げておいて」と伝え、書類に目を戻した。
手早く仕事を終わらせたエリージェ・ソードルが、庭園に向かうと、クリスティーナがルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢と共に、猫を嬉しそうに抱き上げているところだった。
クリスティーナの望み通り赤毛の猫ばかりだったが、毛が長かったり、逆に短かったりと様々な種類の猫がいた。
皆、人なつっこいようで、クリスティーナ達に甘えている様子だった。
「あら、思ったより可愛いのね」と女騎士ジェシー・レーマーと話しながら、この女、胸を高鳴らせつつ少し早足で近寄っていった。
ところがである。
この女、衝撃的な場面に遭遇することとなる。
のんびりと、甘い鳴き声を上げていた猫達が、エリージェ・ソードルに気づくと、凄まじい速度で逃げ出したのである。
「え?」
誰もがポカンとした。
クリスティーナなどは撫でていた手を宙に置きながら、先ほどまで猫がいた膝上を何度も見返している。
この時はまだ、誰に怯えたまでは分からなかった。
ひょっとしたら、側にいた女騎士ジェシー・レーマーや従者ザンドラ・フクリュウ、少し離れた所にいた騎士リョウ・モリタや騎士ギド・ザクスにだって可能性はあった。
だが、決定的な瞬間をこの女は迎えることとなる。
まだ、一匹の猫が閉められた籠の中に残っていたのだが、この女が恐る恐る近づくと、バタリと倒れてしまったのである。
口からは白い泡が、こぼれ出ていた。
従者ザンドラ・フクリュウが後に、金貨数百枚を失ったジェシー暴走事件――その時を上回る表情だったと回想することとなるエリージェ・ソードルに対して、誰もが――脳天気なクリスティーナですら――声をかけることが出来ず固まってしまうこととなった。
手を伸ばしたままで硬直していたこの女だったが、しばらくすると、スーッと姿勢を正した。
そして、光を失った瞳のまま言う。
「クリス、あなたは好きな子を選んで飼いなさい。
わたくしの事は気にしなくて良いから」
それに対して、クリスティーナは立ち上がるとエリージェ・ソードルに抱きつき、瞳を潤ませながら女を見上げる。
「いいの、エリーちゃん!
クリス、エリーちゃんが猫ちゃんと一緒にいる姿が見たかっただけなの!
それが出来ないなら、クリス、クリスも猫ちゃんなんていらないの!」
「クリス……。
ごめんなさいね……」
エリージェ・ソードルはこの女らしからぬ事に情けなく顔をゆがめ、クリスティーナをギュッと抱きしめた。
そんな女だったが、運命的な出会いをすることとなる。
それはその翌日――本日の朝の事だ。
それは、とある異国の商人の訪問に起因する。
その褐色の肌をした商人は、自身を南東の奥にある国の出身だと紹介した。
そして、オールマ王国では見ることのない民芸品や豪奢な宝石、奇抜な色をした鳥の羽や魔獣の毛皮を並べて見せた。
少々怪しげなその商人は、売り込みのために熱が入っているのだろう、なにやらペチャクチャと喋っていた。
だが、この女、ろくに聞いていなかった。
その男の前に並べられた一つに、目が釘付けとなっていた。
それは、小さな檻に入れられた”猫”――だった。
赤毛に赤黒い斑の入ったその”猫”は、エリージェ・ソードルの方をじっと――怯えもせず――見つめていた。
女が”猫”を熱心に見ているのに気づいた商人が、何やら自信満々に説明する。
「オオ、コイツガ気ニナリマスカ?
残念、メスデェ~ス。
デモォ~コノ魔獣ハ飼育デキル中、最強!
庭デ護衛良イ!
憎イアイツニ送ル、愉快!」
だが、その商人の訛りの強い言葉が聞き取りにくいのも災いして、エリージェ・ソードルの頭には全く入って来ない。
気にせず、ずんずんとその檻の近くまで歩いていった。
そして、言う。
「この檻を開けなさい」
「エ?
イヤ、子供デモ危ナイ、デス」
と、商人が慌てるも、その態度に苛立ったエリージェ・ソードルに「さっさとしなさい」とギロリと睨まれては従わざるえない。
商人は付き人の一人に指示を出した。
檻から出された猫はつぶらな目でこちらを見上げてくる。
エリージェ・ソードルは恐る恐る手を差し伸べ持ち上げるも、されるままになっている。
どころか、「グガォォ~」と”可愛く”鳴くと、女に身を寄せてきた。
「お、おお……」
この女、感動で身を震わせながら、その猫を優しく抱きしめる。
そして、上気した顔で宣言した。
「この猫を飼うわ!」
「エ?
ネ、猫違ウ!」
「いいえ、飼う、じゃないわ!
この子は、わたくしの娘として、立派に育ててみせるわ!」
「違ウヨ!
マダ小サイケド、ソノ子、魔獣デス!
赤大獅子トイウ、大人ニナルト、村、ドコロカ、小サナ町、一匹デ簡単滅ボス、デス!」
「ちょっと、お嬢様!
いったん、落ち着いてください!
この商人、何やら不穏なことを言ってますから!」
商人や女騎士ジェシー・レーマーが必死で落ち着かせようとするものの、エリージェ・ソードルの耳にはいっさい入らず、「クリスと名前を考えなくてはぁ~」とその場を出て行ってしまった。
――
エリージェ・ソードルはしばらく、愛らしい猫に夢中になっていたのだが、ふと視線を向けると、第一王子ルードリッヒ・ハイセルとその従者が、
「公爵代行の従者殿より、魔獣縛りの首輪がされているので安全だと説明を受けました」
「あ、そうだよね。
そりゃそうだよね」
などと、やり取りをしているのが目に入った。
エリージェ・ソードルは猫のフサフサした背中を撫でながら、少し、目を尖らせる。
「殿下、それよりも少しお伺いしたい件がございます」
「え!?
何かな!?」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルは少し、ビクッと体を震わせたが、エリージェ・ソードルは一切気にせず続ける。
「そこにいる従者ですが、どうやら、わたくしの”知らない”殿方のようですが?」
「え!?
あ、ああ!
ご、ごめん、紹介してなかったね。
彼はラーム伯爵家――」
「殿下、違います。
わたくしの”記憶に無い”程度の家格、そう言っているのです」
エリージェ・ソードルである。
この女、公爵領に来てから三日間、幼なじみオーメスト・リーヴスリーに振り回されてヘロヘロになっている第一王子ルードリッヒ・ハイセルを見かねて、お茶会の席を準備させたのだ。
因みに、弟マヌエル・ソードルも誘ったのだが、同じく疲れ果てた顔をしていた彼に『もう少し、頑張ります!』と返されてしまった。
少し心配だったが、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンが見ていてくれるのだからと、様子を見ることにした。
晴天の公爵家庭園を眺めながら、この女にしては珍しく、機嫌良さげに話をする。
「殿下、わたくし、寝台が手には入ったことが嬉しいわけではございません。
もちろん、素晴らしい出来なのは間違いありませんが――それよりももっとかけがえのないモノを平民達はわたくしに捧げてくれたのだと思っておりますの」
ここの所、ずっと話している内容を繰り返す女に対して、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは「う、うん」などと気もそぞろに頷く。
その視線は、チラリチラリと女の膝の上に向けられていた。
それに気づいたエリージェ・ソードルは、特に気を悪くした風でもなく、訊ねる。
「あら殿下、殿下は猫がお好きですか?」
「猫……そ、そうだね……。
猫”は”結構好きかな」
エリージェ・ソードルはその返事に、頬を緩める。
「まあ、そうだったのですか。
わたくし、初めて猫というものを飼い始めたのですが、ここまで愛らしいのかと驚いておりますの」
エリージェ・ソードルが膝の上にいる”子”を優しく撫でると、気持ちよさそうな「グガォォ!」という鳴き声が聞こえてくる。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルは困ったように眉を寄せる。
「う、うん……。
『グガォォ!』って鳴く猫は、初めて見たよ」
――
前日のことだ。
ハマン邸から戻り、あれこれがあった夕頃、従者ザンドラ・フクリュウから、猫が数匹手には入ったとの報告を受けた。
その時のこの女、執務中だった事もあり、「クリスに見せて上げておいて」と伝え、書類に目を戻した。
手早く仕事を終わらせたエリージェ・ソードルが、庭園に向かうと、クリスティーナがルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢と共に、猫を嬉しそうに抱き上げているところだった。
クリスティーナの望み通り赤毛の猫ばかりだったが、毛が長かったり、逆に短かったりと様々な種類の猫がいた。
皆、人なつっこいようで、クリスティーナ達に甘えている様子だった。
「あら、思ったより可愛いのね」と女騎士ジェシー・レーマーと話しながら、この女、胸を高鳴らせつつ少し早足で近寄っていった。
ところがである。
この女、衝撃的な場面に遭遇することとなる。
のんびりと、甘い鳴き声を上げていた猫達が、エリージェ・ソードルに気づくと、凄まじい速度で逃げ出したのである。
「え?」
誰もがポカンとした。
クリスティーナなどは撫でていた手を宙に置きながら、先ほどまで猫がいた膝上を何度も見返している。
この時はまだ、誰に怯えたまでは分からなかった。
ひょっとしたら、側にいた女騎士ジェシー・レーマーや従者ザンドラ・フクリュウ、少し離れた所にいた騎士リョウ・モリタや騎士ギド・ザクスにだって可能性はあった。
だが、決定的な瞬間をこの女は迎えることとなる。
まだ、一匹の猫が閉められた籠の中に残っていたのだが、この女が恐る恐る近づくと、バタリと倒れてしまったのである。
口からは白い泡が、こぼれ出ていた。
従者ザンドラ・フクリュウが後に、金貨数百枚を失ったジェシー暴走事件――その時を上回る表情だったと回想することとなるエリージェ・ソードルに対して、誰もが――脳天気なクリスティーナですら――声をかけることが出来ず固まってしまうこととなった。
手を伸ばしたままで硬直していたこの女だったが、しばらくすると、スーッと姿勢を正した。
そして、光を失った瞳のまま言う。
「クリス、あなたは好きな子を選んで飼いなさい。
わたくしの事は気にしなくて良いから」
それに対して、クリスティーナは立ち上がるとエリージェ・ソードルに抱きつき、瞳を潤ませながら女を見上げる。
「いいの、エリーちゃん!
クリス、エリーちゃんが猫ちゃんと一緒にいる姿が見たかっただけなの!
それが出来ないなら、クリス、クリスも猫ちゃんなんていらないの!」
「クリス……。
ごめんなさいね……」
エリージェ・ソードルはこの女らしからぬ事に情けなく顔をゆがめ、クリスティーナをギュッと抱きしめた。
そんな女だったが、運命的な出会いをすることとなる。
それはその翌日――本日の朝の事だ。
それは、とある異国の商人の訪問に起因する。
その褐色の肌をした商人は、自身を南東の奥にある国の出身だと紹介した。
そして、オールマ王国では見ることのない民芸品や豪奢な宝石、奇抜な色をした鳥の羽や魔獣の毛皮を並べて見せた。
少々怪しげなその商人は、売り込みのために熱が入っているのだろう、なにやらペチャクチャと喋っていた。
だが、この女、ろくに聞いていなかった。
その男の前に並べられた一つに、目が釘付けとなっていた。
それは、小さな檻に入れられた”猫”――だった。
赤毛に赤黒い斑の入ったその”猫”は、エリージェ・ソードルの方をじっと――怯えもせず――見つめていた。
女が”猫”を熱心に見ているのに気づいた商人が、何やら自信満々に説明する。
「オオ、コイツガ気ニナリマスカ?
残念、メスデェ~ス。
デモォ~コノ魔獣ハ飼育デキル中、最強!
庭デ護衛良イ!
憎イアイツニ送ル、愉快!」
だが、その商人の訛りの強い言葉が聞き取りにくいのも災いして、エリージェ・ソードルの頭には全く入って来ない。
気にせず、ずんずんとその檻の近くまで歩いていった。
そして、言う。
「この檻を開けなさい」
「エ?
イヤ、子供デモ危ナイ、デス」
と、商人が慌てるも、その態度に苛立ったエリージェ・ソードルに「さっさとしなさい」とギロリと睨まれては従わざるえない。
商人は付き人の一人に指示を出した。
檻から出された猫はつぶらな目でこちらを見上げてくる。
エリージェ・ソードルは恐る恐る手を差し伸べ持ち上げるも、されるままになっている。
どころか、「グガォォ~」と”可愛く”鳴くと、女に身を寄せてきた。
「お、おお……」
この女、感動で身を震わせながら、その猫を優しく抱きしめる。
そして、上気した顔で宣言した。
「この猫を飼うわ!」
「エ?
ネ、猫違ウ!」
「いいえ、飼う、じゃないわ!
この子は、わたくしの娘として、立派に育ててみせるわ!」
「違ウヨ!
マダ小サイケド、ソノ子、魔獣デス!
赤大獅子トイウ、大人ニナルト、村、ドコロカ、小サナ町、一匹デ簡単滅ボス、デス!」
「ちょっと、お嬢様!
いったん、落ち着いてください!
この商人、何やら不穏なことを言ってますから!」
商人や女騎士ジェシー・レーマーが必死で落ち着かせようとするものの、エリージェ・ソードルの耳にはいっさい入らず、「クリスと名前を考えなくてはぁ~」とその場を出て行ってしまった。
――
エリージェ・ソードルはしばらく、愛らしい猫に夢中になっていたのだが、ふと視線を向けると、第一王子ルードリッヒ・ハイセルとその従者が、
「公爵代行の従者殿より、魔獣縛りの首輪がされているので安全だと説明を受けました」
「あ、そうだよね。
そりゃそうだよね」
などと、やり取りをしているのが目に入った。
エリージェ・ソードルは猫のフサフサした背中を撫でながら、少し、目を尖らせる。
「殿下、それよりも少しお伺いしたい件がございます」
「え!?
何かな!?」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルは少し、ビクッと体を震わせたが、エリージェ・ソードルは一切気にせず続ける。
「そこにいる従者ですが、どうやら、わたくしの”知らない”殿方のようですが?」
「え!?
あ、ああ!
ご、ごめん、紹介してなかったね。
彼はラーム伯爵家――」
「殿下、違います。
わたくしの”記憶に無い”程度の家格、そう言っているのです」
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