殺戮(逆ハー)エンドを迎えた悪役令嬢様も、二度目は一人に絞り込んだ模様です

人紀

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第十七章

厄介者騒動

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 オールマ王国では、身分によって箱馬車に座る位置もある程度決められていて、向かい合わせで座る馬車だった場合、進行方向から見て後方が上位、前方が下位とされている。
 例えば、ソードル家の六人掛け箱馬車にエリージェ・ソードル、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢、エタ・ボビッチ子爵令嬢、クリスティーナに世話役の侍女ミーナ・ウォールといる場合は、後方に三人の令嬢、前方に平民であるクリスティーナに侍女という配置となるのである。

 この女、エリージェ・ソードルは公爵令嬢である。

 ”前回”も、そして、”今回”もだ。
 故にこの女、今まで後方以外には座ったことがない。
 当然だ。
 建国前より王家ハイセルと”並び”、支えてきたソードル公爵家――現在はその公爵代行である。

 国王夫妻を除けば、誰よりもその場所に相応しい存在なのである。

 国王オリバー、マルガレータ王妃と同乗した時ですら、並んで後方に座ったのだ。
 この女がその場所に陣取っても、誰が否む事が出来るだろうか?

 だが、そんな女が今――前方の席にいた。

 さらに言えば、表情を変えぬこの女が、露骨に顔をしかめている。

 その正面にはエタ・ボビッチ子爵令嬢が真っ青な顔をして座っていた。
 その膝の上にはタライがのせられていて、それを両手でがっちりと抱えている。
 そんな彼女を睨め付けながら、エリージェ・ソードルはボソリと呟く。
「……どこかに捨てていこうかしら?」
「止めてあげなさい」
とエタ・ボビッチ子爵令嬢の右隣にいるルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が困ったようにそれを制す。
 エタ・ボビッチ子爵令嬢の左隣で、彼女の世話をしている付き添い侍女などは顔を真っ青にさせ、「申し訳ございません! 申し訳ございません!」などと頭をペコペコやっている。
 エリージェ・ソードルの隣に座るクリスティーナも「エリ~ちゃん、許してあげて!」と言っているので、ぐっと堪えているが、そうでなければ――もしくは、エタ・ボビッチ子爵令嬢がふらふらでなければ、扇子で殴り倒していたかもしれない――それぐらいには、この女の忍耐は試されていた。

 何故、この女がらしからぬ位置に座っているかというと、端的に言ってエタ・ボビッチ子爵令嬢が馬車酔いをしてしまったからだ。

 後方が上位なのかには諸説あるのだが、もっとも大きいのはなんといっても進行方向に向かって座ることができる方が酔いにくい、という事があるのだ。
 酷く酔ってしまったエタ・ボビッチ子爵令嬢とその世話役、さらには多少酔ってしまったルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が後方に座り、全く平気なエリージェ・ソードルとクリスティーナが前方に座ることになってしまったのだ。

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が擁護するように言う。

「まあまあエリー、馬車酔いばかりは仕方がないわよ。
 わたしだって、ちょっと酔っちゃってるし……。
 というより、全く平然としているあなた達の方が凄いわ」
 そんな事を言われたエリージェ・ソードルは、クリスティーナと顔を見合わせた。
「そういえばわたくし、馬車酔いとか、したことないわね」
「クリスも平気だよ!」
 エリージェ・ソードルはルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に向き直りながら、閉じた扇子をエタ・ボビッチ子爵令嬢に突きつけた。
「そうは言うけど、ルー。
 この子の場合、忠告を無視した上のこの有様じゃない!」
 言われた、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢としても、反論しにくいのか「まあ、そうだけど……」と困ったように眉を寄せた。

 そもそも、エタ・ボビッチ子爵令嬢という少女、普通に馬車酔いをしたわけではない。

――
 今朝の事だ。

 ブルクまでの道中にある町、ニーダーテューリから出発する前に商人との面談を受けていたエリージェ・ソードルは、そのついでに購入した本をクリスティーナに与えていた。
「ありがとう!
 エリ~ちゃん!」
と本を抱えて大喜びをするクリスティーナの様子を目撃したエタ・ボビッチ子爵令嬢が、馬車の中で読みたいと騒ぎ出したのだ。

 揺れる馬車の中で本を読むと、馬車酔いをしやすい。

 そもそも、王都からの道中、毎日のようにふらふらになっていたエタ・ボビッチ子爵令嬢である。
 エリージェ・ソードルをはじめとする一同に止められた。
 しかし、エタ・ボビッチ子爵令嬢は自信満々に言ったのである。

「大丈夫です!
 わたし、本を読んでいれば集中しているので、むしろ、気持ち悪いのも感じられなくて良いのです!」

 実際、馬車を走らせてしばらくの間は、平然と読んでいたので、警戒をしていた一同も安心してしまい、今回は寄ることのなかったカープルの温室の話などで盛り上がっていた。
 そして、ちょうどこの女が甘酸っぱい果物の話をしている時に隣から「うぐっ」というくぐもった声が聞こえてきたのだ。
 はて? と隣を見て驚愕することとなる。

 隣にいるエタ・ボビッチ子爵令嬢が真っ青な顔で口をプクリと膨らましていたのだ。

「ちょ!?」
と制止しようとするも間に合わず、ゴボボボという音と共に少女の口から濁った液体が、穴の空いた壷から吹き出る水のように飛び出てきて、馬車にいる全員が悲鳴を上げることとなったのである。

 馬車の側を護衛していた女騎士ジェシー・レーマーから「お嬢様でも『キャー』って悲鳴を上げるんですね」などと失礼な言葉を貰うこととなったこの大騒ぎで、しばらくの停車を余儀なくされたものであった。

 本好きの名は伊達ではないと言うべきか――手に持った本にそれがかかるのを回避して見せたエタ・ボビッチ子爵令嬢だったが、着ている服は下半身以降は悲惨な有様で、さらに言えば、エリージェ・ソードルのスカートにも飛沫がかかってしまい、馬車の清掃と共に着替えもする羽目になった。

――

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢がエタ・ボビッチ子爵令嬢の青ざめた顔を見ながら心配そうに言う。
「でも、やっぱり医療魔術師の治療は受けといた方が良かったんじゃない?」
「知らないわよ。
 自分で断ったんだし」
 エリージェ・ソードルは同伴している医療魔術師スーザン・ドルに看て貰いなさいと言ったのだが、エタ・ボビッチ子爵令嬢はふらふらしながらもはっきりと断った。
『医療魔術のようなものにお金をかけるぐらいなら我慢します!
 我慢して、本を買います!』
 などと、頑なな様子にエリージェ・ソードルは辟易として、『勝手にしなさい』と言い捨てたのである。
 実際の所、”一応”客人扱いなので、ソードル家で持とうとしていたのだが――こんな子の為にお金を使うのが馬鹿らしくなったのである。

 エリージェ・ソードルはうんざりした顔で言い捨てる。

「”昨夜”の事といい……。
 本当に、この子は問題ばかり起こすわね!」

――

 昨夜の事だ。

 ニーダーテューリに到着したエリージェ・ソードルはとある問題に直面していた。

 予定外の同行者が急遽増えたことにより、ソードル家別邸では用意できる寝室の数が足りなくなったのである。

 それも致し方が内面もあった。

 そもそも、別邸とは仮の住まいである。
 都市であるハマーヘンや著名な保養地カープルなどとは違い、ニーダーテューリはあくまでブルクまでの途中にある、特にこれといった特徴のない町である。
 そんな所の別邸など、公爵家の人間が行き帰りにちょっと止まる程度のものに過ぎない。
 まあ、同伴者を考慮して、それなりの体を保ってはいるが……。

 王族二人に伯爵子息、大司祭に権威ある学者等を突然追加で迎えるには準備時間が足りなすぎたのである。

 やむなく、エリージェ・ソードルと令嬢二人、クリスティーナの四人は、寝台が二つしかない部屋で眠ることとなった。
 もっとも、流石は貴族が使うものである。
 寝台一つを二人で使ってもゆったりと寝られるものだった。
 まして、十歳そこそこの令嬢が二人で使う分には問題なかった。

 組み合わせについては、同い年同士に決めた。

 理由は色々あったが、一番大きいのは”やらかし”をする可能性が高いエタ・ボビッチ子爵令嬢には、何かが有った時に、一番問題になりにくいクリスティーナと組ませた方が良いというものだった。

 初めは特に問題なく推移した。

 明かりを落とした寝室、その片方の寝台の中でクリスティーナとエタ・ボビッチ子爵令嬢は何やらお嬢様と騎士様の話でコソコソと盛り上がっていた。
 そんな二人を「早く寝るのよ」と軽く注意したエリージェ・ソードルだったが、クリスティーナ以外の友人と枕を並べて横になるといういつもに無い状況が楽しいのか、隣にいるルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に、小声で話し掛けた。
「ルー、わたくしを寝惚けて蹴っ飛ばすのは止めてね」
「えぇ~、そっちこそ叩かないでよ」
「わたくしは大丈夫よ。
 クリスと時々一緒に寝てるけど、そんな話は聞かないし」
「ううう……。
 小さい頃、お母様とご一緒したことあるけど、寝相が悪いって話は聞いてないから、大丈夫のはず」
 などと話しているうちに、いつの間にか眠りについていたのだが……。

 何やら、「漏れるぅ~! 漏れるぅ~!」などという叫び声に、起こされた。

「え、なに?」
とエリージェ・ソードルが目を擦りながら寝ぼけた顔で呟く。
 そして、体を起こし声の方を見てみると、クリスティーナ達が眠っていた隣の寝台の脇で、寝ずの番の侍女達が魔道角灯を手に持ちオロオロしているのが見えた。

 さらに、侍女達が見下ろす先でクリスティーナが「おしっこ漏れるぅ~!」などと騒いでいた。

 何事が起きたのかと寝台から降りて、そばに寄ってみれば、クリスティーナが熟睡するエタ・ボビッチ子爵令嬢にガッチリと抱きしめられた状態でモガいているのが見えた。
 普段、おっとりとした表情の多いクリスティーナが、眉を寄せ、顔を真っ赤にさせながら「も、もう限界ぃぃぃ!」などと言っている様子に女性としての大切なものが損なわれる危機を察し、「え? どうしたの?」と寝ぼけた声を上げるルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢を無視し、「あなた達! 引き離すわよ!」と侍女に指示を出しつつ、女自らエタ・ボビッチ子爵令嬢の腕を掴むと、乱暴に引き離しにかかった。
 なんとか引っ張り出されたクリスティーナは、「ひひひゃ!」とか何とか言いながら転がるように部屋を出ていった。
 その後を、侍女の一人が「場所は分かるの!?」などと言いながら追いかけていく。

 それと入れ違うようにエタ・ボビッチ子爵令嬢の付き添い侍女が慌てて入ってきた。

 恐らく、そばの部屋で控えていただろう彼女は、己の主がしたことを聞いているのか、察しているのか、「申し訳ございません!」と床に体を投げ出さんばかりにひざまづき、頭を下げたのだった。

――

 エリージェ・ソードルは閉じた扇子をエタ・ボビッチ子爵令嬢に突きつけながら、怒りに眉を寄せた。
「わたくし、何が許せないかって言うとね、あれだけ騒ぎを起こしておきながら、その元凶が呑気に寝続けてたことが、本当に許し難いのよ!」

 部屋にいた者はもちろん、そばの控え室で休んでいた護衛や侍女も目を覚まし、何事かと集まってきた深夜の騒ぎで、当事者であるエタ・ボビッチ子爵令嬢のみが眠り続けていたのである。
 時折、「本の楽園……」などと呟きながら幸せそうに、むにゃむにゃとする様子に、エリージェ・ソードルは怒りの余り叩き起こそうとして、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢とクリスティーナに止められたりもした。

「いったい、この子は何なの!?
 本当にもう!」
 などと苛立ちげに言うと、エタ・ボビッチ子爵令嬢が何かを言った。
「え!? 何!?」
とエリージェ・ソードルが聞き返すと、この令嬢はボソボソと言う。
「もうすぐ、本の楽園……。
 もうすぐ、本の楽園……」
 エリージェ・ソードルの額に青筋が立ち、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢とエタ・ボビッチ子爵令嬢の付き添い侍女が「うわぁ……」と声を漏らし、顔を両手で覆った。
 ただ、クリスティーナだけはニコニコしながら、
「そうだよ、エタちゃん!
 もうすぐ着くからね!
 頑張って!」
などと言っている。

 そんな言葉に、エタ・ボビッチ子爵令嬢は「ふわぁぁ」と顔を綻ばした。

 エリージェ・ソードルは、クリスティーナを横目で見ながら、「この子、やっぱり聖女ね」などと感心した。

 そして、視線をエタ・ボビッチ子爵令嬢の付き添い侍女に向けた。

 その顔は青く、すっかり疲れ切っているように見えた。

 エリージェ・ソードルはため息を付くと、言った。
「あなた、公爵邸に着いたら、翌日から二日ほど休みを取りなさい」
「え!?
 わ、わたしですか!?」
とエタ・ボビッチ子爵令嬢の付き添い侍女は目を丸くする。
 エリージェ・ソードルは扇子で自分の肩を叩きながら続ける。
「他家の使用人に対して余り口出しはしたくないけど、このまま行くとあなた、倒れるわよ。
 休んでいる間は公爵家の侍女をきちんと付けるし、もしその間、何かあってもとがとならないようにして上げるから安心なさい。
 ……どのみち、公爵邸ではこの子、本にしがみついてほとんど動かないでしょうから、さほどやることもないでしょう」
 この女としては、使用人とはいえ、他家の人間が自邸で倒れられたら外聞が悪い程度の事だったが、エタ・ボビッチ子爵令嬢の付き添い侍女は高貴なる方が心配りをしてくださっていると感涙で目を潤ませながら、
「お心配こころくばり、恐れ入ります。
 大変恐縮ですが、そのようにさせて頂きます」
と深々と頭を下げるのだった。

 そこに、クリスティーナが声を上げた。

「エリ~ちゃん!
 ル~ちゃん!
 見えてきたよ!」
 視線を窓に向けると、道沿いの木々の隙間、その遠く先に巨大な壁が見えた。

 ブルクを覆う城壁である。

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が圧倒されたように言葉を漏らした。
「凄いわね、あれブルクを完全に覆ってるんでしょう?
 流石、三国を押さえ込んできただけはあるわね」
 エリージェ・ソードルは少し得意げに言う。
「貿易都市ブルクというのは、近年に言われ始めた通称なのよ。
 それ以前は、要塞都市、もしくは不落都市ブルクで有名だったわ」

 不落都市の不落は攻め落とされる事が不可能という意味だ。

 王都の二倍は難攻と言われるブルクは事実、セヌ、フレコ、オラリルの連合軍に幾度も挑まれたが、全て追い払っている。

 高見から見下ろすと六芒星の形に巨大な城壁が作られていて、六つの頂点に塔が立てられているこの要塞都市は、貿易都市というには余りにも厳つい外見をしている。
 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢などは、その威圧感に飲まれているようであった。
 だが、エリージェ・ソードルにしてみれば、故郷であり、実家のある町である。
「やっぱり、あの壁を見ると落ち着くわ」
などと呟くのであった。
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