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第十五章

前回のエタ・ボビッチ子爵令嬢

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 公爵家が押さえていた控え室に、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢達を招き入れると、長椅子に座るように勧めた。

 オールマ王国ではこのような場合の座る位置も明確に決められている。

 入り口を基準として、もっとも奥が上位者で、入り口に近いほど下位者が座ることとなる。
 当然、エリージェ・ソードルは最上位なのでもっとも奥に座り、その隣にルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が腰を下ろした。
 エタ・ボビッチ子爵令嬢は女の対面に座るのが怖いのか、入り口付近に座ろうとしたが、エリージェ・ソードルが無言のまま閉じた扇子を指すので、泣きそうな顔をしながら正面に座った。

 そこに、侍女ミーナ・ウォールら数人の侍女がお茶と茶菓子を並べ始める。

 先ほどのイェンス・レノ伯爵子息の事で気になり、侍女ミーナ・ウォールをじっと見つめていたが、それに気づいた小柄な侍女は不思議そうな顔をするだけだった。
 すると、女騎士ジェシー・レーマーが腰を下ろし、女の耳に囁いた。
「先ほど、数人の子息がこの部屋の付近をうろうろしていました。
 リーヴスリー子息も混じっていたので、大したことではないのかもしれませんが、ご注意ください」
 エリージェ・ソードルは一つため息をつきつつ、頷いて見せた。
 女騎士ジェシー・レーマーが所定の場所に戻ると、エリージェ・ソードルはお茶を一口のみ、お菓子を一つ摘んで見せた。

 毒味である。

 貴族の茶会で主催者がしてみせる形式的なものである。
 本気で毒殺しようと思えば、相手の茶碗のみに毒を塗ったり、相手の近くにある皿にのみ毒を仕込む等、”やりよう”はいくらでもあるのだが、この辺りは形だけでもそうやって見せるのがオールマ王国の貴族間では礼儀とされていた。

 また、毒殺を恐れて、毒味役を用意する場合もある。

 王族は、親族以外の席では必ず同行するし、大貴族もまた同じである。
 仮に上位貴族のものに下位貴族が呼ばれた場合でも、毒味役を準備しても無礼にあたらないと”されて”いた。

 その辺りは、対外的にそうなだけで、実際にそれが出来るかは別の話でもあったが……。

 エリージェ・ソードルは摘んだお菓子を食べ終えると、二人にも勧めた。
 二人とも、この辺りは普通の令嬢達と同じく、よどみなくお茶とお菓子を一口ずつ口に付けていった。
「流石、公爵家が用意されるお菓子、とても美味しいですわ。
 ねえ、あなたもそう思うでしょう?」
「は、はい!
 ヘルメス伯爵令嬢!
 お、お茶もとても美味しいです!」
「ありがとう。
 このお茶は――」
 などと、女にとって意味のないやりとりをしつつ、エリージェ・ソードルは二人の様子を眺めた。
 そして、話し始める。
「ところで、あなた達……。
 あなた達は平民との交流はあるかしら?」
 エリージェ・ソードルの問いに、二人の令嬢は不意をつかれた表情のまま、少しポカンとする。
 ただ、我に返ったルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が、エリージェ・ソードルを探るように見つめつつ答えた。
「ソードル公爵代行がおっしゃる平民がどのようなものかは分かりませんが、侍女の一人に騎士爵の娘がいて、彼女とは仲良くしてます。
 あ、護衛騎士なら何人か、騎士爵や準男爵の子がいたはずです。
 彼らとも時折、話はします」
 曲がりなりにも称号を得ている騎士爵や準男爵彼らを、平民扱いする。
 これは別にルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢だけの認識ではない、オールマ王国の貴族共通の認識である。

 なぜなら、彼らは貴族院に席がないからである。

 どんなに英雄ともてはやされた騎士爵でも、そこらの下位木っ端貴族を上回る裕福な生活をしていても、貴族院に席が無く、貴族院での発言権が無い限り、彼らは正しい意味で”貴族”と認識されることはない。
 だから、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が彼らを平民扱いしても、エリージェ・ソードルとしては特に言うことはないのだが……。

 女としては欲しかった答えでもなかった。

 エリージェ・ソードルが視線をエタ・ボビッチ子爵令嬢に移すと、彼女は恐る恐るだが話し始めた。
「あ、あのう、我が家は下位貴族、しかも、何と言いますか、昔から要領が悪い一族ですので余り裕福とは言えません。
 なので、恥ずかしい話ではありますが、商家の娘とかを侍女として雇ったり、そのう、農婦を厨房で働かせたりしています。
 なので、彼女たちや、その娘とはお話をしたり、よく遊んだりしてます」
 エリージェ・ソードルはその答えに、表情を余り変えぬ女なりに満足げに頷いた。
 ただ、こうも思う。
(農婦って事は専業じゃないって事よね。
 どれだけ、お金がないのかしら。
 そんなのでよく、オールマ学院に入学できたものね)

 オールマ学院は王国でもっとも権威ある学校である。

 自然、大貴族や伯爵貴族など教育に対して潤沢にお金をかける事が出来る裕福な者達が集まる場所となっていた。
 そんな中に下位貴族以下でありながら入学できるという事は、聖女クリスティーナ・ルルシエの様に若くして恐るべき実績を積み重ねるか、相当裕福か、よほど学問に精通しているか、になる。

 因みに、エタ・ボビッチ子爵令嬢の場合、”一番目”がその理由にあたる。

――

 ”前回”の事だ。

 ボビッチ子爵領は王都の東方にある小さな領で、領民の大半が農民という素朴さだけが売りの穏やかな場所であった。
 ただ、コッホ伯爵領と隣接し、代々の領主同士との交流があった事から自然と高価な本の蔵書数が増えていて、貴族の本好きの中では子爵領の屋敷の図書室を指しながら『”ボビッチ図書館”も侮れぬ』という者も多くいた。

 だから、という訳では無いだろうが、エタ・ボビッチ子爵令嬢は本をこよなく愛する令嬢として育っていった。

 ”ボビッチ図書館”に訪れる本好き貴族らは”本の虫令嬢”などとからかいつつも、可愛がってくれた。
 中には珍しい本を貸してくれる貴族もいた。
 エタ・ボビッチ子爵令嬢は本に囲まれるだけの幸せな少女時代を送っていた。

 だが、そんな生活に影が差す事となる。

 インディール熱風病の大流行である。

 南東にある国インディール王国から発症したとされるこの病は、オールマ、セヌを巻き込んで世界中に広がっていった。

 病に冒された者は、高熱と共に強烈な寒気に襲われ、激しい頭痛、咳、喉の痛みなどあらゆる症状を起し、最悪、ぽっくり死んだ。
 そして、この病の恐ろしい所は一人がその病気にかかると、周りにも広がっていく事だ。
 一度目に調査した時は何の兆しも見せなかった村が、二度目に訪れた時は既に住民の大半が病魔に犯されている事例が多発された。

 理由が全くわからず、調査団はガクガク震えながら報告する事となった。

 自分たちの周りが高熱を出し、バタバタと倒れて行く様子に恐怖した農民達が、病人を呪われた者達と恐れ、隔離した建物を放火するといった痛ましい事件すら起こった。

 だが、この反応は致し方がない面もあった。

 オールマ王国では、病とはあくまで個人の体の問題として捉えていた。
 個人の体に疲労がたまっていた。
 個人の食生活が乱れていた。
 個人の臓器が不具合を起こしていた。
 などである。
 これは貴族だけで無く、農民達にもある意識であった。

 だが、流行病は違う。

 個人では無く家族単位、村単位、町単位、都市単位を飲み込んでいく。
 これが”普通”の流行病であれば神に祈っている間に、薬剤師や神官の献身や、それこそ、時間が解決してくれるのだが……。

 インディール熱風病は違っていた。

 まるで”何か”の意図が隠れているかのように伝播していく。
 まるで家族が、村が、町が、都市が、そして、国が――。
 罰せられているかのように、呪われているかのように、食らい付いていく。
 そんな様子に、人々は混乱し、恐怖し、狂乱し、冷静な判断を人々から奪う要因となっていた。

 その時期も最悪であった。

 後に丸芋大飢饉と呼ばれる飢饉によって、人々の体力が削られている状態での、流行病である。
 正に地獄のような有様であった。

 ボビッチ子爵領も当然例外では無かった。

 病人は領民の半分近くにまで広がり、蔓延した集落を隔離をしても病魔はあざ笑うかのようにすり抜け、別の集落で流行出すということを繰り返すこととなった。
 ボビッチ子爵は善良で、熱意のある領主であったが、病気が移る理由も、治す方法も分からず手の施しようのない事態に頭を抱えるしかなかった。

 そんな様子を眺める少女がいた。

 エタ・ボビッチ子爵令嬢である。

 その年、十三となっていた。

 ”本の虫令嬢”は、苦悩する父親の助けになればと、自身も考え始めた。

 エタ・ボビッチ子爵令嬢が重点的に考えたのは、
『病気がどのように伝染うつるのか?』
だった。

 それさえ分かれば、この病気はそこまで恐ろしくない、エタ・ボビッチ子爵令嬢はそう結論を出していた。
 事実、高熱や頭痛、喉の痛みなど様々な症状に襲われるものの、貴族には死者がほとんど出ていなかった。
 もちろん、医療魔術師の治療も要因の一つであったが、平民の中でも完治した者も多いことから、エタ・ボビッチ子爵令嬢は『この病気は、不治の病では無い』と考えていた。

 問題は病気が伝染うつる理由が不明という点だった。

 伝染うつる理由が分からないと人々は不安に駆られて病人を自分たちから遠ざけようとする。
 そうすると、病人達は看病される事無く放置される。
 薬どころか食料すら運ばれなくなれば、病に打ち勝つ体力が無くなる。
 下手をすれば、病死の前に飢え死にする。

 その悪循環さえどうにかすれば、なんとかなるんではと考えた。

 エタ・ボビッチ子爵令嬢は感受性の強い少女であったが、同時に、物事を俯瞰ふかんして見る事も出来た。
 様々な話を纏めて、時系列に並べ、思考した。

 エタ・ボビッチ子爵令嬢はまず、呪いや天罰といった超現象を除外した。

 もっとも酷い平民らを無差別で呪う理由が思い付かなかったし、傲慢な貴族を除外し、素朴で敬虔な農民に天罰を与える訳が無いと思ったからだ。

 なので、病気の元となっている物は、意志の無い”何か”だと結論を付けた。

 その”何か”は言わば綿毛のようで、風が吹いたらふよふよと宙を舞ながら漂う。
 そんな存在では無いかと思った。

 そこで、様々な書物を読み漁ってきたエタ・ボビッチ子爵令嬢は幾つかの対策を考え出した。

 一つ目は布の覆いを口に付ける事だ。

 それは鉱山坑夫などが、鉱塵を肺に吸込み起こす鉱山こうざん病を防ぐために付けていたという逸話を元に思い付いたのだ。

 二つ目は、流行病の原因の”何か”を綿毛のようと想像して思い付いた、病人の周りを綺麗にするという事だ。

 光神の司祭が病人に癒やしの魔術を使う時、病人やその周りにあるものを清めてから行っていた。
 それは徹底したもので、神官らに塵一つ残さず拭かせたという。
 また、それが終わった後に、司祭は神酒を掌を使って薄く広がるように撒いた。
 口さがない者は、御布施を吊り上げるための姑息な演技などと言っていたが……。
 傭兵達の話に、負傷した時には度数の高い酒で流せば癒しが早くなるというものもあった。

 それにも意味があると考えた。

 そこで、父である子爵に病にかかった者を収容する場所を酒を浸した布で綺麗に拭かせ、また、治療する者には口布を付け、服を毎日洗わせる様に懇願した。
 ボビッチ子爵は、たかだか十三の娘の話に対して懐疑的であった。
 だが、それなりに説得力があり、また、そもそも手詰まりだったこともあり、小さな地域で、ではあったが試してみることにした。
 そして、その成果に目を見張ることとなる。

 高い確率で病に冒されていた治療に当たっていた者達がほとんど伝染うつる事が無くなったのだ。

 口布に光神の印を付けたことも良かったようで、怖々と看病していた者達に自信とやる気が戻ってきて、テキパキと動くことが出来るようになっていった。
 その効果が知れ渡るようになると、領民達も自主的に口布を付け始めていった。
 また、隣国ガラゴから高濃度の酒を輸入できたこともあり、ボビッチ子爵はそれらを領民に配り、食卓などを定期的に拭くように指示を出した。
 それらが功をそうしたのか、流行病で苦しむオールマ王国内で、ボビッチ子爵だけがぽっかりと感染率を下げた。

 それを見逃す国王オリバーではない。

 ボビッチ子爵を即召集し、話を聞き、即その案を採用して王国全土で実施するように促した。
 光神の教団も、エリージェ・ソードルに指示を出し、やや強引にであったが動かした。
 その事で、感染率を下げ、インディール熱風病の終息に一役買ったのは間違いないところだった。

 その功績は王都の一部分でのみ活躍した、聖女クリスティーナ・ルルシエを遙かに上回るものと言って過言ではなかった。

 過言ではなかったのだが……。

 国王オリバーは第一功として、エタ・ボビッチ子爵令嬢に勲章を与えようと考えていた。
 ただ、直ぐに与えるには低い身分と幼い年齢が問題になった。
 下手をすると、その名声欲しさに無理矢理婚約を迫る家も出てくるかもしれなかった。
 なので、ボビッチ子爵には内々に褒美を与え、エタ・ボビッチ子爵令嬢自身には学院への奨学制度を利用した入学と、その卒業後に勲章の授与で話はまとまっていた。

――

 だが、ほぼ部外者であるエリージェ・ソードルは当然、そのような事を知らない。

 更に言えば、特に平民に対する疫病対策は光神教団が先頭に行っていたので、詳しい内容をこの女は知らない。
 なので、”前回”から時間が戻った”今回”もやってくるだろう疫病問題、その最重要人物を前にして(余り賢そうに見えないし、良い縁故でもあるのかしら?)などと小首を捻るのであった。
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