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第十二章
とある侍女のお話1
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ミーナ・ウォールはウォール男爵家の五女で、幼い頃はおよそ貴族らしからぬ貧しい生活を送っていた。
それは、ウォール家が代々王国の政務に関わる法服貴族ではありながらも、要職とはとても呼べぬ末席の文官で、にもかかわらず、六男五女の子沢山家族だからに他なら無かった。
外面だけは何とか取り繕ってはいたものの、それ以外の部分は質素どころか貧相な有様で、食事などはそこらの平民が哀れに思うほどのものであった。
だが、ウォール家には笑顔だけはいつも溢れていた。
野心からほど遠いのんびりとした優しい父に、子爵家から嫁いでいながらも豪快で明るい母、そして、元気で楽しい兄姉達に囲まれてミーナ・ウォールも毎日思う存分笑いながら暮らしていた。
ミーナ・ウォールは特に冬が好きだった。
貧乏なウォール家では各部屋を暖めるほど魔石や薪を用意することが出来ず、必然的に一部屋に家族や数少ない使用人が集まることとなった。
しかも、ボロ屋敷の為に隙間風が酷く、十数人が過ごしていながらも、非常に寒かった。
その事もあり、特に女性や子供達は身を寄せ合い体を温めた。
末子であるミーナ・ウォールなどは風邪を引いてはいけないと母親や姉等が率先して抱きしめていた。
ミーナ・ウォールはそれが嬉しかった。
毛布を被った母の膝の上に座り、温かく抱きしめられる中、そばに集まった兄姉達の笑い話に耳を傾ける。
そんな空間を、幼きミーナ・ウォールは何よりも好んだ。
兄姉達も幸せそうにしているミーナ・ウォールを見てはいつも笑っていた。
一番上の兄などは、ミーナ・ウォールの頬を優しくつねりながら、いつもからかった。
「ミーナは本当に抱っこが好きなんだな?
甘えん坊さんめ!」
それに対してミーナ・ウォールは、唇を尖らせつつ、母の腕に抱きつきながら答えた。
「だって、お母様の腕の中、すっごく温かいんだもの」
幼いミーナ・ウォールはそんな”当たり前”の生活が、いつまでも続くものと信じて疑わなかった。
だが、当然と言うべきか、騒々しくも温かい当たり前の生活にも変化が訪れ始めた。
長女を初めとする姉たちが、一人、また一人と侍女として奉公に出たり、嫁いだりした。
長男を除く兄たちも独立し、軍や他家に仕えるために出て行った。
兄姉達が出て行くのを泣きながら嫌がり、両親兄姉を困らせたミーナ・ウォールも十五になり、今度は自分が出て行くこととなった。
オールマ王国の下位貴族、その令嬢の多くは嫁ぐ前に侍女として上位貴族の元で働くこととなる。
その一つには、上位貴族の生活を見聞きさせ、仮に何かの幸運の為に自分たちよりも家格の上の所に嫁ぐ事になっても慌てないためというものがあった。
そしてもう一つには、その家の妻に取り入り、良い縁談を紹介してもらう事を見越しての事だ。
また、歴史ある貴族になればなるほど、勤めた家の紹介状を持参してようやく、見合いの”打診”を許可する所も多かった。
なので、下位貴族のご令嬢は元々許嫁がいるか、訳ありで無い限りは、一度は必ず奉公に出た。
そんな例に漏れず、ミーナ・ウォールもある貴族の屋敷で働くこととなる。
その貴族、レノ伯爵家という。
五大伯爵に次ぐ名家で、歴代当主の中には大将軍にまで上り詰めた者すらいる武名に名高い一族だった。
元々、ミーナ・ウォールのウォール家三女が侍女として仕えていた家で、姉自身はレノ家騎士に嫁ぐこととなったのだが、ミーナ・ウォールの為に推薦状を書いてくれたのだ。
木っ端貴族の中の末席であるウォール家で生まれ育ったミーナ・ウォールは、名家レノ伯爵邸を前にして、令嬢としてあるまじき事にあんぐりと口を開けてしまった。
重厚で有りながら細部まで作り込まれた門に、当然のように立つ屈強な門番、どこまでも続くか知れぬ白くて巨大な塀……。
この中で働くのかと、若いミーナ・ウォールは怖じ気付き、息をのんだ。
だが、付き添いのウォール家三女は頓着せず、ミーナ・ウォールを引っ張り、さっさと中に入っていった。
――
最初こそは怖々と始めたレノ伯爵邸での生活だったが、ミーナ・ウォールが思うほど慣れるのにも時間はかからなかった。
元々、母や四人の姉から指導を受けていたこともあり、侍女としての仕事には特に問題は無かった。
そして、若く、小柄なミーナ・ウォールを他の使用人達は可愛がってくれた。
女主人であるレノ伯爵夫人も厳格ではあるが、理不尽なほどではなく、元々真面目なミーナ・ウォールは小言は受けても、叱責などはされずに過ごせていた。
豪奢なお屋敷も、仕事場だと割り切れば受け入れることも出来た。
侍女として忙しくも順調な滑り出しに、ミーナ・ウォールは満足していた。
ところがである。
そんな生活の裏側では、ミーナ・ウォールの処遇について紛糾していた。
それは、取るに足りない勘違いに端を発した。
レノ伯爵夫人はミーナ・ウォールのウォール家三女を非常に気に入っていた。
ウォール家三女は優秀であり、真面目であるのはもちろんの事、一を教えたら十を知る知性に、ハキハキとした言動、そして、普段は慎ましくありながらも、いざという時は身を挺してでも行動が出来る勇敢さを持ち合わせていた。
レノ伯爵夫人が理想とする侍女であり、使用人の教育で教えを請うたこともあるソードル家侍女長、モリタ夫人のようだと絶賛していたほどであった。
なので、レノ伯爵夫人はウォール家三女が結婚を機に侍女を辞めることになった事をとても残念がった。
だからというべきか、そんな彼女が紹介するミーナ・ウォールを、ウォール家三女の様な女性なのだろうと、勝手に思い込んでしまったのだ。
しかし、やってきたミーナ・ウォールは良くも悪くも”普通”の少女だった。
普通というか、可愛らしい少女だった。
指示されたことを、真面目に、一生懸命取り組む姿には、生真面目と言われがちなレノ伯爵夫人をして、ほんわかとさせられるものがあった。
そのたびに、レノ伯爵夫人は
「違う違う!
わたしが求めていたのは、”これ”じゃない!」
と顔を両手で覆い、首を横に振るのであった。
――
私室にて、お茶を一口飲んだレノ伯爵夫人は侍女長に訊ねる。
「ねえ、どうかしら?
やはり、侍女は余ってしまうかしら?」
それに対して、直立する老齢な侍女長は苦笑する。
「そうなると思います。
元々、婚姻などで辞めていく子の事を考えて、多めに雇い取っている上での事ですので。
それに……。
なんと言いますか、ミーナは俊英ではありませんが、非常に真面目で、凄い勢いで仕事を覚えています。
大変良いことなのですが……」
「侍女余りに拍車がかかると」
「はい」
「困ったわね……」
仕事とは難しいもので、沢山あり過ぎるのはもちろんの事、無さ過ぎても辛いものだ。
時間を持て余すと精神的に苦痛になるし、気も緩む。
やる気だって育たない。
レノ伯爵夫人は眉間を摘みながら、苦悩する。
「別の屋敷に行ってもらう……。
今更、そういう訳には、いかないでしょうね……」
「平民であれば、かまわないでしょうが……。
一年もたたずに余所に出されるのは、貴族のご令嬢として瑕疵になりかねません。
それに、奥様から是非にと誘っておきながら放り出すのは……」
「そうね、そうよね……」
侍女は飽和状態などとは分かり切っていた。
それでも、ミーナ・ウォールを雇い入れたのは、ウォール家三女の妹ということで、レノ伯爵夫人が勝手に飛びついてしまったのである。
(思えばあの子、『妹は普通の女の子です』と念を押していたわね)
浮かれていたレノ伯爵夫人はへりくだっていると解釈してしまっていたが、冷静に考えればウォール家三女は肝心なことをきちんと正しく報告する子だったと、今更ながらに思い当たった。
言い換えれば、それに気づかないほどレノ伯爵夫人がウォール家三女を渇望していたともいえる。
伯爵夫人からしたら、男爵令嬢など取るに足りない存在である。
なので、無理は通そうと思えば、通る。
だが、それはレノ伯爵夫人の性分には合わないし、数年であったがしっかりと仕えてくれたウォール家三女にも申し訳が立たない。
そこでふと、思い当たった。
「ねえ、イェンスの専属侍女にするのはどうかしら?」
「え?
若様の、ですか?」
侍女長は目を丸くする。
イェンス・レノはレノ伯爵家の長男で、次期伯爵と目されている少年だ。
年は十三になり、非常に活発で従者や侍女達を悩ませていた。
ウォール家三女はそんな少年を見つけるのがとても巧かったのを、レノ伯爵夫人が思い出したのである。
「ウォール家は兄姉がとても多いみたいだから、腕白な男の子を追いかける経験も豊富なんじゃないかしら?」
「そうかもしれませんが……。
若様とミーナでは年が近すぎませんでしょうか?
もしもの事があったら……」
そんな懸念に対して、レノ伯爵夫人は扇子を口元に当てながら、フフフと笑う。
「イェンスに限っては大丈夫よ!
あの子ったら、お茶会に行っても綺麗なご令嬢なんて無視して、ご子息達と狩りや剣の話に夢中になっているぐらいだもの。
それに、ミーナみたいな子は、殿方が夢中になる令嬢とはとても言えないですし。
取りあえず、一年ぐらいそれで様子を見ましょう」
「畏まりました」
レノ伯爵夫人の決定に侍女長は深々と頭を下げた。
――
イェンス・レノ伯爵子息は初め、侍女ミーナ・ウォールを値踏みするように眺めていた。
年相応の腕白さと生意気さを持っていたイェンス・レノ伯爵子息にとって、侍女ミーナ・ウォールの姉の存在はそうさせるほどの相手だった。
隠していたはずの割った壷や壊した家具などが寝台に並んでいて驚愕したり、厨房に潜り込みつまみ食いをしたら香辛料がたっぷり入っていて悶絶したり……。
挙げ句の果てに、やり返してやろうと蛇を彼女の部屋の中に入れてやったのだが、その日の夜、寝台の中にそれが入っていて、貴族として屈辱的なことに悲鳴を上げてしまったのだ。
そんな恐るべき侍女の妹だ。
警戒するのも、仕方がないことだった。
ところがである。
侍女ミーナ・ウォールはイェンス・レノ伯爵子息が考えていた別の意味で、警戒する対象となった。
イェンス・レノ伯爵子息はとにかく落ち着きのない少年だった。
勉強も一刻座っていられたら良い方で、ほとんどの場合、剣術の鍛錬、そして、子息にあるまじき事に屋敷を抜け出して町中を単身歩き回った。
本来であれば、まだ幼いと言っても良い貴族子息が下町に出れば、その豪奢な服などの為に人攫いや、それでなくても悪漢に絡まれる。
だが、イェンス・レノ伯爵子息は年齢以上の剣を使い、ならず者に何回か絡まれた時も見事に撃退している。
だからこそと言うべきか、その頻度は多くなり、ウォール家三女が辞めてからはタガが外れたかのように、毎日のように外に出て、平民のように食べ歩きなどをしていた。
だが、侍女ミーナ・ウォールが担当になり、それがほとんど出来なくなった。
侍女ミーナ・ウォールは仕事に対して、非常に生真面目に取り組んでいた。
この若い侍女は、イェンス・レノ伯爵子息の専属になった時に、レノ伯爵夫人に『見張ることもあなたの仕事です』と言われ、それを律儀に守ろうとした。
なので、イェンス・レノ伯爵子息が侍女ミーナ・ウォールを振り切るように町に出て行った時も、迷わずついていった。
侍女といっても男爵令嬢である。
当然、一人で下町に出たことなど無い。
常時の侍女ミーナ・ウォールであれば、少なくとも躊躇はしただろう。
だが、使命に対して忠実になりすぎるこの侍女は、何の迷いもなく、イェンス・レノ伯爵子息の後を追ってしまった。
馴染みの屋台で焼き鶏肉にかぶりついていたイェンス・レノ伯爵子息は、背後がなにやら騒々しいことに気づき振り返った。
そして、口にくわえていた肉をぽろりと落としてしまう。
呆然とするイェンス・レノ伯爵子息の視線の先には、下町に場違いな貴族侍女姿の侍女ミーナ・ウォールが傭兵らしき男達に取り囲まれていた。
侍女ミーナ・ウォールはイェンス・レノ伯爵子息に気づくと、涙目になりながら「若様ぁ~」と情けない声を上げた。
その余りの様子に、イェンス・レノ伯爵子息は頭を抱えずにはいられなかった。
だが、イェンス・レノ伯爵子息に何とか助け出された侍女ミーナ・ウォールだったが、もうついて来るなと言う言葉に頷かない。
そして、翌日になってイェンス・レノ伯爵子息が屋敷を抜け出そうとすると、その後を侍女ミーナ・ウォールも付いてくる。
侍女ミーナ・ウォールがもっと年上の大人であれば、自己責任だと放置も出来ただろうが……。
年上といっても十五になったばかりの、まして小柄な少女である。
責任を押しつけるには、イェンス・レノ伯爵子息は冷酷さが足りなかった。
幾度もの激しいやりとりを繰り返した上に、最終的にはイェンス・レノ伯爵子息が折れてしまったのだった。
それは、ウォール家が代々王国の政務に関わる法服貴族ではありながらも、要職とはとても呼べぬ末席の文官で、にもかかわらず、六男五女の子沢山家族だからに他なら無かった。
外面だけは何とか取り繕ってはいたものの、それ以外の部分は質素どころか貧相な有様で、食事などはそこらの平民が哀れに思うほどのものであった。
だが、ウォール家には笑顔だけはいつも溢れていた。
野心からほど遠いのんびりとした優しい父に、子爵家から嫁いでいながらも豪快で明るい母、そして、元気で楽しい兄姉達に囲まれてミーナ・ウォールも毎日思う存分笑いながら暮らしていた。
ミーナ・ウォールは特に冬が好きだった。
貧乏なウォール家では各部屋を暖めるほど魔石や薪を用意することが出来ず、必然的に一部屋に家族や数少ない使用人が集まることとなった。
しかも、ボロ屋敷の為に隙間風が酷く、十数人が過ごしていながらも、非常に寒かった。
その事もあり、特に女性や子供達は身を寄せ合い体を温めた。
末子であるミーナ・ウォールなどは風邪を引いてはいけないと母親や姉等が率先して抱きしめていた。
ミーナ・ウォールはそれが嬉しかった。
毛布を被った母の膝の上に座り、温かく抱きしめられる中、そばに集まった兄姉達の笑い話に耳を傾ける。
そんな空間を、幼きミーナ・ウォールは何よりも好んだ。
兄姉達も幸せそうにしているミーナ・ウォールを見てはいつも笑っていた。
一番上の兄などは、ミーナ・ウォールの頬を優しくつねりながら、いつもからかった。
「ミーナは本当に抱っこが好きなんだな?
甘えん坊さんめ!」
それに対してミーナ・ウォールは、唇を尖らせつつ、母の腕に抱きつきながら答えた。
「だって、お母様の腕の中、すっごく温かいんだもの」
幼いミーナ・ウォールはそんな”当たり前”の生活が、いつまでも続くものと信じて疑わなかった。
だが、当然と言うべきか、騒々しくも温かい当たり前の生活にも変化が訪れ始めた。
長女を初めとする姉たちが、一人、また一人と侍女として奉公に出たり、嫁いだりした。
長男を除く兄たちも独立し、軍や他家に仕えるために出て行った。
兄姉達が出て行くのを泣きながら嫌がり、両親兄姉を困らせたミーナ・ウォールも十五になり、今度は自分が出て行くこととなった。
オールマ王国の下位貴族、その令嬢の多くは嫁ぐ前に侍女として上位貴族の元で働くこととなる。
その一つには、上位貴族の生活を見聞きさせ、仮に何かの幸運の為に自分たちよりも家格の上の所に嫁ぐ事になっても慌てないためというものがあった。
そしてもう一つには、その家の妻に取り入り、良い縁談を紹介してもらう事を見越しての事だ。
また、歴史ある貴族になればなるほど、勤めた家の紹介状を持参してようやく、見合いの”打診”を許可する所も多かった。
なので、下位貴族のご令嬢は元々許嫁がいるか、訳ありで無い限りは、一度は必ず奉公に出た。
そんな例に漏れず、ミーナ・ウォールもある貴族の屋敷で働くこととなる。
その貴族、レノ伯爵家という。
五大伯爵に次ぐ名家で、歴代当主の中には大将軍にまで上り詰めた者すらいる武名に名高い一族だった。
元々、ミーナ・ウォールのウォール家三女が侍女として仕えていた家で、姉自身はレノ家騎士に嫁ぐこととなったのだが、ミーナ・ウォールの為に推薦状を書いてくれたのだ。
木っ端貴族の中の末席であるウォール家で生まれ育ったミーナ・ウォールは、名家レノ伯爵邸を前にして、令嬢としてあるまじき事にあんぐりと口を開けてしまった。
重厚で有りながら細部まで作り込まれた門に、当然のように立つ屈強な門番、どこまでも続くか知れぬ白くて巨大な塀……。
この中で働くのかと、若いミーナ・ウォールは怖じ気付き、息をのんだ。
だが、付き添いのウォール家三女は頓着せず、ミーナ・ウォールを引っ張り、さっさと中に入っていった。
――
最初こそは怖々と始めたレノ伯爵邸での生活だったが、ミーナ・ウォールが思うほど慣れるのにも時間はかからなかった。
元々、母や四人の姉から指導を受けていたこともあり、侍女としての仕事には特に問題は無かった。
そして、若く、小柄なミーナ・ウォールを他の使用人達は可愛がってくれた。
女主人であるレノ伯爵夫人も厳格ではあるが、理不尽なほどではなく、元々真面目なミーナ・ウォールは小言は受けても、叱責などはされずに過ごせていた。
豪奢なお屋敷も、仕事場だと割り切れば受け入れることも出来た。
侍女として忙しくも順調な滑り出しに、ミーナ・ウォールは満足していた。
ところがである。
そんな生活の裏側では、ミーナ・ウォールの処遇について紛糾していた。
それは、取るに足りない勘違いに端を発した。
レノ伯爵夫人はミーナ・ウォールのウォール家三女を非常に気に入っていた。
ウォール家三女は優秀であり、真面目であるのはもちろんの事、一を教えたら十を知る知性に、ハキハキとした言動、そして、普段は慎ましくありながらも、いざという時は身を挺してでも行動が出来る勇敢さを持ち合わせていた。
レノ伯爵夫人が理想とする侍女であり、使用人の教育で教えを請うたこともあるソードル家侍女長、モリタ夫人のようだと絶賛していたほどであった。
なので、レノ伯爵夫人はウォール家三女が結婚を機に侍女を辞めることになった事をとても残念がった。
だからというべきか、そんな彼女が紹介するミーナ・ウォールを、ウォール家三女の様な女性なのだろうと、勝手に思い込んでしまったのだ。
しかし、やってきたミーナ・ウォールは良くも悪くも”普通”の少女だった。
普通というか、可愛らしい少女だった。
指示されたことを、真面目に、一生懸命取り組む姿には、生真面目と言われがちなレノ伯爵夫人をして、ほんわかとさせられるものがあった。
そのたびに、レノ伯爵夫人は
「違う違う!
わたしが求めていたのは、”これ”じゃない!」
と顔を両手で覆い、首を横に振るのであった。
――
私室にて、お茶を一口飲んだレノ伯爵夫人は侍女長に訊ねる。
「ねえ、どうかしら?
やはり、侍女は余ってしまうかしら?」
それに対して、直立する老齢な侍女長は苦笑する。
「そうなると思います。
元々、婚姻などで辞めていく子の事を考えて、多めに雇い取っている上での事ですので。
それに……。
なんと言いますか、ミーナは俊英ではありませんが、非常に真面目で、凄い勢いで仕事を覚えています。
大変良いことなのですが……」
「侍女余りに拍車がかかると」
「はい」
「困ったわね……」
仕事とは難しいもので、沢山あり過ぎるのはもちろんの事、無さ過ぎても辛いものだ。
時間を持て余すと精神的に苦痛になるし、気も緩む。
やる気だって育たない。
レノ伯爵夫人は眉間を摘みながら、苦悩する。
「別の屋敷に行ってもらう……。
今更、そういう訳には、いかないでしょうね……」
「平民であれば、かまわないでしょうが……。
一年もたたずに余所に出されるのは、貴族のご令嬢として瑕疵になりかねません。
それに、奥様から是非にと誘っておきながら放り出すのは……」
「そうね、そうよね……」
侍女は飽和状態などとは分かり切っていた。
それでも、ミーナ・ウォールを雇い入れたのは、ウォール家三女の妹ということで、レノ伯爵夫人が勝手に飛びついてしまったのである。
(思えばあの子、『妹は普通の女の子です』と念を押していたわね)
浮かれていたレノ伯爵夫人はへりくだっていると解釈してしまっていたが、冷静に考えればウォール家三女は肝心なことをきちんと正しく報告する子だったと、今更ながらに思い当たった。
言い換えれば、それに気づかないほどレノ伯爵夫人がウォール家三女を渇望していたともいえる。
伯爵夫人からしたら、男爵令嬢など取るに足りない存在である。
なので、無理は通そうと思えば、通る。
だが、それはレノ伯爵夫人の性分には合わないし、数年であったがしっかりと仕えてくれたウォール家三女にも申し訳が立たない。
そこでふと、思い当たった。
「ねえ、イェンスの専属侍女にするのはどうかしら?」
「え?
若様の、ですか?」
侍女長は目を丸くする。
イェンス・レノはレノ伯爵家の長男で、次期伯爵と目されている少年だ。
年は十三になり、非常に活発で従者や侍女達を悩ませていた。
ウォール家三女はそんな少年を見つけるのがとても巧かったのを、レノ伯爵夫人が思い出したのである。
「ウォール家は兄姉がとても多いみたいだから、腕白な男の子を追いかける経験も豊富なんじゃないかしら?」
「そうかもしれませんが……。
若様とミーナでは年が近すぎませんでしょうか?
もしもの事があったら……」
そんな懸念に対して、レノ伯爵夫人は扇子を口元に当てながら、フフフと笑う。
「イェンスに限っては大丈夫よ!
あの子ったら、お茶会に行っても綺麗なご令嬢なんて無視して、ご子息達と狩りや剣の話に夢中になっているぐらいだもの。
それに、ミーナみたいな子は、殿方が夢中になる令嬢とはとても言えないですし。
取りあえず、一年ぐらいそれで様子を見ましょう」
「畏まりました」
レノ伯爵夫人の決定に侍女長は深々と頭を下げた。
――
イェンス・レノ伯爵子息は初め、侍女ミーナ・ウォールを値踏みするように眺めていた。
年相応の腕白さと生意気さを持っていたイェンス・レノ伯爵子息にとって、侍女ミーナ・ウォールの姉の存在はそうさせるほどの相手だった。
隠していたはずの割った壷や壊した家具などが寝台に並んでいて驚愕したり、厨房に潜り込みつまみ食いをしたら香辛料がたっぷり入っていて悶絶したり……。
挙げ句の果てに、やり返してやろうと蛇を彼女の部屋の中に入れてやったのだが、その日の夜、寝台の中にそれが入っていて、貴族として屈辱的なことに悲鳴を上げてしまったのだ。
そんな恐るべき侍女の妹だ。
警戒するのも、仕方がないことだった。
ところがである。
侍女ミーナ・ウォールはイェンス・レノ伯爵子息が考えていた別の意味で、警戒する対象となった。
イェンス・レノ伯爵子息はとにかく落ち着きのない少年だった。
勉強も一刻座っていられたら良い方で、ほとんどの場合、剣術の鍛錬、そして、子息にあるまじき事に屋敷を抜け出して町中を単身歩き回った。
本来であれば、まだ幼いと言っても良い貴族子息が下町に出れば、その豪奢な服などの為に人攫いや、それでなくても悪漢に絡まれる。
だが、イェンス・レノ伯爵子息は年齢以上の剣を使い、ならず者に何回か絡まれた時も見事に撃退している。
だからこそと言うべきか、その頻度は多くなり、ウォール家三女が辞めてからはタガが外れたかのように、毎日のように外に出て、平民のように食べ歩きなどをしていた。
だが、侍女ミーナ・ウォールが担当になり、それがほとんど出来なくなった。
侍女ミーナ・ウォールは仕事に対して、非常に生真面目に取り組んでいた。
この若い侍女は、イェンス・レノ伯爵子息の専属になった時に、レノ伯爵夫人に『見張ることもあなたの仕事です』と言われ、それを律儀に守ろうとした。
なので、イェンス・レノ伯爵子息が侍女ミーナ・ウォールを振り切るように町に出て行った時も、迷わずついていった。
侍女といっても男爵令嬢である。
当然、一人で下町に出たことなど無い。
常時の侍女ミーナ・ウォールであれば、少なくとも躊躇はしただろう。
だが、使命に対して忠実になりすぎるこの侍女は、何の迷いもなく、イェンス・レノ伯爵子息の後を追ってしまった。
馴染みの屋台で焼き鶏肉にかぶりついていたイェンス・レノ伯爵子息は、背後がなにやら騒々しいことに気づき振り返った。
そして、口にくわえていた肉をぽろりと落としてしまう。
呆然とするイェンス・レノ伯爵子息の視線の先には、下町に場違いな貴族侍女姿の侍女ミーナ・ウォールが傭兵らしき男達に取り囲まれていた。
侍女ミーナ・ウォールはイェンス・レノ伯爵子息に気づくと、涙目になりながら「若様ぁ~」と情けない声を上げた。
その余りの様子に、イェンス・レノ伯爵子息は頭を抱えずにはいられなかった。
だが、イェンス・レノ伯爵子息に何とか助け出された侍女ミーナ・ウォールだったが、もうついて来るなと言う言葉に頷かない。
そして、翌日になってイェンス・レノ伯爵子息が屋敷を抜け出そうとすると、その後を侍女ミーナ・ウォールも付いてくる。
侍女ミーナ・ウォールがもっと年上の大人であれば、自己責任だと放置も出来ただろうが……。
年上といっても十五になったばかりの、まして小柄な少女である。
責任を押しつけるには、イェンス・レノ伯爵子息は冷酷さが足りなかった。
幾度もの激しいやりとりを繰り返した上に、最終的にはイェンス・レノ伯爵子息が折れてしまったのだった。
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