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第六章
打合せ2(人材問題、公爵家問題)
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「では次に、コッホ伯爵夫人の問題ね」
エリージェ・ソードルの言に、家令マサジ・モリタは苦笑する。
「お嬢様、すぐに”全員”伯爵領に送り返す必要は無いのでは?」
”全員”というのは、クラウディア・コッホ伯爵夫人が連れてきた人員のことだ。
エリージェ・ソードルは、彼らやその家族には、明後日には、伯爵領に向かうよう指示を出している。
その間の費用と護衛は公爵領が受け持つこととなっている。
「仕方がないでしょう。
彼らは無理矢理連れてこられた”被害者”なのよ。
速やかに帰してあげなくては」
「はあ」
”前回”、弟マヌエル・ソードルに暴力を振るわれたクラウディア・コッホ伯爵夫人は伯爵領に帰って行った。
その時、伯爵夫人に半ば強引に連れてこられた政務官達も帰っていった。
引継もせず、様々な仕事を放り出してである。
エリージェ・ソードルはある程度の手当を払うからと、せめて引継だけはして貰おうとしたが、その時、彼らが言い放った言葉が『我らは無理矢理連れてこられましてなぁ』だった。
流石のエリージェ・ソードルも、そもそもの元凶である父ルーベ・ソードルの事や、クラウディア・コッホ伯爵夫人に対する暴行の事に負い目を持っていたこともあり、強くは言えず。
また、彼らが下位とはいえ貴族の出だったこともあり、結局、山のように残った仕事をそのままに去っていく彼らを見送るしかなかった。
その頃の記憶もあり、この女、”今回”のこの状況になり、すでに彼らを戦力から除外している。
いくら言っても残ってくれないなら、無駄な労力を使わない。
その思いっきりの良さは、この女の恐るべき長所であり、短所でもあった。
因みに、”今回”のクラウディア・コッホ伯爵夫人はその日のうちに伯爵領へ向かっている。
エリージェ・ソードルを過度に恐れた本人のたっての願いであった。
「本当ならコッホ夫人と一緒に行って貰いたいぐらいなのよ。
一回ですむから」
「流石に、何の落ち度もない彼らにそこまで強いるのは……。
お嬢様、引っ越しは一日、二日では普通、行えないものなんですよ」
その言に、「そんなことは無いと思うけど……」とこの女、小首を捻る。
”前回”の彼らは、それこそ一日も置かずに出て行ったからだ。
因みにだが”前回”と”今回”では話が大きく違っていた。
”前回”、エリージェ・ソードルが十四になる頃には、病気療養とされ、いっさい表に出ないルーベ・ソードルについて、死亡説が流れ始めていた。
流石に表だって言わないが、エリージェ・ソードルが殺したのではないか? と言う者もいた。
突然病に伏せた当主と突然修道院に追放された公爵夫人、それだけの情報があれば察しの良いものならば当たりはつけられる。
ルーベ・ソードルについて盲目になりがちなクラウディア・コッホ伯爵夫人であっても、そろそろそれが疑念として膨らみ始め抑えが効かなくなり、怒りのまま怒鳴り散らすことが多くなっていた。
それを見た彼らは、そろそろ潮時とばかりに、他の勤め先を探したり、家族などを伯爵領へ移したりと撤収の準備をし始めていた。
なので、弟マヌエル・ソードルの凶行のためにクラウディア・コッホ伯爵夫人が急遽、伯爵領に帰ることとなっても、何の憂いもなく、どころか、途中やりの仕事を嬉々として放り出し、公爵領を離れることが出来たのだ。
ところが”今回”は何の予兆もなかった。
次の仕事も、戻る準備も何もしていない。
”前回”既に終えていた、家具などの輸送や処分も終えていない。
どころか、伯爵領に戻っても、住む家すら無い者がほとんどだ。
さらにいえば、そもそもの話、公爵領の仕事を辞めること自体、彼らはしたくなかった。
元々は、無理矢理連れてこられた彼らだったが、それ故というべきか待遇は良かった。
そもそも、公爵領の政務に携わること自体、下位貴族の親族である彼らとしても名誉ある事である。
しかも、”前回”のように反乱や魔石鉱山での暴動等のごたごたは起きていない。
クラウディア・コッホ伯爵夫人の問題で少し立場が悪くなっても――出来れば残っていたい。
そう思っていたのだ。
ところがである。
彼らはエリージェ・ソードルを知らない。
知っていれば多少なりともまともな姿勢で望んでいたのかも知れない。
しかし彼らは知らない。
なので、少しでも自身の立場を優位なものにしようと、少々恩着せがましい態度に出てしまった。
『確かに、お嬢様がおっしゃる通り、半ば無理矢理連れてこられました。
なので、戻って良いというのであれば、とても嬉しくもあります。
ただ、引継もなくでは後に残る皆が大変でしょう?』
から始めて、さらなる待遇を引き出そうと続けようとした。
だが、とかく早急に対処をしたがるエリージェ・ソードルはその時点で”前回”と同じだと判断した。
なので、『不要よ』の一言で話を終わらせ、退官の手続きと三日後には公爵領を発つことが”出来る”旨を伝えると、慌てる彼らを置いて、さっさとその場を退出したのであった。
家令マサジ・モリタは少し難しそうな顔を作った。
「実際問題、ただでさえ人が少ない状態で、彼らを失うのは……。
領運営に支障を生みかねないと思いますが」
「あらマサジ、彼らがいなくなっても良いように、ある程度対策は取っていたのでしょう?」
女の言に、家令マサジ・モリタは苦笑する。
家令マサジ・モリタはクラウディア・コッホ伯爵夫人の関係者を信じていなかった。
現実問題として、頼らざる得なかったのだが、それでも、何時いなくなっても良いように、それぞれの穴をふさぐべく後進を育てたり、対策を練っていた。
とはいえだ。
「余り”それ”を過分に期待して貰っては困りますよ、お嬢様。
あくまでも、体を取り繕う程度のことしか出来ません」
「あら、あなたは自分を低く見積もる癖があるようね。
もっと、自信を持っても良いのよ」
”前回”、それに助けられたエリージェ・ソードルは力強く言って聞かせる。
むろん、その事を知らない家令マサジ・モリタは、過大評価だとただただ苦笑するだけであった。
エリージェ・ソードルはさらに続ける。
「それに、人についてはいくつか当てはあるから、そこまで悲観することもないわよ」
「当て、でございますか?」
「ええ」と言いながら、机の右側に寄せてあった書類の束を差し出す。
家令マサジ・モリタは既に持っていた書類に重ねるように持つと、目を通した。
それをめくるに従い、キツメの印象を与えるその目が、大きく見開かれる。
「本気ですか、お嬢様」
その書類には公爵家が保有する別邸が書き記されていて、その多くに閉鎖と付け加えられていた。
「不要な別邸を閉鎖、そうでない場所も一時的に人員を減らし、その分、政務を手伝わせる。
良い方法だと思うんだけど」
これは”今回”、王都の屋敷での経験が生かされている。
各別邸には王都ほどでないにしても、多くの人間が働いている。
執事や侍女、従者や庭師、下男や下女などである。
そして、これも王都の屋敷ほどではないにしてもさすがは公爵家に仕える者達、下位貴族や豪商などの子供たちが揃っていた。
必然、教養豊かな者達ばかりで、即戦力とは行かないまでもある程度教えれば、それなりの仕事をこなせるようになる人材ばかりだった。
そしてなにより、既に身辺調査が終わっていることが良かった。
いきなり機密資料に関わらせるわけには行かないものの、ある程度信用して仕事を割り振ることが出来た。
ただ、その当たりの事を察することが出来た家令マサジ・モリタであったが「なるほど、良い手ではあると思いますが……」と、彼にしては珍しく口ごもった。
その煮えきれない態度に、エリージェ・ソードルは小首を捻る。
「どうしたの?
別に別邸を全て無くそうという訳ではないのよ?」
この女も、別邸の必要性は理解していた。
こと大貴族ともなれば治める領地は広大となる。
領内を視察をする場合、本邸から移動するだけで下手をすると一月もかかる。
故に、ソードル家だけではなく多くの貴族は領内の本邸と王都の別邸の他にも、色々な場所に屋敷を持つのは当たり前のことだった。
拠点、といっても良い。
宿では暗殺などの危険度が跳ね上がるので、多額の費用がかかるものの必要経費であることは間違いない所だった。
だったのだが……。
「でもね、なんで三十もあるのよ。
しかも、王都に十、カープルなんて村に五つも作って何がしたいの?」
カープルとは公爵領の中心都市ブルクから少し離れた小高い場所にある村のことで、豊かな森林地帯でありながらも魔獣が殆ど出ず、また温泉もあることから、夏は避暑地、冬は温泉地とオールマ王国屈指の観光地であった。
魔石鉱山や交易都市ブルクを擁するソードル領の中では主産業とまでは行かないが、さりとて無視も出来ない場所なので、別邸があっても些かも不思議ではない。
「でも、一つずつで十分でしょう?
それとも、わたくしが知らない”何か”があるの?」
と心底分からないといった顔で訊ねる女に、家令マサジ・モリタは言葉を窮し、眉を寄せる。
問いに答えるのは簡単だ。
王都もカープルも同じ、父ルーベ・ソードルが様々な愛人と逢瀬を楽しむためのものだ。
カープルに関しては自慢する意味もあるのかもしれない。
裕福な商人ばかりか、領持ち貴族すら別荘を持ちたがる場所に、五つも別邸があるのだ! という風にだ。
広大な領を治める公爵として、実に小さい自慢話ではあるが、ルーベ・ソードルがそれに見合う小さな男だと嫌というほど知っている家令マサジ・モリタはそこまで理解してしまうのだ。
ただ、答えるのは簡単でも、エリージェ・ソードルという女に理解されるかは別問題であった。
家令マサジ・モリタは老執事ジン・モリタほどではないにしても、この女のことを理解している。
いや、老執事ジン・モリタほど近くにいなかったからこそ、逆に、彼より理解している部分もあるかもしれない。
家令マサジ・モリタはこの幼き主を高く評価しつつも、その危うさを危惧していた。
エリージェ・ソードルは理にかなったことを善としすぎる部分がある。
王国にとって良い、公爵家にとって良い、使用人にとって良い、領民にとって良い。
そういったものをこの幼い主は常に求めている。
そこに私情は一切無い。
そして、家令マサジ・モリタが危惧するのは、この幼い主はそれを信念として行っている訳ではないことだ。
そう、この女はそれが”常識”だと、行っているのだ。
それはスープを飲むのに匙を使うことに近い。
こと貴族にとってそれは作法であり、異論の余地もない当たり前のことだ。
エリージェ・ソードルという女にとって、公務に私情を含めないことは、それぐらいの感覚であった。
なので、くだらない自尊心や欲望のために公金に手を付ける者の考えは、全く理解できない。
そして、父ルーベ・ソードルは真逆だ。
父ルーベ・ソードルは私情で動く。
むしろ、私情でのみ動く。
ああだこうだと御託を並べながら、匙を置き、器に口を付けて飲むのだ。
家令マサジ・モリタはこの親子はいずれ必ずぶつかることになると、誰よりも早く予知していた。
家令マサジ・モリタは、はっとした顔をすると女の顔を探るように見つめてくる。
「……お嬢様、ご主人様は病気療養とお聞きしていましたが、もしやお亡くなりに?」
エリージェ・ソードルは軽く肩をすくめて見せた。
「ご期待に応えられなくて申し訳ないけど、生きていらっしゃるわ」
「そうですが……いえ、それを聞いて安堵しました」などと言いつつも、安心など欠片もない難しい顔をする。
「であれば、後がうるさくないですか?
お嬢様が不要とあげたこれらは、全て、ご主人様がお作りになったものですし」
「ああ」とエリージェ・ソードルは家令マサジ・モリタが言わんとすることが分かった。
この辺りは”前回”を十七才まで経験している女だ。
肉体は十歳に戻っても理解できた。
「安心なさい。
誰が作ったにせよ、現在の別邸は公爵家、つまりはわたくしの物だから。
文無しの元公爵が何を言っても関係ないから」
「お、お嬢様?」
家令マサジ・モリタはこの余り動じぬ男性にしては珍しく大きく目を見開いた。
それが可笑しかったのか、エリージェ・ソードルはこちらも珍しく、口元を緩めた。
そして、指輪印を家令マサジ・モリタに見せた。
「何を驚いているの、マサジ?
指輪印を放棄とはそういう意味でしょう?」
オールマ王国では領主の資産と領の資産を分けて考えることはない。
なので、様々な費用や王族に治める分を差し引いた領の利益は全て、そこを治める領主のものとなる。
それだけではなく、領で購入した建物や備品なども全て、領主の持ち物となる。
なので、本邸も別邸も全て、領主”個人”の物となるのだ。
そして、領主とは指輪印を継承した者のことを言う。
つまり、何もかも全てこの女の物になっているのだ。
「い、いや、領主代行届けがされたものとばかり」
領主代行届けとは、病気や怪我で領主として動くことが出来なくなった場合、別の者に一時的に権限を与える届け出のことだ。
この場合、領地を運営する権限は与えられても、資産は元々の領主の物のままだ
だが、エリージェ・ソードルはきっぱりと言った。
「そんな届け出は全く出ていないわよ。
わたくしも出してないし、ね。
あ、ただ対外的には代行って形で行くからそのつもりで」
「待ってください!
つまり、エリージェ様は正式に公爵家を継いでいらっしゃると。
でも、ご主人様は亡くなってはいない。
あの方は、今、何を?」
「さあ?
どこぞやで遊び惚けてるんじゃない?」
「遊び惚けてるって……。
いや、貴族院で宣言が行われたんですよね?
異議を申し出なかったんですか?」
指輪印を継承する場合、貴族院でその旨が発表される。
そして、元の持ち主本人への通知書も送られる。
そこで、異議があれば貴族院に訴え出ることも出来る。
これは、指輪印がお家騒動などで勝手に継承されることを防ぐための意味もあった。
因みに、全くの他人が盗むなどして継承することはほぼ不可能である。
継承にはある程度近い縁者である必要があり、また、指輪印を手にした理由も正当なもので無ければならないのだ。
女の場合、娘であり、指輪印も父親から投げつけられたので、問題ではない。
「通知書は確かに渡されたそうよ。
ただまあ、遊ぶのに一生懸命で読んで無いんじゃないのかしら?」
実はこの女と祖父マテウス・ルマとの話し合いで、父ルーベ・ソードルが異議を申し出た場合の対処も決められていた。
その時は、国王オリバーも含めた三名で説得し、ある程度の資産を分割して渡すことで手切れ金とし、引退させようとしていた。
そもそも、働きたくない男である。
遊んで暮らせるぐらいの金さえあれば問題なかろうという所だ。
ところが、通知書が渡されて期限の一ヶ月が過ぎても異議どころか音沙汰が無く、さらにはどこぞやに遠出に出ると聞いて拍子抜けしたものだった。
期限が過ぎても、やむ得ない理由さえあれば異議は申し出ることは可能だ。
もっとも、王都での遊びがそれに該当するかは、誰の目にも明らかなことであった。
家令マサジ・モリタは天を仰ぎながら手で顔を覆った。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、ここまで度し難い方だったとは……。
つまり、現在のあの方は……」
「さっきも言ったでしょう、文無しの元公爵だって。
もっとも、ジンと約束してしまったから、一年は公爵程度の生活は”一応”保証して差し上げるけれども……。
そんな話は今は良いわ。
だから、気にせず別邸は閉めても構わないわ。
買い手が付けば、売っても構わないし」
「……かしこまりました。
そういうことであれば、気にせずにさせていただきます」
少し疲れた感じではあったが、家令マサジ・モリタは頭を下げた。
そんな彼に向かって、エリージェ・ソードルはもう一枚、机の上を滑らせた。
「これは?」との問いに「彼らも加えるから」とエリージェ・ソードルは答える。
「家名がないみたいですが、平民ですか?」
「ええ、見所のある者達らしいから、昼前には迎えに行く予定でいるの。
明日から住み込みで働かせるから、受け入れる準備をお願い」
などと言いながら、積み木予定表に加えるべく、万年筆を走らせる。
「明日からですか?
彼らには既に話をしている、と言うことでしょうか?」
との問いに、エリージェ・ソードルはあっさり答えた。
「いいえ、今日初めて会いに行くのよ」
「だとしたら、もう少し先にしたほうがよろしいのでは?
彼らには彼らの都合がありますし」
エリージェ・ソードルはペン先を止めて持ち上げる。
そして、少し考えた後、不思議そうな顔で家令マサジ・モリタを上目遣い気味に見上げた。
「どういうこと?
なんで大貴族が平民の都合を気にしなければならないの?」
「まあ……そうですね」
と家令マサジ・モリタは苦笑する。
この全く性格の違う親娘は、そのくせどちらも等しく自分を振り回す。
そう痛感させられたからだ。
ただ、そんな心中など察せられないエリージェ・ソードルは、よく分からないと小首を捻った。
エリージェ・ソードルの言に、家令マサジ・モリタは苦笑する。
「お嬢様、すぐに”全員”伯爵領に送り返す必要は無いのでは?」
”全員”というのは、クラウディア・コッホ伯爵夫人が連れてきた人員のことだ。
エリージェ・ソードルは、彼らやその家族には、明後日には、伯爵領に向かうよう指示を出している。
その間の費用と護衛は公爵領が受け持つこととなっている。
「仕方がないでしょう。
彼らは無理矢理連れてこられた”被害者”なのよ。
速やかに帰してあげなくては」
「はあ」
”前回”、弟マヌエル・ソードルに暴力を振るわれたクラウディア・コッホ伯爵夫人は伯爵領に帰って行った。
その時、伯爵夫人に半ば強引に連れてこられた政務官達も帰っていった。
引継もせず、様々な仕事を放り出してである。
エリージェ・ソードルはある程度の手当を払うからと、せめて引継だけはして貰おうとしたが、その時、彼らが言い放った言葉が『我らは無理矢理連れてこられましてなぁ』だった。
流石のエリージェ・ソードルも、そもそもの元凶である父ルーベ・ソードルの事や、クラウディア・コッホ伯爵夫人に対する暴行の事に負い目を持っていたこともあり、強くは言えず。
また、彼らが下位とはいえ貴族の出だったこともあり、結局、山のように残った仕事をそのままに去っていく彼らを見送るしかなかった。
その頃の記憶もあり、この女、”今回”のこの状況になり、すでに彼らを戦力から除外している。
いくら言っても残ってくれないなら、無駄な労力を使わない。
その思いっきりの良さは、この女の恐るべき長所であり、短所でもあった。
因みに、”今回”のクラウディア・コッホ伯爵夫人はその日のうちに伯爵領へ向かっている。
エリージェ・ソードルを過度に恐れた本人のたっての願いであった。
「本当ならコッホ夫人と一緒に行って貰いたいぐらいなのよ。
一回ですむから」
「流石に、何の落ち度もない彼らにそこまで強いるのは……。
お嬢様、引っ越しは一日、二日では普通、行えないものなんですよ」
その言に、「そんなことは無いと思うけど……」とこの女、小首を捻る。
”前回”の彼らは、それこそ一日も置かずに出て行ったからだ。
因みにだが”前回”と”今回”では話が大きく違っていた。
”前回”、エリージェ・ソードルが十四になる頃には、病気療養とされ、いっさい表に出ないルーベ・ソードルについて、死亡説が流れ始めていた。
流石に表だって言わないが、エリージェ・ソードルが殺したのではないか? と言う者もいた。
突然病に伏せた当主と突然修道院に追放された公爵夫人、それだけの情報があれば察しの良いものならば当たりはつけられる。
ルーベ・ソードルについて盲目になりがちなクラウディア・コッホ伯爵夫人であっても、そろそろそれが疑念として膨らみ始め抑えが効かなくなり、怒りのまま怒鳴り散らすことが多くなっていた。
それを見た彼らは、そろそろ潮時とばかりに、他の勤め先を探したり、家族などを伯爵領へ移したりと撤収の準備をし始めていた。
なので、弟マヌエル・ソードルの凶行のためにクラウディア・コッホ伯爵夫人が急遽、伯爵領に帰ることとなっても、何の憂いもなく、どころか、途中やりの仕事を嬉々として放り出し、公爵領を離れることが出来たのだ。
ところが”今回”は何の予兆もなかった。
次の仕事も、戻る準備も何もしていない。
”前回”既に終えていた、家具などの輸送や処分も終えていない。
どころか、伯爵領に戻っても、住む家すら無い者がほとんどだ。
さらにいえば、そもそもの話、公爵領の仕事を辞めること自体、彼らはしたくなかった。
元々は、無理矢理連れてこられた彼らだったが、それ故というべきか待遇は良かった。
そもそも、公爵領の政務に携わること自体、下位貴族の親族である彼らとしても名誉ある事である。
しかも、”前回”のように反乱や魔石鉱山での暴動等のごたごたは起きていない。
クラウディア・コッホ伯爵夫人の問題で少し立場が悪くなっても――出来れば残っていたい。
そう思っていたのだ。
ところがである。
彼らはエリージェ・ソードルを知らない。
知っていれば多少なりともまともな姿勢で望んでいたのかも知れない。
しかし彼らは知らない。
なので、少しでも自身の立場を優位なものにしようと、少々恩着せがましい態度に出てしまった。
『確かに、お嬢様がおっしゃる通り、半ば無理矢理連れてこられました。
なので、戻って良いというのであれば、とても嬉しくもあります。
ただ、引継もなくでは後に残る皆が大変でしょう?』
から始めて、さらなる待遇を引き出そうと続けようとした。
だが、とかく早急に対処をしたがるエリージェ・ソードルはその時点で”前回”と同じだと判断した。
なので、『不要よ』の一言で話を終わらせ、退官の手続きと三日後には公爵領を発つことが”出来る”旨を伝えると、慌てる彼らを置いて、さっさとその場を退出したのであった。
家令マサジ・モリタは少し難しそうな顔を作った。
「実際問題、ただでさえ人が少ない状態で、彼らを失うのは……。
領運営に支障を生みかねないと思いますが」
「あらマサジ、彼らがいなくなっても良いように、ある程度対策は取っていたのでしょう?」
女の言に、家令マサジ・モリタは苦笑する。
家令マサジ・モリタはクラウディア・コッホ伯爵夫人の関係者を信じていなかった。
現実問題として、頼らざる得なかったのだが、それでも、何時いなくなっても良いように、それぞれの穴をふさぐべく後進を育てたり、対策を練っていた。
とはいえだ。
「余り”それ”を過分に期待して貰っては困りますよ、お嬢様。
あくまでも、体を取り繕う程度のことしか出来ません」
「あら、あなたは自分を低く見積もる癖があるようね。
もっと、自信を持っても良いのよ」
”前回”、それに助けられたエリージェ・ソードルは力強く言って聞かせる。
むろん、その事を知らない家令マサジ・モリタは、過大評価だとただただ苦笑するだけであった。
エリージェ・ソードルはさらに続ける。
「それに、人についてはいくつか当てはあるから、そこまで悲観することもないわよ」
「当て、でございますか?」
「ええ」と言いながら、机の右側に寄せてあった書類の束を差し出す。
家令マサジ・モリタは既に持っていた書類に重ねるように持つと、目を通した。
それをめくるに従い、キツメの印象を与えるその目が、大きく見開かれる。
「本気ですか、お嬢様」
その書類には公爵家が保有する別邸が書き記されていて、その多くに閉鎖と付け加えられていた。
「不要な別邸を閉鎖、そうでない場所も一時的に人員を減らし、その分、政務を手伝わせる。
良い方法だと思うんだけど」
これは”今回”、王都の屋敷での経験が生かされている。
各別邸には王都ほどでないにしても、多くの人間が働いている。
執事や侍女、従者や庭師、下男や下女などである。
そして、これも王都の屋敷ほどではないにしてもさすがは公爵家に仕える者達、下位貴族や豪商などの子供たちが揃っていた。
必然、教養豊かな者達ばかりで、即戦力とは行かないまでもある程度教えれば、それなりの仕事をこなせるようになる人材ばかりだった。
そしてなにより、既に身辺調査が終わっていることが良かった。
いきなり機密資料に関わらせるわけには行かないものの、ある程度信用して仕事を割り振ることが出来た。
ただ、その当たりの事を察することが出来た家令マサジ・モリタであったが「なるほど、良い手ではあると思いますが……」と、彼にしては珍しく口ごもった。
その煮えきれない態度に、エリージェ・ソードルは小首を捻る。
「どうしたの?
別に別邸を全て無くそうという訳ではないのよ?」
この女も、別邸の必要性は理解していた。
こと大貴族ともなれば治める領地は広大となる。
領内を視察をする場合、本邸から移動するだけで下手をすると一月もかかる。
故に、ソードル家だけではなく多くの貴族は領内の本邸と王都の別邸の他にも、色々な場所に屋敷を持つのは当たり前のことだった。
拠点、といっても良い。
宿では暗殺などの危険度が跳ね上がるので、多額の費用がかかるものの必要経費であることは間違いない所だった。
だったのだが……。
「でもね、なんで三十もあるのよ。
しかも、王都に十、カープルなんて村に五つも作って何がしたいの?」
カープルとは公爵領の中心都市ブルクから少し離れた小高い場所にある村のことで、豊かな森林地帯でありながらも魔獣が殆ど出ず、また温泉もあることから、夏は避暑地、冬は温泉地とオールマ王国屈指の観光地であった。
魔石鉱山や交易都市ブルクを擁するソードル領の中では主産業とまでは行かないが、さりとて無視も出来ない場所なので、別邸があっても些かも不思議ではない。
「でも、一つずつで十分でしょう?
それとも、わたくしが知らない”何か”があるの?」
と心底分からないといった顔で訊ねる女に、家令マサジ・モリタは言葉を窮し、眉を寄せる。
問いに答えるのは簡単だ。
王都もカープルも同じ、父ルーベ・ソードルが様々な愛人と逢瀬を楽しむためのものだ。
カープルに関しては自慢する意味もあるのかもしれない。
裕福な商人ばかりか、領持ち貴族すら別荘を持ちたがる場所に、五つも別邸があるのだ! という風にだ。
広大な領を治める公爵として、実に小さい自慢話ではあるが、ルーベ・ソードルがそれに見合う小さな男だと嫌というほど知っている家令マサジ・モリタはそこまで理解してしまうのだ。
ただ、答えるのは簡単でも、エリージェ・ソードルという女に理解されるかは別問題であった。
家令マサジ・モリタは老執事ジン・モリタほどではないにしても、この女のことを理解している。
いや、老執事ジン・モリタほど近くにいなかったからこそ、逆に、彼より理解している部分もあるかもしれない。
家令マサジ・モリタはこの幼き主を高く評価しつつも、その危うさを危惧していた。
エリージェ・ソードルは理にかなったことを善としすぎる部分がある。
王国にとって良い、公爵家にとって良い、使用人にとって良い、領民にとって良い。
そういったものをこの幼い主は常に求めている。
そこに私情は一切無い。
そして、家令マサジ・モリタが危惧するのは、この幼い主はそれを信念として行っている訳ではないことだ。
そう、この女はそれが”常識”だと、行っているのだ。
それはスープを飲むのに匙を使うことに近い。
こと貴族にとってそれは作法であり、異論の余地もない当たり前のことだ。
エリージェ・ソードルという女にとって、公務に私情を含めないことは、それぐらいの感覚であった。
なので、くだらない自尊心や欲望のために公金に手を付ける者の考えは、全く理解できない。
そして、父ルーベ・ソードルは真逆だ。
父ルーベ・ソードルは私情で動く。
むしろ、私情でのみ動く。
ああだこうだと御託を並べながら、匙を置き、器に口を付けて飲むのだ。
家令マサジ・モリタはこの親子はいずれ必ずぶつかることになると、誰よりも早く予知していた。
家令マサジ・モリタは、はっとした顔をすると女の顔を探るように見つめてくる。
「……お嬢様、ご主人様は病気療養とお聞きしていましたが、もしやお亡くなりに?」
エリージェ・ソードルは軽く肩をすくめて見せた。
「ご期待に応えられなくて申し訳ないけど、生きていらっしゃるわ」
「そうですが……いえ、それを聞いて安堵しました」などと言いつつも、安心など欠片もない難しい顔をする。
「であれば、後がうるさくないですか?
お嬢様が不要とあげたこれらは、全て、ご主人様がお作りになったものですし」
「ああ」とエリージェ・ソードルは家令マサジ・モリタが言わんとすることが分かった。
この辺りは”前回”を十七才まで経験している女だ。
肉体は十歳に戻っても理解できた。
「安心なさい。
誰が作ったにせよ、現在の別邸は公爵家、つまりはわたくしの物だから。
文無しの元公爵が何を言っても関係ないから」
「お、お嬢様?」
家令マサジ・モリタはこの余り動じぬ男性にしては珍しく大きく目を見開いた。
それが可笑しかったのか、エリージェ・ソードルはこちらも珍しく、口元を緩めた。
そして、指輪印を家令マサジ・モリタに見せた。
「何を驚いているの、マサジ?
指輪印を放棄とはそういう意味でしょう?」
オールマ王国では領主の資産と領の資産を分けて考えることはない。
なので、様々な費用や王族に治める分を差し引いた領の利益は全て、そこを治める領主のものとなる。
それだけではなく、領で購入した建物や備品なども全て、領主の持ち物となる。
なので、本邸も別邸も全て、領主”個人”の物となるのだ。
そして、領主とは指輪印を継承した者のことを言う。
つまり、何もかも全てこの女の物になっているのだ。
「い、いや、領主代行届けがされたものとばかり」
領主代行届けとは、病気や怪我で領主として動くことが出来なくなった場合、別の者に一時的に権限を与える届け出のことだ。
この場合、領地を運営する権限は与えられても、資産は元々の領主の物のままだ
だが、エリージェ・ソードルはきっぱりと言った。
「そんな届け出は全く出ていないわよ。
わたくしも出してないし、ね。
あ、ただ対外的には代行って形で行くからそのつもりで」
「待ってください!
つまり、エリージェ様は正式に公爵家を継いでいらっしゃると。
でも、ご主人様は亡くなってはいない。
あの方は、今、何を?」
「さあ?
どこぞやで遊び惚けてるんじゃない?」
「遊び惚けてるって……。
いや、貴族院で宣言が行われたんですよね?
異議を申し出なかったんですか?」
指輪印を継承する場合、貴族院でその旨が発表される。
そして、元の持ち主本人への通知書も送られる。
そこで、異議があれば貴族院に訴え出ることも出来る。
これは、指輪印がお家騒動などで勝手に継承されることを防ぐための意味もあった。
因みに、全くの他人が盗むなどして継承することはほぼ不可能である。
継承にはある程度近い縁者である必要があり、また、指輪印を手にした理由も正当なもので無ければならないのだ。
女の場合、娘であり、指輪印も父親から投げつけられたので、問題ではない。
「通知書は確かに渡されたそうよ。
ただまあ、遊ぶのに一生懸命で読んで無いんじゃないのかしら?」
実はこの女と祖父マテウス・ルマとの話し合いで、父ルーベ・ソードルが異議を申し出た場合の対処も決められていた。
その時は、国王オリバーも含めた三名で説得し、ある程度の資産を分割して渡すことで手切れ金とし、引退させようとしていた。
そもそも、働きたくない男である。
遊んで暮らせるぐらいの金さえあれば問題なかろうという所だ。
ところが、通知書が渡されて期限の一ヶ月が過ぎても異議どころか音沙汰が無く、さらにはどこぞやに遠出に出ると聞いて拍子抜けしたものだった。
期限が過ぎても、やむ得ない理由さえあれば異議は申し出ることは可能だ。
もっとも、王都での遊びがそれに該当するかは、誰の目にも明らかなことであった。
家令マサジ・モリタは天を仰ぎながら手で顔を覆った。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、ここまで度し難い方だったとは……。
つまり、現在のあの方は……」
「さっきも言ったでしょう、文無しの元公爵だって。
もっとも、ジンと約束してしまったから、一年は公爵程度の生活は”一応”保証して差し上げるけれども……。
そんな話は今は良いわ。
だから、気にせず別邸は閉めても構わないわ。
買い手が付けば、売っても構わないし」
「……かしこまりました。
そういうことであれば、気にせずにさせていただきます」
少し疲れた感じではあったが、家令マサジ・モリタは頭を下げた。
そんな彼に向かって、エリージェ・ソードルはもう一枚、机の上を滑らせた。
「これは?」との問いに「彼らも加えるから」とエリージェ・ソードルは答える。
「家名がないみたいですが、平民ですか?」
「ええ、見所のある者達らしいから、昼前には迎えに行く予定でいるの。
明日から住み込みで働かせるから、受け入れる準備をお願い」
などと言いながら、積み木予定表に加えるべく、万年筆を走らせる。
「明日からですか?
彼らには既に話をしている、と言うことでしょうか?」
との問いに、エリージェ・ソードルはあっさり答えた。
「いいえ、今日初めて会いに行くのよ」
「だとしたら、もう少し先にしたほうがよろしいのでは?
彼らには彼らの都合がありますし」
エリージェ・ソードルはペン先を止めて持ち上げる。
そして、少し考えた後、不思議そうな顔で家令マサジ・モリタを上目遣い気味に見上げた。
「どういうこと?
なんで大貴族が平民の都合を気にしなければならないの?」
「まあ……そうですね」
と家令マサジ・モリタは苦笑する。
この全く性格の違う親娘は、そのくせどちらも等しく自分を振り回す。
そう痛感させられたからだ。
ただ、そんな心中など察せられないエリージェ・ソードルは、よく分からないと小首を捻った。
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