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第五章
聖女の御荷物
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「お、お呼びでしょうか、お嬢様」
銀色の瞳を不安そうに揺らしながら、クリスティーナの母クラーラは訊ねてきた。
一児の母とは思えないすらりとした身体に、白く陶器のように艶やかな肌、保護欲を刺激する気の弱そうに曲げられた細い眉に、人前に立つと何故か潤んでしまうぱっちりと大きな目に銀細工のように輝く瞳――現在、エリージェ・ソードルをして、扱いを少々決めあぐねている女性である。
ただ、それもひょっとして解決するかもしれない。
エリージェ・ソードルは少し期待してもいた。
「クラーラ、あなた歌い手をしていたらしいわね」
「え!?」と目を見開いたクラーラは、クリスティーナを一瞥する。
そして、どことなく苦悩に満ちた顔で「はい……」と頷いた。
「そうなのね。
ちょっと、歌ってみなさい」
「え!?
あのう、わたし……」
あたふたするクラーラに、エリージェ・ソードルは少し苛立ちながら「早く!」と急かした。
その声にビクっと震えたクラーラは、観念したのか、小さく歌い始めた。
それは驚くほど澄んだ声だった。
それが一瞬の内にエリージェ・ソードルを柔らかに包んだ。
そして、それは辺りの空気さえ変えた。
彼女が紡ぐのは繁茂した森林、その霞がかった風がエリージェ・ソードルの頬を撫でる。
そんな情景を浮かばせた。
この女にして、「凄いわね」と言わせるものがあった。
少しすると、クラーラは口を閉じる。
そして、おずおずと訊ねてきた。
「お嬢様、あのう……。
これぐらいでよろしいでしょうか?」
「お母さん、凄い!」
笑顔のクリスティーナがパチパチと拍手をし始めたので、エリージェ・ソードルも弟マヌエル・ソードルもそれに合わせて手を叩いた。
クリスティーナの母クラーラはそれに顔を少し赤めて、お辞儀をした。
エリージェ・ソードルが話し始める。
「クラーラ、凄いわね。
クリスティーナにただくっついてきたお荷物かと思ったけど、そんな芸を持っていたとは」
「お、お荷物……」クリスティーナの母クラーラは顔をひきつらせるも、そんな彼女に、エリージェ・ソードルは目を細める。
「あら、違ったかしら?
クラーラ、公爵邸に来てからここまで、何をしてきたか言ってみなさい」
「うぅ……申し訳、ございません……」
とクリスティーナの母クラーラは涙目になった。
このクラーラという女性、とにかく何も出来なかった。
元々、マガト男爵邸では侍女として雇われるはずだったので、ソードル家でもそのようにさせてみようとしたが、生け花から寝台の整理、お茶の用意など、一通りのことを全て”出来なかった”。
であればと、厨房で下働きをさせようとしたのだが、皿を洗わせれば五枚に一枚は割り、芋の皮を剥かせれば指を切り血塗れにした。
掃除をさせようとしたがとにかく雑で、揚げ句、花瓶をいくつか割った。
余りの出来なさぶりに、エリージェ・ソードルに「良くこれまで、しかもクリスを育てながらやってこられたわね」とある意味感心させたほどであった。
しかも、クラーラという女性、恐るべき事に男を惹き寄せる。
美しさもそうだが、失敗して困った顔をすると激しく男達の保護欲を刺激した。
何かある度に男達が「大丈夫かい?」「怪我はない?」「ここは任せて!」などと言いながら、殺到する。
そのことで、女性の使用人は激しく苛立った。
中には、エリージェ・ソードルにこう進言する者もいた。
「お嬢様!
クラーラにはあれに適した娼館がございます!
速やかに移してあげて下さい!」
正直、クリスティーナさえいれば良いエリージェ・ソードルであったが、流石にそこまでする事も出来ず、頭を抱えることとなったのだ。
「あなた、色んな所で何年か仕事をしていたはずよね?
そういう所で学ばせてもらえなかったの?」
「あのう……。
どの場所も、初めのうちは教えてもらえたんですけど、そのうち、色んな方が手伝ってくださって……。
やらなくても、そのう……いるだけでいいからって……」
「うわぁ~」という女騎士ジェシー・レーマーの漏らした声が聞こえた。
内情を理解したのだろう。
エリージェ・ソードルとて、声には出さなかったものの、同じような気持ちだった。
結局の所、このクラーラという女性は望む、望まないはともかく、全てを周りの男にやらせてきたのだ。
だからこそ、この女性、何も出来ないのだ。
「ねえクラーラ」とエリージェ・ソードルはやや顔をしかめながら言う。
「わたくし、あなたには仕事をやって貰いたいのであって、男にあなたの分の仕事を余計にさせたいという訳じゃないのよ?
その辺りは分かってる?」
「あ、あのう、わたしが望んだ訳じゃ……」
「なにか?」
「なななんでも、ありません!」
エリージェ・ソードルはガクガクと震えるクラーラに強い視線を送っていたのだが、しばらくすると、一つため息をついた。
「まあいいわ。
あなた、ここにいるマヌエルに歌を教えなさい」
「え!?」
「何にせよ一つやらせることが見つかったのは僥倖ね。
ただ、他の仕事ももちろんやって貰うことになるから、この機会に一つでも多くのことが出来るようになりなさい。
分かった?」
おろおろしていたクラーラだったが、意を決したかのようにエリージェ・ソードルの前で膝をついた。
そして、瞳を潤ませながら懇願した。
「お嬢様、わたし、もう歌わないって誓っているんです」
「歌わない?」
「はい!
愛する人がわたしの前からいなくなったあの日から、わたし、歌を封印しているのです!」
エリージェ・ソードルは少し、考えた。
そして、クリスティーナを少し気にしつつ訊ねる。
「それは、クリスティーナの父親の事かしら?」
クラーラは目をぱちくりさせる。
「え?
違いますけど」
「え?」
「その前の人です」
「前?」
「はい」とクラーラは細く整った眉を悲しげに寄せた。
「クリスティーナの父親に出会う前に付き合っていた人なんですが、その人、甲斐性が無くって。
わたし、クリスの父親と結婚したんです。
でも、クリスティーナを生んだ後、思ったんです。
わたし、あの人じゃなきゃ駄目なんだって」
「……」
「だから、クリスティーナが五つになった時、この子を連れて歌っていた酒場に行ったんです。
でも、もうその町にはいないって。
でも、わたし会いたくって!
会いたくって!
王都に向かったって話を――」
「クラーラ」
「――聞いて!
え、はい?」
「もうそういうのは良いから」
「あ、え?
だから……え?」
さめざめしい目でクラーラを見ていたエリージェ・ソードルはチラリと視線を例のタライに向けた。
それに気づいた侍女ミーナ・ウォールは退くかどうか葛藤し始めた。
そこに割り込むように、クリスティーナが声をかけてきた。
「よく分からないけど、お母さん。
歌を教えるお仕事になって良かったんじゃないの?」
娘の言葉に対して、クラーラは慌てた感じに返す。
「違うのよクリス。
まだ、言ってないけど……」
クリスティーナは小首をひねった。
「えぇ~でも、お母さん、お掃除とか面倒だし嫌だって話してなかったっけ?」
「ちょ!?
ちょっと!?」
「あと、最近はお仕事を皆に手伝って貰っていると、侍女長さんに怒られるから自分でやらなくっちゃならないってボヤいてたし」
「あら、そうなの?」
「ち、違うのよクリス!」
エリージェ・ソードルは今ほど扇子がないことを残念に思ったことは無かった。
タライに叩き込むよう、女騎士ジェシー・レーマーに指示を出そうとも思ったが、流石にクリスティーナの前ではそれもマズいかと思った。
その躊躇する隙間、そこにスーッっと入り込んだ女性がいた。
侍女長ブルーヌ・モリタである。
表情を余り変えぬこの女性が、エリージェ・ソードルのそばに立つと、静かに言った。
「お嬢様、歌の稽古の前に、この子をわたしに預けて頂けませんでしょうか?」
「あなたに?」
「はい」
侍女長ブルーヌ・モリタは目を細めながら、クリスティーナの母、クラーラを見つめた。
「わたしがしばらく教育を施したいと思います。
シンディは優秀な方ですが、正直に言いますと、”甘い”所もあります」
「シンディが……甘い?」
エリージェ・ソードルは少し目を見開く。
王都屋敷を取り仕切る、侍女長シンディ・モリタはモリタ夫人と呼ばれ、国王オリバーにまで名前を知られた女性である。
多くの貴族の屋敷では、侍女に対してお手本にするべき人として、常に名を挙げられていた。
それは、侍女長としての教育する姿勢にも及び、王城の侍女長が教えを請いに訪問を受けたこともあったほどだ。
そんな女性が甘いとは、エリージェ・ソードルの中では少々結びつかなかった。
だが、侍女長ブルーヌ・モリタは大きく頷く。
「はい、お嬢様。
義母は出来ない娘に対して、厳しく厳しく厳しくします。
しかしですよ、お嬢様。
最後の最後に、義母は優しくしてしまうのです。
出来ていないにもかかわらずです。
それはいけません。
厳しく厳しく厳しく、それでも駄目なら、激しく厳しく!
そこまでやらないと、人は育ちません」
「そ、そんなもんなの?」
エリージェ・ソードルが少し気圧され気味に訊ねると、侍女長ブルーヌ・モリタは「はい」と肯定した。
そして、侍女長ブルーヌ・モリタはクラーラに向くと、指示を出した。
「クラーラと言いましたね。
これから、あなたを立派な侍女になるよう訓練をします。
来なさい」
クリスティーナの母クラーラは「あの、その」とあたふたするも「来なさい!」との一喝でビクリと震えると、涙目になりながら侍女長ブルーヌ・モリタのそばに行く。
侍女長ブルーヌ・モリタはそれを目で確認した後、エリージェ・ソードルに言う。
「お嬢様、あと十分ほどでマヌエル様のお勉強の時間となります。
御考慮下さい」
「あらそう」
エリージェ・ソードルは弟マヌエル・ソードルを一瞥すると少し考えた。
そして、侍女長ブルーヌ・モリタに視線を戻す。
「今日は様子を見学することにするわ。
そうね……今日は天気も良いし、このまま庭園で行いましょう」
「…かしこまりました」
侍女長ブルーヌ・モリタにしては珍しく、返事に一瞬、間があった。
だが、すぐに深々と頭を下げると、クリスティーナの母クラーラを伴い、その場を辞した。
銀色の瞳を不安そうに揺らしながら、クリスティーナの母クラーラは訊ねてきた。
一児の母とは思えないすらりとした身体に、白く陶器のように艶やかな肌、保護欲を刺激する気の弱そうに曲げられた細い眉に、人前に立つと何故か潤んでしまうぱっちりと大きな目に銀細工のように輝く瞳――現在、エリージェ・ソードルをして、扱いを少々決めあぐねている女性である。
ただ、それもひょっとして解決するかもしれない。
エリージェ・ソードルは少し期待してもいた。
「クラーラ、あなた歌い手をしていたらしいわね」
「え!?」と目を見開いたクラーラは、クリスティーナを一瞥する。
そして、どことなく苦悩に満ちた顔で「はい……」と頷いた。
「そうなのね。
ちょっと、歌ってみなさい」
「え!?
あのう、わたし……」
あたふたするクラーラに、エリージェ・ソードルは少し苛立ちながら「早く!」と急かした。
その声にビクっと震えたクラーラは、観念したのか、小さく歌い始めた。
それは驚くほど澄んだ声だった。
それが一瞬の内にエリージェ・ソードルを柔らかに包んだ。
そして、それは辺りの空気さえ変えた。
彼女が紡ぐのは繁茂した森林、その霞がかった風がエリージェ・ソードルの頬を撫でる。
そんな情景を浮かばせた。
この女にして、「凄いわね」と言わせるものがあった。
少しすると、クラーラは口を閉じる。
そして、おずおずと訊ねてきた。
「お嬢様、あのう……。
これぐらいでよろしいでしょうか?」
「お母さん、凄い!」
笑顔のクリスティーナがパチパチと拍手をし始めたので、エリージェ・ソードルも弟マヌエル・ソードルもそれに合わせて手を叩いた。
クリスティーナの母クラーラはそれに顔を少し赤めて、お辞儀をした。
エリージェ・ソードルが話し始める。
「クラーラ、凄いわね。
クリスティーナにただくっついてきたお荷物かと思ったけど、そんな芸を持っていたとは」
「お、お荷物……」クリスティーナの母クラーラは顔をひきつらせるも、そんな彼女に、エリージェ・ソードルは目を細める。
「あら、違ったかしら?
クラーラ、公爵邸に来てからここまで、何をしてきたか言ってみなさい」
「うぅ……申し訳、ございません……」
とクリスティーナの母クラーラは涙目になった。
このクラーラという女性、とにかく何も出来なかった。
元々、マガト男爵邸では侍女として雇われるはずだったので、ソードル家でもそのようにさせてみようとしたが、生け花から寝台の整理、お茶の用意など、一通りのことを全て”出来なかった”。
であればと、厨房で下働きをさせようとしたのだが、皿を洗わせれば五枚に一枚は割り、芋の皮を剥かせれば指を切り血塗れにした。
掃除をさせようとしたがとにかく雑で、揚げ句、花瓶をいくつか割った。
余りの出来なさぶりに、エリージェ・ソードルに「良くこれまで、しかもクリスを育てながらやってこられたわね」とある意味感心させたほどであった。
しかも、クラーラという女性、恐るべき事に男を惹き寄せる。
美しさもそうだが、失敗して困った顔をすると激しく男達の保護欲を刺激した。
何かある度に男達が「大丈夫かい?」「怪我はない?」「ここは任せて!」などと言いながら、殺到する。
そのことで、女性の使用人は激しく苛立った。
中には、エリージェ・ソードルにこう進言する者もいた。
「お嬢様!
クラーラにはあれに適した娼館がございます!
速やかに移してあげて下さい!」
正直、クリスティーナさえいれば良いエリージェ・ソードルであったが、流石にそこまでする事も出来ず、頭を抱えることとなったのだ。
「あなた、色んな所で何年か仕事をしていたはずよね?
そういう所で学ばせてもらえなかったの?」
「あのう……。
どの場所も、初めのうちは教えてもらえたんですけど、そのうち、色んな方が手伝ってくださって……。
やらなくても、そのう……いるだけでいいからって……」
「うわぁ~」という女騎士ジェシー・レーマーの漏らした声が聞こえた。
内情を理解したのだろう。
エリージェ・ソードルとて、声には出さなかったものの、同じような気持ちだった。
結局の所、このクラーラという女性は望む、望まないはともかく、全てを周りの男にやらせてきたのだ。
だからこそ、この女性、何も出来ないのだ。
「ねえクラーラ」とエリージェ・ソードルはやや顔をしかめながら言う。
「わたくし、あなたには仕事をやって貰いたいのであって、男にあなたの分の仕事を余計にさせたいという訳じゃないのよ?
その辺りは分かってる?」
「あ、あのう、わたしが望んだ訳じゃ……」
「なにか?」
「なななんでも、ありません!」
エリージェ・ソードルはガクガクと震えるクラーラに強い視線を送っていたのだが、しばらくすると、一つため息をついた。
「まあいいわ。
あなた、ここにいるマヌエルに歌を教えなさい」
「え!?」
「何にせよ一つやらせることが見つかったのは僥倖ね。
ただ、他の仕事ももちろんやって貰うことになるから、この機会に一つでも多くのことが出来るようになりなさい。
分かった?」
おろおろしていたクラーラだったが、意を決したかのようにエリージェ・ソードルの前で膝をついた。
そして、瞳を潤ませながら懇願した。
「お嬢様、わたし、もう歌わないって誓っているんです」
「歌わない?」
「はい!
愛する人がわたしの前からいなくなったあの日から、わたし、歌を封印しているのです!」
エリージェ・ソードルは少し、考えた。
そして、クリスティーナを少し気にしつつ訊ねる。
「それは、クリスティーナの父親の事かしら?」
クラーラは目をぱちくりさせる。
「え?
違いますけど」
「え?」
「その前の人です」
「前?」
「はい」とクラーラは細く整った眉を悲しげに寄せた。
「クリスティーナの父親に出会う前に付き合っていた人なんですが、その人、甲斐性が無くって。
わたし、クリスの父親と結婚したんです。
でも、クリスティーナを生んだ後、思ったんです。
わたし、あの人じゃなきゃ駄目なんだって」
「……」
「だから、クリスティーナが五つになった時、この子を連れて歌っていた酒場に行ったんです。
でも、もうその町にはいないって。
でも、わたし会いたくって!
会いたくって!
王都に向かったって話を――」
「クラーラ」
「――聞いて!
え、はい?」
「もうそういうのは良いから」
「あ、え?
だから……え?」
さめざめしい目でクラーラを見ていたエリージェ・ソードルはチラリと視線を例のタライに向けた。
それに気づいた侍女ミーナ・ウォールは退くかどうか葛藤し始めた。
そこに割り込むように、クリスティーナが声をかけてきた。
「よく分からないけど、お母さん。
歌を教えるお仕事になって良かったんじゃないの?」
娘の言葉に対して、クラーラは慌てた感じに返す。
「違うのよクリス。
まだ、言ってないけど……」
クリスティーナは小首をひねった。
「えぇ~でも、お母さん、お掃除とか面倒だし嫌だって話してなかったっけ?」
「ちょ!?
ちょっと!?」
「あと、最近はお仕事を皆に手伝って貰っていると、侍女長さんに怒られるから自分でやらなくっちゃならないってボヤいてたし」
「あら、そうなの?」
「ち、違うのよクリス!」
エリージェ・ソードルは今ほど扇子がないことを残念に思ったことは無かった。
タライに叩き込むよう、女騎士ジェシー・レーマーに指示を出そうとも思ったが、流石にクリスティーナの前ではそれもマズいかと思った。
その躊躇する隙間、そこにスーッっと入り込んだ女性がいた。
侍女長ブルーヌ・モリタである。
表情を余り変えぬこの女性が、エリージェ・ソードルのそばに立つと、静かに言った。
「お嬢様、歌の稽古の前に、この子をわたしに預けて頂けませんでしょうか?」
「あなたに?」
「はい」
侍女長ブルーヌ・モリタは目を細めながら、クリスティーナの母、クラーラを見つめた。
「わたしがしばらく教育を施したいと思います。
シンディは優秀な方ですが、正直に言いますと、”甘い”所もあります」
「シンディが……甘い?」
エリージェ・ソードルは少し目を見開く。
王都屋敷を取り仕切る、侍女長シンディ・モリタはモリタ夫人と呼ばれ、国王オリバーにまで名前を知られた女性である。
多くの貴族の屋敷では、侍女に対してお手本にするべき人として、常に名を挙げられていた。
それは、侍女長としての教育する姿勢にも及び、王城の侍女長が教えを請いに訪問を受けたこともあったほどだ。
そんな女性が甘いとは、エリージェ・ソードルの中では少々結びつかなかった。
だが、侍女長ブルーヌ・モリタは大きく頷く。
「はい、お嬢様。
義母は出来ない娘に対して、厳しく厳しく厳しくします。
しかしですよ、お嬢様。
最後の最後に、義母は優しくしてしまうのです。
出来ていないにもかかわらずです。
それはいけません。
厳しく厳しく厳しく、それでも駄目なら、激しく厳しく!
そこまでやらないと、人は育ちません」
「そ、そんなもんなの?」
エリージェ・ソードルが少し気圧され気味に訊ねると、侍女長ブルーヌ・モリタは「はい」と肯定した。
そして、侍女長ブルーヌ・モリタはクラーラに向くと、指示を出した。
「クラーラと言いましたね。
これから、あなたを立派な侍女になるよう訓練をします。
来なさい」
クリスティーナの母クラーラは「あの、その」とあたふたするも「来なさい!」との一喝でビクリと震えると、涙目になりながら侍女長ブルーヌ・モリタのそばに行く。
侍女長ブルーヌ・モリタはそれを目で確認した後、エリージェ・ソードルに言う。
「お嬢様、あと十分ほどでマヌエル様のお勉強の時間となります。
御考慮下さい」
「あらそう」
エリージェ・ソードルは弟マヌエル・ソードルを一瞥すると少し考えた。
そして、侍女長ブルーヌ・モリタに視線を戻す。
「今日は様子を見学することにするわ。
そうね……今日は天気も良いし、このまま庭園で行いましょう」
「…かしこまりました」
侍女長ブルーヌ・モリタにしては珍しく、返事に一瞬、間があった。
だが、すぐに深々と頭を下げると、クリスティーナの母クラーラを伴い、その場を辞した。
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