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第五章
弟マヌエル・ソードルとの再会
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エリージェ・ソードルは当時のムカつきを思いだし、眉を少し上げた。
そして、目の前でハラハラした顔をさせる侍女ミーナ・ウォールに訊ねた。
「ねえミーナ、そういえば扇子は届いたかしら?」
突然の問いに、きょとんとした顔をした侍女ミーナ・ウォールだったが、すぐに体裁を整える。
「いえ、まだ届いておりません。
特注なのでもう少しお待ちくださいとのことでした。
早くても四日後、との事でした。
予備のものをお持ちしますか?」
「そう……まあいいわ。
これだけで勘弁してあげましょう」
と、エリージェ・ソードルは再度、タライに視線を移す。
それを見た侍女ミーナ・ウォールは「お嬢様!」と非難のこもった声を上げた。
それに対して、エリージェ・ソードルは少し唇を尖らせる。
「何よミーナ、堀に叩き込むことを考えたら、随分温情的だと思わない?」
「若様を殺す気ですか!?」
「だから、代わりにこれだと言ってるでしょう?」
ちなみに前回、堀に叩き込まれた弟マヌエル・ソードルは、時期が初冬だったこともあり、一週間寝込むこととなった。
だからこその、タライである。
(あの子には面倒事を起こされる前に、ガツンとやっておかないとね)
”前回”の弟マヌエル・ソードル、掘に叩き込んだ一ヶ月後、家庭教師の女性に暴力を振るっている。
その事で、領内をかき乱すほどの大騒ぎになってしまった。
この女としては、そうなる前に少しでも改善出来ればと思っているのだ。
女騎士ジェシー・レーマーが「う~ん」と考え込みながら言った。
「……もう随分暖かくなってるから、これぐらいならいいかしら?」
「ジェシー様!?」
「わたしなんて、半分凍った湖に武具を完全装備した状態で蹴り込まれたものよ?」
「ルマ家騎士団基準を若様に当てはめないで下さい!」
侍女ミーナ・ウォールが頭を抱えた。
それを、女騎士ジェシー・レーマーが少し不思議そうに訊ねた。
「ミーナ、あなたがここまでお嬢様に意見を言うのは珍しいわね」
「そういえば、そうね」とエリージェ・ソードルも頷いた。
ミーナ・ウォールという少女は普段から慎み深い侍女であった。
そんな彼女がここまで食い下がることなど、”前回”も含めて記憶がない。
問いかけるようにエリージェ・ソードルが侍女ミーナ・ウォールを見上げれば、彼女は一生懸命それに答える。
「お嬢様、わたし、若様に先ほどお目にかかっているのです。
そのう、お会いになればお嬢様にも――」
そこで、侍女長ブルーヌ・モリタが近づいてくるのが見えた。
その隣には小柄な少年が付いてきている。
弟マヌエル・ソードルだ。
ふわりと柔らかそうな金髪に白い陶器のような肌、ほっそりとした体躯に小さく形の良い顔、エリージェ・ソードルとは違い丸みのある大きな目、その中にある漆黒の瞳は足下を落ち着き無くさまよっていた。
何とも弱々しく頼りなさげの少年だ。
侍女ミーナ・ウォールが乱暴にすることを強固に反対する理由も流石のエリージェ・ソードルとて理解は出来る。
しかし、”前回”を知るこの女、はてと小首を捻った。
侍女長ブルーヌ・モリタが女の前に立つと、「お連れしました」と頭を下げた。
そして、スーッと脇に退く。
取り残された形の弟マヌエル・ソードルは「あ、あのう」などと不明瞭な言葉を発しながらおろおろとしている。
そして、何度が視線を上げようとするものの、女と目を合わせると、視線を下ろすを繰り返した。
エリージェ・ソードルは顎に手をやり、少し考えた。
そして、椅子から立ち上がるとズンズンと弟に近づく。
「あ、あのう……」と弟マヌエル・ソードルはその行動に怯えているのか、自身よりも長身の姉をまたチラリと見上げた。
再度目線を下ろす弟の両頬を、女は両手で抓り上げた。
「ふにゃっ!?」
「お嬢様!?」
侍女ミーナ・ウォールが慌てた感じに声を上げた。
だが、エリージェ・ソードルは頓着せず、「随分柔らかいわね」と指で弟の頬をくにゃくちゃと弄ぶ。
そうしながら、(おかしいわね?)とエリージェ・ソードルは思った。
あの生意気な弟であれば、ここまでされれば怒り出すものと思っていた。
しかし、何故か思っていた反応は返ってこない。
自身の頬を弄くる手を払うどころか、止めるために掴むことすらしてこないで、されるままになっている。
罵声が、少なくとも漏れ出てくると思われたその口は、何故かキツく閉ざされている。
そして、怒りにつり上がると思われた目は、なにやら潤みだしていた。
だから、訊ねてしまう。
「あなた、本当にマヌエルなの?」
「正真正銘、弟君ですよ、お嬢様」
侍女長ブルーヌ・モリタがすっと近寄ってくる。
「そろそろ、許して差し上げて下さい」
「……そうね」
エリージェ・ソードルは手を離すと、元の席に戻った。
――
「……」
「……」
お茶をすることになった姉弟であったが、テーブルを挟むものの、会話はない。
姉は何も語らずじっと弟を見るだけであり、弟はそんな姉にビクビクしながら俯くのみであった。
それも仕方がないことであった。
元々、エリージェ・ソードルという女、多弁とはとても言い難い。
取り巻きを従えていた”前回”にしても、周りで好きに話させて、役に立つ情報を拾うことに専念していた。
仮に自ら話題を振ったとしても、それは知りたいことをただ、質問しているだけにすぎず、場を盛り上げようとか、和まそうとか、そんな意図は皆無であった。
そういう役は、だいたい、取り巻きを纏めさせていたカルリーヌ・トレー伯爵令嬢に任せていた。
ただ現状、流石にそれではいけないと思い、エリージェ・ソードルは話を振った。
「マヌエル、魔術の研究は進んでいるかしら?」
「え!? あ、あの……」
侍女長ブルーヌ・モリタが横から指摘する。
「失礼します、お嬢様。
若様はまだ、九つでいらっしゃいます。
魔術を習うのはもう少し後になってからとなります」
「ああ、そうだったわね」
魔術を学ぶのは早くても大体十一歳からとされていた。
それは未成熟な精神のままだと暴走する可能性があるためだ。
なので、この女とて”今回”はまだ、魔術の手ほどきを受けていない。
「……」
「……」
またしても、沈黙が場を占める。
するとそこへ、「あ、あのう」と声がかかる。
視線を向けると、なぜかタライを背に立っている侍女ミーナ・ウォールが恐る恐る提案してきた。
「遊んで差し上げたらいかがでしょうか?」
「遊ぶ?」とエリージェ・ソードルは考えた。
そして、首を横に振った。
「今のわたくしではマヌエルを肩に担ぐことなど難しいと思うけど?」
「そうでした……。
お嬢様にとって遊ぶとは”それ”でしたね」
侍女ミーナ・ウォールは顔をひきつらせる。
このエリージェ・ソードルという女、幼い頃から子供らしい事を余りしてこなかった。
人形遊びやおままごとなどの女の子らしい事もそうだが、輪投げや追いかけっこなど男の子が好むこともしてこなかった。
クズな父親や義母達が全く相手にしてなかったこともあり、侍女や使用人達がせめて子供らしい楽しみを知って貰おうと何度か誘ったのだが、そのほとんどをこの女は丁寧に断っていた。
そして、部屋の長いすで静かに座っているか、家庭教師が来るようになってからは、黙々と勉強をする、そんな子供であった。
ただ、全く楽しみがなかったかといえば、そうでもなかった。
例えば、侍女長シンディ・モリタに手を引かれて行う庭園の散策や、老執事ジン・モリタに乗せられて行う乗馬などはこの表情を滅多に出さぬ女が見るからに機嫌が良さげだった。
そして、この女が何より好んだのが、当時はまだ騎士副団長だったルマ家騎士ウルフ・クリンスマンの肩に乗せて貰う事だった。
ウルフ・クリンスマンの厳つく広い左肩に腰を落ち着け、彼の頭にしがみつきながら、散策する。
それを何よりも楽しみにしていた。
ルマ家に訪問する度にそれをせびり、祖父マテウス・ルマを呆れさせたほどだった。
だが、それを止めることはしなかった。
貴族の、まして最高位のご令嬢として、親族ですらない男性に体を触れられるのは、幼くても余り好ましくはない。
だが、そういった事にうるさい侍女長シンディ・モリタも、これについては何もいわなかった。
その時だけだったからだ。
この無愛想な女が、はしゃぎこそしないものの、楽しそうに目を細め、口元を緩めるのは。
だから、大人達は何も言わなかった。
「おんぶだったら出来なくはないけど……」
とエリージェ・ソードルが弟マヌエル・ソードルに訊ねると、少年は顔を真っ赤に染め、ぶんぶんと顔を横に振った。
「ふむ」とエリージェ・ソードルは顎に手をやり、少し考えた。
この女、エリージェ・ソードルは凡庸である。
故にというべきか、この女、難題を人に投げる。
凡庸な自分が出来ないなら出来る人間にやらせればよい。
そのようにあっさりと人に振ることを良しとするのだ。
だからこの時も、自身が努力することを放棄した。
エリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールにこのような指示を出した。
「ミーナ、クリスを連れてきて」
――
侍女ミーナ・ウォールに連れられてきたクリスティーナは、エリージェ・ソードルに気づくと駆け寄ってきた。
「おじょ~様、凄いねこのお城!
迷子になりそう!」
エリージェ・ソードルは柔らかく口元を緩めながら、それに答える。
「色々込み入ってる場所もあるから、注意しなさいね、クリス」
そこで、付け加えることに気づく。
「あと、ここのことはお城ではなく、屋敷、もしくは砦と言いなさい」
「?
そうなの?」
「そうなのよ」
クリスティーナが城と表現したのは、この少女が無知だからという訳ではない。
例えば、様々なものを見聞きしている商人であっても、初見であれば恐らくは”城”と表現しただろう。
だが、ソードル家やそれに連なる者はそう呼ばない。
城とされるべきはあくまでオールマ城のみで、自身等のそれはけしてそのようなものではない、と主張するのだ。
そこには、長い間ソードル家が立たされていた立ち位置を如実に物語っていた。
クリスティーナは何かに気づいたように目をぱちくりさせ、エリージェ・ソードルの後ろを覗いた。
「おじょ~様、その子は?」
エリージェ・ソードルはその視線の先にいる、弟マヌエル・ソードルに視線を向けた。
弟マヌエル・ソードルは困惑気味に女とクリスティーナを交互に見ている。
「マヌエル、この子はクルスティーナよ。
クリス、この子はわたくしの弟、マヌエル・ソードル」
クリスティーナは少し照れたように笑いながら名乗る。
「えへへ、わたし、クリスティーナ。
クリスって呼んでね」
「え、あの」
弟マヌエル・ソードルは腰を浮かせかけて、下ろし、おろおろと視線をさ迷わせる。
エリージェ・ソードルがそれを見咎めるように言った。
「マヌエル、何をしているの?
あなたも名乗りなさい」
「は、はい!」
と弟マヌエル・ソードルはピンっと立ち上がると、丁寧に名乗った。
「ルーベ・ソードル公爵の長男、マヌエル・ソードルです。
よろしくお願いします」
「やればできるじゃない。
あなたはいずれ、公爵を継ぐのだから、あいさつぐらいはしっかりとね」
「はい……」
マヌエル・ソードルはしゅんと俯いた。
しかし、弟マヌエル・ソードルを責めるのは、少々酷でもあった。
そもそも、貴族の礼儀作法というのは、対王族、対貴族のもので、平民に対するものなど無かった。
当たり前である。
平民など取るに足りない人間に敬意など示す必要などあるはずがないからだ。
まして、クリスティーナのように平民が貴族に対して勝手に口を開く事こそ、本来、ありえないことであった。
故に、エリージェ・ソードルの指摘こそ的外れであった。
流石にその辺りに気づいたのか、エリージェ・ソードルはクリスティーナに注意する。
「クリス、挨拶は目上の者、または……相手が貴族だったらそちらが先だから、あなたも注意なさい」
「は~い」
と答えつつ、クリスティーナはエリージェ・ソードルの腕にしがみつく。
そして、ニコニコしながら言った。
「そんなことより、おじょ~様!
本を読んで欲しいの!」
「あなた、お話が本当に好きね」
「好き!」
へへへと笑うクリスティーナの頬を、エリージェ・ソードルは可愛いわねと優しく撫でる。
そして、侍女ミーナ・ウォールに視線を向けると、適当な本を持ってくるように頼んだ。
クリスティーナが何やら侍女ミーナ・ウォールに注文をし始めたので、エリージェ・ソードルは視線を弟マヌエル・ソードルに戻す。
そして、無愛想な筈の姉がにこやかに平民の少女と対話する様子をポカンとした顔で見ていた少年に訊ねた。
「どう?」
「え?」
エリージェ・ソードルは察しの悪い弟に少々苛立ちつつも、再度訊ねる。
「可愛いでしょう?」
弟マヌエル・ソードルはその勢いに押されるように頷いた。
「は、はい!
そう思います……」
(やはりこの子、クリスが好みなのね)などと思いつつ、エリージェ・ソードルは満足げに何度もうなづいた。
「そうでしょう。
わたくし、こう見えても物わかりは良い方なのよ。
だから、手順さえきちんと踏めば、認めて上げても良いわよ」
「は、はあ?」
何やら訳知り顔の姉に対して、弟マヌエル・ソードルはよく分からないといった顔で声を漏らした。
――
侍女ミーナ・ウォールの持ってきた本は子供用の童話であった。
三人は庭園の長いすに座ると、真ん中に座るエリージェ・ソードルが本を開き、読み上げ始めた。
ソードル家姉弟にとっては随分と幼すぎる退屈な内容であったものの、本などにほとんど触れてこなかったクリスティーナにとっては新鮮だったらしく、エリージェ・ソードルの腕に手を絡み付かせながら、きらきらした瞳で挿し絵を眺めつつ朗読する声に耳を傾けていた。
それをクリスティーナとは逆側に座る弟マヌエル・ソードルは何やら複雑そうに眺めている。
それに気づいたエリージェ・ソードルは、ふむと考えた。
(このままでは、マヌエル、クリスと交流が持てないわね)
エリージェ・ソードルとしては、紳士として思い人への接近ぐらい自分で行うべき、とも思うのだが、”前回”の事を根に持ちつつも、それでも弟のために(仕方がないわね。取りなして上げましょう)と思う。
なので、読み終えた本を閉じると、すぐさま「次はこれ!」と別の本を差し出してくるクリスティーナを手で制して、弟マヌエル・ソードルに向いた。
そして、怖々と自分を見上げる弟に言った。
「マヌエル、次はあなたが読みなさい」
弟マヌエル・ソードルは目を見開いて訊ねてくる。
「ぼ、僕がですか?」
「そうよ」と言いつつ顔をクリスティーナに向けなおした。
「クリス、次はマヌエルに読んで貰いましょう。
この子の声、すっごく良いから、とても耳当たりの良い朗読になるわよ」
「そうなの?」
「ええ、わたくし、この子の声とても好きなの」
この女が、弟マヌエル・ソードルの声を好んでいるのは本当のことだ。
”前回”、その多くを刺々しい言葉を吐き捨てることに終始させた弟マヌエル・ソードルであったが、例えば詩集であったり、物語であったりを読み上げるとその清涼感のある声音は人々を魅了した。
この女などは一時期、生意気なことを言った罰と称して、何度も朗読を強要していたぐらいだ。
「じゃあ弟君、お願いします!」
クリスティーナはエリージェ・ソードル越しに、弟マヌエル・ソードルに本を差し出す。
「え、う、うん」と落ち着きのない弟マヌエル・ソードルは、それを受け取りつつも、視線をエリージェ・ソードルに向けた。
そして、消えるような声で訊ねてきた。
「お、お姉さまは、僕の、その、声が――好き……なんですか?」
「ええそうよ」とエリージェ・ソードルがきっぱりというと、弟マヌエル・ソードルの顔が真っ赤に染まった。
そして、「うまく読めるかな?」などボソボソと言う。
そこに、クリスティーナが声を挟んだ。
「おじょ~様!
声が好きなら、歌って貰ったら?」
「歌?」エリージェ・ソードルは目を丸くした。
そして、考える。
「なるほど、確かに歌もいいわね。
マヌエル、何か歌ってみて」
すると、弟マヌエル・ソードルは表情を曇らせた。
「あ、あのう……。
歌は、教えて貰って無いです……」
「あら?
少なくとも国歌なら習ってるはずだけど?」
他のものならいざ知らず、国歌は一般教養の範疇だ。
しかし、弟マヌエル・ソードルは何かに怯える様に首をすくめ、それを小さく横に振った。
「そう?」と少し顎に手をやり考えた。
そこに、クリスティーナが割り込む。
「ねえ、おじょ~様、クリス歌えるよ!」
「あら?
習ったことあるの?」
「ううん!
でも、酒場のおじさんたちが歌うのを聞いて覚えた!」
へへへ、と誇らしげに胸を張るクリスティーナにエリージェ・ソードルは「そうなのね」と優しく目を細める。
「おじさん達に凄く誉められたの!
歌って上げようか!?」
「あら、じゃあお願いしようかしら」
「うん!」と元気に返事をしたクリスティーナは、その場に立ち上がる。
そして、両手を天に向かって大きく広げ、声高々に”叫んだ”。
「天空~の果てぇ~から、さぁ~す光ぃ!
聖剣指しし栄光の道ぃ~」
にっこりと微笑んだまま固まったエリージェ・ソードルは、弟マヌエル・ソードルの「お、お姉さま、これは、その、下手――」という言葉をその口を手で覆うことで防いだ。
因みに、近くでそのやり取りを聞いていた、女騎士ジェシー・レーマーなどは、(あ、これ酔っぱらいの歌い方だ)と思っていたのだが、そのようなこと、エリージェ・ソードルには知る由もなかった。
三番まで歌いきったクリスティーナが満足げにお辞儀するので、エリージェ・ソードルらは(やっと終わった)という内心を隠しながら拍手をする。
そして、ちょこんと座り直したクリスティーナが、明らかに期待する目でこちらを見るので、エリージェ・ソードルはややひきつった笑みを向けながら感想を言う。
「とても良かったわよ、クリス。
元気いっぱいで、声も良いし……」
流石のこの女も上手いとは言わない。
だが、その辺りの機微に疎いクリスティーナは単純に誉められたことを喜び「えへへ!」と顔を赤らめた。
そして、さらに言う。
「きっとね、お母さんの血が流れているからだよ!」
「どういうこと?」
エリージェ・ソードルの問いに、クリスティーナは誇らしげに言った。
「お母さんね、昔は有名な歌い手だったんだって!」
「そうなの?
あのクラーラが?」
「うん!
クリスは聞いたこと無いけど、聞いたことがあるっておじさんは凄く上手かったって言ってた」
「そうなのね」と言いつつ、弟マヌエル・ソードルに視線を向ける。
不思議そうな顔をする、弟マヌエル・ソードルを見つめながら、この女、少し考える。
”前回”は朗読はさせてはいたものの、歌を歌わせるという発想には至らなかった。
だが、そう言われてみるとなるほど、歌の方が弟のこの美しい声がより映えるのではないか?
そう思ったのだ。
それに、クラーラの”問題”もあった。
「クラーラにマヌエルの歌の指導をさせようかしら?」
その呟きを拾ったクリスティーナが、「それいいかも!」と賛同する。
エリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールにクリスティーナの母クラーラを呼んでくるように指示を出した。
そして、目の前でハラハラした顔をさせる侍女ミーナ・ウォールに訊ねた。
「ねえミーナ、そういえば扇子は届いたかしら?」
突然の問いに、きょとんとした顔をした侍女ミーナ・ウォールだったが、すぐに体裁を整える。
「いえ、まだ届いておりません。
特注なのでもう少しお待ちくださいとのことでした。
早くても四日後、との事でした。
予備のものをお持ちしますか?」
「そう……まあいいわ。
これだけで勘弁してあげましょう」
と、エリージェ・ソードルは再度、タライに視線を移す。
それを見た侍女ミーナ・ウォールは「お嬢様!」と非難のこもった声を上げた。
それに対して、エリージェ・ソードルは少し唇を尖らせる。
「何よミーナ、堀に叩き込むことを考えたら、随分温情的だと思わない?」
「若様を殺す気ですか!?」
「だから、代わりにこれだと言ってるでしょう?」
ちなみに前回、堀に叩き込まれた弟マヌエル・ソードルは、時期が初冬だったこともあり、一週間寝込むこととなった。
だからこその、タライである。
(あの子には面倒事を起こされる前に、ガツンとやっておかないとね)
”前回”の弟マヌエル・ソードル、掘に叩き込んだ一ヶ月後、家庭教師の女性に暴力を振るっている。
その事で、領内をかき乱すほどの大騒ぎになってしまった。
この女としては、そうなる前に少しでも改善出来ればと思っているのだ。
女騎士ジェシー・レーマーが「う~ん」と考え込みながら言った。
「……もう随分暖かくなってるから、これぐらいならいいかしら?」
「ジェシー様!?」
「わたしなんて、半分凍った湖に武具を完全装備した状態で蹴り込まれたものよ?」
「ルマ家騎士団基準を若様に当てはめないで下さい!」
侍女ミーナ・ウォールが頭を抱えた。
それを、女騎士ジェシー・レーマーが少し不思議そうに訊ねた。
「ミーナ、あなたがここまでお嬢様に意見を言うのは珍しいわね」
「そういえば、そうね」とエリージェ・ソードルも頷いた。
ミーナ・ウォールという少女は普段から慎み深い侍女であった。
そんな彼女がここまで食い下がることなど、”前回”も含めて記憶がない。
問いかけるようにエリージェ・ソードルが侍女ミーナ・ウォールを見上げれば、彼女は一生懸命それに答える。
「お嬢様、わたし、若様に先ほどお目にかかっているのです。
そのう、お会いになればお嬢様にも――」
そこで、侍女長ブルーヌ・モリタが近づいてくるのが見えた。
その隣には小柄な少年が付いてきている。
弟マヌエル・ソードルだ。
ふわりと柔らかそうな金髪に白い陶器のような肌、ほっそりとした体躯に小さく形の良い顔、エリージェ・ソードルとは違い丸みのある大きな目、その中にある漆黒の瞳は足下を落ち着き無くさまよっていた。
何とも弱々しく頼りなさげの少年だ。
侍女ミーナ・ウォールが乱暴にすることを強固に反対する理由も流石のエリージェ・ソードルとて理解は出来る。
しかし、”前回”を知るこの女、はてと小首を捻った。
侍女長ブルーヌ・モリタが女の前に立つと、「お連れしました」と頭を下げた。
そして、スーッと脇に退く。
取り残された形の弟マヌエル・ソードルは「あ、あのう」などと不明瞭な言葉を発しながらおろおろとしている。
そして、何度が視線を上げようとするものの、女と目を合わせると、視線を下ろすを繰り返した。
エリージェ・ソードルは顎に手をやり、少し考えた。
そして、椅子から立ち上がるとズンズンと弟に近づく。
「あ、あのう……」と弟マヌエル・ソードルはその行動に怯えているのか、自身よりも長身の姉をまたチラリと見上げた。
再度目線を下ろす弟の両頬を、女は両手で抓り上げた。
「ふにゃっ!?」
「お嬢様!?」
侍女ミーナ・ウォールが慌てた感じに声を上げた。
だが、エリージェ・ソードルは頓着せず、「随分柔らかいわね」と指で弟の頬をくにゃくちゃと弄ぶ。
そうしながら、(おかしいわね?)とエリージェ・ソードルは思った。
あの生意気な弟であれば、ここまでされれば怒り出すものと思っていた。
しかし、何故か思っていた反応は返ってこない。
自身の頬を弄くる手を払うどころか、止めるために掴むことすらしてこないで、されるままになっている。
罵声が、少なくとも漏れ出てくると思われたその口は、何故かキツく閉ざされている。
そして、怒りにつり上がると思われた目は、なにやら潤みだしていた。
だから、訊ねてしまう。
「あなた、本当にマヌエルなの?」
「正真正銘、弟君ですよ、お嬢様」
侍女長ブルーヌ・モリタがすっと近寄ってくる。
「そろそろ、許して差し上げて下さい」
「……そうね」
エリージェ・ソードルは手を離すと、元の席に戻った。
――
「……」
「……」
お茶をすることになった姉弟であったが、テーブルを挟むものの、会話はない。
姉は何も語らずじっと弟を見るだけであり、弟はそんな姉にビクビクしながら俯くのみであった。
それも仕方がないことであった。
元々、エリージェ・ソードルという女、多弁とはとても言い難い。
取り巻きを従えていた”前回”にしても、周りで好きに話させて、役に立つ情報を拾うことに専念していた。
仮に自ら話題を振ったとしても、それは知りたいことをただ、質問しているだけにすぎず、場を盛り上げようとか、和まそうとか、そんな意図は皆無であった。
そういう役は、だいたい、取り巻きを纏めさせていたカルリーヌ・トレー伯爵令嬢に任せていた。
ただ現状、流石にそれではいけないと思い、エリージェ・ソードルは話を振った。
「マヌエル、魔術の研究は進んでいるかしら?」
「え!? あ、あの……」
侍女長ブルーヌ・モリタが横から指摘する。
「失礼します、お嬢様。
若様はまだ、九つでいらっしゃいます。
魔術を習うのはもう少し後になってからとなります」
「ああ、そうだったわね」
魔術を学ぶのは早くても大体十一歳からとされていた。
それは未成熟な精神のままだと暴走する可能性があるためだ。
なので、この女とて”今回”はまだ、魔術の手ほどきを受けていない。
「……」
「……」
またしても、沈黙が場を占める。
するとそこへ、「あ、あのう」と声がかかる。
視線を向けると、なぜかタライを背に立っている侍女ミーナ・ウォールが恐る恐る提案してきた。
「遊んで差し上げたらいかがでしょうか?」
「遊ぶ?」とエリージェ・ソードルは考えた。
そして、首を横に振った。
「今のわたくしではマヌエルを肩に担ぐことなど難しいと思うけど?」
「そうでした……。
お嬢様にとって遊ぶとは”それ”でしたね」
侍女ミーナ・ウォールは顔をひきつらせる。
このエリージェ・ソードルという女、幼い頃から子供らしい事を余りしてこなかった。
人形遊びやおままごとなどの女の子らしい事もそうだが、輪投げや追いかけっこなど男の子が好むこともしてこなかった。
クズな父親や義母達が全く相手にしてなかったこともあり、侍女や使用人達がせめて子供らしい楽しみを知って貰おうと何度か誘ったのだが、そのほとんどをこの女は丁寧に断っていた。
そして、部屋の長いすで静かに座っているか、家庭教師が来るようになってからは、黙々と勉強をする、そんな子供であった。
ただ、全く楽しみがなかったかといえば、そうでもなかった。
例えば、侍女長シンディ・モリタに手を引かれて行う庭園の散策や、老執事ジン・モリタに乗せられて行う乗馬などはこの表情を滅多に出さぬ女が見るからに機嫌が良さげだった。
そして、この女が何より好んだのが、当時はまだ騎士副団長だったルマ家騎士ウルフ・クリンスマンの肩に乗せて貰う事だった。
ウルフ・クリンスマンの厳つく広い左肩に腰を落ち着け、彼の頭にしがみつきながら、散策する。
それを何よりも楽しみにしていた。
ルマ家に訪問する度にそれをせびり、祖父マテウス・ルマを呆れさせたほどだった。
だが、それを止めることはしなかった。
貴族の、まして最高位のご令嬢として、親族ですらない男性に体を触れられるのは、幼くても余り好ましくはない。
だが、そういった事にうるさい侍女長シンディ・モリタも、これについては何もいわなかった。
その時だけだったからだ。
この無愛想な女が、はしゃぎこそしないものの、楽しそうに目を細め、口元を緩めるのは。
だから、大人達は何も言わなかった。
「おんぶだったら出来なくはないけど……」
とエリージェ・ソードルが弟マヌエル・ソードルに訊ねると、少年は顔を真っ赤に染め、ぶんぶんと顔を横に振った。
「ふむ」とエリージェ・ソードルは顎に手をやり、少し考えた。
この女、エリージェ・ソードルは凡庸である。
故にというべきか、この女、難題を人に投げる。
凡庸な自分が出来ないなら出来る人間にやらせればよい。
そのようにあっさりと人に振ることを良しとするのだ。
だからこの時も、自身が努力することを放棄した。
エリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールにこのような指示を出した。
「ミーナ、クリスを連れてきて」
――
侍女ミーナ・ウォールに連れられてきたクリスティーナは、エリージェ・ソードルに気づくと駆け寄ってきた。
「おじょ~様、凄いねこのお城!
迷子になりそう!」
エリージェ・ソードルは柔らかく口元を緩めながら、それに答える。
「色々込み入ってる場所もあるから、注意しなさいね、クリス」
そこで、付け加えることに気づく。
「あと、ここのことはお城ではなく、屋敷、もしくは砦と言いなさい」
「?
そうなの?」
「そうなのよ」
クリスティーナが城と表現したのは、この少女が無知だからという訳ではない。
例えば、様々なものを見聞きしている商人であっても、初見であれば恐らくは”城”と表現しただろう。
だが、ソードル家やそれに連なる者はそう呼ばない。
城とされるべきはあくまでオールマ城のみで、自身等のそれはけしてそのようなものではない、と主張するのだ。
そこには、長い間ソードル家が立たされていた立ち位置を如実に物語っていた。
クリスティーナは何かに気づいたように目をぱちくりさせ、エリージェ・ソードルの後ろを覗いた。
「おじょ~様、その子は?」
エリージェ・ソードルはその視線の先にいる、弟マヌエル・ソードルに視線を向けた。
弟マヌエル・ソードルは困惑気味に女とクリスティーナを交互に見ている。
「マヌエル、この子はクルスティーナよ。
クリス、この子はわたくしの弟、マヌエル・ソードル」
クリスティーナは少し照れたように笑いながら名乗る。
「えへへ、わたし、クリスティーナ。
クリスって呼んでね」
「え、あの」
弟マヌエル・ソードルは腰を浮かせかけて、下ろし、おろおろと視線をさ迷わせる。
エリージェ・ソードルがそれを見咎めるように言った。
「マヌエル、何をしているの?
あなたも名乗りなさい」
「は、はい!」
と弟マヌエル・ソードルはピンっと立ち上がると、丁寧に名乗った。
「ルーベ・ソードル公爵の長男、マヌエル・ソードルです。
よろしくお願いします」
「やればできるじゃない。
あなたはいずれ、公爵を継ぐのだから、あいさつぐらいはしっかりとね」
「はい……」
マヌエル・ソードルはしゅんと俯いた。
しかし、弟マヌエル・ソードルを責めるのは、少々酷でもあった。
そもそも、貴族の礼儀作法というのは、対王族、対貴族のもので、平民に対するものなど無かった。
当たり前である。
平民など取るに足りない人間に敬意など示す必要などあるはずがないからだ。
まして、クリスティーナのように平民が貴族に対して勝手に口を開く事こそ、本来、ありえないことであった。
故に、エリージェ・ソードルの指摘こそ的外れであった。
流石にその辺りに気づいたのか、エリージェ・ソードルはクリスティーナに注意する。
「クリス、挨拶は目上の者、または……相手が貴族だったらそちらが先だから、あなたも注意なさい」
「は~い」
と答えつつ、クリスティーナはエリージェ・ソードルの腕にしがみつく。
そして、ニコニコしながら言った。
「そんなことより、おじょ~様!
本を読んで欲しいの!」
「あなた、お話が本当に好きね」
「好き!」
へへへと笑うクリスティーナの頬を、エリージェ・ソードルは可愛いわねと優しく撫でる。
そして、侍女ミーナ・ウォールに視線を向けると、適当な本を持ってくるように頼んだ。
クリスティーナが何やら侍女ミーナ・ウォールに注文をし始めたので、エリージェ・ソードルは視線を弟マヌエル・ソードルに戻す。
そして、無愛想な筈の姉がにこやかに平民の少女と対話する様子をポカンとした顔で見ていた少年に訊ねた。
「どう?」
「え?」
エリージェ・ソードルは察しの悪い弟に少々苛立ちつつも、再度訊ねる。
「可愛いでしょう?」
弟マヌエル・ソードルはその勢いに押されるように頷いた。
「は、はい!
そう思います……」
(やはりこの子、クリスが好みなのね)などと思いつつ、エリージェ・ソードルは満足げに何度もうなづいた。
「そうでしょう。
わたくし、こう見えても物わかりは良い方なのよ。
だから、手順さえきちんと踏めば、認めて上げても良いわよ」
「は、はあ?」
何やら訳知り顔の姉に対して、弟マヌエル・ソードルはよく分からないといった顔で声を漏らした。
――
侍女ミーナ・ウォールの持ってきた本は子供用の童話であった。
三人は庭園の長いすに座ると、真ん中に座るエリージェ・ソードルが本を開き、読み上げ始めた。
ソードル家姉弟にとっては随分と幼すぎる退屈な内容であったものの、本などにほとんど触れてこなかったクリスティーナにとっては新鮮だったらしく、エリージェ・ソードルの腕に手を絡み付かせながら、きらきらした瞳で挿し絵を眺めつつ朗読する声に耳を傾けていた。
それをクリスティーナとは逆側に座る弟マヌエル・ソードルは何やら複雑そうに眺めている。
それに気づいたエリージェ・ソードルは、ふむと考えた。
(このままでは、マヌエル、クリスと交流が持てないわね)
エリージェ・ソードルとしては、紳士として思い人への接近ぐらい自分で行うべき、とも思うのだが、”前回”の事を根に持ちつつも、それでも弟のために(仕方がないわね。取りなして上げましょう)と思う。
なので、読み終えた本を閉じると、すぐさま「次はこれ!」と別の本を差し出してくるクリスティーナを手で制して、弟マヌエル・ソードルに向いた。
そして、怖々と自分を見上げる弟に言った。
「マヌエル、次はあなたが読みなさい」
弟マヌエル・ソードルは目を見開いて訊ねてくる。
「ぼ、僕がですか?」
「そうよ」と言いつつ顔をクリスティーナに向けなおした。
「クリス、次はマヌエルに読んで貰いましょう。
この子の声、すっごく良いから、とても耳当たりの良い朗読になるわよ」
「そうなの?」
「ええ、わたくし、この子の声とても好きなの」
この女が、弟マヌエル・ソードルの声を好んでいるのは本当のことだ。
”前回”、その多くを刺々しい言葉を吐き捨てることに終始させた弟マヌエル・ソードルであったが、例えば詩集であったり、物語であったりを読み上げるとその清涼感のある声音は人々を魅了した。
この女などは一時期、生意気なことを言った罰と称して、何度も朗読を強要していたぐらいだ。
「じゃあ弟君、お願いします!」
クリスティーナはエリージェ・ソードル越しに、弟マヌエル・ソードルに本を差し出す。
「え、う、うん」と落ち着きのない弟マヌエル・ソードルは、それを受け取りつつも、視線をエリージェ・ソードルに向けた。
そして、消えるような声で訊ねてきた。
「お、お姉さまは、僕の、その、声が――好き……なんですか?」
「ええそうよ」とエリージェ・ソードルがきっぱりというと、弟マヌエル・ソードルの顔が真っ赤に染まった。
そして、「うまく読めるかな?」などボソボソと言う。
そこに、クリスティーナが声を挟んだ。
「おじょ~様!
声が好きなら、歌って貰ったら?」
「歌?」エリージェ・ソードルは目を丸くした。
そして、考える。
「なるほど、確かに歌もいいわね。
マヌエル、何か歌ってみて」
すると、弟マヌエル・ソードルは表情を曇らせた。
「あ、あのう……。
歌は、教えて貰って無いです……」
「あら?
少なくとも国歌なら習ってるはずだけど?」
他のものならいざ知らず、国歌は一般教養の範疇だ。
しかし、弟マヌエル・ソードルは何かに怯える様に首をすくめ、それを小さく横に振った。
「そう?」と少し顎に手をやり考えた。
そこに、クリスティーナが割り込む。
「ねえ、おじょ~様、クリス歌えるよ!」
「あら?
習ったことあるの?」
「ううん!
でも、酒場のおじさんたちが歌うのを聞いて覚えた!」
へへへ、と誇らしげに胸を張るクリスティーナにエリージェ・ソードルは「そうなのね」と優しく目を細める。
「おじさん達に凄く誉められたの!
歌って上げようか!?」
「あら、じゃあお願いしようかしら」
「うん!」と元気に返事をしたクリスティーナは、その場に立ち上がる。
そして、両手を天に向かって大きく広げ、声高々に”叫んだ”。
「天空~の果てぇ~から、さぁ~す光ぃ!
聖剣指しし栄光の道ぃ~」
にっこりと微笑んだまま固まったエリージェ・ソードルは、弟マヌエル・ソードルの「お、お姉さま、これは、その、下手――」という言葉をその口を手で覆うことで防いだ。
因みに、近くでそのやり取りを聞いていた、女騎士ジェシー・レーマーなどは、(あ、これ酔っぱらいの歌い方だ)と思っていたのだが、そのようなこと、エリージェ・ソードルには知る由もなかった。
三番まで歌いきったクリスティーナが満足げにお辞儀するので、エリージェ・ソードルらは(やっと終わった)という内心を隠しながら拍手をする。
そして、ちょこんと座り直したクリスティーナが、明らかに期待する目でこちらを見るので、エリージェ・ソードルはややひきつった笑みを向けながら感想を言う。
「とても良かったわよ、クリス。
元気いっぱいで、声も良いし……」
流石のこの女も上手いとは言わない。
だが、その辺りの機微に疎いクリスティーナは単純に誉められたことを喜び「えへへ!」と顔を赤らめた。
そして、さらに言う。
「きっとね、お母さんの血が流れているからだよ!」
「どういうこと?」
エリージェ・ソードルの問いに、クリスティーナは誇らしげに言った。
「お母さんね、昔は有名な歌い手だったんだって!」
「そうなの?
あのクラーラが?」
「うん!
クリスは聞いたこと無いけど、聞いたことがあるっておじさんは凄く上手かったって言ってた」
「そうなのね」と言いつつ、弟マヌエル・ソードルに視線を向ける。
不思議そうな顔をする、弟マヌエル・ソードルを見つめながら、この女、少し考える。
”前回”は朗読はさせてはいたものの、歌を歌わせるという発想には至らなかった。
だが、そう言われてみるとなるほど、歌の方が弟のこの美しい声がより映えるのではないか?
そう思ったのだ。
それに、クラーラの”問題”もあった。
「クラーラにマヌエルの歌の指導をさせようかしら?」
その呟きを拾ったクリスティーナが、「それいいかも!」と賛同する。
エリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールにクリスティーナの母クラーラを呼んでくるように指示を出した。
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