殺戮(逆ハー)エンドを迎えた悪役令嬢様も、二度目は一人に絞り込んだ模様です

人紀

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第四章

前回の弟マヌエル・ソードル2

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マヌエル若様のお見合い相手、大丈夫なのですか?
 お嬢様」
と公爵領の執務室にて女騎士ジェシー・レーマーが訊ねてくる。
「大丈夫とは?」
「いや、なんと言いますか……。
 色々ありますが……。
 特に挙動とかが少々”あれ”な気が……」
 執務机で書類に目を通していたエリージェ・ソードルは、それを置くと思い返す。
 この女が公爵領に戻る時、ついでに見合いをさせようとリリー・ペルリンガー伯爵令嬢を連れてきたのだが、なにやら興奮しきりの伯爵令嬢は会って早々挨拶も無しに一方的に話し始めた。

 しかもである。

 何を勘違いしたのか、『これからは、わたしが公爵夫人になるのだから、敬いなさい!』などとのたまった。

 この、エリージェ・ソードルに対して、である。

 ただ、流石のこの女も弟の婚約者候補に対して”余り”乱暴なことは出来ないと思ったようで、扇子で昏倒させ、伯爵家の箱馬車に押し込むだけに留まった。

「あれは前からそうなのよ」
「前からって……。
 何故、あのような方を選んだんですか?」
 エリージェ・ソードルは、この女にしては珍しく少し得意げに口元を緩めた。
「ジェシー、男と女では美的感覚が違う、そういうことよ」
「は、はあ?」
「気に入って貰えたかしら……」
 この女が正直、嫌いな部類に入るリリー・ペルリンガー伯爵令嬢を、義理とはいえ妹にする事を決断したのは、ひとえに、余り相手をしてあげられなかった弟マヌエル・ソードルに対する贖罪の意味もあった。
 それくらいには、この女、弟を大切に思っていた――ということなのである。

 突然、女騎士ジェシー・レーマーが女を背に立った。

 細剣の鞘には彼女の左手がそえられている。
「どうしたの?」
 エリージェ・ソードルは万年筆を置くと、机の端に置かれている扇子に右手を伸ばした。
 訊ねはしたが、この女もすぐにその理由が分かった。
 騒がしく喚く声と荒々しい足音が耳に入ってきた。
 そして、乱暴にドアが開かれた。

 現れたのは弟マヌエル・ソードルであった。

 まだ青さの強い少年であったが、正装姿はなかなか様になっていた。
 洗練されている、といっても良かった――つい先ほど、エリージェ・ソードルが会った時までは、だが。

 今の弟マヌエル・ソードル、すっかり変わり果てていた。

 整えられていた髪はぼさぼさになり、皺一つ無かった上着は手で掴んでいるのでぐちゃぐちゃ、そして、洗濯糊の利いたシャツは胸元がはだけて、白い肌を覗かせていた。

 何よりもである。

 女性よりも素晴らしいと、侍女に絶賛された白く艶やかな頬が怒りの為赤く染まっていた。
 いや、その頬の右側には、赤い唇のような形をした何かが、べったりと付着していた。

 漆黒の瞳の目を怒りのために吊り上げた弟マヌエル・ソードルは、驚く女騎士ジェシー・レーマーを退かすと、執務机を手のひらで叩いた。

 そして、エリージェ・ソードルを指さし、「お前ぇぇぇ!」と怒鳴った。
 さらに、何かを続けようとした。
 しかしそれは、「お前?」というエリージェ・ソードルの問いに止められた。
 止められた、どころか、弟マヌエル・ソードルはびくりと縮こまり、一歩後ずさった。
 だが、少年は何かを払うように首を横に振ると、再度、前に出た。
「よくも俺に――」
「俺?」
「っ!」
 貴族の子息にあるまじき言葉使いにエリージェ・ソードルの眉がピクリと動き、弟マヌエル・ソードルは再度、言葉を詰まらせた。
 だが、すぐに喚き散らした。
「うるさい、うるさい!
 嫌がらせかよ、あんな最悪な女を押しつけようとしやがってぇぇぇ!
 もうやだ!
 やめだ、やめ!
 当主面して何でも勝手に決めやがって!
 お前だって、周りにおだてられて、祭り上げられた小娘に過ぎないじゃ無いか!
 そんなに公爵家が大好きなら!
 そんなに働くのが大好きなら!
 お前が継げよ!」
「若様!
 それ以上はいけません!」
 女騎士ジェシー・レーマーが眉を吊り上げた。

 凡庸なエリージェ・ソードルは、必死になり働いていた。

 公爵代理として、長子として、それこそ命を削るようにである
 それは、公爵家や公爵領の為であることももちろんあるが、弟マヌエル・ソードルの為でもあった。
 いずれ継ぐこととなる弟が、その時に慌てないように、苦しまないように、失敗しないように、しっかりした土台を作ってあげる。
 そのことがある故に、歯を食いしばりながら頑張っていたのだ。
 それをそばで見ていたからこそ、女騎士ジェシー・レーマーは弟マヌエル・ソードルの言葉は看過できない。
 だが、弟マヌエル・ソードルはそれを払うように「うるさい! うるさい!」と怒鳴った。
 そして、さらにまくし立てる。
「公爵家の後ろ盾の為か、政治的な為かは知らないがあんな、くそ女……。
 もうお前が結婚しろよ!
 あのぶくぶく太った女とさぁ!
 出来るだろう!
 お前の得意な力押しで!
 それで俺のことなんて――」
「そう」女の目がすぅーっと細められ、弟マヌエル・ソードルはそれに「ヒッ」と震えた。
 そして、一歩、二歩と後ずさる。

 そんな弟の様子など頓着せず、エリージェ・ソードルはゆっくりと立ち上がった。

 この女、激高していた。

 身の程知らずの伯爵令嬢に対しても、眉一つ動かさずに、”殴る”だけに留まっていたこの女が、ワナワナと体を振るわせていた。
 自身の努力を、公爵領の領民たちへの思いを、何より弟のためにしてきたことを、その全てに泥を被せるかのような物言いに――ではない。
 この女、そこには”特に”思うことはなかった。
 というよりも、この頭が余り良くない女は、そこまで頭が追いついていなかった。

 この女、”嫌がらせ”と言われて、頭に来ていた。

 この女なりに弟が喜んでくれるように色々考えた。
 様々な人に意見を聞いて回ったりした。
 ようやく、これはという令嬢を見つけた時、本当に嬉しかった。
 なのに……なのに……。

 エリージェ・ソードルは閉じた扇子を静かに持ち上げた。

 そして、悲鳴を漏らしながら仰け反る弟に向けて、地獄から聞こえる怨嗟のような声で言った。
「マヌエル、そう、そうなのね?
 御託ばかりの屑貴族であるペルリンガー家にわざわざ足を運んで、見るだけで首を捻りあげたくなるゴミ令嬢を――妹にする覚悟まで決めたわたくしに対して、嫌がらせ?
 あなたは嫌がらせと言うのね?」
「はぁ!? え!?
 じゃあ、何であいつを選んだの!?」
「お嬢様!?
 若様の仰るとおりですよ!」
などとぎゃあぎゃあ言う声が聞こえてきたが、エリージェ・ソードルにとってはどうでもよい話であった。

 もういい、一発痛い目に遭わせる。

 そんな思いで一杯であった。
 エリージェ・ソードルの体から黒い物がモヤリとわき上がった。

 ”黒い霧”である。

「お嬢様!」
 女騎士ジェシー・レーマーが悲鳴混じりの声を上げた。
 それも仕方がないことであった。

 エリージェ・ソードルがこの恐るべき魔力の霧を初めて実践で使ったのは魔石鉱山の暴動でのことだ。

 鎮圧のために、ソードル騎士を鉱山の中に向かわせたのだが、それは暴徒を扇動する者の罠で、騎士が離れて周りが手薄になったエリージェ・ソードルは急襲される事となった。
 その数百名で、武装し、中には全身鎧を身につけているものもいた。
 対する、エリージェ・ソードルの周りには、騎士リョウ・モリタと女騎士ジェシー・レーマーに加えて三名の騎士しか残っていなかった。

 女騎士ジェシー・レーマーは自分がくい止める間に己の主には逃げてもらおうとした。

 剣を抜き、威嚇するように――自身の気持ちを鼓舞するように吠えた。

 だが、女騎士ジェシー・レーマーがその時、結局、剣を振るうことはなかった。

 彼女の横を黒い影が通り過ぎたと思った、次の瞬間、こちらに襲いかかってきた男達がバタバタと倒れていったのだ。
 元々、鉱山で採掘をしていた者達である。
 屈強な男が多かった。
 魔術師のような男も混じっていた。
 前記の通り、重厚な鎧の男もいた。
 だが、ほとんど間を置かず、何の抵抗も出来ないまま、絶叫を上げながら地に伏せたのだ。
 もがき苦しむ彼らは、文字通り血の涙を流していた。

 そんな恐ろしい力を、エリージェ・ソードルは振るおうとしている。

 女騎士ジェシー・レーマーが焦るのも無理からぬ事だった。
「若様!
 謝って下さい!
 何でもいいから、お嬢様に謝って下さい!」

 ところがである。

 弟マヌエル・ソードルは謝らない。
 ガクガクと震えながらも、顔をひきつらせながらも、不敵に笑った。
 そして、女騎士ジェシー・レーマーに「うるさい! お前は引っ込んでろ!」と言った。
 その乱暴な言いぐさに、エリージェ・ソードルの口元がますますひきつった。
「マヌエル……。
 あなたには本格的なお仕置きが必要なようね」
 ”黒い霧”がぼわりと広がり、それが弟マヌエル・ソードルを包んだ。

 悲鳴が響くかに思えた次の瞬間――しかし、なにも起こらなかった。

 弟マヌエル・ソードルは平然と、既に身長では並んだ姉を見下ろすように眺めていた。
 そして、その口元が歪む。
「何が恐るべき”黒い霧”だ。
 俺から見たら、実に不細工な――魔術とも言えぬ出来損ないだ」
「あなた……」とエリージェ・ソードルは、この女にしては珍しく、大きく目を見張った。
 そんな様子に気を良くしたのか、弟マヌエル・ソードルは両手を広げて、意気揚々と説明をした。
「見ろ!
 これこそが、お前が求め、得られなかった魔術の極地、完全魔術遮断パーフェクトマジックブロックだ!」

 ”黒い霧”は弾かれていた。

 残ったのは弟マヌエル・ソードル、そして、彼を取り巻く”緑色”の魔力壁だ。

 この女の代名詞である”黒い霧”の恐ろしさは数あるが、もっとも極悪なのがその浸透力だろう。

 ”黒い霧”はその名の通り、非常に細やかな魔力の粒で出来ている。

 それを防ぐことは非常に困難だった。
 鎧であれば関節部から、魔力壁であればその範囲外からするりと入り込んでくる。
 仮に屈強な肉体をしていたとしても無意味だ。
 それは、目や鼻、口から体内に入り込む。
 そして、内部から敵を破壊する。
 魔術師の中にはこのように評価する者もいた。

『”黒い霧”とはまるで意識のある疫病だ』

 だから、この女の”黒い霧”から逃れるには、完全に隔離された、それこそ空気すら通さない場所に逃げ込むしかない。
 だがそんな”黒い霧”を、弟マヌエル・ソードルは防いで見せたのだ。
「一体どうやって……」とこの女は呟いた。

 この女、エリージェ・ソードルは公爵代理である。

 そして、がたがたになった公爵領は、この女抜きには立ち行かなくなっていた。
 屑な父親のためにただでさえ疲弊していた所に、騎士の反乱や洪水、飢饉、そして、魔石鉱山の暴動が続いた。
 一つでも掛け違えるだけで、バラバラに砕け散るのでは無いか、そう思わせる有様だった。
 だから、自分が倒れることを――少なくとも弟にその席を渡す前に死ぬことを、この女は恐れた。

 故にこの女、自分を守る術を必死に身につけた。

 剣術を始めとする武術も一通り行った。
 だが、女の身では肉体的限界が来ることは分かり切っていたし、何より才が無かった。
 だからこの女、魔術に活路を見いだす。

 魔術的な才能も無かった。

 だが、保有魔力は理論上、無限に増やすことが出来る。
 そこに賭けたのだ。
 早速、得意の”改善”で魔力量を増やし、攻撃遮断系の魔術を組み始めた。

 だが、この女は挫折する事となる。

 それは、このしつこい女が初めて経験するものだった。
 物理攻撃遮断の方は元々それらしいものが存在していたので、何とか形になった。

 だが、完全魔術遮断は出来なかった。

 自身から放出される魔力と、敵から放たれる攻撃魔術の魔力を区分けする術が、どうしても思いつかなかったからだ。
 さらに言えば、この女の魔力の色も問題であった。

 魔力には色がある。

 そして、その違いにより得意不得意が分かれる。
 赤なら熱気、青なら冷気、白なら癒しなどである。
 この女や弟マヌエル・ソードルの黒は非常に希有な色で謎も多かったが、得意とするものは、”固定”であるという見解が一般的であった。

 例えば、拳の固定化がある。

 魔力で自分の拳を金属のように固めることが出来る。
 武器のない状態で敵に襲われた時、非常に有用な魔術である。
 歴代のソードル家当主の中には、戦場に武器を持たずに挑む者もいた。
 それほど、ソードル家の黒い魔力は対物理に対して優位を誇っていた。

 ところが、逆に対魔術には不向きであった。

 この女の改善は、あくまで改善だ。
 何かしらの取っ掛かりさえあれば違っただろうが、それもなかった。
 だからこの女、取りあえずはそれを諦めていたのだ。
 それを、弟マヌエル・ソードルは完全にやりきったのである。

「若様!
 瞳の色が!」
 女騎士ジェシー・レーマーが驚愕の声を上げる。
 それに対して、弟マヌエル・ソードルはさらに得意げに顔をゆがめた。

 弟マヌエル・ソードルの瞳の色が、漆黒の色から若緑色に変わっていた。

 それは、周りに展開する緑の魔力と同じ色であった。
 弟マヌエル・ソードルは己の瞳を指さしながら、エリージェ・ソードルに挑発的に言った。
「俺はもう、お前の言う通りにはならない。
 もう、この公爵家にも振り回されない。
 これは、決別の証だ!」
 自身が公爵家の血が流れている事を証明する漆黒の瞳を捨てる。
 後ろ盾のないこの少年にとって、それは重い決断だっただろう。

 だが、その目にはもう、迷いは無い。

 先ほどまでの怯えながらも反抗を繰り返す少年の姿はない。
 独り立ちを誓う、男が立っていた。

 エリージェ・ソードルは顎に手をやり、少し考えた。

 この女、エリージェ・ソードルは物事を端的に考える。

 良きにしろ、悪きにしろだ。
 故にこの女、弟の瞳の色がちょっと変わった程度のこと、特に気にしない。
 そこにどれほどの思いが含まれているのか、とか。
 今後、どうするつもりなのか、とか。
 欠片も忖度しない。
 ただ、使えるかどうかのみ、注目する。
 だからこの女、執務室の窓から――扇子でボコボコにされたあげく堀にたたき込まれて、『あっぷぺて!』と溺れる弟を、女騎士ジェシー・レーマー達が慌てて助けようとする様子を見下ろしながら、その魔術の才を評価し、「天才ね」と思った。

 初めて、この女が弟マヌエル・ソードルを本当の意味で”見た”瞬間だった。
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